2018年01月15日号
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artscapeレビュー

2016年05月15日号のレビュー/プレビュー

赤塚祐二

会期:2016/03/21~2016/04/02

コバヤシ画廊[東京都]

階段を下りてドアのガラス越しに見たら、正面に「壁」があった。もちろん現実の壁ではなく絵なのだが、しかもフラットではなく空間性を感じさせる絵なのだが、そのことも含めて白い壁よりもっと「壁」らしく見えたのだ。赤塚は一貫して表現主義的なペインティングを追求しているが、必ずしも安定しているわけではなく、具象と抽象のあいだを揺れ動いている。ここ数年はかなり具象寄りだったが、今回はまた抽象に振れた印象だ。ところで壁は具象か、抽象か。

2016/04/01(金)(村田真)

山岸俊之展「四十九日の空」

会期:2016/03/28~2016/04/02

なびす画廊[東京都]

市川市に住む作者が江戸川の河原を撮った風景写真。といっても画面の大半は空に占められている。タイトルから察するに、個人的な体験に基づく作品かと思ったら、本人いわく「まるで四十九日を過ぎ彼岸に行ってしまった私が空から此岸をみているよう」な風景だという。そして「ごく見慣れた風景が永遠性を帯びる瞬間を常に待っている」と。写真は自作の額や大型カメラのフィルムを装填するフレームに入れ、破格の値段で分けている。新作を世に問うとか、独自の表現を追求するといった力みもなく、ましてや金もうけとは無縁の、もうひとつ別の貸し画廊の使い方。

2016/04/01(金)(村田真)

殿村任香「orange elephant」

会期:2016/03/09~2016/04/02

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

母親と恋人との情事を撮影した、あの衝撃的な『母恋 ハハ・ラブ』(赤々舎、2008)、クラブ勤めの日常を活写した『ゼィコードゥミーユカリ』(ZEN FOTO GALLERY、2013)。殿村任香の仕事には、いつでも白刃をひらめかせるような凄みを感じる。だが、今回ZEN FOTO GALLERYで展示され、同名の写真集も刊行された「orange elephant」のシリーズは、どちらかと言えばおとなしげで、穏やかな微光に包み込まれているように感じた。「祖母」を撮影した一枚を除いては、そこに何が写っているのかさえ判然としない。最初に見た時には、どこか弱々しい印象さえ受けてしまった。
どんな写真家でも、長くハイテンションを保ち続けるのはむずかしいので、殿村もそういう時期に来ているのかもしれないと思った。だが、何度か見直しているうちに、このシリーズも一筋縄ではいかない、したたかな作品であることがじわじわと見えてきた。今回殿村が狙いを定めているのは、これまでのように、彼女の目の前に否応なしに出現してきた身も蓋もない現実ではない。むしろ現世の光景を、遥か彼方から見つめているような、あるいは「300年後の誰か」にメッセージを送ろうとしているような、遠い眼差しを感じさせる。「見えないものを見る」、あるいは「目を瞑って見る」ために、あえて幽体離脱を試みているような写真群なのだ。
その試みがうまくいったのかといえば、正直よく分からないところがある。だが、今回の展示にヴィヴィッドに反応したのが、ほとんど女性の観客だったということを聞いて、納得するところがあった。このシリーズでは、意味や観念ではなく身体レベルでの反応の速度と精度を、極限近くまで高めることで、それこそ子宮が共振するような視覚効果が生まれつつあるのかもしれない。

2016/04/02(土)(飯沢耕太郎)

鈴木紗也香 「額縁の中を愛おしく」

会期:2016/04/02~2015/04/17

高架下スタジオSite-Aギャラリー[神奈川県]

一見サラリと薄塗りで日常的な情景を描いたいまどきの絵画だが、注意深く見ると、絵画の枠組みを強調するかのような窓枠とか開口部とか鏡とか画中画などが描かれ、絵画であることの自覚を高めている。これらは矩形の画面を強調するだけでなく、絵画のさらに向こうにも世界が広がってるかもしれないことを暗示するフレームでもあるだろう。さらに、ギャラリーの柱にマティス風の切り絵を貼るなど、現実と絵画空間との境界にも踏み込もうとしている。絵画意識の高い展覧会。

2016/04/02(土)(村田真)

細密工芸の華 根付と提げ物

会期:2016/04/02~2016/07/03

たばこと塩の博物館[東京都]

根付とは、印籠や煙草入れ、巾着を帯から提げるための留め具。おもに木や象牙を材料にしながら動物や神獣、霊獣、植物、妖怪などを主題に造形された。提げ物の先端に取りつけるため、大きすぎず小さすぎず、手のひらに収まるサイズのものが多い。とりわけ江戸時代の文化文政(1804-1830)の頃に全盛を迎えたが、その後は和装や提げ物の衰退に伴い徐々に庶民の日常生活から姿を消していった。
本展は、約370点の根付を中心に、印籠や煙草入れなどの提げ物、関連資料などを一挙に展示したもの。同館がかつて企画した「小林礫斎 手のひらの中の美~技を極めた繊巧美術~」展(2010-2011)ほどの衝撃は見受けられなかったにせよ、それでも繊細で巧みな技術と、それによって醸し出されるある種の情緒、あるいは初見の人を驚かせる機知など、いわゆる明治工芸に通底する特質を存分に堪能できる展観である。
おびただしい数の根付を通覧して気づかされるのは、その周縁性。根付は現在では美術品ないしは工芸品として評価されているが、本来的には実用品である。いや、より正確に言えば、実用性と装飾性を同時に兼ね備えた両義的な特質こそ、根付本来の価値と言えよう。おそらく、そうした両義性が美術でもなく工芸でもなく、しかし美術にも工芸にもなりうるような、微妙な立ち位置に根付を追いやったのだろう。根付とは、言ってみれば、ジャンルとジャンルの狭間にあって、双方をつなぎ合わせる「のりしろ」なのだ。
しかし、だからといって、根付は二次的で副次的な造形物にすぎないわけではない。そのように見させてしまうとすれば、それは「絵画」や「彫刻」といった近代的なジャンルの内側に視線があるからにほかならない。だが本展の会場を埋め尽くした大量の根付は、そうした近代的色眼鏡による偏った見方を一掃してしまう。印籠に蒔絵や螺鈿など漆芸の技術がふんだんに取り込まれているように、根付はある種の総合芸術であることが理解できるからだ。それは制作の行程が長いばかりか、材料も技法も多岐にわたっており、その豊かな多様性が素材や技法によって細かく分類される近代的な美術工芸の論理には馴染まないのである。
思えば、近代日本は西洋に由来する「美術」を盛んに輸入した一方、江戸に由来する明治工芸を気前よく輸出してしまった。「美術」を手に入れた代わりに、私たちはいったい何を失ったのか。根付の醍醐味が「手に持って愛でることで(根付が)優品に育っていく。愛でる側は幸福感や癒しを得て愛着が湧いてくる」(駒田牧子『根付 NETSUKE』角川ソフィア文庫、2015、p.64)ことにあるとすれば、今後の私たちが取り戻すべきなのは、そのような造形と人とのあいだの親密な距離感ではなかろうか。

2016/04/03(日)(福住廉)

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