artscapeレビュー

2017年04月15日号のレビュー/プレビュー

田口芳正「反復3」

会期:2017/02/27~2017/03/05

トキ・アートスペース[東京都]

昨年、写真集『MICHI』(東京綜合写真専門学校出版局)を刊行した田口芳正が、東京・神宮前のトキ・アートスペースで新作展を開催した。『MICHI』は、写真を「撮る」ことの意味を徹底して検証する「コンセプチュアル・フォト」の極致というべき1977~79年の作品を集成した写真集だったが、今回展示された作品もその延長上にある。撮影機材はアナログカメラからデジタルカメラに変わり、プリントもモノクロームではなくカラー出力になっているが、制作の姿勢、方法論がまったく同じであることに、逆に感動を覚えた。
今回の「反復20161206」、「反復20170108」、「反復20170110」の3作品は、すべて同一のコンセプトで制作されている。被写体になっているのは、イチョウなどの枯葉が散乱している地面で、それらを1秒ごとにシャッターを切るように設定したインターバル・カメラで、ひたすら歩きながら撮影し続けていく。さらに、それらの画像をA3判にプリントアウトした用紙を、壁にグリッド状につなぎ合わせて貼り付ける。その数は各63枚で、縦横2.3m×4.8mほどの大きな作品に仕上がっていた。この作品にも、いつ、どこでシャッターを切るかを主観的に選択することを潔癖なまでに拒否し、機械的な「反復」のシステムに依拠していくという彼の方法論が明確に貫かれていた。だが、カメラやプリンターのちょっとした誤作動によって、被写体がブレたり、画像の色味が違ったりしているパートもある。そういうズレや揺らぎすらも、「意図通り」と言い切ってしまうところに、田口がこの「反復」のシリーズを制作・発表し続けている理由がありそうだ。写真という視覚媒体の存在条件を、ミニマルな表現として問いつめていく、いい仕事だと思う。
トキ・アートスペースでの新作の発表は、これから先も1年に1回のペースで続けていくという。次作がどんな風に展開していくのかが楽しみだ。同時に、『MICHI』の続編にあたる1980年代以降の作品も、写真集のかたちでまとめていってほしいものだ。

2017/03/03(金)(飯沢耕太郎)

THE 女流展 vol.4 2017

会期:2017/03/01~2017/03/07

日本橋三越本館6階 美術特選画廊[東京都]

10人くらい出品していたが、ほとんどがどこかの団体に属しているなか、インディペンデントな画家は福田美蘭ひとり。尖閣諸島を巡る2点の絵画を出品している。ひとつは龍安寺の石庭の石を尖閣の島に見立てたもの、もうひとつは水墨画と琳派を混ぜたような作品。「THE・女流展」というタイトルからして時代錯誤的な、そして彼女にとってはいささか場違いとも思える展覧会に臆せず(たぶん)出し続ける。福田美蘭は相変わらず戦ってるなあ。

2017/03/03(金)(村田真)

日本財団DIVERSITY in ARTS─MAZEKOZEプロローグ

会期:2017/03/03~2017/03/05

コレド室町 江戸桜通り地下歩道[東京都]

ダイバーシティ・イン・アーツとはお台場の芸術、ではなくて多様性の芸術のこと。いいかえればアウトサイダーアート、アールブリュット、ポコラートともいう。だれがどんな思惑で仕掛けたかは知らないが、障害者のアートがまた新たに言い換えられて世に発信されようとしているわけだ。なのに展示は地下歩道のずいぶん劣悪な環境のなかで3日間だけ。それでもさすがに作品はすばらしく輝いていた。

2017/03/03(金)(村田真)

試写『Don't Blink ロバート・フランクの写した時代』

ロバート・フランクって写真史のなかの人だと思ったら、まだ生きていたんですね。娘と息子を若くして亡くしたが、本人は90歳を過ぎても健在だという。1924年スイスに生まれ、第二次大戦後に渡米。1959年に出した写真集『The Americans』で注目を集めたが、映画にも手を染める。この映画ではさまざまな時代のロバートが入れ替わり登場するが、そんなフィルムが残っていたのは彼自身が映画を撮っていたからだろう。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやローリング・ストーンズらの音楽も懐かしい。

2017/03/03(金)(村田真)

みちのくがたり映画祭──「語り」を通じて震災の記憶にふれる──

会期:2017/03/02~2017/03/04

フラッグスタジオ[大阪府]

身体を通して震災の記憶に触れ継承するプロジェクト/パフォーマンス公演『猿とモルターレ』(演出/振付:砂連尾理)の関連プログラムとして開催されたドキュメンタリー映画祭。東日本大震災以降の東北に暮らす人々の「語り」に耳を傾けながら、記録し続ける映画監督、映像作家たちの作品計4本が上映された。上映作品は、『波のした、土のうえ』(監督:小森はるか+瀬尾夏美)、『ちかくてとおい』(監督:大久保愉伊)、『なみのこえ 気仙沼編』(監督:酒井耕、濱口竜介)、『うたうひと』(監督:酒井耕、濱口竜介)。
4作品はいずれも、「語ること」の位相がもうひとつの主題である。『なみのこえ 気仙沼編』と『うたうひと』については、同じく関連プログラムとして開催された「東北記録映画三部作」上映会のレビューで触れたのでここでは詳述しないが、カメラワークのトリッキーな仕掛けにより、「語り手」と擬似的に対面する「聞き手」へと鑑賞者を転移させる装置としてはたらく。また、大久保愉伊の『ちかくてとおい』は、かさ上げ工事で土に埋もれてしまう故郷、岩手県大槌町の姿を、震災後に生まれた姪へ向けて映像と言葉で伝えようとする作品。監督自身から姪へ、という個別的で親密な関係性の上に成り立つあり方は、『なみのこえ』の「語り手」と「聞き手」の関係性(夫婦や親子、友人など)とも共通する。
一方、小森はるか+瀬尾夏美の『波のした、土のうえ』では、被写体となる陸前高田の住民へのインタビューを元に、瀬尾が一人称で書き起こした物語を、もう一度本人が訂正や書き換えを行ない、本人の声で朗読する。その声と町の風景を重ねるように、小森が映像を編集した作品だ。物語としての書き起こしと、本人の声による朗読。それは一種の共同作業であり、「声を一方的に簒奪しない」という倫理的側面を合わせ持つ。また、語った言葉そのままでない距離の介在は、自身の経験や感情を客観化する過程であり、生々しさが和らぐ分、「共有できなさ」の心理的な溝が縮まると同時に、プロのナレーターのように矯正していない発話に残る訛りやイントネーションは、他者性を音声的に刻印する。
最後に、本映画祭の「みちのくがたり」というタイトルの含みについて。4作品はいずれも、みちのく(東北)についての語りであると同時に、「ドキュメンタリー」における「語りのあり方」の新たな発明の必要性、語ることとその記録との関係をどう更新するか、という問いの地平を開いていた。

関連レビュー

酒井耕・濱口竜介監督作品「東北記録映画三部作」上映会|高嶋慈:artscapeレビュー

2017/03/04(土)(高嶋慈)

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