artscapeレビュー

2010年01月15日号のレビュー/プレビュー

柳正彦『クリストとジャンヌ=クロード──ライフ=ワークス=プロジェクト』出版記念パーティー

会期:2009/12/04

ザ・マーケットオークションギャラリー[東京都]

「これからクリストに会いにニューヨークへ行く」という青年を京橋の画廊で紹介されたのは、たしか1980年前後のこと。以来30年近くニューヨークに住みつき、クリスト夫妻の片腕としてそのプロジェクトを間近に見てきた柳正彦による、クリスト&ジャンヌ=クロード論の決定版。もっとも身近にいるひとりだけに、解説は微に入り細を穿ち、写真も最高のものを使っている。これをひもとけば、いかにクリストたちが現在のアートプロジェクトの先駆けとなっていたか、そして、いかに現在各地で行なわれているアートプロジェクトと落差があるかもよくわかる。柳にとっての、そしてなによりクリストにとっての痛恨の出来事は、2週間ほど前にジャンヌ=クロードが亡くなったことだ。

2009/12/04(金)(村田真)

野村次郎「遠い眼」

会期:2009/12/01~2010/12/16

ビジュアルアーツギャラリー・東京[東京都]

僕も審査員をつとめる本年度のビジュアルアーツフォトアワードの受賞作品展。その審査評に次のように書いた。
「淡々と過ぎゆく日々の記録に見えて、いろいろな場所に亀裂が生じ、足元が崩れ落ちていくような怖さを感じる。不安を噛み殺し、ぎりぎりの緊張感を保ちつつ撮り続けられた写真群ではないだろうか。見慣れていたはずの人も風景も。ふっと気がつくと何か異様な手触りを備えた『遠い』存在に変質してしまっている。そこはもはやこの世ならざる向こう側の世界だ」。
作者の野村次郎は、どうやら精神的な病を抱えて、秩父の実家に逼塞していた時期があったようだ。写真はそのリハビリの過程で撮られたものであり、押さえようのない不安感、緊張感が伝わってくる。何でもない山道を撮影したカットがいくつかあるのだが、そのカーブが先の方で右、あるいは左に折れていく。ただそれだけの写真なのに、背筋の凍るような怖さを感じさせる。父、祖母、そして妻の「茜ちゃん」、インコとイグアナの「ルーシー」、同居人たちもひっそりと息を潜めて、野村のカメラの前に佇んでいるようだ。一見地味だが、じわじわと「写真でしか表わせない時・空が写し止められている」(森山大道)ことが伝わってくる写真群。展示を見てあらためて賞に選んでよかったと思った。なお鈴木一誌の端正なブックデザインで、同名の写真集も刊行されている。

2009/12/04(金)(飯沢耕太郎)

ローマ未来の原風景 by HASHI

会期:2009/09/19~2010/12/13

国立西洋美術館(新館2階版画素描展示室)[東京都]

12月5日、国立西洋美術館の講堂でHASHIこと橋村奉臣と「出たとこ勝負」のトークをした。トーク自体はかなり盛り上がったのだが、その前に、もう一度同館で開催中の「ローマ未来の原風景 by HASHI」をじっくり眺めてきた。
最初はその技巧的な操作が目立つ作品にまったく馴染めなかった。ニューヨークに拠点を置いて活動してきた彼の代名詞というべき、10万分の1秒の高速ストロボで被写体を定着した「Action Still Life」のシリーズを封印し、「HASHIGRAPHY」と称する暗室作業によって、ローマで撮影された遺跡の風景や街頭スナップを、筆のストロークの跡が目立つ絵画的な画像に変容させている。「21世紀の光景を千年後の未来に発見する」というコンセプトはわからないでもないが、それを強引に実現しようとすることで、せっかくの写真家としての被写体の把握力や高度な画面構成力を活かしきっていないように感じた。
だが暗闇のなか、一点一点の画面にスポットライトの光を絞り込んで当てるという工夫を凝らした展示室で時を過ごすうちに、これはこれでやりたいことを自由にやっていきたいというHASHIの欲求の高まりを形にしたものなのではないかと思いはじめた。厳しい制約のある広告写真の世界で生きてきた彼にとって、「HASHIGRAPHY」での子どもの泥遊びのようなのびやかな表現が、次のステップに進むのに必要だったということではないだろうか。おそらく「Action Still Life」と「HASHIGRAPHY」のちょうど間のあたりに、これからの彼の仕事の可能性が潜んでいるような気がする。なお、美術出版社から同展のカタログを兼ねた写真集『HASHIGRAPHY Rome: Future Déj Vu 《ローマ未来の原風景》』が刊行されている。

2009/12/04(金)(飯沢耕太郎)

文殊の知恵熱「アイニジュウ」

会期:2009/12/05~2009/12/06

アートコンプレックス・センター[東京都]

とうじ魔とうじ、松本秋則、村田青朔によるパフォーマンス。「アイニジュウ」というタイトルは結成20周年記念公演だからだそうだが、「I need you」という意味もあるらしい。やってることは、物や音や行為によるダジャレやシリトリ。いいかえれば、言葉を使わない言葉遊び。

2009/12/06(日)(村田真)

河口龍夫 展 言葉・時間・生命

会期:2009/10/14~2009/12/13

東京国立近代美術館[東京都]

「グループ位」で知られる河口龍夫の回顧展。言葉や物質、時間、生命といったテーマに沿って150点ほどの作品が発表された。鉄の箱に閉じ込められ、発光を決して確認することができない電球や、広辞苑に記載されている言葉をその意味内容に対応した物に添付する《意味の桎梏》(1970)など、おもしろいものもなくはない。けれども、全体的に一貫しているのは、観念過剰な傾向と物としての作品に美しさを欠落させていること。物理学的な関心と作品の形式が一致していないといってもいい。あるいはその違和感が作家のねらいなのかもしれないが、鑑賞者の立場からすれば、たとえば同じ関西出身の野村仁が双方を有機的に統一しているのと比べると、この不一致が気になって仕方がない。電流を熱や光に変換するインスタレーション《関係─エネルギー》(1972)は、広い床面にガジェットを点在させた作品だが、空間の容量にたいして作品のボリュームが足りないため、なんとも侘しい印象を与えてしまっているし、そもそも電流を熱や光に変換するという発想じたいが貧弱である。現実世界の因果関係はもっと錯綜しているし、明確な因果関係を特定できないほど、偶然的であり流動的でもある。放射能を通さない鉛で植物の種子を封印したシリーズにしても、鉛の冷たさが伝わるばかりで、そこに閉じ込められる種子には何の可能性も感じられない。寒々しい未来しか待ち受けていないのではないかと絶望的な気分になってしまう。もちろん明るい未来など思い描くことはもはやできないのは事実だとしても、もう少し温もりのある未来を見てみたいものだ。そのためであれば、だれだって多少の放射能を浴びることも厭わないのではないだろうか。

2009/12/06(日)(福住廉)

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