2019年10月15日号
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artscapeレビュー

大橋可也&ダンサーズ『帝国、エアリアル』

2009年01月15日号

会期:2008/12/28

新国立劇場 小劇場[東京都]

トータル70分。装飾ゼロ。スタッフの移動さえ隠さないスケルトン舞台。照明もフラット。あるのは床に散乱したペットボトルなどのゴミくずのみと楽器セット。ひとりの女が現われ不意に絶叫。それを合図に10人超のパフォーマーが散らばる。各人の動作は個人的動機の内に自閉しているようで、それぞれ他人の些細な仕草に敏感に小さく反応してもいる。冒頭、姿を見せた大橋は、帝国とは「空気」ではないかと観客に語りかけた。「空気」のごとき何かは風となって、木の葉のようなひとの間をすり抜け、その軌跡はときに躍動する渦と化した。バレエなどと外観は異なるとしても、その場を支配する強烈な統率性は振り付け作品以外の何ものでもない。こうした前半20分の繊細な時間は、伊東篤宏とHIKOの演奏が加わると変容した。轟音と閃光はそれ自体魅力的であるとしても、30分続けば見る側の身体を麻痺させ無能化させる。さながら刺身の舟盛りに激辛カレーをかけて食するごとく。最後に無音の20分、相変わらずの群れは次第に数を減らす。ゴミの紙飛行機が飛び、最後の女2人が客席を通り消えると、代わりに大橋が終了を告げに現われた。 今作で、大橋は3種のチケットを設定し、0円というチケットも用意した。貧困問題に応えるかの仕掛けが、実際、普段劇場に足を運ばない観客を少なからず呼び込んでいた。「生きづらさを感じるあなたたちへ。身体、社会、日本をえぐる。」とのメッセージに、ひとが反応した成果だろう。『ロスジェネ』の浅尾大輔、大澤信亮を招いたイベント「帝国ナイト」も功を奏したようだ。ただし「生きづらさ」の段階から次へ向かう力を観客に与えられたかは、即断できない。アートよりも与えるべきは食事じゃないかとの意見さえ出てきかねない時代の空気もある(新国立劇場で炊き出しをするべきだった、とか)。こうした反響も含めて、社会とアートの交点を考える地平が、この公演から垣間見えてきたのは事実だ。

2008/12/28(日)(木村覚)

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