2021年09月15日号
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artscapeレビュー

山城知佳子+砂川敦志(水上の人プロダクション)「PACIFIKMELTINGPOT / In Situ Osaka 2013」映画上映

2015年10月15日号

会期:2015/09/22~2015/09/23

神戸映画資料館[兵庫県]

フランス人振付家、レジーヌ・ショピノのカンパニーをハブにして、太平洋諸地域のアーティストや研究者が展開する《PACIFIKMELTINGPOT》。これまで、ニューカレドニアやニュージーランドの先住民であるカナックやマオリなど、口承文化をまだ受け継ぐ地域の人々とワークショップを行ない、リサーチを積み上げてきた。2013年には大阪で「PACIFIKMELTINGPOT / In Situ Osaka」ライブパフォーマンス&ディスカッションが開催され、日本、ニューカレドニア、ニュージーランドという3つの地域のアーティストが参加した。この映画は、大阪でのリサーチワークとその成果発表の上演を記録したドキュメンタリーである。監督は、沖縄を拠点に活躍する映像作家・山城知佳子と映画監督・砂川敦志。《PACIFIKMELTINGPOT》の完結編となる神戸での公演に合わせて上映された。
このドキュメンタリー映画の特徴は、振付家やダンサーたちが交わす言葉に対して、字幕が一切付けられていない点にある。フランス語、英語、日本語。3つの地域の3つの言語が入り乱れてやり取りされるリサーチワークの現場。ダンスは身体言語の芸術だが、創作現場ではたくさんの言葉が発せられ、身体への探究が言語化を通してフィードバックされる。加えて、《PACIFIKMELTINGPOT》の場合、身体から発せられる音や声、つまり口承文化の豊かな語りや歌唱も作品を構成する素材となる。映画では、観客が「字幕を読む」ことを封じることで、身体の動きへの注視に加え、聴こえてくるさまざまな歌や音そのものが際立っていた。アカペラ歌唱、その力強さやハーモニックな調和、手拍子や足踏みで集団的に刻むリズム……。さらに木琴の即興演奏が加わる。ここでは常に絶えず声と音が流れ、多声的な場を醸成している。その意味で、これはダンス映画であると同時に、音楽映画と言えるだろう。
字幕がないことで、(日本の観客にとって)もうひとつ際立つ部分が、通訳を兼ねた日本人ダンサーと振付家とのやり取りだ。3地域それぞれのグループ毎に、動きや声を通して身体の共同体的質を探っていくのだが、日本の子守唄やわらべ唄を歌いながら踊ってみせたダンサーたちに対して、ショピノは「私にはそれは何のバイブレーションも起こさなかった」と厳しい判断を下す。共同体的身体や「起源」の捏造や再生産は、とりわけそれが「国家」という仮構されたシステムと結びつくとき、同化と排除の論理の強化につながる危険性を大いに孕んでいる。あるいは、グローバリゼーションと消費資本主義が覆っていくなか、多文化主義への回収や観光資源化されていくだろう。しかし、口承文化が生活のなかにまだ残っているカナックやマオリの出演者たちとは異なり、われわれの身体にはそうした共同体的質がどの程度まで宿っているのだろうか。筆者のインタビューにおいて、ショピノは「2年前の大阪でのクリエーションは互いの差異を知る段階として必要だった」と語っていたが、ここでの「差異」とは所作やリズム感、体格の違いといった表面的なもの以前に、歌や踊りとして身体化された共同体のルーツの有無という、より根源的な差異ではなかったか。

2015/09/22(火)(高嶋慈)

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