artscapeレビュー

2016年02月15日号のレビュー/プレビュー

成田国際空港第3ターミナル(LCC専用ターミナル)

[千葉県]

竣工:2015年3月

成田空港にて、新しく登場したLCC対応の第三ターミナルに寄る。日建設計ほかがコストをかなり抑えてデザインしたものだが、歩く歩道を敷設できない代わりの陸上トラックのレーン(楽しさ、視認性、耐久性)、くつろげる居場所をつくる什器など、楽しさを感じさせる工夫がいっぱい。2015年のグッドデザイン賞の金賞を獲得したが、大賞候補になってもよかったと思う。

2016/01/04(月)(五十嵐太郎)

石井陽子「境界線を越えて」

会期:2016/01/05~2016/01/19

銀座ニコンサロン[東京都]

石井陽子は1962年山口県生まれ。2005年に「マダガスカルのキツネザルを撮りたくて一眼レフを衝動買い」したことから、国内外を旅して動物写真を撮影するようになる。それだけなら、どこにでもいるアマチュア写真家の趣味の世界だが、2011年に「鹿を撮る」というテーマに巡りあったことで、取り組みの姿勢が大きく変わった。それが今回の銀座ニコンサロンでの初個展にまで結びついた。
日本全国に約250万頭棲息しているという鹿は、日本人にとって特別な意味を持つ動物である。奈良の春日大社や宮島の厳島神社の周辺では「神の使い」として手厚く保護され、観光資源としても活用されている。だが、ほかの地域では農作物を食い荒らす「害獣」として扱われ、年間20万頭近くが狩猟で捕えられ、27万頭以上が「駆除」されているという。石井は同じ種の生きものが、その二つの社会的領域のあいだの「境界線を越えて」存在していることに強い興味を抱いて撮影を続けてきた。今回の展示では、奈良と宮島の鹿たちが、都市空間と共存している状況に絞って会場を構成している。その狙いは、とてもうまくいったのではないだろうか。ビル街を自由に闊歩したり、港の近くに佇んだりする鹿の姿は、見る者にかなりシュールな驚きを与える。あえて人間の姿をすべてカットしたことで、「人の消えた街を鹿たちが占拠する日を夢想する」という彼女の思いが的確に伝わってきた。今後は「境界線」の向こう側、「害獣」として「駆除」されている鹿たちの姿をどのように捉えていくかが課題となってくるだろう。
なお、展覧会にあわせて写真集『しかしか』(リトルモア)が刊行された。祖父江慎のデザイン・構成は、やや生真面目な雰囲気の写真展と違って遊び心にあふれている。これはこれで、なかなかいいのではないだろうか。

2016/01/06(水)(飯沢耕太郎)

狩野一信の五百羅漢図展(後期)

会期:2016/01/01~2016/03/13

増上寺宝物展示室[東京都]

五百羅漢図といえば幕末の狩野一信のそれが有名だが、タイトルにあえて「狩野一信の」とつけているのは、森美術館で「村上隆の五百羅漢図展」が開かれ話題になっているので、便乗しようとしたのか掩護射撃しようとしたのかは別にして、こっちが本家本元だと主張したかったからに違いない。もちろん五百羅漢図は一信以前から描かれていたけど、一信の作品はスケールにおいても表現においても空前のもので、これがなければ村上の五百羅漢図も発想されなかったはず。今回(後期)は軸装の全100幅のうち第41幅から第60幅までの公開。わずか20幅とはいえ、一信にとってはもっともノッていた時期ではないかと思わせるほど奇想天外な表現に満ちている。例えば修行する羅漢を描いた第45図。これが描かれた幕末は西洋美術のさまざまな技法・知識が導入されつつある過渡期だったが、遠近法や陰影表現などは正確に伝わらないまま見よう見まねで駆使されていたため、光線の逆の「影線」みたいなありえない表現が見られるのだ。同じケレン味でも、村上が戦略的にケレン味を狙ったとすれば、一信は意図しない天然のケレン味にあふれているのだ。

2016/01/06(水)(村田真)

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パトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

会期:2015/12/19~2016/01/08

第七藝術劇場[大阪府]

乾燥した砂漠の大地と、豊かな水をたたえた海。対照的な二つの自然を舞台に、宇宙の始原への探究と砂漠の下に隠蔽された現代史、先住民の抑圧と独裁政権下での虐殺、といった時を超えたエピソードが交差し、チリの複雑な歴史が映像詩として語られる。ドキュメンタリー映画だが、政治的告発と大自然の映像美が稀有な共存を見せ、そこに内省的な思索の言葉が綴られていく。
『光のノスタルジア』の舞台は、チリ北部のアタカマ砂漠。標高が高く、極端に乾燥した気候のため、世界中の天文学者が集まる天文観測拠点となっている。火星のような褐色の大地の中に立ち並ぶ、SF映画のような巨大なドーム型の天文台。いっぽうでそこには、先史時代の壁画やミイラ、19世紀の鉱山労働者たちの宿舎や工場、軍事独裁政権時代の収容所など、古代から現代にいたるさまざまな歴史の痕跡が残されている。「天文学者が受け取る星の光は、遠い過去のものだ。過去の光を見つめることで、宇宙と生命の起源に一歩近づく。アタカマ砂漠は最も過去に近い場所だ」と言う天文学者。「だがこの国は、最も近い自国の過去を見ようとしない」とグスマン監督は指摘する。宇宙と生命の起源を求めて遥かな空に巨大望遠鏡を向ける天文学者たちの傍らで、砂漠のどこかに埋められた肉親の遺骨を探して、30年近くもシャベルで地面を掘り返す女性たちがいる。軍事独裁政権時代、政治犯として収容所に送られ虐殺された人々は、「行方不明者」のままだ。「天体望遠鏡で地上を見渡せればいいのに。砂漠中をくまなく探せるように」と女性の一人は語る。彼女たちが天文台の中で望遠鏡をのぞき、星を見るラストのシーンはあまりに美しい。無限遠の過去への眼差しと、地中深く隠蔽された近過去への眼差しが交差し、星くずのような煌めきが微笑む2人の姿に重なり合う。
『真珠のボタン』では、灼熱の砂漠とは対照的に、チリ最南端の氷河の山並みと海が舞台となり、「水の記憶」によって歴史の忘却に抗う声が紡がれていく。タイトルの「真珠のボタン」は、植民地時代のインディオへの抑圧、軍事独裁政権時代に海に棄てられた遺体、という二つの記憶を結びつける。19世紀、「文明化」するためにイギリスに連れていかれたインディオの男は、真珠のボタンと引き換えに故郷・言語・アイデンティティをすべて奪われる。その後、入植者たちによって開始される凄惨な「インディオ狩り」。いっぽう、海底から発見されたレールに付着していた「真珠のボタン」は、遺体が重しのレールとともに海中に棄てられていたことの証となる。驚くべき符合で重なる二つの「真珠のボタン」、それは絶対化されたイデオロギーによる一方的な簒奪のメタファーである。
2作とも、静かな告発の中の映像美に加えて、音響の美しさも際立っていた。砂漠にある廃墟化した収容所跡に残された、錆びたスプーンが風鈴のように風に揺られて、鐘の音のようなハーモニーを奏でる。インディオの末裔から「水の言葉」を習った人類学者は、モンゴルのホーミーの倍音のように、同時に複数の高低の音を響かせる。自然の中に朽ちていく人為の残響と、人間が自然から受け取った豊穣な響きは、そこに孕まれた記憶に耳を傾けるように促していた。

2016/01/07(木)(高嶋慈)

須田一政「民謡山河」

会期:2016/01/05~2016/01/31

JCIIフォトサロン[東京都]

「民謡山河」は『日本カメラ』に1978年から2年間にわたって連載されたシリーズである。各地に伝えられた民謡や祭礼をテーマに、写真評論家の田中雅夫(濱谷浩の実兄)が軽妙洒脱な文章を綴り、須田一政が写真を撮影した。富山県越中城端の「麦や節」を皮切りに、全国22府県、24カ所を巡るという力の入った企画で、須田にとっては、初期の代表作である『風姿花伝』(朝日ソノラマ、1978)から、より普遍的な「起源にある視覚」(M・メルロ=ポンティ)を探求した『人間の記憶』(クレオ、1996)に向かう過程に位置づけられる重要な作品といえる。
今回展示された70点は、掲載された写真のネガの多くが見つからず「手元に残るプリントの中から選んだ」ものだという。「民謡山河」の全体像を再現することはできなかったが、逆にこの時期の須田の、6×6判のフレーミングに目の前の事象を封じ込め、魔術的ともいえるような生気あふれる空間に変質させてしまうイメージ形成の手腕を、たっぷりと味わい尽くすことができた。また撮影時から40年近くを経て、須田自身が「その時代と民謡を守る人々の姿に日本の根っこのようなものを感じてもらえれば」と書いているように、失われた世界の記録としての意味合いも強まっているように感じた。風土と人間が緊密に結びつき、地域社会のコミュニティがいきいきと機能していた時代が、ちょうどこの頃に終焉を迎えつつあったことが、感慨深く伝わってくるのだ。

2016/01/07(木)(飯沢耕太郎)

2016年02月15日号の
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