artscapeレビュー
2009年11月15日号のレビュー/プレビュー
アクエリアス2009
会期:2009/10/12~2009/10/17
ギャラリー渓[東京都]
アクアリウムの次はアクエリアス。新宿歌舞伎町の靖国通りに面したビルの9階にあるギャラリーへ。そんなところにわざわざ出かけたのは、もちろん小山利枝子さんが出してるから。でも4人展なので、ついでにといっちゃなんだが、松永かの、吉田直、有坂ゆかりの若い3人の作品も見ることができた。それにしても絵画あり彫刻あり版画あり、内容的にもあまり共通性を感じさせないような不思議な4人展であった。
2009/10/13(火)(村田真)
村田兼一「屋根裏の写真師」
会期:2009/10/02~2009/10/21
ギャラリーミリュウ[東京都]
前に一度、大阪郊外にある村田兼一の自宅兼スタジオを訪ねたことがあるのだが、実に面白かった。彼の家は戦前に建てられたという旧い木造家屋で、本当に屋根裏部屋がある。そのあまり広くはないスペースをスタジオに改造し、照明や小道具を持ち込んで、秘密めいた撮影を続けているのだ。
そこで繰り広げられているのは、年若い女の子たちが裸体で淫らなポーズをとる、あまりお行儀がいいとはいえないセッションである。だが、そうやって撮影され、きめ細やかな手彩色を施されたプリントは、不思議な優しさと安らぎを感じさせるものになっている。おそらく、モデルの女の子たちと村田との間に成立しているコミュニケーションの形が独特なのだろう。無理強いされたような窮屈さはまったく感じられず、モデルはむしろのびのびと、体の隅々までも開ききっているように感じられるのだ。写真のほとんどは、村田が設定した“物語”に沿うように撮影されているのだが、それもまたあまり強制力を持つことがない。写真全体に漂うゆるさと、性的なイマジネーションのエスカレートぶりが絶妙なバランスを保っている。おそらく、あの奇妙な「屋根裏」のスペースが、魔術的な効果を発揮しているのではないだろうか。
2009/10/14(水)(飯沢耕太郎)
隈研吾 展「Kengo Kuma Studies in Organic」
会期:2009/10/15~2009/12/19
ギャラリー間[東京都]
ギャラリー間で開かれている隈研吾の展覧会。下階には多くのスタディ模型やサンプルの展示、中庭には水を入れたポリタンクでできた《ウォーターブランチ》が原寸大で設置、上階には《グラナダ・パフォーミング・アーツ・センター》や《ブザンソン芸術文化センター》の1/25の大型模型等が展示。大きなテーマは、抽象的なるものから抜け出した先にある有機的なるものだという。
有機的?建築を消す、溶かす、砕く、といっていた隈が、その方向性を180度変えたようなキーワードではないか。晩年のコルビュジエのロンシャンの礼拝堂にはじまる見かけ上の大きな転向も想起されよう。あるいはフランク・ロイド・ライトか。しかしこれは転向ではないはずだ。過去に、一度も隈は転向していない。今回は、建築的遺伝子が、環境に負けながらある全体を生成していくプロセスによって、有機体にたどり着こうとする試みだという。展示のポイントは、まさにタイトルにあるように「Studies」と「Organic」にあるだろう。「Organic」を実現するために、その生成をシミュレートしたかのような「Studies」が、下階にて展示されているのだ。この生成の過程が興味深い。OMA/AMOの「Contents」展やHerzog & de Meuronの「NO.250 An Exhibition」展を見たときの印象に近く、膨大なスタディ模型がところ狭しと並べられていた。おそらく、状況は近い。数年前にOMAとH&dMが近づいてきたと感じたのと同じような状況を感じた。グローバルな状況下においては、設計事務所のスタッフの流動化も起こり、情報や考え方も似通ってきてもおかしくはない。
にもかかわらず、それらの展覧会とは何かが違う印象も受けた。OMAやH&dMの展示は、多くのスタディ案を「進化」させていくことにより、従来なかった建築に到達するという方法論による最良の展示であった。これは、建築においてはいわば一般的な方法論であるともいえよう。多くの案をつくるうちに、突然変異と自然淘汰によって、結果的に進化が起こる。選択は暗黙には建築家が行なうといえるので、ダーウィンの自然選択説になぞらえて建築家選択説といってもよいだろう。一方、隈の展示から感じたのは、そのような「進化」ではないという印象だった。それに変わる言葉として「エピジェネティクス」が最も適切であるように思われる。「エピジェネティクス」とは、個体におけるDNA配列の変化によらない後天的な作用が、遺伝子発現を制御する仕組みの総称のことである。「進化」が世代を超えることによって生まれる変異であるのに対し、「エピジェネティクス」は同一個体における環境の違いによって生じる変異である。隈は、細胞が環境に応じてさまざまな紆余曲折を経て有機体にたどり着くイメージについて語っていた。これは、「建築家」が複数の変異体の中から、もっとも適した案を「選択」することを、他世代にわたって繰り返しつつ案を「進化」させていくというモデルとは明確に異なり、個体としての「建築」がそれを取り囲むさまざまな条件といった「環境」的な要因に影響を受けながら、後天的にある「形質を獲得」するというモデルである。このモデルは「獲得形質の遺伝」を主張したラマルク説に近いものである。ラマルク進化論は、歴史上批判され続けてきたが、エピジェネティック機構の発見により、完全に否定はできなくなった。
つまり、隈の考える建築の生成のイメージは、ダーウィン的な進化モデルより、ラマルク的な進化モデルにむしろ近いものである。ある建築が、環境に応じて、自分自身を発見していくというプロセスは、従来のダーウィン進化論的な建築生成モデルに対して、オルタナティブをつきつけるものとなるのではないだろうか。今回見た隈のいくつかのプロジェクトから感じたのは、多世代に渡り行き当たりばったりな突然変異を繰り返すうちに、一定の段階に到達したような建築ではなく、ある環境に応じて変化を繰り返しているうちに確実に解にいきつくような、生命として連続的同一性を持ったような建築であった。
2009/10/14(水)(松田達)
尾形一郎/尾形優「HOUSE」
会期:2009/10/16~2009/11/02
FOIL GALLERY[東京都]
尾形一郎(当時は小野一郎の名前で活動)が以前発表した「ウルトラバロック」のシリーズは、なんとも印象深い作品だった。メキシコの教会内部の、目がくらくらするような過剰な装飾を、8×10カメラで緻密に記録した建築写真のシリーズである。それから10年あまりが過ぎ、奥さんの尾形優と共作したのが今回の「HOUSE」で、「ナミビア:室内の砂丘」「中国:洋楼」「ギリシャ:鳩小屋」の3シリーズが展示されていた。砂に埋もれつつあるダイヤモンド鉱山で栄えたナミビアのゴーストタウン、海外で稼いだお金で中国の片田舎に建てられた洋風建築、ギリシャ正教の聖地であるティノス島の素朴な作りの鳩小屋という、かなり珍しい被写体を扱っている。
その目のつけどころが、いかにも一級建築士の資格を持つ「ウルトラバロック」の作者らしい。有名建築家の作品ではないが、その土地固有の様式と奇妙にねじ曲がったイマジネーションが混淆した、バロック的な建築群。ヴァナキュラーな様式美への徹底したこだわりと、建築家の視点でしっかりと構築された画面構成が融合していて見応えがある。人が家を建てて住むという行為が、たとえば言葉で何かを表現するのと同じように、単純素朴なストレートな形ではおこなわれないこと、そこに何かしら過剰な身振りが付け加えられ、思っても見なかった方向に伸び広がっていくことを、これらの写真は教えてくれる。
なお、同時に刊行された写真集『HOUSE』(FOIL)は、展示された3シリーズに「沖縄:構成主義」「メキシコ:ウルトラバロック」「日本:サムライバロック」のパートを加えて構成されている。沖縄の基地の周辺のコンクリート住宅群にロシア構成主義の要素を見出したり、日光東照宮と霊柩車が共通の美意識によって作られているのを発見したりする、スリリングな眼の愉しみを味わわせてくれる写真集だ。
2009/10/16(金)(飯沢耕太郎)