2019年11月15日号
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artscapeレビュー

2012年08月15日号のレビュー/プレビュー

「モバイルハウスのつくりかた」イベント トーク2「坂口恭平とは何者か?」ゲスト:五十嵐太郎、本田孝義

会期:2012/07/15

渋谷ユーロスペース[東京都]

渋谷のユーロスペースにて、本田孝義監督とトークを行なうために、彼の映画『モバイルハウスのつくりかた』を再び劇場で見る。坂口恭平のダンボールハウスをつくる防災ワークショップ、トークショー、多摩川のロビンソンクルーソーに指導を受けてつくるモバイルハウス、そして3.11以後のゼロセンターと独立国家論を撮影したドキュメントである。この映画がおもしろいのは、本や写真集ではわからない、坂口恭平という人間のふるまいやしゃべり方を映像でとらえているところ、また撮影中に3.11を迎え、彼の活動に「意味」が加わり、新しい始まりを記録したところだろう。トークで話題になったのは、3.11後、セルフビルドのバラックがほとんどなかったこと、もっとも半壊状態の家に住み続けたり、避難所内に自分の居場所を構築するさまはあったこと。そして昔、筆者が学生に「国家内国家を建設せよ」という無茶な設計課題を出したことも思い出した(参考文献は「吉里吉里人」など)。ともあれ、坂口恭平さんの出発点である反建築と、震災以降の新しい社会を「建築」する活動は、ともに完全なオリジナルではない。ただし、彼の人間力でほかよりも目立っていることが大きい。また1960年代によく語られていたことがいったん忘却された後、若い人には新鮮なものとして受容され、異なる文脈でよみがえっている。

2012/07/15(日)(五十嵐太郎)

青野文昭 展 どくろ杯・II─他者性と不可避性について─

会期:2012/07/06~2012/07/22

Gallery TURNAROUND[宮城県]

仙台のギャラリーターンアラウンドの青野文昭展は、壊れ、廃棄されたモノたちを「修復」しつつ、船と机など、異なるモノと融合させてしまう作品が並ぶ。それもゴミを分別して再利用するリサイクルではなく、まったく役立たないものに「修復」するのだ。作家は震災前から海辺を歩き、これをやっていたし、被災した3.11後も瓦礫からモノを拾い上げ、同じ方法で作品を制作している。おそらく変わったのは彼をとりまく文脈だ。

2012/07/17(火)(五十嵐太郎)

金川晋吾「father 2009.04.10-2012.04.09」

会期:2012/07/17~2012/08/02

ガーディアン・ガーデン[東京都]

とても重要な、長く語り継がれていく展覧会になりそうな予感がする。金川晋吾の「father」シリーズは、これまでも断片的には発表されてきたのだが、今回初めて、まとまったかたちでの展示が実現した。会場に入ると、壁にかなり大きく引き伸ばされた写真が10数枚展示され、中央のテーブルには、3冊のポートフォリオ・ブックが置かれている。そこに写っているのは、すべてひとりの中年男を正面から顔を中心に撮影したポートレートで、言うまでもなくそれが金川自身の「father」である。
彼の父親には「蒸発癖」があり、そのために仕事も家も失って、いまは生活保護を受けてアパートでひとり暮らしをしている。2009年4月、金川は父親に35ミリフィルム入りのコンパクトカメラを渡し「毎日父自身の顔を撮影するように」と頼んだ。なぜそんなプロジェクトを始めようとしたのか、金川自身にもよくわかっていないようだが、父親と自分との関係をポートレートの撮影を通じて確認したいという思いがあったのではないだろうか。父親は意外に勤勉に彼の頼みを実行してくれた。こうして、カメラを持った手を延ばして自分の顔にレンズを向けて撮影された3年分のセルフポートレートが蓄積していったわけだ。
テーブルに置かれた、2009年~10年、2010年~11年、2011年~12年の3冊のブックのページをめくっていくと、じわじわとなんとも言いようのない感情(むしろ恐怖感といってもよい)がこみ上げてくる。そこに写っている父親の表情は異様なほどに均質だ。淡々と、生真面目な表情でシャッターを切り続けている。時々空白のページがあるが、それは「行方をくらませていたために写真が撮られていない時期」ということのようだ。それ以外のすべてのカットに、なんら積極的なメッセージを発することもなく、無表情な男の顔、顔、顔が写り込んでいるのだ。
それでも、ページをめくっていてまったく飽きるということはない。何も起こらないことを予感しつつ、写真を見続け、見終えたときに、誰しも「人間とは奇妙な生きものだ」という感慨を抱くのではないだろうか。考えてみれば、味も知らぬ他人の顔をこれだけ大量に見続けるという経験は、これまでも、これから先もあまりないかもしれない。頭にこびりついてしまった、金川の父親の顔のイメージ、今後はそれを抱え込んでいかなければならないのだが、それがあまり重荷には感じられないのはなぜだろうか。閉じているようで開いている、不思議としか言いようのない写真群だ。

2012/07/18(水)(飯沢耕太郎)

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「TOPOPHILIA」由良環

会期:2012/07/18~2012/07/31

銀座ニコンサロン[東京都]

とても生真面目な労作である。由良環は、2005年から「世界の10都市を同じ方法論で撮る」というプロジェクトを開始した。都市を取り囲む環状線(環状道路、鉄道、城壁など)を基準に、そこから都市の中心に向けて撮影していく。滞在中の25日間に25地点を選び、1日1枚それぞれ「日の出から1時間後、日の入りの1時間前」にシャッターを切る。カメラは地面から1.6メートルの高さに縦位置で構える。4×5インチ判のフィールドカメラで、フィルムはモノクロームのコダックTXP。レンズは150ミリ(標準レンズ)で、絞りはf45に固定されている。
このように厳密にコンセプトを定め、その後、粘り強く丁寧に撮影が続けられていった。その成果が銀座ニコンサロンの個展で披露されたわけだ(同名の写真集がコスモスインターナショナルから刊行)。先に書いたように、文句のつけようのない労作なのだが、作品を見ていてあまり心が弾んでこない。金川晋吾の「father」とはその点で対象的で、一見同じような写真が並んでいるように見える金川の仕事が、さまざまなイマジネーションの広がりをもたらすのと比較して、まったく異なる表情をみせてくれるはずの「TOPOPHILIA」の連作には、なぜか閉塞感が漂っているのだ。
おそらく、「方法論」の設定の仕方に、いくつかのボタンの掛け違いがあったのではないだろうか。4×5判のカメラで撮影したモノクロームの端正なプリントが並ぶと、むしろそれぞれの都市の違いが判別しにくくなる。また東京、パリ、ベルリン、ニューヨーク、北京、ニューデリー、イスタンブール、ローマ、ロンドン、モスクワという10都市の選択も、紋切り型で、あらかじめイメージを限定しかねない。ただ長期間、さまざまな都市で過ごした時間の蓄積は、今後の由良の活動に、有形無形のいい影響を及ぼしていくはずだ。今度はよりフレキシブルなアプローチで、写真による都市の「TOPOPHILIA」の再構築を試みてほしいものだ。

2012/07/18(水)(飯沢耕太郎)

岡田裕子「No Dress Code」

会期:2012/07/11~2012/08/11

ミヅマアートギャラリー[東京都]

壁には、表面に絵の描かれたゴワゴワの布が不定形なレリーフ状に展示されている。布はキャンバス地でブラジャーやストッキングなどをかたどっているようだ。表面に描かれているのはイクラとかゲロとか粒々、ドロドロのイメージ。また床にはパレット型のテーブルが置かれ、原色のナイフとフォークが2本ずつ並んでいる。そのナイフとフォークでなぞったらしき色の線がテーブル上に引かれ、どうやらナイフとフォークは絵具を固めて成型したものであることがわかる。キャンバス、パレット、絵具……ここにあるものはすべて絵画を成立させるための要素であり、それが衣や食といった人間の生に不可欠なものと結びついているのだ。いや衣といっても下着ばかりだし、その表面に描かれているイメージもドロドロとした流動的なものばかりだから、なにかもっと生理的なレベルで絵画をとらえ直そうとしているのかもしれない。

2012/07/19(木)(村田真)

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