artscapeレビュー

2014年08月15日号のレビュー/プレビュー

《サッカー2014 紙管パビリオン》

会期:2014/06/12~2014/07/18

駐日ブラジル大使館 前庭[東京都]

ブラジル大使館の前に設置された坂茂による紙管の仮設パヴィリオンに立ち寄る。普段は人を寄せつけない大使館の手前のスペースが、人を招き入れるカフェとなっていた。



坂茂《サッカー2014 紙管パビリオン》

2014/07/12(土)(五十嵐太郎)

ルドルフ・シュタイナー展 天使の国

会期:2014/03/23~2014/08/23

ワタリウム美術館[東京都]

ワタリウム美術館のルドルフ・シュタイナー展は、過去にも開催されているが、今回はとくに最初のゲーテアヌム(1922)の建設、完成、そして放火による焼失まで、約16分間のスライドショーが圧巻だった。曲線が多い、複雑な造形や装飾をよく木造で施工したなあと感心させられる。大量の写真を通じ、第1ゲーテアヌムの記録で、これだけ詳しいものは初めて見ることができた。時期的には、田舎においてRC造で全部つくるのは大変だろうが、3Dプリンタのように、木の層を幾重にも積みあげて、有機的な内部ヴォリュームがつくられている。その大変さゆえに、逆説的にかたちへの意志が感じられた。

2014/07/12(土)(五十嵐太郎)

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《サニーヒルズ 微熱山丘 南青山》、《アーバンプレム南青山》 、《House SH》

[東京都]

閉館した黒川紀章による《ベルコモンズ》を通り過ぎ、南青山の隈研吾によるパイナップルケーキ店《サニーヒルズ》を見学した。この目立つ形態は、小さなアイコン建築として機能している。この周辺の散策を続けると、永山祐子の《アーバンプレム南青山》、《中村拓志のHouse SH》を発見した。やはり建築家の物件が多いエリアである。


隈研吾《サニーヒルズ》


永山祐子《アーバンプレム南青山》


中村拓志《House SH》

2014/07/12(土)(五十嵐太郎)

細倉真弓「クリスタル ラブ スターライト」

会期:2014/07/04~2014/08/10

G/P GALLERY[東京都]

「クリスタル ラブ スターライト」というのは、細倉真弓がたまたま見つけた新聞記事に掲載されていた群馬県の飲食店の名前。1992年にこの店を舞台にして「5000万円荒稼ぎ」をしたという売春事件が起こったのだという。細倉はこのいかにも身も蓋もない、薄っぺらな響きの店の名前になぜか心惹かれるものを感じて、今回のシリーズを構想した。「Wing」、「セクシークラブ大奥」、「ド・キホーテ」といった、いかにも地方都市の歓楽街にありそうな店のイルミネーションを撮影した写真を挟み込んで、やはりネオンサインっぽい原色の色味に変換された男女のヌード写真が並ぶ。会場には「クリスタル ラブ スターライト」というネオンサインを製作した実物も展示してあった。あざといといえばあざとい構成だが、そこには日本の社会的風景にどうしても拭い去りがたく染みついた“貧しさ”、“鬱陶しさ”が透けて見える。
細倉がこのような社会批評的な文脈を作品に取り入れるようになったのは、とてもいいことだと思う。だが、この試みを単発で終わらせるのはもったいない。「クリスタル ラブ スターライト」の事件はもう20年前のことなので、インパクトがやや薄まっている。最近の同種の事件(それが何かはよくわからないが)にもスポットを当てて、日本社会の底辺の構造をあぶり出す連作に繋げていけるのではないだろうか。もしそれができるなら、大きな可能性を秘めた表現の鉱脈が見えてきそうだ。
なお東京・恵比寿のPOSTでは、同時期に細倉の新作の「Transparency is the new mystery」が展示されていた(7月11日~27日))。こちらは前作「KAZAN」の延長上にある、モノクロームのヌードと鉱物の結晶をテーマとする連作である。

2014/07/13(日)(飯沢耕太郎)

北野謙「いま、ここ、彼方」

会期:2014/07/05~2014/08/10

MEM[東京都]

北野謙は2013年に文化庁の海外研修でロサンゼルスに滞在した。今回、東京・恵比寿のMEMで発表されたのはその時に制作された2作品「太陽のシリーズ」(day light)と「月のシリーズ」(watching the moon)である。「太陽のシリーズ」はカメラを三脚に据え、長時間露光で日の出から日没まで、ほぼ一日の軌跡を追う。「月のシリーズ」の方は、それとは対照的に天体の動きにあわせて月を追尾しながら、1~数分間のスローシャッターを切っている。
このような天体の動きを定着したシリーズとしてすぐに思い浮かぶのは、山崎博の「HELIOGRAPHY」(写真集の刊行は1983年)である。ちょうど、写真展のオープニングにあわせて、北野と山崎のトークショーが開催されたと聞いて「なるほど」と思った。だが、海と太陽というシンプルな舞台装置で、太陽が描き出す光の帯をむしろ抽象的に写しとった「HERIOGRAPHY」と比較すると、今回の北野の作品の印象はかなり違う。太陽や月の手前には、カリフォルニアのMcDonaldやMobilの看板、アメリカ国旗、原子力発電所、アメリカ軍の1週間ごとの戦死者を十字架の数であらわすモニュメントなどがブレた画像で写り込んでいるのだ。つまり北野の関心は太陽や月のような普遍的、神話的な表象と、爛熟した資本主義社会に特有の景観を対比する所にあり、山崎の「写真とは何か?」というコンセプチュアルな問いかけに基づくアプローチとはかなり違ったものになっている。
とはいえ、30年以上の時を隔てて二つの作品が呼応しているように見えるのが面白い。アメリカ滞在は、北野自身にとっても、写真家としての経歴に新たな1ページを開く契機となったのではないだろうか。

2014/07/13(日)(飯沢耕太郎)

2014年08月15日号の
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