artscapeレビュー

2010年05月15日号のレビュー/プレビュー

伊藤若冲 特別展「百花若冲繚乱」

会期:2010/03/19~2010/06/13

金刀比羅宮[香川県]

一昨年4月から京都国立博物館 文化財保存修理所にて修復作業が行なわれていた奥書院「上段の間」(通常は非公開)の伊藤若冲筆《花丸図》が、昨年8月に修復完了、特別公開されている。数年前の公開の際にも足を運んだのだが、この機会に再び訪れた。当然だが《花丸図》の前に立ってみても、どこがどのように修復されたのかはわからない。前回はとにかく花図鑑を拡げたようなその美しさに見とれた記憶があるのだが、あわせて公開された《燕五羽》もじっくりと見ていると、改めて若冲の観察眼と偏執的な視線がうかがえてその人物像の想像もまた楽しい。第二会場の高橋由一館には修復前と修復後の《花丸図》を比較した資料の展示もあった。比較してみると、蘇った色彩や特に大きな修復がされた箇所もよく解る。もしかしたら先にこちらの展示を見たほうがよかったのかも知れない?! 少し後悔にも似た気分だったが、やはり見に行ってよかった。

2010/04/04(日)(酒井千穂)

西宮正明 映像言語展

会期:2010/04/01~2010/05/15

キヤノンギャラリー S[東京都]

西宮正明は1933年生まれで、日本広告写真家協会(APA)元会長、名古屋学芸大学メディア造形学部教授。写真界の重鎮といえるキャリアだが、その精神は若々しく、いまなおアーティスト魂がたぎっている。今回の「西宮正明 映像言語展」でも「フィルム粒子とピクセルの共棲」という興味深いテーマに真っ向から取り組んで、面白い展示を見せてくれた。
西宮は1960年代から、モノクローム・フィルムの増感現像による粗粒子表現に魅せられてきた。印画紙にプリントされた「フィルムの粒子は存在感豊かに限りなく美しい」ということだ。ところが、90年代後半から1億5千万画素というスキャナー式のハイエンド・デジタルカメラを使いはじめて、あらためてその表現の可能性に気づいたのだという。デジタルカメラで複写してプリントアウトすると、フィルムのざらざらの粒子がよりくっきりとシャープに見えてくる。しかもその粒子は、大きく拡大しても最後まで個性的なフォルムを保つ。つまり「フィルムとデジタルを共存させる」ことで、フィルム粒子の情報量をさらに引き出すことができるというわけだ。
このもくろみは、今回の展覧会で見事に成功したのではないだろうか。特に拡大を続けて、不定形なフィルム粒子が「風呂屋のタイル」のようなピクセルの集合に変わってしまう、その境界を見きわめる試みがスリリングだった。部屋の片隅に射し込む光や日常的なオブジェを撮影したスティル・ライフ(静物)の作品自体も、練り上げられた画面の構成力を充分に発揮した、見応えのある力作である。

2010/04/05(月)(飯沢耕太郎)

Andrea Deplazes『Constructing Architecture』

発行所:Birkh user

発行日:2005年

ETHの教授であり建築家であるアンドレア・デプラゼス編著による約500ページの大著。ETHやイタリア語圏スイスのメンドリシオ建築学院では、教科書としても使われているという。原理的な解説も多いが、それ以上にズントーやオルジャッティなどの具体的なプロジェクトの詳細図などを教科書的に使っているという点が興味深い。日本との建築教育では、なかなかディテール図面を見せながらの解説はしない。また、すべての構成が非常に明快である。例えば、形態は、テクトニックと空間に分類され、テクトニックは、素材、境界、構造、形状、次元に、空間は、視覚、触覚、感覚、嗅覚、時間感覚、聴覚に分類される。それぞれがさらに細分割されていく。透徹された構造と建築的思考が浮かび上がる本であり、表紙にはハンドブックとも書いてあるが、単なるハンドブックではない。ぜひ邦訳が出るべき本だと思う。

2010/04/05(月)(松田達)

マネとモダン・パリ

会期:2010/04/06~2010/07/25

三菱一号館美術館[東京都]

丸の内のビジネス街に現われたレンガづくりの建物が三菱一号館美術館。もともと三菱一号館は、19世紀末にジョサイア・コンドルの設計でこの地に建てられたビルの名。1968年に解体されたが、約40年後に復元され、美術館として生まれ変わったというわけ。その開館記念展として開かれているのが「マネとモダン・パリ」だ。マネといっても《草上の昼食》も《オランピア》も来てない。でも《ローラ・ド・ヴァランス》《エミール・ゾラ》《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》は来てる。ま、日本で望める最高レベルのマネ展というべきだろう。作品より気になるのが展示空間。レンガづくりの外観ばかりか内部まで昔どおりに復元し、美術館として設計変更してないため、比較的小さな部屋がいくつもあって迷路のようだ。いちばん首をかしげるのは、せっかくリッパな格子天井を再現したのに照明器具で隠れたり、使えないかたちだけの暖炉が各部屋ごとに復元されたりしていること。そりゃまあ雰囲気は出るけど、なんかディズニーランドみたいなウソっぽさが感じられないか。それなら最初から壊さなければよかったのに。

2010/04/05(月)(村田真)

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甲斐扶佐義「Kyoto behind Kyoto 夢のパサージュ」

会期:2010/04/03~2010/04/14

コニカミノルタプラザ ギャラリーC[東京都]

甲斐扶佐義は1949年、大分生まれ。反戦運動に参加したあと京都・今出川に「ほんやら洞」という喫茶・スペースをオープンし、その経営のかたわらカメラを手に路上を散策してスナップを撮り続けてきた。もう一軒、木屋町に開業したバー「八文字屋」を訪れた女性たちを撮影してまとめた『八文字屋の美女たち』のシリーズをはじめとして、写真集も40冊以上刊行し、2009年には京都美術文化賞を受賞するなど、その存在は京都ではよく知られている。今回の展覧会はその受賞と仏文学者、杉本秀太郎との共著『夢の抜け口』(青草書房)の刊行にあわせてのもので、70年代以来の写真のプリントが壁いっぱいにピンナップしてあった。
甲斐の本領は、親しみやすいその人柄に呼び寄せられるようにカメラの前に立った人物や猫たちを、何の作為もなくすっと撮影することにある。40年以上も撮影していると、被写体との絶妙の距離感、シャッターを切るタイミングが自然体に身についていて、思わず顔がほころぶようなユーモラスな場面が多くなってくる。だが今回、そのようなわかりやすい日常スナップに加えて、どこか謎めいた、それこそ「夢の入口」を思わせるような感触の写真がけっこうあることに気づいた。写真展のDMや『夢の入口』の表紙に使われている、森のような場所を歩む老人と子どもたちのスナップもそんな一枚なのだが、ブレや揺らぎを含んだイメージに、彼のもうひとつの貌が浮かび上がってきているようでもある。シュルレアリスムへの接近とでもいいたくなるのだが、彼自身にはむろんそういう意図はないだろう。写真を撮り続けていると、むこうから勝手に「夢」が飛び込んできてしまうのかもしれない。

2010/04/07(水)(飯沢耕太郎)

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