2021年10月15日号
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artscapeレビュー

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2015年10月15日号

会期:2015/07/25~2015/09/23

国立国際美術館[大阪府]

日本、シンガポール、オーストラリアの美術館の4人のキュレーターによる共同企画により、アジア・オセアニア地域の若手を中心としたアーティスト25名を紹介するグループ展。非欧米圏の美術と「支配的な文法」としてのコンセプチュアリズム、ローカルな歴史の提示と「物語る」行為、ドキュメンタリーと美的性質の共存(あるいは美的な文脈への回収が孕む微妙な政治性)。本展の照射する問題圏はあまりに広範だ。ここでは、ヴォー・アン・カーンによるベトナム戦争のドキュメンタリー写真と、プラッチャヤ・ピントーンの《取るより多くを与えよ》に絞ってレビューする。
ヴォー・アン・カーンは、1960年代初頭から15年間にわたり、ベトコン・ゲリラ(南ベトナム解放民族戦線)の覆面カメラマンとして働き、米軍に対するベトナムの抵抗運動を記録した。本展で展示された2枚の写真は、マングローブの湿地帯に仮設した救急室と、機密訓練を受けるために身元を隠す覆面をして木々の間を歩く女性たちの列を写している。深い森、水辺、マスクや覆面で顔を隠した若い女性たち。ドキュメンタリーでありつつも、森や水辺と若い女性という組み合わせや巧みなフレーミングにより、何か秘密の儀式が行なわれているような、神秘的な光景を「演出」した美的な写真のように見えてしまう。そうした神秘性や美的質の付与は、本来この2枚が所属していたアーカイブからの「切断」によってより強められている。《軍属移動診療所1970年8月》《政治学の課外授業1972年7月》という簡潔なキャプションのみで提示され、歴史的・政治的なコンテクストから剥ぎ取られ、ホワイトキューブの漂白された白い壁に掛けられることで、美的な領域へと回収されてしまうのだ。確かにこれらの2枚のイメージは美しく、魅力的であり、「ベトナム戦争のドキュメンタリー」のステレオタイプ化に抗う力を持っている。だがそこには同時に、「美的な文脈への回収」という微妙な政治性が孕まれている。
また、欧米中心の美術の制度の受容・浸透という問題に対するアプローチが興味深かったのが、タイの作家、プラッチャヤ・ピントーンの《取るより多くを与えよ》。これは、ベリーの収穫作業のために雇われたタイ人労働者とともに、スウェーデンの収穫現場で作家が働き、収穫したベリーと同量の重さの「芸術作品」が美術館に展示されるというものだ。アジアの作家が、展覧会の開催される欧米諸国へ行って「労働」する、すなわち「移民」労働者として搾取される側に身を置きつつ、労働の成果が、収穫量に応じて支払われる賃金ではなく、同じ重さの「芸術作品」へと置換される。制度批判=制度との共謀を確信犯的に引き受けながら、欧米の制度と非欧米圏の作家としての自らの立ち位置、そこに含まれる非対称的な関係をあぶり出していた。

2015/09/06(日)(高嶋慈)

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