artscapeレビュー

石川直樹『CORONA』

2011年01月15日号

発行所:青土社

発行日:2010年12月20日

このところ、毎年年末になると石川直樹から立派なハードカバーの写真集が送られてくる。それとともに、「ああ、また木村伊兵衛写真賞の季節だな」と思うことになる。石川がここ数年、木村伊兵衛写真賞の最終候補に残っては落ち続けているのは周知の事実だろう。これまでの経歴、業績とも申し分なく、今後の写真界を担っていく期待の人材であることは誰しもが認めつつ、どういうわけか受賞を逃し続けている。もちろん、こういうことは文芸や美術の世界でもありがちなことで、ある賞に縁が遠いというか、選ばれないでいるうちにますます選びにくくなってしまうというのは珍しいことではない。そうなると本人も意地になってしまうわけで、石川の場合も「今年こそは」という思いが写真集作りのモチベーションを高めているのは間違いないだろう。それにしても、毎年ボルテージを落とさずに、力のこもった写真集を出し続けるエネルギーには脱帽するしかない。
というわけで、今年の『CORONA』はどうかといえば、残念ながら、僕が見る限りは絶対的な決め手は感じることができなかった。「ハワイ、ニュージーランド、イースター島を繋いだ三角圏」、その「ポリネシア・トライアングル」を10年にわたって旅して撮影してきた労作であることは認める。昨年の日本列島の成り立ちを探り直す『ARCHIPELAGO』(集英社)の延長上の仕事として、過不足のない出来栄えといえるだろう。だが、これはいつも感じることだが、写真の配置、構成、レイアウトにもう一つ説得力がない。スケールの大きな神話的なイメージと、旅の途中での日常的なスナップをシャッフルして繋いでいく手法は、これまでの写真集でも試みられたものだが、どうも雑駁でとりとめないように見えてしまうのだ。「これを見た」「これを見せたい」という集中力、緊張感を感じさせる写真の間に、それらを欠いた写真が挟み込まれることで、見る者を遠くへ、別な場所へ連れ去っていく力が決定的に弱まってしまう。
石川は一度立ち止まって、自分の写真、自分が見てきたもの、伝えたい事柄についてじっくりと熟考する時期に来ているのではないだろうか。もっと落ちついて、カメラをしっかりと構え、丁寧に撮影し、無駄な写真はカットし、イメージを精選してほしい。各写真にきちんとつけるべきキャプションが割愛されているのも、おざなりな印象を与えてしまう。既にキャリアのある写真家にこんなことを書くのは失礼だとは思うが、雑な撮り方、見せ方をしている写真が多すぎるのではないか。石川が今回、木村伊兵衛写真賞を受賞できるかどうかは僕にはわからない。だが、もし取れたとしても、取れなかったとしても、彼の行動力と構想力に対する期待感の大きさに変わりはない。納得できる写真集、写真展をぜひ見たいと思っている。

2010/12/25(土)(飯沢耕太郎)

2011年01月15日号の
artscapeレビュー