artscapeレビュー

シャルロット・ペリアンと日本

2011年12月15日号

会期:2011/10/22~2012/01/09

神奈川県立近代美術館 鎌倉[神奈川県]

ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレとの共同作業を契機に、建築家、デザイナーとしてユニークな仕事を残したシャルロット・ペリアン(1903~99)と日本とのかかわりあいを丁寧に辿った展覧会である。ペリアンは1940年に商工省の輸出工芸指導顧問として来日。パリのル・コルビュジエの事務所ですでに親交があった坂倉準三、民芸運動の創始者、柳宗悦、その息子のデザイナー、柳宗里、陶芸家の河井寛次郎らの助けを借りて「ペリアン女史 日本創作品展覧会 2601年住宅内部装備への示唆」(通称「選択、伝統、創造展」、1941)を成功させた。また1953年にも再来日し、「芸術への総合の提案──コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人展」(1955)を開催した。彼女の竹や木を素材とした家具のデザインは、日本の伝統的な工芸品からヒントを得たものが多く、モダニズムが一枚岩ではないことを示す興味深い作例といえる。
今回の展示で特に注目したのは、ペリアンの写真作品である。彼女は1930年代から6×6判のフォーマットのカメラを使って、折りに触れて写真を撮影していた。建築やデザインのための資料という側面もあるし、来日時の写真などはいきいきとした旅の記録になっている。だが、本展の最初のパートに「『生の芸術』と『見出されたもの』」と題して出品されていた、1933~35年頃の写真群は、純粋に「写真」としての可能性を追求したものであるように思える。被写体になっているのは、岩、樹、氷、金属などの「生の」物質であり、それらをストレートに接写している。彼女の興味を引いているのはそのフォルムや質感などだけではなく、むしろそこに潜んでいるアニミスム的な生命力だったのではないだろうか。ちょうど同じ頃に、多くのシュルレアリスムやモダニズムのアーティストたちを捉えていた原始美術や人類学への関心を、彼女も共有していたのだ。「写真家」ペリアンという視点から、彼女の仕事を見直すこともできそうだ。

2011/11/22(火)(飯沢耕太郎)

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