artscapeレビュー
2013年11月15日号のレビュー/プレビュー
あいちトリエンナーレ2013 パブリック・プログラム クロス・キーワード「大震災と文化財 場所、記憶、そして…」
愛知芸文センターにて、「大震災と文化財 場所、記憶、そして...」のシンポジウムが開催された。リアスアーク美術館の山内宏泰の語りは、多数開催されたあいちトリエンナーレのトークの白眉である。まず、文化を蓄積された人々の生活や習慣と定義しつつ、津波で失われた、記憶再生スイッチとしての風景やモノの意味について論じる。と同時に、すでにそれ以前から失われようとしていた文化についても批判的に言及した。3.11直後、ときに批判されながら、現場の写真撮影や被災物の収集を行なった成果は、現在の常設展示となり、それに寄せられたテキストと併せて、地域の住人(そして現地以外の人にとっても仮想ながら)の記憶再生のスイッチとなる。彼は、歴史的な出来事に遭遇した地域のミュージアムの使命について、突き刺さるような言葉で語る。実は3.11の以前にも、警鐘を鳴らすべく明治三陸沖津波の展示を開催していたが、話題にならず、来場者数が惨敗だった。続いて、陸前高田や石巻の文化財レスキューに参加した名古屋市美の清家学芸員、愛知県美の大島学芸員、愛知県美の村田館長が阪神淡路大震災後のレスキュー経験を報告した。災害は救われる「文化」財について、あるいは地域におけるミュージアムの存在意義についても改めて考えさせ、思い悩む契機になる。
2013/10/19(土)(五十嵐太郎)
あいちトリエンナーレ2013 公開コロキウム「アートによって何が始まったのか──越後─瀬戸内/神戸/あいち」
同じ会場において、夕方から長田謙一の司会で、「アートによって何が始まったのか」のシンポジウムが開催された。非都市の越後妻有─瀬戸内国際芸術祭(北川フラム)、脱「現代美術」の神戸ビエンナーレ(大森雅夫)、テーマ性のあいちトリエンナーレ(五十嵐)がそれぞれ報告した後、暮沢剛巳と藤川哲が参加して共同討議を行なう。それぞれの違い、立ち位置が明快になる。比較するとよくわかるのだが、ディレクターが固定している越後─瀬戸内、神戸に対し、あいちは芸術監督が交代するので、毎回内容が大きく変わることが特徴になりうる。またホワイトキューブのある大きなハコモノ(芸文)を使うが、同時に「愛知県」のあらゆる場所が会場になりうる展開の可能性も持つだろう。
2013/10/19(土)(五十嵐太郎)
反重力展
会期:2013/09/14~2013/12/24
豊田市美術館[愛知県]
これまでに何度も訪れたが、初めて雨の日の豊田市美術館を見た。でも、カッコいい建築はやはりカッコいいし、中谷芙二子による霧の作品は迫力を増す。屋外の壁柱廊は、雨の日に高橋節郎館に移動するときに便利だった。ここで渡辺豪の映像を発見する。実は昨年、この作品を表参道のルイ・ヴィトンで見て、トリエンナーレの依頼を決めた。ほかにも豊田市美の反重力展とあいちトリエンナーレには、さまざまなリンクが指摘できるだろう。前回のトリエンナーレ2010のとき、豊田市美では石上純也展が開催され、今回はトリエンナーレの作家になった。25m級のもっと巨大なふうせんの展示を計画していたが、これが実現していれば、まさに反重力の作品。あいちトリエンナーレ2013における壁から立つ男や浮く男などのフィリップ・ラメットの写真、揺れる建築群のハン・フェン、藤森照信の宙に浮く茶室なども、反重力展を補足する作品群とみなすことが可能だろう。中谷の霧と名和晃平の泡も比較すると興味深いし、両方で高橋匡太が関わっている。
鼎談「建築に反重力は可能か」が行なわれ、中村竜治は構造的でありながら現象的でもある繊細なインスタレーション(今回の出品作もそう)、青木淳は空間が反転していく概念的なちらつきによる空間操作をプレゼンテーションした。その後、筆者も交えて、モダニズムの反重力、建築とアートなどを語る。青木の分類によれば、ともにモダニズムの合理性や軽さを持ちながら、ミースは先に空間ありき、フラーは先に重力ありきのデザインだという。とすれば、中村の作品「ダンス」は、スケールの操作によって、二重性があると思う。もし蟻がこれを見上げると、重力からの造形を感じ、逆に人がこれを見下ろすと空間からの形態を感じるはずだからだ。
写真:上=高橋節郎館、中=中村竜治作品、下=中谷芙二子作品
2013/10/20(日)(五十嵐太郎)
ホンマタカシ「Pinhole Revolution / Architecture」
会期:2013/09/19~2013/10/26
TARO NASU[東京都]
以前、ホンマタカシのなかには「写真家」と「編集者」という二つの人格がせめぎ合っており、時にそのバランスが崩れることがあると指摘したことがある。その議論を踏まえれば、今回TARO NASUで展示された新作の「Pinhole」シリーズでは、うまくそのバランスがとれているのではないかと感じた。
ピンホール・カメラは言うまでもなく写真機の原型というべき装置である。写真の歴史は、壁に開けられた小さな穴から外界の姿を反対側の壁に逆向きに投影し、その形状を画家たちが筆でなぞることから開始された。さらに1970年代には、現代美術アーティストの山中信夫が、自室の壁に印画紙を貼り巡らせて撮影した「ピンホール・ルーム」のシリーズを発表しており、近年も宮本隆司や佐藤時啓がピンホール・カメラの原理を作品に適用している。ホンマの新作シリーズでは、そのような写真史的な事項を巧みに引用しつつも、実際にさまざまな部屋にピンホールを仕掛けて、撮影、プリントする作業を心から楽しんでいるように見える。「写真家」としてスリリングな画像の形成過程に立ち会うことの歓びが充分に伝わってきた。TARO NASUに併設するスペースtaimatzで、実際にピンホール写真を撮影し、その場にインタレーションするという試みも非常に興味深いものだった。
展覧会のプレスリリースに以下のようなことが書いてある。ピンホール・カメラの撮影では、被写体にピントを合わせたり、フレーミングしたりすることはない。だから「これらは、どちらも被写体の(あるいは撮影者の)主体性を極力取り除き、あるがままの姿を映し出そうとする試みです。そしてこの作品における『主体性の欠如』こそ、ホンマタカシ“独特”の写真世界を形成する主要素であるという二律背反が、ホンマの作品の世界をより奥深いものにしていくのです」。
これはまったく違っていると思う。「Pinhole」シリーズをやろうと決め、該博な写真史的な知識を駆使し、単純に壁に穴をあけて光を取り込むだけでなく、わざわざ「REVOLUTION」という文字を鏡文字にして配置し、ロバート・フランクの1978年の作品「Sick of Goodby’s」を引用する──これらの操作に、ホンマタカシの「主体性」はあざといほど強烈にあらわれている。それこそ、「編集者・ホンマタカシ」の面目躍如たる部分であり、彼自身、被写体の「あるがままの姿」を捉えようなどとはまるで思っていないはずだ。
なお「Pinhole」シリーズのほかに、2002年頃から建築物の窓からの眺めを撮影し続けている「Architectural Landscapes」のシリーズも展示してあった。確かに「Pinhole」シリーズとネガ/ポジの関係にあるシリーズと言えそうだが、むしろ狙いが拡散してしまうように感じられた。
写真:Pinhole Revolution/Architecture series
© Takashi Homma Courtesy of TARO NASU
2013/10/22(火)(飯沢耕太郎)
生誕100年! 植田正治のつくりかた
会期:2013/10/12~2014/01/05
東京ステーションギャラリー[東京都]
「生誕100年!」を迎えた植田正治の作品を、もう一度丁寧に見直し、再構築しようとする好企画だ。東京ステーションギャラリーでは1993年に「植田正治の写真」展が開催されている。この時は、彼の作品世界を初期から辿り、代表作を紹介するオーソドックスな回顧展だった。ところが、今回は時代を行きつ戻りつしながら、「植田正治という写真家は、どのようにひとつひとつの作品をつくりあげていったのか」を、145点の作品を通して読み解こうとしている。この20年の研究・調査の積み重ねの成果が、しっかりと活かされているということだろう。展示の構成は以下の通りである。
「I『童暦』──ディスカバー・植田正治 1950年代-1970年」「II演出の発明──出発枯らすタイルの確立まで 1931-1950」「III“小さい伝記”──回帰と反復 1970年代-1980年代」「�「植田正治劇場──ボクのスタジオ 1990年代-2000」。
植田本人の文章をふんだんに引用しつつ、写真と映像を絡めた展示は見応えがある。部屋から部屋へとさまよい歩くような、ステーションギャラリーのやや変則的な空間構成が、逆に彼の写真の多様な側面を浮かび上がらせるのにうまく働いていたと思う。展示の目玉は、なんといってもこれまで未発表だった奥さんをカラーで撮影した写真群(「ママと日傘」1949のヴァリエーション)と、植田の没後に未現像のままカメラの中に残されていたフィルムをプリントした11点の作品だろう。どこか寂しげな風景や窓辺を写した「最後の作品」にも、彼が「写真に対する精神的燃焼度」を最後まで保ち続けていたことがよくあらわれていた。
2013/10/22(火)(飯沢耕太郎)