artscapeレビュー

高嶺格「大きな休息」

2009年01月15日号

会期:11月29日~12月24日

せんだいメディアテーク[宮城県]

せんだいメディアテーク内で開催。廃材を利用し、小屋や住宅のパーツを再構成したインスタレーション。制作は東北工業大学の槻橋修研究室が協力し、阿部仁史アトリエもある卸町の倉庫を利用した。導入部分までが無料で、メインの部分は盲人の人に案内してもらうという形式。それですぐに思い出したのが、数年前からやっていたダイアログ・イン・ザ・ダークというイベントのことで、目が見える人が闇のなかを30分か1時間くらい、闇を熟知した盲人の人に案内してもらい、最後にバーカウンターで飲み物を出してもらうという、ある種感動型のイベント。それを狙っていると思っていたら、高嶺展ではまったく異なり、会場は明るく、全部見える。自分が見えていて、目の見えない人に案内されるという、不思議な体験をした。触ったり、音を出したり、においを出したり、盲人はそういうことで説明する。この状態はいったい何なのか? こちらは全部見えているので、その人と話をしながら、目が見えない人はどのように感じているのであろうかと想像する。ダイアログ・イン・ザ・ダークでは、強制的に目が見える人を目が見えない人に同化させるのに対して、こちらは、「自分が、案内している相手がいったいどのように空間を感じているのだろう?」、少なくとも僕は、そう想像させられた。 入口のところで、高嶺さんの奥さんは在日の何世かで、その結婚式を通じて日本にいる朝鮮民族が日本をどのように感じているかということを考えたと触れられていたが、両者のテーマは共通する。一方は民族、一方は視覚と空間の問題だけど、他者がいかに感じているかを感じようという点は同じだ。高嶺さん自身もこの展示が何だったのかと悩んでいた。それでいえば、一昨年、宮崎県にある壊されかけていた菊竹清訓の《都城市民会館》に行った時の経験も挙げておきたい。高嶺さんが新聞のコラムで、なぜこの建物は素晴らしいかということを、メタボリズムの傑作だからとか、なんとか賞をとったからとかではなく、「この建物はなぜこういう変な形をしているのであろうということを疑問に思わせるからこそ面白い」という説明をしているのを見て、なるほどと思った。「クエスチョンを与える、だからこの建物は素晴らしいのだ」と。今回の高嶺さんの展示にも、それに近いと思えるものがあった。

2008/12/07(日)(五十嵐太郎)

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