artscapeレビュー

2011年04月15日号のレビュー/プレビュー

サンネ・サンネス SANNE SANNES

会期:2011/03/01~2011/03/13

リムアート[東京都]

まず「こんな写真家がいたのか!」という驚きがある。サンネ・サンネスは1937年、オランダ・グローニンゲン生まれ。1959年頃から写真家として活動し始め、雑誌等に寄稿するほか、写真集『Oog om Oog(An eye for an eye)』(1964)とテレビのために制作された映画『Dirty Girl』(1966)を発表して注目を集めた。だが、1967年に30歳の誕生日を迎えた4日後に交通事故で急死し、その後はほぼ忘れられた存在になっていた。今回のリムアートでの展示は、彼の1960年代のヴィンテージ・プリント27点によるもので、もちろん日本では初公開になる。
テーマになっているのは、ほとんどが女性のヌード。ブレ、ボケ、クローズアップ、粒子の荒れ、大胆な光と闇のコントラストなどは、この時代の写真における「怒れる若者たち」に特徴的な表現で、やや年上のエド・ファン・デル・エルスケンやウィリアム・クライン、さらにはほぼ同世代の森山大道や中平卓馬などとも共通するものがある。だが、これらの写真家とサンネスが決定的に異なっているのは、彼が他の主題には目もくれず、あくまでも「性欲に対する感情の喚起“eroticism”」にこだわり続けていることだろう。しかも、男性が女性に付与したエロティシズムというよりは、女性のなかにもともと内在するそれを引き出そうと、全身全霊で取り組んでいるように見える。結果として、彼の写真はロマンティシズムとリアリズム、性への憧れと畏れ、エクスタシーと苦痛とが激しく衝突し、入り混じり、溶け合うような異様な緊張感に満たされている。このような「実存的」な質を備えたヌード写真は他にあまり例を見ないのではないだろうか。
サンネスはきわめて内気な男だったが、カメラを手にするとサディストに変貌したのだという。また、女友達の回想によれば、彼は生涯女性と性交渉ができなかった。その複雑な人格と、あまりにも短い生涯が、彼の写真に奇妙に歪んだ彩りを添えている。なお展覧会にあわせて、500部限定の写真集『SANNE SANNES』がリムアートとオランダのKahmann Galleryとの共同出版で刊行された。

2011/03/04(金)(飯沢耕太郎)

鷹野隆大『カスババ』

発行所:大和プレス(発売:アートイット)

発行日:2011年1月1日

「カスババ」とは「カス婆」ではなく「滓のような場所」の略だという。その複数形なので「カスババ」。この国に暮らしていれば、誰でも日々出会っている「あまりにも当たり前で、どうしようもなく退屈な場所」ということだ。分厚い写真集には、たしかにそのような身もふたもない場所の写真が170枚もおさめられている。なんの変哲もないビル、無秩序に幅を利かせる看板類、どうしようもなく直立する電柱や信号機、自動車やバイクや自転車がわが物顔に路上を行き交い、どこからともなく通行人が湧き出しては、不意にカメラの前に飛び出してくる。撮影場所は作者の鷹野隆大が住んでいる東京が多いが、広島や仙台や沖縄の那覇のような地方都市もある。もっとも、とりたてて地方性が強調されているわけではなく、沖縄と東京の写真が並んでいてもほとんど見分けがつかない。
いったいこんな「カスババ」だけを集めて写真集が成立するのかと思う人もいるだろうが、ページをめくるうちに不思議な興奮を抑えられなくなってくる。
面白いのだ。写真を見ていると、たしかにこのとりとめのなさ、つまらなさこそが、奇妙な輝きを発していることに気がつく。それは撮影者の鷹野も同じように感じているようで、あとがきに「明確な憎しみの対象として、踏みつぶすように撮り続けて来たのだが、長年付き合ううちに、いつのまにか『嫌な嫌なイイ感じ』へと変化してしまった」と書いている。
どうしてそんな魔法じみた「変化」が起きてしまうかといえば、それは鷹野が「カスババ」を撮影する態度にかかっている気がする。「踏みつぶすように」と書いているが、悪意をあらわに乱暴に被写体に向かうのではなく、かといっておざなりにでもなく、いわば「平静な放心状態」を保つことで、街や人がそこにあるがままに呼び込まれているのだ。「滓のような場所」がまさに「滓のような場所」として見えてくることを、1カット1カット、シャッターを切るごとに、歓びを抑え切れず確認しているようでもある。もしかすると、「嫌な嫌なイイ感じ」というのは、日本の都市風景に対するわれわれのベーシックな感情なのではないかという気もしてくる。

2011/03/05(土)(飯沢耕太郎)

パラレルプラン

会期:2010/12/18~2011/03/20

金沢美術工芸大学アートギャラリー[石川県]

パラモデルの個展。弟夫妻と金沢21世紀美術館を訪れた後、片町にある会場に足を延ばした。金沢21世紀美術館の「ホンマタカシ──ニュー・ドキュメンタリー」には「面白いような、面白くないような。アートはやっぱり難しいな」と若干“アレルギー”反応を見せていた弟だが、こちらの会場を歩き回っているうちに子どもの頃に見ていたアニメや集めていたプラモの話などをし始め、機嫌が良くなった。弟は大きな展示台の上にずらりと並んでいたプラモデルのキット、家屋の間取り図をつなげた作品や床に並ぶトミカなどから私にはない快い記憶がくすぐられたよう。私自身は おもちゃ類が整然と並ぶその展示にはパラモデルならではの偏執的な迫力や妄想的な世界の広がりといった魅力はあまり感じられず、物足りない気がしたが、設計図面や見取り図をイメージさせる作品を中心に構成されていた今展にはプラレールを使ったインスタレーションはなく、これまでとは異なる新鮮な印象もあった。

2011/03/05(土)(酒井千穂)

鬼海弘雄『アナトリア』

発行所:クレヴィス

発行日:2011年1月25日

鬼海弘雄はこれまで3つのシリーズを並行して制作してきた。ひとつは浅草雷門に群れ集う異形の人びとを撮影した「浅草のポートレート」、もうひとつは『東京夢譚』(草思社、2007)に代表される建物や街並みの記録である。これらが東京周辺で6×6判の中判カメラで撮影されているのに対して、35ミリ判のカメラで撮影されたスナップショットのシリーズもある。撮影場所は1980年代~90年代にかけてはインドで、写真集『インディア』(みすず書房、1992)にまとめられた。今回の『アナトリア』はその続編というべきもので、1994年から2009年までの間に6度にわたってトルコを訪れて撮影したものだ。
鬼海が好んで歩きまわったのは、トルコのアジア側、アナトリア半島の街々である。小アジアともいわれるこの地域は、紀元前から古代文明が栄えた土地だったが、いまは近代化から完全に取り残され、素朴な暮らしぶりが残っている。あとがきにも記されているように、鬼海の生まれ故郷である山形県西村山郡醍醐村(現寒河江市)の、戦後すぐくらいの情景を髣髴とさせるところがあるようだ。だが彼がめざしているのは、そのようなノスタルジアを喚起することではない。写真家としての彼の興味は、岩山に囲まれ、真冬には凍てつくような寒さになる荒涼とした大地に根ざすように生きる人びとの、不思議に懐かしい表情や身振りに集中している。鍛え抜かれた、なめらかで正確なスナップショットの技術によって捉えられた人びとは、地方性や時代性を越えた「普遍的な」姿として定着されているように思える。人間という存在の基本型とは何かという長年にわたる探求の、見事な成果がそこにはある。思わず「うん、これだよね」と深くうなずきたくなる写真集だ。

2011/03/06(日)(飯沢耕太郎)

せんだいデザインリーグ2011 卒業設計日本一決定戦

会期:2011/03/06~2011/03/11

川内萩ホール[宮城県]

今回、最終の審査で選ばれたファイナリストは、10人中8人がセミファイナルで票を入れた学生だったので、いつもより多く、基本的にどの案も応援していたが、発表と討議を繰り返すなかで、どんどん魅力が引き出されたのが、日本一になった芝浦工業大学の冨永美保だった。逆にアシストのつもりの質問を受けとれない学生もいて、そうした場合は脱落していく。日本二に選ばれた日本大学の蛯原弘貴の工業化住宅は、セミファイナルで3点を入れた作品だったが、敷地の観察や建築的な発見が足りないと判断し、最後は票を入れなかった。
日本三となった明治大学の中川沙織は、いまの建築はやさし過ぎると批判し、人間はきわめてパンクで、会場は盛り上がったが、建築はそこまで過激な空間でない。人間コンテストなら1位だが、SDLは建築を競う場である。中川インパクトのあおりを喰らい、興味深い空間のシステムを提案した東京理科大学の大和田卓の住華街がベスト3から落ちたのは、残念だった。
審査に関して、テクトニックな案をもっと選べという意見が聞かれたが、だからといってアファーマティブ・アクションのような優遇措置をとるのは難しい。筆者は、例えば、郊外化や情報化のタイプの案を優先して選ぶ、藤村龍至的な立場はとれない。それこそ建築は多様であり、そうでない案の学生に失礼になるからだ。
筆者の著作は、建築と社会に関するテーマだが、建築やアートの審査を行なう場合、いったんそれは解除する。そうでないと、キリンアートプロジェクト2005において石上純也のテーブルを選べなかっただろう。自分の偏った好みを認識しつつも、なるべくバランスをとる。
つまり、審査に望む際、昨日まで考えていたことを補強したり、その啓蒙に役立つ作品よりも、むしろその日まで自分が考えてもいなかったような気づきを与えるものを選ぶ。使いまわしの説明が通用せず、それがなぜ良いのか、その場で言説を新しく組み立てる必要があるものだ。
ともあれ、今から思えば、全国から学生が集まる、この時に震災が起きなくてよかった。10周年を迎えたせんだいメディアテークは一部損壊し、模型の返却も遅れたが、来年は復活のイベントとして、卒業設計日本一決定戦が再開されることを願う。

2011/03/06(日)(五十嵐太郎)

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