artscapeレビュー

2010年01月15日号のレビュー/プレビュー

荒木経惟「遺作 空2」

会期:2009/12/19~2010/01/09

Taka Ishii Gallery[東京都]

2009年は期せずして荒木経惟の、しかも「遺作」で終わりそうだ。だがこのタイトルが冗談以外の何者でもないのは、死(タナトス)のイメージが迫り出して来れば来るほど、あたかも天秤が釣り合うように生/性(エロス)が亢進してくるという荒木の作品世界特有のメカニズムが、ここでも完全に貫かれているからだろう。
2009年1月から「日記」のように大量に制作されてきた、モノクローム印画の上にペインティングしたり、コラージュしたりする作品が壁にずらりと並ぶ。その思いつきが指先から溢れ出てくるような融通無碍な表現は、なんとも勝手気ままなものになり、原色のアクリル絵具がぶちまけられ、コラージュには麻生前首相や鳩山首相や押尾学まで登場してくる。見方によってはあの電通時代の『ゼロックス写真帖』(1971)の、ゲリラ的な活動にまでさかのぼろうとしているようでもある。2010年には70歳を迎える「世界のアラキ」が、こんな幼稚な作品(公募展に出品したら落選間違いなし)を出してきていいのだろうかと心配になるほどだが、見ているうちにじわじわとその毒が回り、涙腺が弛みはじめた。愚劣さも崇高さも滑稽さも、すべてひっくるめた2009年の人間たちの営みが、モノクロームの「空」に一瞬の閃光を放ち、闇の彼方に消え失せていく。無惨だが、それでも世界は終わることなく、あとしばらくは続いていくのだろう。そのことを、とりあえずは荒木とともに言祝ぐことにしよう。
なお会場の奥では「アラキネマ」の新作「遺作空2」(音楽・安田芙充央、制作・クエスト)が上演されていた。音楽と画像とが一体化したうねりに観客をぐいぐいと巻き込んでいく。1986年以来、荒木の助手の田宮史郎と安斎の手で上演されてきたスライドショー「アラキネマ」の最大傑作だと思う。

2009/12/25(金)(飯沢耕太郎)

大阪アート能 新作能「水の輪」

会期:2009/12/26

大阪市中央公会堂[大阪府]

「羊飼いプロジェクト」の活動を通じて、これまで数多くの劇場舞台やワークショップを手がけてきた井上信太と、重要無形文化財総合指定保持者で能楽師・山本章弘のコラボレーションによる新作能。いったいどんな舞台になるんだとワクワクしながら見に行った。「水都大阪2009」の最終日(10月12日)にお披露目公演があったのだが、今回は会場を大阪市中央公会堂に移しての再演。物語自体は、汚染された水の浄化という環境問題をテーマにしたベタな内容なのだが、井上さんの舞台美術をはじめ、一般募集の子どもたちが出演するのもこの舞台の見どころのひとつだった。事前に行なわれたワークショップで制作されたという衣装や、頭に鳥のデザインの天冠をつけてぞろぞろと登場した子どもたちがとにかくかわいい! しかも彼女ら(子ども)が扮する「水鳥」のセリフはよく聞いてみると大阪弁だ。思わず笑ってしまう、そんなチャーミングな要素もいっぱいの舞台なのだが、それだけではない。笛や太鼓、地謡などをふくめ他の出演者はすべてプロ中のプロ。じつに、目も耳も釘付けになってしまう音と舞の圧倒的な迫力に、ライブの能のダイナミズムと感動を改めて知る機会だった。そしてなによりも、それまで縁遠かった人々をつないでいく井上信太の自由な発想とそのの力に脱帽。あくまで平面のアーティストとして活動を続けているが、その表現からはじつにさまざまな可能性がうかがえる。

2009/12/26(土)(酒井千穂)

栗田咲子 展「数珠の茂み」

会期:2009/12/19~2010/02/13

複眼ギャラリー[大阪府]

新作を含めた6点を出展するという国立国際美術館の「絵画の庭──ゼロ年代日本の地平から」(2010年1月16日~4月4日)も楽しみで待ち遠しいのだが、それに合わせて2月まで個展も開催中の栗田咲子。《めんちきり忘れ》というタイトルの作品にはつぶらな瞳のフクロウ、《日食1》《日食2》には伏し目がちなカンガルー。やっぱり展示作品のほとんどは夢に出てきそうなインパクトだった。モチーフのユーモラスなポーズや表情とそれぞれのタイトルから物語を想像してみるのだけれど、これがまたちょっとだけズレているイメージでなかなか難しい。しかしどの作品も「ここで何か面白いことが起こ(って)るよなあ」という期待感に包まれている気がするから愉快だ。訪れたのは年内の開廊最終日。折しも、栗田さんがギターを演奏するユニット「グビラ」の初ライブ(!)が開催されるというなんとも貴重な日でラッキーだった。

2009/12/26(土)(酒井千穂)

遠藤一郎「愛と平和と未来のために」

会期:2009/10/31~2010/01/24

水戸芸術館現代美術センター[茨城県]

「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」(2009年10月31日~2010年1月24日、水戸芸術館)の関連企画で、遠藤一郎が会期中の46日間、館内の庭園などをひたすらほふく前進をしながら生きているという。何? 高速道路を二時間走らせ、水戸に着くと、黄色いテントが庭に立っていた。確かに遠藤は、すべての前進をほふく状態で行なっていた。こころなしか肌が黒く健康的に見えた。ほふく前進で筋肉がついたのと毎日近所のお弁当屋が差し入れをもってきてくれるそう。ワークショップのあるこの日、ぼくもほふく前進してみた。石畳では肘がすっごく痛くて、芝生では草の匂いにくらくらした。自分が亀にでもなったみたい。遅速はものの感じ方、生き方も変えそう。ほふく前進するだけで世界が違って見えてくる。そう、まさにこうしたところだ。こうしたところに遠藤とボイスの交点があるのだ。弁当屋の差し入れもなじみになったベビーカーを引く母親からの挨拶も、社会という彫刻(ボイス曰く「社会彫刻」)を少しずつ別の形へと変化させる、いわば槌の一撃だ。ほふく前進に参加したぼくも遠藤の彫刻の一部となった。しばらく続いた脇腹の筋肉痛も一撃の成果、この痛みは遠藤のつくろうとする「ザ・ビッグ・リング」へと繋がっている気がした。

2009/12/26(土)(木村覚)

Fran oise Choay, “L’urbanisme, utopies et réalités”

発行所:Seuil

発行日:1965年

フランスの都市学者フランソワーズ・ショエ(1925-)による編纂の、都市理論に関するアンソロジー。ユルバニスムという学問を遡及的に明確化し、再定義した本のひとつ。タイトルを訳せば「都市計画(ユルバニスム)、ユートピアと現実」。19世紀から第二次世界大戦までの都市理論で「ユルバニスム」という学問を形成してきたものから重要な論考が集められており、冒頭の「都市計画という問題(L’urbanisme en question)」というショエによる80ページ程度の論考が、本書の意図を説明している。プレ・ユルバニスムとユルバニスム、急進派と文化派という二つの軸によって大きく各テキストの著者が分類されている。例えば、R. オーエンやJ=B. ゴダンはプレ・ユルバニスム急進派、J. ラスキンやW. モリスはプレ・ユルバニスム文化派、T. ガルニエやル・コルビュジエはユルバニスム急進派、C. ジッテやE. ハワードはユルバニスム文化派に分類されている。プレ・ユルバニスムは理想主義的で政治的であるのに対し、ユルバニスムは現実的で建築家によるものが多い。急進派が合理性から特異な解に至るのに対して、文化派は調和的な方向性をもつといえるかもしれない。さらにモデルのないもの、自然派、テクノトピア、人間的都市、都市の哲学などいくつかの項目が加えられている。なお、ショエの次の重要な著作は”La R gle et le Mod le : Sur la théorie de l'architecture et de l'urbanisme”(1980)(未邦訳『規則とモデル:建築とユルバニスムの理論について』)であり、アルベルティとトマス・モアの著作を中心とした流れの中で、さらに包括的な形で、都市建築理論が展開されている。

2009/12/27(日)(松田達)

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