artscapeレビュー
PACIFIKMELTINGPOT
2015年10月15日号
会期:2015/09/22~2015/09/23
Art Theater dB KOBE[兵庫県]
フランス人振付家、レジーヌ・ショピノのカンパニーをハブに、日本、ニューカレドニア、ニュージーランドという3つの太平洋諸地域のアーティストが参加し、各地域でのリサーチワークを積み上げてきた《PACIFIKMELTINGPOT》。2013年に大阪で行なわれたリサーチワークの成果発表「PACIFIKMELTINGPOT / In Situ Osaka」は基本的に3地域のグループに分かれてのショーイングという形式で、それぞれの文化圏ごとに身体性の差異が提示され、多文化主義的な性格が強かった。しかし、新たに3週間の滞在制作を経て作品化された本公演は、確実に深化を見せていた。
冒頭、上手と下手に分かれて対面したダンサーたちは、その隔たりを架橋するように、ひとりずつボールを床に転がして向こう側の相手に渡し、ボールは手から手へと渡っていく。静かな幕開けの後、ボールはあるときは祝祭的な花火のように空間を飛び交い、あるときは床に打ち付けられて力強いリズムを刻む。ボールの描く軌跡と弾む音が、ダンサーたちの身体の動きや声と呼応し、響き合う。ソロやデュオとして、個々人の身体性が強く浮かび上がる時間と、共同作業のように全員が混ざり合う時間。ふたつの時間のあいだをダンサーたちは行き来する。そこでは、一糸乱れぬ群舞のように全員が全体の目的に奉仕するのではなく、異なる身体性を持った個々人をつなぐ要素として、音や声といった音楽的要素が重要な役割を果たしていた。とりわけ、四股を踏むように、足で床=大地を強く踏む動作は何度も繰り返され、ダンサーたち全員に共有された身体言語として強い存在感を放っていた。また、それぞれの言語で歌われる歌に加えて、ひとりが声を発すると、口々に異なる音程やリズム、手拍子が加えられていき、多層的だが調和したひとつの音楽が即興的に生成されていく。豊穣な声が織りなす時間と、ボールの乱打や打楽器、掛け声が飛び交う喧騒の時間と、深い森のなかのざわめきを思わせる時間。ダンサーたちは動物や鳥の鳴き声を囁き交わし、ある者は動物へと擬態する。侵犯されていく境界。水平的に始まった上演の時空間は、さまざまな厚みと固有の響きを持って自在に拡張し、旅するように多様な風景を出現させ、それぞれのダンサーの身体から発せられる熱量が蓄積されていく。
そのエネルギーは終盤、輪になって集団で刻む足踏みのリズムと、ボールを床に打ち付けるリズムによって体現され、狭まる輪とともに内側へ収縮し、圧力を増していく。最後に一斉に虚空へ解き放たれるボールは、闇に火柱が立ち上がるようで、まさにエネルギーの噴出を思わせた。そう、「PACIFIKMELTINGPOT」の島々は、環太平洋造山帯として地下深くで繋がっているのだ。本作は、目下、経済的欲望に支配された巨大貿易圏に包摂され、他者の排除と多様性の否定が進行する現在に対して、身体的な対話と想像力を持つことの意義を提示していた。
2015/09/22(火)(高嶋慈)