artscapeレビュー

2013年11月15日号のレビュー/プレビュー

藤田嗣治渡仏100周年記念「レオナール・フジタとパリ1913-1931」

会期:2013/10/25~2013/12/01

美術館「えき」KYOTO[京都府]

先日Bunkamuraで「レオナール・フジタ展」が開かれたばかりだが、これはまったく別企画。Bunkamuraではポーラ美術館のコレクションを中心に戦後作品が大半を占めていたのに対し、こちらは戦前のパリ時代に絞り、とくに「乳白色」で人気画家になる以前の初期作品が数多く見られた。藤田が芸術の中心地パリでいかに試行錯誤しながら自己のスタイルを確立し、スターの地位を獲得していくかがうかがえて興味深い。初期のころはアンリ・ルソー、エジプト壁画、モディリアーニなどに加え、やまと絵や浮世絵など日本の伝統美術の要素も採り入れ、「乳白色」に昇華させていった過程が見られる。日本人が欧米で成功するには、必ず日本の伝統的美学を盛り込んでおかなければならないことを知っていたのだ。出品作品のなかでもっとも目を引いたのは、《…風に》と題する26点の水彩画。1枚1枚「ルノワール風に」「マティス風に」「ユトリロ風に」と題されてるように、それぞれの画家の色彩とタッチで画風を描き分けているのだ。この器用さと確たる(核たる)中心のなさこそ藤田を、というより日本の画家を特徴づけるものではないか。やっぱり鵺だ。

2013/10/26(土)(村田真)

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武器をアートに──モザンビークにおける平和構築

会期:2013/07/11~2013/11/05

国立民族学博物館 企画展示場B[大阪府]

内戦の続いたモザンビークで、民間に残された武器を農具に交換し、それらの武器を使ってアートをつくるプロジェクト「TAE(銃を鍬に)」が進められている。同展は民博が集めた作品と、日本のNPO法人が所蔵する作品を合わせて展示するもの。作品は楽器を演奏する人や自転車に乗る人、犬、ワニ、鳥、椅子など通俗的な主題が多いが、細部を見るとAK47(カラシニコフの略称だが、AKB48もここから来たのか!?)をはじめとする武器の断片で成り立ってることがわかり、重厚感が増す。これらの作品を買って再び解体し、もういちど武器を組み立てようとするヤツがいるとしたら、そいつは悪党かアーティストのどちらかだ。

2013/10/26(土)(村田真)

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藤田嗣治 展

会期:2013/09/01~2014/01/31

山王美術館[大阪府]

なんばに完成したホテルモントレ グラスミア大阪の22階に山王美術館がオープンし、ここでも藤田展をやってるとの情報を得たので見に行く。出品作品はこの美術館のコレクションらしいが、そもそも山王美術館がだれの(どこの)コレクションに基づく美術館なのか、運営主体が不明だ。別にいいけど。出品された藤田作品は26点で、戦前と戦後がおよそ半々。興味を引いたのは戦中の1点《教会のある風景》(1943)で、どういうわけかユトリロ風にパリの風景画を描いているのだ。43年といえば「すでにフランス美術界との連絡は切れた」とか、「右の腕はお国に捧げた気持で居る」とかいいながら嬉々として《アッツ島玉砕》などを描いていたころ。その一方で密かにパリの教会風景を描いていたのか。いったいどう解釈すればいいのか迷う1点である。

2013/10/26(土)(村田真)

笹川治子「Study Room no.6221」

会期:2013/10/25~2013/11/04

ヨシミアーツ[大阪府]

今年7月に大阪のホテルで開かれたアートフェアで行なわれたパフォーマンスのドキュメント展。ホテルで開かれるアートフェアというと、個々の客室がギャラリーのブースになり、ベッドやバスルームに作品を飾って観客が見て回るものだが、ヨシミアーツから出品した笹川は「作品」を出すのでなく、客室でパフォーマンスを公開した。それはひとりの女性(作者ではない)が会期中ずっと部屋にいて、端から見れば不可解な行動をとり続けるというもの。「作品」を期待して入って来た観客は、浴衣姿の若い女性がなにかしているのを見てさぞかしとまどったことだろう。それにしても高いショバ代を払って売れないパフォーマンスをやらせるとは、画廊もずいぶん太っ腹というほかない。もちろんお金はどこかで回収しなければならないので、今回DVDやテキストをつくってドキュメント展を開いたわけだが、これが爆発的に売れるとは考えにくい。いずれにせよ年々セコい小品を売る画商が増えているアートフェアに、風穴のひとつでも開けたとすれば拍手喝采。

2013/10/26(土)(村田真)

牛腸茂雄『見慣れた街の中で』

発行所:山羊舍

発行日:2013年9月1日

山羊舍から限定500部で刊行された『見慣れた街の中で』は、牛腸茂雄の作品世界を新たな角度から読み解いていくきっかけになる写真集ではないだろうか。『見慣れた街の中で』は、『日々』(関口正夫との共著、1971)、『SELF AND OTHERS』(1977)に次ぐ、牛腸の3冊目の写真集で、1981年に刊行された。83年の逝去の2年前、生前の最後の写真集になる。写真集には、東京や横浜で撮影されたカラー写真によるスナップショット47点がおさめられている。ところが、写真集刊行後の82年に東京・新宿のミノルタ・フォトスペースで開催された同名の個展には、74点の作品が展示されていた。今回の新装版の『見慣れた街の中で』には、その写真集に未収録だった27点が加えられた。さらにスキャニングと印刷の精度が上がったことにより、牛腸が撮影したカラーポジフィルム(コダクローム)の色味が、より鮮やかによみがえってきている。
最大の驚きは、新たに付け加えられた27点の写真が発する異様な力である。むろん、内容的には、これまでの写真群とそれほど大きな違いがあるわけではない。だが、より曖昧で浮遊感の強い写真が多いように感じる。牛腸は旧版の『見慣れた街の中に』の序文に「そのような拡散された日常の表層の背後に、時として、人間存在の不可解な影のよぎりをひきずる」と記している。彼の言う「不可解な影のよぎり」は、確かにこのシリーズの基調低音と言えるものだが、それが写真集の巻末に収められた27点では、よりくっきりとあらわれてきているのだ。特に街の雑踏から子どもたちの姿を切り出してくる眼差しに、ただならぬこだわりを感じてしまう。本書の刊行によって、牛腸が『見慣れた街の中で』で何を目指していたのか、そしてそれが彼の最晩年の仕事となった『幼年の「時間(とき)」』のシリーズにどうつながっていくのかを確かめていくことが、今後の大きな課題として浮上してきたと言える。

2013/10/26(土)(飯沢耕太郎)

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