artscapeレビュー

2009年11月15日号のレビュー/プレビュー

成実弘至編『コスプレする社会』

発行所:せりか書房

発行日:2009年6月

さまざまな論者が、タイトル通り、コスプレをキーワードに若者の文化現象を読みとく。ヴィジュアル系やタトゥー、ドラァグクイーンなど、それらはまさにもうひとつのアイデンティティをまとうために行なわれる。だが、アンダーグラウンドのサブカルチャーとして出発したスタイルも、すぐに消費され、記号化し、本来の意味が変容してしまう。今年、筆者は編著として『ヤンキー文化論序説』を刊行したので、とくに難波功士の「不良スタイル興亡史」を興味深く読んだ。彼は、ヤンキーが70年代の不良の遊び着=非学校文化を起源とするのに対し、ツッパリは反学校的生徒文化だと位置づけている。だが、不登校や学級崩壊という新しい状況も生じ、学校への対抗という意味を失い、もはや日用としてのツッパリのスタイルは恐竜と化し、卒業式などのイベントで目立つためのアイテムとしてのみ残っているという。

2009/10/31(土)(五十嵐太郎)

安藤忠雄『建築家 安藤忠雄』

発行所:新潮社

発行日:2008年10月24日

安藤忠雄、初の自伝である。初というのが意外に感じられるのは、それだけ彼の生涯が知られているからだろう。ともあれ、本書は、いわゆる作品集の形式ではなく、個人の生きざまの物語を通じて、建築の思想が語られる。つまり、自伝だが、同時に建築のエッセンスがつまっている。安藤にとっては、それだけ生きることと建築をつくることが分ちがたくつながっているからだろう。生い立ちや旅のはなしは有名だが、まず興味深いのは、ゲリラ集団として位置づけられている事務所の組織論を冒頭で論じていることだ。仕事論としても読めるだろう。また自伝では、安藤の反骨精神が、1960年代の既成のものを否定するアヴァンギャルドと大阪人の気質に由来していることがうかがえる。

2009/10/31(土)(五十嵐太郎)

種田陽平『どこか遠くへ』

発行所:小学館

発行日:2009年9月30日

映画の美術監督として活躍する種田陽平の自伝的な絵本。本人のエッセイや昔の写真とともに、記憶の風景が綴られる。そこで描かれる懐かしい世界が、まさに彼が『ザ・マジックアワー』や『フラガール』など、さまざまな映画において手がけた舞台装置とよく似ているのは興味深い。原風景が作品に投影されたともいえるし、逆に現在の種田スタイルが過去の記憶に重ねあわせられたのか。いずれにしろ、建築雑誌に掲載されるようなツルツルピカピカの世界ではなく、記憶が細部に宿る街が種田の好みである。彼は、どこか遠い見知らぬ街で懐かしさを感じることがあるという。実際、種田の映画美術は、建築や都市のセットをつくり、われわれに集合的な記憶を喚起させている。

2009/10/31(土)(五十嵐太郎)

岡田裕子 展「翳りゆく部屋」

会期:2009/10/21~2009/11/21

ミヅマアートギャラリー[東京都]

ゴミの山に囲まれて小さな老婆がキーキーわめいてる映像。そのモニターがゴミ屋敷を思わせる舞台装置のなかにいくつか置かれているので、あっちこっちからネズミのようにキーキーかまびすしい。この老婆、どこかで見覚えがあるなあと思って展覧会名をたしかめると、なんだ岡田裕子じゃないか。なんの展覧会をやってるのか知らずに来たのだが、意外な驚き。彼女の作品は結婚以来お笑いに走る傾向があったけど、彼女自身にこんなコメディエンヌの才能があったとは知らなかった。それにしても会場の「舞台装置」はまるで会田誠みたい、というより会田の使いまわしじゃないか。そもそもゴミ屋敷の発想自体、会田家の家庭生活に由来するだろうことは想像にかたくないが。

2009/10/31(土)(村田真)

O JUN+森淳一 展「痙攣子(けいれんし)」

会期:2009/10/21~2009/11/21

ミヅマ・アクション[東京都]

いま絵画と彫刻でもっとも注目するふたりの展覧会。とくに森のほうは大きく変わり、ふたつの作品に人間の頭が表われた。これまで髪の毛や衣服は彫刻したことがあったけど、中身の人間を作品として発表したのは初めて見た。といってもひとつはキューピーみたいな子どもの人形の顔、もうひとつは歯のついた顎骨を球状に組み合わせたもので、どちらも人間らしくないが。

2009/10/31(土)(村田真)

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