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artscapeレビュー

遠藤麻衣 SOLO SHOW「アイ・アム・フェニミスト!」

2015年05月15日号

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会期:2015/03/22~2015/03/31

Gallery Barco[東京都]

アーティストで俳優の遠藤麻衣の個展。表題に示されているように、フェミニストを主題とした映像作品やパフォーマンスを中心に発表した。いずれも今日のフェミニズムに批評的に言及した作品で、濃密な空間に仕上げられていた。
冒頭に掲げられたステイトメントからして力強い。「女の幸せは結婚、愛想は良く、女性らしい服装を心がけること。私たちを守ってくれる男への感謝を忘れずに、女は男をたてるべき。これらを正しいことだと考えている、今この文章の前にいるあなたのような女が、私は大嫌いです。自分にとって都合の良い色メガネをかけ、男性社会への同化を戦略にして生きるあなたに、私は決して負けません。女であれ!」。
この挑発的な決意表明は、ピカソの《泣く女》をモチーフにした映像インスタレーション《“泣く女”》で具体化されていた。「泣く女」と同じメイクをした遠藤自身が、傷つけられた女たちの代弁者となって、男性社会の権力構造を告発し、文字どおり涙を流しながら女の解放を切々と説く。「草の根かき分けて、男の根っこを引き抜きましょう。そして、フラットでリベラルな芝生を生やしましょう。そのうえで、女たちはレジャーシートを敷いてピクニックをするのです」。会期中、遠藤はこの作品の傍らでライブ・パフォーマンスを定期的に催していたが、それも服装からメイク、演説内容まで、典型的なフェミニストのイメージを倍増させるようなものだった。
男性の主体によって一方的に表象される客体としての女性。フェミニズムないしはジェンダーアートにとっての基本的な問題設定だが、こうした表象の政治学から逃走するための戦略的な概念として、遠藤は「偽装」を挙げている。化粧、擬態、演技といった意図的な偽装によって、表象から実体を後景化させること。必然的に、外部から実体の所在を把握することは難しくなるが、おそらく遠藤の狙いはそこにある。
《“泣く女”》と1枚の壁を挟んだ別室に展示されていたのは、《セルフ・ドキュメンタリー》という映像作品。そこには、遠藤と本展をコーデイネートしたアーティストの河口遥によるプライベート風の会話が映されていた。むろん、プライベートとはいえ、文字どおりのプライベートではない。それが証拠に、映像の質から小道具、服装、メイク、会話の内容も含めて、まるでテレビ番組「テラスハウス」のような赴きで演出されていたからだ。まったく内容のない相槌や逆に意味ありげな目配せなど、芝居がやけに細かい。遠藤がステイトメントで批判した「あなたのような女」を演じてみせたのだろう。
戦闘的なフェミニストと凡庸な「あなたのような女」。実に対照的な女性の表象をあえて演じることによって、遠藤は「偽装」という方法論を幅広く実践した。どれほど闘うフェミニストになりきったとしても、あるいはまた、どれほど退屈な女を演じたとしても、そこに遠藤自身の実体はない。実のところ、フェミニズムという思想への評価さえ、まったくわからない。だが、その「わからなさ」は、表象と実体を同一視しがちな私たちの偏った知覚のありようを、これまでにないほどわかりやすく示しているのである。

2015/03/27(金)(福住廉)

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