2021年12月01日号
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artscapeレビュー

2012年03月15日号のレビュー/プレビュー

今岡昌子「トポフィリア 九州力の原像へ」

会期:2012/02/01~2012/02/14

銀座ニコンサロン[東京都]

このところ、国際交流基金の企画で、イタリア・ローマと中国・北京を皮切りに2012年3月から世界中を巡回する「東北──風土・人・くらし」展の監修・構成の仕事をしていた。そのためもあるのだろう。2008年から熊本県芦北町に住みついた今岡昌子が撮影した、この「トポフィリア 九州力の原像へ」を見たとき、東北の写真との風合いや手触りの違いを強く感じた。小島一郎や内藤正敏が撮影した、荒ぶる「縄文の力」が全面にあふれ出ている東北の写真群と比較すると、今岡の写真に写っている九州の「風土・人・くらし」は、なんとも穏やかで優しげに見える。祭礼や民間儀礼の写真もたくさんあるのだが、そこに写っている人々の表情に笑みがたたえられているのが印象的だ。鬼神に取り憑かれたような、東北の祭りの情景とはまったく対照的なのだ。逆に言えば、それは今岡がまさに「九州力の原像」をしっかりと捉えているということでもある。日本文化のルーツであり、本流でもある九州の地には、東北とは自ずと違った空気感が流れているということであり、今岡はそれに鋭敏に反応しているのだ。
彼女の撮影の仕方も、そのたおやかな九州の土地柄に触発されているのではないだろうか。画面は傾き、被写体は微妙に揺れ動き、ブレやボケも自然体で入り込んでいる。展示された44点の作品には、モノクロームに加えて3分の1ほどカラー作品も含まれているのだが、そのトーンもパステルカラー調の柔らかいものだ。九州の風土に備わっている女性性が、地理学者のイーフー・トゥアンが唱える「トポフィリア」(場所への愛)という「情緒的なつながりを探求」する概念によって、うまくすくい取られていると言えるだろう。まだ中間報告の段階だと思うが、撮影の作業がさらに深められれば、面白いシリーズに育っていきそうな予感がする。

2012/02/03(金)(飯沢耕太郎)

ジェームス・ウェリング「ワイエス」

会期:2012/01/20~2012/03/10

WAKO WORKS OF ART[東京都]

WAKO WORKS OF ARTでのジェームズ・ウェリングの展示も、今回で7回目になるのだそうだ。これまで、アルミホイルを撮影したほとんど抽象画のような作品や、ドイツ・ヴォルフスブルクのフォルクスワーゲンの工場、虹のような光に照らし出された「温室」の写真など、展示のたびに彼の多様な側面を見ることができた。いつも新たな領域に果敢に挑戦していくウェリングの展覧会のなかで、今回の「ワイエス」は今までで一番「古典的な」写真シリーズと言えるかもしれない。仮にウェリングの名前がなければ、きわめてオーソドックスな作風の、ドキュメンタリー写真家の作品といっても誰も疑わないのではないだろうか。
それは、ウェリング自身が写真家として活動する前の少年~青年期に、アンドリュー・ワイエスの絵画作品を愛好し、強い影響を受けていたという個人的な事情が大きいのではないかと思う。メイン州クッシングとペンシルバニア州チャッズ・フォードにある、ワイエスの画家としての活動の拠点となった家、彼が描いた森、岩などの風景を撮影するウェリングの視点は、ワイエスの絵と完全に重なり合っているのだ。むろん、天井のフックを撮影した4枚組の作品や、ワイエス自身も描いた汚れた鏡に映る像など、いかにもウェリング好みの被写体の解釈も散見する。だが今回のシリーズに関しては、あくまでもひとりの画家の眼に成りきるということに徹している様子がうかがえる。これはこれで、この多彩なアイディアと抜群の視覚的なセンスのよさを兼ね備えた写真家の、意欲的な実験のひとつと言えそうだ。

2012/02/03(金)(飯沢耕太郎)

テラスモール湘南

テラスモール湘南[神奈川県]

昨年末にオープンしたテラスモール湘南を見学した。この手の施設としては閉鎖的になっておらず、連続する屋外テラスを特徴としつつ、隣接する低層棟のヴィレッジや病院建設まで一体化した新しい街再開発に驚かされる。ただし、モール空間のスペクタクルとしては、同じく駅前のラゾーナ川崎やイオンモール名取の方がインパクトがある。それにしてもクルマでしかアクセスできない郊外というイメージは完全に払拭された。駅の正面に立地し、公共交通機関でも簡単に訪れることができる。ラゾーナ川崎と同様、工場跡地を開発したものだが、これで完全に駅の表裏が反転するだろう。

写真:上・中=《テラスモール湘南》 下=《湘南ヴィレッジ》

2012/02/03(金)(五十嵐太郎)

靉嘔──ふたたび虹のかなたに、田中敦子──アート・オブ・コネクティング

会期:2012/02/04~2012/05/06

東京都現代美術館[東京都]

同時期に同世代のアーティストの個展をぶつけたのはどういう意図なのかわからないが、せっかく両方とも見たんだから比較してみるのが礼儀というものだろう。靉嘔(1931-)も田中(1932-2005)も50年代にそれぞれデモクラート美術家協会、具体美術協会という前衛芸術運動に参加し、その後どちらも色鮮やかな作品を追求してきた。しかし靉嘔のほうは、50年代末にニューヨークに渡り、フルクサスと合流してパフォーマンスやインスタレーション(当時は「ハプニング」「環境芸術」などと呼ばれた)を展開。トレードマークともいうべき「虹」を創作し、絵画や版画だけでなくインスタレーションにも応用、長さ300メートルの虹の旗をつくってエッフェル塔からたなびかせたこともある。いってみれば、やんちゃな前衛小僧といった趣だ。一方、田中は具体の初期にカラフルな電球を身にまとう《電気服》を発表し、パフォーマンスも行なったが、その後は一貫して極彩色の絵を描き続けてきた。赤や青や黄色の円のあいだを線がのたうつその絵が、実は電気服の配線図から展開されたものであることを今回初めて知った。なるほど、そういわれりゃそうだよなあ。でもそれを延々と増殖させ続けたってのがスゴイ。草間彌生よりある意味イッてる感じ。靉嘔も「虹」で半世紀もたせたけど、手を替え品を替えやったからな。振り返ってみると、靉嘔はすでに現代美術史に組み込まれて過去の名前になってしまった感があるけど、田中のほうは亡くなったにもかかわらず、まだ現在進行形で円と線がつむがれているような気がする。この違いはなんだろう。前衛的発散型(靉嘔)とオタク的内閉型(田中)の違いか。

2012/02/03(金)(村田真)

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イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに

会期:2012/02/04~2012/05/27

森美術館[東京都]

イ・ブルの展覧会を訪れ、講演も聴く。初期のいかにも女性アーティストに多い身体パフォーマンス系からサイボーグ・シリーズ、そして近年のユートピア建築的なものまで、これまでの軌跡をたどる。台座をなくし、吊る彫刻になったからこそ、重量や対称性から逃れ、造形の自由度を獲得したが、その造形が片手や片脚、あるいは頭部をなくし、不完全な身体を表象するという逆説が興味深い。それにしても、ブルーノ・タウトを中心とする表現主義、ロシア構成主義、ディコンストラクティビズムなど、建築を参照する作品が本当に多いことを確認することができた。

2012/02/04(土)(五十嵐太郎)

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2012年03月15日号の
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