artscapeレビュー

2011年03月15日号のレビュー/プレビュー

カントリーエレベーター──三野優子 写真展

会期:2011/02/01~2011/02/06

アートスペース虹[京都府]

田んぼが続く道を走っていると、ときどき見かける巨大なサイロ(?)。それが稲刈り後の“もみ”を乾燥させて保管貯蔵する施設であるのは知っていたのだが、のどかな風景のなかにそびえ立ち、やや違和感を覚えるその建物が「カントリーエレベーター」という名だとは、恥ずかしいがここで初めて知った。その外観や施設内部、機械の一部を写した写真は「ありのままの様子をできるだけ淡々と取りたかった」と本人が言うように、ただ記録として撮影したものや教材写真のように素っ気なく、テクニックもまだまだ勉強中という印象。そのため、写真自体に魅了されるようなポイントを見つけることは難しいのだが、赤い屋根の小屋(?)が巨大なサイロの上にポンと載っているその異様な外観や、サイロに記されたコマーシャルの書体がかわいらしく興味をもったと話す三野の、最初の違和感やその風景を発見した喜びがなんだか初々しく新鮮で、「カントリーエレベーター」とともに印象に残った。

2011/02/06(日)(酒井千穂)

松岡徹 展「旅する島──京都編」

会期:2011/01/12~2011/02/06

京都造形芸術大学芸術館/GALLERY RAKU[京都府]

今展には「キオクダマ」という人々の記憶のつまった玉を内包する島と、その島を探し求める旅人という物語の設定があり、旅人が描いた絵や、島の地図、放浪しながら蒐集したという“コレクション”などが展示されていた。“京都編”はこの会場がある瓜生山が物語の舞台になっていて、古びた雰囲気の瓜生山の地図や風景のドローイングには、そこに生息する架空の生き物や「キオクダマ」が描かれている。ここに登場するキャラクターは立体作品でも展示されているのだが、《守人 阿(モリビト ア)》、《守人 吽(モリビト ウン)》をはじめ、その容姿がとにかくどれもユーモラスだ。一気にその物語世界に引き込まれる。会場にはこの島で使われていた(という設定の)お面も展示されていたのだが、お面をかぶって少し恥ずかしそうに記念撮影をしていた学生らしき若い女性たちの楽し気な様子も微笑ましかった。また、ギャラリーに隣接する、縄文土器などの考古資料が常設展示されている「芸術館」にも、まぎれこむように不思議な生き物が潜んでいたのが面白い。作家の自由な想像力とともに鑑賞者を魅了するその展示力も思い知る。最終日だったが見ることができてよかった。

2011/02/06(日)(酒井千穂)

横田大輔「indication」

会期:2011/02/07~2011/02/24

ガーディアン・ガーデン[東京都]

横田大輔は第2回写真「1_WALL」展(2010年)のグランプリ受賞者。小山泰介、和田裕也、吉田和生ら、僕が「網膜派」と呼んでいる写真家たちに共通する作風の持ち主だ。デジタルカメラを使い、あまり強固な意味を派生しない被写体の触覚的な要素を強調して撮影し、アトランダムに並べていく。結果として、観客は網膜の表層を引きはがしてそのまま提示したような画像の集積を見ることになる。横田の場合、その作業はかなり意識的に為されていて、どうやら動画モードで撮影した画像から選択してプリントしているようだ。ボケ、ブレ、画像の傾き、ストロボ光による極端な明暗のコントラストなどを多用することで、日常的な視点に違和感を生むのも彼らに共通する手法だ。
大小のプリントを虫ピンで壁に止めていく展示構成は、なかなかスタイリッシュで決まっている。悪くはないのだが、ただセンスがいいだけではこれから先が難しくなりそうだ。展覧会に合わせて発行された小冊子に彼が書いていたエピソードが面白かった。電車の中でたまたま見かけた男女を、横田はてっきり兄妹だと思っていたのだが、実はまったくかかわりのない女の子とストーカー的な男の組み合わせだったというちょっと不気味な話だ。こういう日常的なズレの感覚と「網膜派」の手法を、もっと積極的にかかわらせてみるのはどうだろうか。横田にはいい観察力と、言葉を的確に綴る才能も備わっているようなので、逆に画像の意味づけを強めて「物語」を構築していくと、独特の作風に育っていきそうな気もする。

2011/02/09(水)(飯沢耕太郎)

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北川健次「リラダンの消えた鳥籠」

会期:2011/02/09~2011/02/27

tmh.SLEEP[東京都]

北川健次はキャリアのある版画家、オブジェ作家。以前から作品のなかに写真が登場することが多く(例えばマイブリッジの動物の動きの連続写真)、しかもそれがとても的確に使われているのに注目していた。写真にかなり関心があるとは思っていたのだが、すでに何度か個展の形で写真作品を発表しているということを本人からうかがってびっくりした。今回の個展で発表された作品を見ると、たしかに余技の範囲を超えた仕事である。
恵比寿の瀟洒なジュエリー・ショップの壁に並んでいるのは、2年前にヴェネツィアで撮影したというスナップショット。建築物、彫刻、衣裳などの一部を自在に切り取って、光と影のコントラストの強いモノクローム(一部カラー)の画面にまとめている。プリントの段階で画像を重ねている作品もあるが、むしろストレートなプリントの方が多い。版画やオブジェ作品のように、コラージュ的にイメージを繋ぎ合わせたり衝突させたりする効果を狙うよりも、カメラのファインダーに飛び込んでくる被写体を狙い撃ちしているという印象だ。偶発性に身をまかせる方が、スナップとしての強度は上がってくるという逆説をきちんと踏まえているということだろう。「〈写真〉とは、夢と現実とのあわいに揺蕩う、一瞬の光との交接である」。案内状に記された北川のコメントだが、その通りとしかいいようがない。写真家としての構えが最初からきちんとできあがっているということがわかる。イタリアやフランスに題材を求めるのもいいが、むしろもっと日常的な場面に「一瞬の光との交接」を探り当ててほしいとも思う。
なお、会場の隣室にあたるLIBRARIE6でも同時期に北川の「十面体─メデューサの透ける皮膚のために」展を開催している。こちらは手慣れた版画+ドローイング作品だが、写真作品とはまた違った錬金術的なイメージ操作を愉しむことができた。

2011/02/10(木)(飯沢耕太郎)

高嶺格:とおくてよくみえない

会期:2011/01/21~2011/03/20

横浜美術館[神奈川県]

最初の展示室で最初に見た作品は、縦長で全面が朱色、上のほうに3つの白い十字形を配した大きめのタブローだった。まずここで頭のなかは「???」。キツネにつままれた状態で歩を進めると、植物パターンの装飾あり、ストライプ模様の抽象あり、フランク・ステラばりのシェイプトキャンヴァスもあって、じわじわと口元がゆるんできた。これは毛布ではないか。毛布をパネルに張ってタブロー化し、それらしきタイトルと作品解説をつけたものなのだ。いやーこれはハメられた、というより、ツボにハマってしまった。別にこの手の作品は珍しいものではないが、ここでは観客が1点1点見ていくうちに徐々に気づいていくよう配置や点数、見るスピードまで計算し、そこで絵画とはなにか、美術館はなにをどのように価値づける場所なのかといったことにまで思いを巡らせるように仕向けている、その手法がじつに巧みなのだ。次の展示室は、2005年の横浜トリエンナーレにも出品された《鹿児島エスペラント》の新ヴァージョン。トリエンナーレのときはゆっくり見る雰囲気ではなかったので、ここでは心ゆくまで堪能。床に土や廃品が置かれ、そこにレリーフ状の文字が並べられ、スポットライトがその文字を追って文章を読み取らせる仕組みだが、これもスポットライトのスピード、音楽のリズム、文章から読みとる意味が見事にシンクロしていた。その後も新作・旧作いくつかあったが、もうこの2部屋で十分満足してしまった。

2011/02/10(木)(村田真)

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2011年03月15日号の
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