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2013年11月15日号のレビュー/プレビュー

あいちトリエンナーレ2013作品 ヤノベケンジ「太陽の結婚式」挙式

愛知芸術文化センター 10階 愛知県美術館[愛知県]

台風の恐れもあったが、サンチャイルドのおかげか、晴れた名古屋で、太陽の結婚式に参列した。サイン会で来ていたヤノベケンジも同席する。やはり、ユニークな結婚式であり、この作品は式が行なわれるときに最も輝く。式を挙げたのは教え子だったので、オノ・ヨーコの「生きる喜び」と、ウィッシュ・トゥリーが足元にあるテレビ塔4階の披露宴にも出席した。ここからのセントラルパークの眺めもいい。ヤノベケンジに続き、オノ・ヨーコの作品も結婚式を祝福するかたちになった。

2013/10/26(土)(五十嵐太郎)

あいちトリエンナーレ2013 最終日

[愛知県]

最終日、岡崎の各会場をまわってスタッフらに声がけを行なう。松本町では旧料亭の小花を見学する。今回は使われなかったが、魅力的な建築であり、まだまだこんなにポテンシャルを持っているのだということを知る。松應寺にて、松本町の人たちと、今後のまちづくりの話を行なう。ここも長者町と同様、トリエンナーレを契機に新しい活気が生まれそう。
名古屋にて、七ツ寺共同スタジオの渡辺英司展「名称の庭」を見る。図鑑を切り抜いて床いっぱいにつくられた紙の花畑。その後、名古屋市美術館、行列ができていた長者町エリアや納屋橋、中央広小路ビル、愛知芸術文化センター、すべての会場をまわる。終了時、10階であいちトリエンナーレの事務局、キュレーター、スタッフらが並び、御礼と拍手で最後の客を送り出す。
第二回のあいちトリエンナーレ2013は、最新アートのショーケースでいいとされる芸術祭にはめずらしく、強いテーマ性を掲げ、単に1回目の繰り返しにするのではなく、楽しい、美しいだけではない、アートの異なる側面を多くの人に知ってもらう機会となった。数字を気にしすぎない方がよいと言ったが、入場者数が激減することがなかったことは重要だと思う。もし激減していれば、もうテーマ性はやるなという話になる。が、いま、日本で向き合うべきテーマがあるときに、それを避けては、社会や時代の変化とともに進化・成長してきた現代美術の状況も伝わらない。1回目は始めることが重要だが、2回目は変わることができることを示せる。3回目は観客として楽しみたい。

写真:上から、旧料亭「小花」、松應寺、渡辺英司展「名称の庭」

2013/10/27(日)(五十嵐太郎)

くらし中心~「かたがみ」から始まる part3「食のかたがみ展 だし」

会期:2013/10/11~2013/12/25

無印良品有楽町 2F ATELIER MUJI[東京都]

有楽町の無印良品、ATELIER MUJIにて、くらし中心~「かたがみ」から始まる part3「食のかたがみ展 だし」を見る。石上純也事務所出身の萬代基介による会場構成だ。薄いベニヤの天板の丸みおびた小さな台が群島のように散らばり、その上に「だし」に関するモノや解説がある。100近い小さなテーブルは、すべて異なっており、床に落ちる影が美しい。

2013/10/28(月)(五十嵐太郎)

森村泰昌「レンブラントの部屋、再び」

会期:2013/10/12~2013/12/23

原美術館[東京都]

森村泰昌が1994年に原美術館で開催した「レンブラントの部屋」展は、いま振り返ると彼の作品世界の展開において大きな転機となった展覧会だった。80年代~90年代初頭の「美術史シリーズ」において、批評性と遊戯性を融合させた軽やかなステップを踏んでいた彼は、この「レンブラントの部屋」で自らの身体と精神の裂け目を強引に押し開いていくような作風に転じていく。それは90年代後半以降の「女優シリーズ」や「なにものかへのレクイエム」の生々しく、痛々しいほどに直接的な表現へとつながるものだったと言えるだろう。
今回はその1994年の個展の再演でだが、レンブラントの油彩画やエッチングを元にした23点のほかに、「烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)」(2006)、ゴヤの「ロス・カプリチョス」を演じた「今、こんなのが流行ってるんだって」(2005)など、近作も数点加わっている。だがなんといっても、レンブラントの魂が憑依したような、森村の鬼気迫るパフォーマンスが見物と言えるだろう。
とりわけ凄みを感じるのは、最後の部屋に展示された作品「白い闇」である。レンブラントの「屠殺された牛」(1655)をモチーフにしてはいるが、吊り下げられた肉塊の横に、顔に醜いいぼいぼのメーキャップを施し、ハイヒールを履いた素っ裸の森村泰昌が立ちつくすという構図は、衝撃的としかいいようがない。森村はこの作品で、美術史からの引用という手法を踏み越え、逸脱していったのではないだろうか。「白い闇」というタイトルには、蝋燭から白熱電灯、蛍光灯へ、そして絵画から写真、映画、TVモニターへという近代文明の発展の帰結として、原子爆弾の炸裂があったのではないかという問いかけが込められているという。「3.11」そして「FUKUSHIMA」を経験した現在、その寓意性はより鋭い刃となって観客を切り裂く。

2013/10/29(火)(飯沢耕太郎)

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写真家 中村立行の軌跡──モノクロの昭和/ヌードの先駆

会期:2013/10/19~2013/11/06

O美術館[東京都]

中村立行(りっこう、1912-95)の名前を知る人は、もうあまりいないだろう。だが、私が写真評論の仕事をし始めた1980年代には、彼はいまだ健在で、『アサヒカメラ』のようなカメラ雑誌にユニークな作品を発表していた。今回の展示は、その中村の初期から80年代に至る代表作約200点を集成したものである。丁寧に編集されたカタログも含めて、日本の写真表現の歴史にユニークな足跡を残したこの写真家に、こうしてスポットが当たるのは素晴らしいことだと思う。
中村立行と言えば、真っ先に思い浮かぶのは1940~50年代に制作・発表されたヌード写真である。1936年、東京美術学校油画科卒業という経歴を活かした、フォルマリスティックなアプローチは、日本のヌード写真の歴史に新たな時代を画するものだった。だが、今回の展示でむしろ大きくクローズアップされたのは、第二次世界大戦中から戦後にかけて精力的に撮影された「モノクロの昭和」の写真群である。学童疎開、焼け跡・闇市の時代をしっかりと見つめ、的確な技術で記録した写真群は、林忠彦の「カストリ時代」に匹敵する貴重な歴史的資料と言える。
もうひとつの重要な仕事は、1973年にキヤノンフォトサロンで展示された「路傍」である。広角レンズで、道端のさまざまな情景を切り取っていくこのシリーズを、中村本人は「モク拾い写真術」と称している。特定の主題にこだわることなく、路上をさまよいながら、琴線に触れる情景を拾い集めていくスタイルは、同時代の「コンポラ写真」にも通じるものがある。60歳代という年齢を感じさせないういういしい、だが強靭な視線が印象的だ。本展では、実際にキヤノンフォトサロンに展示されたパネル貼りのプリント30点が、そのままの形で並んでいて、フレームにおさまったほかの作品にはない、ざらついた手触り感が異彩を放っていた。

2013/10/29(火)(飯沢耕太郎)

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