artscapeレビュー

2009年11月15日号のレビュー/プレビュー

尾形一郎+尾形優 「HOUSE」

会期:2009/10/16~2009/11/02

フォイル・ギャラリー[東京都]

メキシコの鳩の家、ナミビアの砂に埋もれつつある家、中国の西洋風折衷建築……。どれも国籍不明の境界線上の建築ばかり。

2009/10/17(土)(村田真)

あるがせいじ

会期:2009/10/02~2009/10/31

ラディウム[東京都]

紙は平面として使うものだが、彼は束ねて固まりとして見せる。しかも側面に切り込みを入れて束ねるため(束ねてから切り込みを入れるのではなく)、レリーフ作品のように見える。ごくろうな作品である。

2009/10/17(土)(村田真)

北原愛「場所が動くとき」

会期:2009/09/16~2009/10/17

MA2ギャラリー[東京都]

国境などの境界をモチーフに作品をつくってきた北原が目をつけたのは、会場となるMA2ギャラリーのユニークな建築空間だ。この建築をグニャリと曲げたり、解体して再構築した作品を展示している。フランスと隣接する国との国境をモチーフにした旧作も。おもしろいのは東京都の輪郭をしたスケボーだ。壊れそうだし、スピードも出なさそなところがいい。

2009/10/17(土)(村田真)

吉左衞門X インドネシアン・プリミティブアート 稲葉京セレクション

会期:2009/09/19~2010/03/14

佐川美術館[滋賀県]

ガムランとインドネシアの影絵、ワヤン・クリの公演に合わせて訪れたのだが、同日のワークショップで参加者が制作した操り人形も飛び入り参加したこのライブが想像以上に素晴らしかった。一度だけのイベントだったが、ぜひもう一度とリクエストしたいくらい。ただ本展のメインは樂吉左衞門館の展示。「樂吉左衞門作品と樂氏が関わる何らかの事象Xとの関係式を解き明かす展覧会」と記されていたが、今後この企画はシリーズとして継続展開する。今展では、世界的なプリミティブアートのコレクターである稲葉京氏のセレクトによりバリ島から運ばれてきた資料と、樂氏愛蔵の彫刻像、今展に合わせて制作された茶碗と茶入などを合わせて展示。展示室は「昼の航海」「夜の航海」「破の守」「破の破」など、ストーリーをともなったテーマで構成されている。会場はとても暗いのだが、地下空間にわずかに射し込む外光が古木の彫刻などをいっそう妖しげに見せ、聖と俗、虚と実、闇と光、生と死のあわいを彷徨うような、境界的世界の雰囲気が見事に出現していた。とてもユニークなのは月に二度夕刻に開催される「ガムラン茶会」。会場はなんとこの展示室。この茶会には、本展のために制作された樂作品が使われる。インドネシアの民族衣装を身に纏ったスタッフによる茶道具の解説も、空間もさることながら、優美なガムランのライブ演奏がなんといっても贅沢。このイベントに参加しないなんてもったいなさすぎる。

2009/10/17(土)(酒井千穂)

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清野賀子『至るところで 心を集めよ 立っていよ』

発行所:オシリス

発行日:2009年9月19日

自ら命を絶ってしまったという清野賀子の遺作写真集。前作の『THE SIGN OF LIFE』(オシリス、2002年)からは、もう一つその立ち位置、狙いが伝わってこなかったのだが、この写真集からは差し迫った心の動き、これを見せたいという思いが伝わってくる。揺らぎ、傾き、歪み、間隙といった要素が強まり、特に散在するヒトの写真に痛々しさを感じないわけにはいかない。
あとがきにあたる文章に「もう『希望』を消費するだけの写真は成立しない。細い通路を見出して行く作業。写真の意味があるとすれば、『通路』みたいなものを作ることができたときだ。『通路』のようなものが開かれ、その先にあるものは見る人が決める。あるいは、閉じているのではなく、開かれているということ」とある。だが文章の最後は「それでもあきらめず、『通路』を見出し続けることが大切。いや、大切とすら本当は思っていない」と書く。このような「希望」と「絶望」の間を行ったり来たりしながら、消しゴムで消すように最後は「希望」をぬぐい去ってしまう身振りが、写真集全体にあらわれているのだ。でも僕は、この写真集では、「見る人」に向けられた「通路」はきちんと確保されていると思いたい。なお、印象的なタイトルは、ドイツの詩人、パウル・ツェランの詩「刻々」から採られている。

2009/10/18(日)(飯沢耕太郎)

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