2019年08月01日号
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artscapeレビュー

吉田重信「2011312313」

2015年08月15日号

会期:2015/07/11~2015/07/26

GALLERY TOMO CONTEMPORARY[京都府]

福島県いわき市在住の美術作家、吉田重信の個展。
真っ黒に塗られた表面に「20113111446」と刻印された矩形の平面。この数字は東日本大震災が起こった日時を表わし、内部の箱の中には、現在も帰宅困難地域である福島県双葉郡浪江町の販売所に、配達されずに放置されていた2011年3月12日と13日の新聞が鉛に覆われて封入されている。従って新聞の実物を見ることはできないが、紙面を巨大に引き延ばしてプリントした作品が傍らに提示されている。だが、画面が極端に暗いため、光の当たり方によっては真っ黒に見え、地震の規模の大きさや原発事故、住民の避難を伝える紙面をクリアに読み取ることはできない。
ここで、単色の絵画平面に記された日付と新聞の封入という手つきは、河原温の《Today》シリーズ(「日付絵画」)を想起させる。河原の《Today》では、描かれる内容が「制作した日にち」という最小限の情報に還元されるという意味で絵画は限りなく「死」に近づくが、「日付ならまだ描ける」という意味において死の一歩手前に踏み留まっている。それは作家の生存の痕跡でもあるが、日付の刻印という行為が延々と反復されることで、「生」は告げられてもそれ以上前進できず、絵画の「再生」は遅延し続け、夜明けは繰り延べされる。つまり《Today》シリーズでは、絵画は「死」「終末」を宣告されつつも、「現在」の反復においてかろうじて延命し続け、同時に作家の生存記録ともなっている。
一方、吉田の作品においては、日付が刻印された表面は内部の新聞を覆う容器という機能をまずもって有しており、葬り去る棺のような様相を呈している。それは、新聞を収めた箱が開けた状態で一緒に展示されることもある《Today》シリーズとは対照的に、鑑賞者の眼に触れることはない。吉田は、「配達されなかった新聞」=「見られなかった存在」を明るみに出して欠落を回復させようとするのではなく、不可視性をそのまま提示しようとする。その意味でむしろ、ルワンダ内戦でのジェノサイドの被害者に関連した写真を開示せず、黒い箱に収めて墓標のように提示するアルフレッド・ジャーの《Real Pictures》における態度に接近するだろう。ジャーの場合、写真の記録性、表象可能性への信仰、イメージによる収奪に対する不信と批判が作品の基盤をなしているが、吉田作品における棺のような「黒い箱」は、物理的・心理的・社会的レベルにまたがる多重的な意味を担っている。放射線を遮る鉛で実際に覆われた箱は、物理的には「保護する容器」であり、被災の当事者にとっては「思い出したくない辛い出来事」を象徴するものであるとともに、新聞の封印という操作は、報道メディアの減少や不在によって薄れていく社会的関心の比喩でもあるからだ。
だが、河原の《Today》の反復性とは異なり、唯一性・一回性を帯びた吉田の「20113111446」が、今後も果たして反復されることはないと言い切れるだろうか。

2015/07/26(日)(高嶋慈)

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