2020年07月01日号
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artscapeレビュー

2013年08月15日号のレビュー/プレビュー

霜田誠二「ボクの夏休み。または激痛のため立てなくとも」

会期:2013/07/16~2013/07/27

ステップスギャラリー[東京都]

会場の正面に霜田誠二のパフォーマンスを写し出すディスプレイが置かれ、壁には押し花を中心に文章を配した手書き新聞が10点ほど並ぶ。展示はそれだけ。でも霜田本人がいた。70年代から詩と独断舞踏を始め、80年代からパフォーマンスアーティストとして海外でもドサ回りを始め、90年代からだれに頼まれたわけでもなくパフォーマンスアートフェスティバル(NIPAF)を始め、現在は痛風と闘う中年の星だ。会期中計6回おこなわれる彼のパフォーマンスは、いずれ無形文化財に指定されるだろう。

2013/07/16(火)(村田真)

UN:KNOWNS──アート×クリティシズム2013

会期:2013/07/08~2013/07/20

ギャラリー零∞+ギャラリー現[東京都]

昨年に続き、東京造形大学の近藤昌美ゼミと慶応義塾大学の近藤幸夫ゼミがコラボした、ダブル近藤ゼミ展の2回目。昌美の学生が絵を展示し、幸夫の学生が各作品について批評を書いている。ちなみに昌美は男です。作品は具象もあれば抽象もありバラエティに富んでいて悪くないが、飛び抜けていいというものはない。どこか既視感があり、良くも悪くもはみ出したヤツがいない。これはもちろん彼らだけでなく近年の特徴で、ポストモダンの時代特性ともいえるのだが、むしろ突出することを避ける現代日本の学生気質によるところが大きいような気もする。それは批評のほうにさらに顕著で、文章はどれも手際よくまとめられてスラスラ読めるが、それだけに引っかかるものがなく、読み終えた後でほとんどなにも残らないのだ。彼らは造形大のアトリエに行き、作品を見、作者の話を聞いて書いてるのに、そのときの感動や生々しさがあまり伝わってこない。こぎれいに整えられた文章より、無骨でも熱のこもった文章や独自の視点を打ち出した批評が読みたい。

2013/07/16(火)(村田真)

中村一美「聖(ひじり)」

会期:2013/07/08~2013/08/03

南天子画廊[東京都]

200号ほどの大作4点に、極端に縦長の小品8点の展示。ミニマリズムと表現主義を吸収し乗り越えてきた絵画といえるが、ケバいパールカラーや蛍光色を使ったり、絵具を塗り重ねて色彩を濁らせたり、人があまりやらないようなことをズンズン試み、こぎれいにまとめたりはしない。均質化したチャラい絵が蔓延するいまの美術界にあって、中村の作品はタイトルどおり清濁合わせ飲んだ「聖」といった趣だ。でもこれを時代錯誤のドン・キホーテと見る人もいるかもね。

2013/07/16(火)(村田真)

沢渡朔「夜」

会期:2013/07/08~2013/07/21

Place M[東京都]

沢渡朔は1939年生まれ。ということは森山大道、中平卓馬の一歳下で、学年的には篠山紀信、荒木経惟、須田一政、土田ヒロミと同じということになる。こうして名前をあげてみると、この世代の写真家たちが、まさに戦後写真の根幹の部分を担ってきたことがよくわかるだろう。彼らが20~30歳代だった1960~70年代こそ、高度経済成長の上げ潮にも乗って、写真という表現メディアの可能性が大きく拡張していった時代だったからだ。
それから40年以上を経て、彼らも70歳代という老年といっていい年齢に達した。だが、それぞれ功成り名遂げて悠々自適なのかと言えば、なかなかそうはいかないようだ。まだまだ現役の写真家として、精力的に活動し続けている。沢渡もまた、今回の「新作展」を見るかぎり、その創作エネルギーはまったく衰えていない。
とある邸宅(詩人の高橋睦郎宅だという)の夜の庭、暗がりに身を潜めた裸体の女が、周囲の植物たちと呼応するようになまめかしく息づいている。その姿態を凝視し、カメラにおさめていく沢渡の感情の昂りが、ロールペーパー・サイズに大きく引き伸ばされた18枚のプリントから、生々しく伝わってくる。もともと女性が発散するエロティシズムに対する感度のよさは、彼のトレードマークのようなものだったのだが、そのアンテナの精度にますます磨きがかかっているようにさえ見えるのだ。視覚的なレベルだけではなく、より根源的な嗅覚、触覚までもが、ねっとりとした夜の闇の中に押し開かれていくような危うさ。その濃密な気配に溺れてしまいそうになった。

2013/07/16(火)(飯沢耕太郎)

モネ、風景をみる眼

会期:2013/07/13~2013/11/24

ポーラ美術館[東京都]

プレス関係者のため銀座からバスが出るというので乗ってみた。箱根町仙石原にあるポーラ美術館へは初訪問。こんな機会でもなければ行けないもんね。行ってみて少し驚いた。いわゆるリゾート地に建つ美術館のなかではマシなほうだとは思っていたが、建物もコレクションも学芸体制も予想以上にしっかりしていた。こんなリッパな美術館が活火山のカルデラ内にあることに驚いたのだ。そのせいか、建物は巨大な円形壕を掘って免震ゴムを設置した上に載せている。すごいぞポーラ。今回の「モネ展」は国立西洋美術館との初の共同企画。西洋美術コレクションでは日本を代表する国立美術館と肩を並べたわけだ。やったぜポーラ。展示はいきなり、西美の《舟遊び》とポーラの《バラ色のボート》との対決で幕を開ける。どちらも池に浮かべたボートにふたりの女性が乗っている絵で、右からボートが突き出している構図も同じだし、サイズも制作年も近い。もちろん違いもたくさんあるが、もっとも気になった違いは画面にガラスがはめられているかどうかだ。ポーラははめているが、西美ははめてない。そして、明らかにはめてないほうが美しく見える。先日見た「プーシキン美術館展」以来、ガラスの有無が気になってしかたがないのだ。その後の作品も、ポーラは入ってるけど、西美は入ってないものが多い。おそらく西美は鑑賞を優先してガラスを入れないのではなく、たんに予算がないだけなんだろうね。閑話休題。同展はモネだけでなく、コローからクールベ、ピサロ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソまで広げ、さらにロダンの彫刻やガレの花器なども出ていて、タイトルの「モネ、風景をみる眼」を踏み外してるんじゃないかと思うけど、たとえばシャヴァンヌの《貧しき漁夫》(西美)とピカソの《海辺の母子像》(ポーラ)みたいに、似たような主題・構図の絵を隣り合わせに並べるなど、見る喜びを刺激する工夫が随所に見られる。こういう「遊び」はコレクションが豊富でないとできないものだ。出品は計99点、うち西美48点、ポーラ51点。あらためてポーラの実力を再認識しました。

2013/07/17(水)(村田真)

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