artscapeレビュー
2013年04月15日号のレビュー/プレビュー
MBS東日本大震災報道特別番組「受け継ぐ~南三陸町 立ち上がる若き漁師たち~」
ちょうど同じ日に、MBSのテレビ放送で、ドキュメンタリー「生き抜く」の続編「受け継ぐ~南三陸町 立ち上がる若き漁師たち~」を見る。今回も人を中心に追うのだが、特に次世代の漁師たちに焦点を当て、震災後二年目の新しい始まりの状況を描く。また被災者の語りを通じて、巨大な堤防建設や南三陸町の防災庁舎の保存への疑問にも触れている。しかし、個人的にはそれでも被災遺構はできるだけ残すべきだと思う。
2013/03/03(日)(五十嵐太郎)
ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家
会期:2013/01/26~2013/03/24
横浜美術館[神奈川県]
今年はロバート・キャパの生誕100年にあたる。また、彼の代表作と見なされていた、スペイン市民戦争の最中に撮影された「崩れ落ちる兵士」(1936年)が、キャパではなく同行していたゲルダ・タローの写真ではないかという説が沢木耕太郎によって打ち出され、大きな話題を集めている(『キャパの十字架』文藝春秋)。本展も、キャパを巡るそういった関心の高まりを反映する企画と言えるのではないだろうか。
今回の展示で注目されるのは、これまでキャパの恋人、あるいはパートナーとして脇役的な扱いを受けていたゲルダ・タローの写真80点以上が、初めてきちんとした形で公開されたということだろう。ゲルダはのちにロバート・キャパと名のるようになるハンガリー出身のエンドレ・フリードマンとパリで出会って、彼から写真を学び、スペイン市民戦争でも行動をともにすることが多かった。しかも、1937年には戦場で27歳という若さで事故死しており、写真家として本格的に活動したのはわずか2年あまりだった。それでも、同時期に撮影されたキャパの写真と比較すると、ダイナミックな画面構成、死者などを含む生々しい被写体に肉迫する姿勢など、彼女自身の写真のスタイルを確立しかけていたことがわかる。また、「崩れ落ちる兵士」を含むキャパの初期の戦争写真が、ほとんどゲルダとの合作と言うべきものであったことも明確に見えてきた。ゲルダ+フリードマン=キャパという図式を、決してネガティブに捉える必要はないのではないだろうか。
ゲルダの死後のキャパの仕事は、ほぼ過不足なく本展に集成されており、第二次世界大戦中の名作だけでなく、むしろ戦後の「失業した戦争写真家」時代のリラックスした写真に、被写体となる人間たちの表情や身振りを「物語」に埋め込んでいく彼の真骨頂を見ることができる。決して「うまい」写真ではないが、実に味わい深い作品群だ。
2013/03/06(水)(飯沢耕太郎)
フランシス・ベーコン展
会期:2013/03/08~2013/05/026
東京国立近代美術館[東京都]
ベーコンといえば10代のころ「ファブリ世界名画集」で初めて知って衝撃を受けたものだが、その後ミニマル・コンセプチュアルに突き進むモダニズム路線を追いかけてしまい、ベーコンは忘却の彼方に置き忘れてきた。近ごろ再びベーコンの名が聞こえてくるようになったのは、オークションで作品が高額で落札されたとか、夜の街をさまよう同性愛者だったとか、どうでもいいような話ばかり。まあそういう話のほうがおもしろいのは事実だが。出品は第2次大戦直後から最晩年まで、半世紀近くにおよぶ33点。ほぼ例外なくどれも歪んだ身体や顔を描いた人間像だ。画業が半世紀近くにおよぶのに、その間イギリスも世界情勢もアートも大きく変わったはずなのに、モチーフもスタイルもほとんど変化がない。変化があったとすれば3幅対が増え、筆触が穏やかになったことくらい。ブレがないというか、頑固なまでにモダニズムに背を向けた画家だったようだ。まあ「現代美術」より「人間」に興味があったんでしょうね。ところで、ベーコンはしばしばマイブリッジをはじめとする写真を参照し、その写真の視覚特性や動きを強調するため縦方向の筆触でモデルをぼかすのだが、これがゲルハルト・リヒターの手法とよく似ている。でもベーコンは主題を際立たせるために筆触を用いたけれど、リヒターは筆触の妙にとりつかれて主題を変えていったようにも見える。同様に、ベーコンもリヒターも絵の前のガラスに興味を寄せるが、リヒターはガラスそのものを絵画として作品化したのに、ベーコンはあくまで絵を見るためのガラスでしかなかった。ここがモダニズムの分かれ目のような気がする。
2013/03/07(木)(村田真)
ミュシャ展──パリの夢 モラヴィアの祈り
会期:2013/03/09~2013/05/019
森アーツセンターギャラリー[東京都]
ミュシャというと、19世紀末のパリの街角を飾ったアールヌーヴォー様式のポスターで知られるイラストレーター、程度の認識しかなかったが、それはサブタイトルの前半「パリの夢」の部分。後半生は故国モラヴィア(チェコ)に戻り、壮大な絵画連作「スラヴ叙事詩」をはじめスラヴ民族のための芸術に身を捧げていく。これが後半の「モラヴィアの祈り」だ。知らなかったなあ、美術史に載ってないから無理もないが、帰郷後の活動が美術史に出てこないのはローカルな民族主義芸術にしか見られなかったからだろう。そこが東欧出身のツラさであり、同じ世紀末を彩ったウィーンっ子のクリムトとの違いかもしれない。出品作品は、ポスターやグラフィックデザインが大半を占める前半に対し、後半は油絵もたくさんあって、超絶的といっていいほどのテクニシャンぶりを見せつけているが、すでに前衛芸術華やかなりし20世紀前半にあって、職人技を駆使したミュシャの油絵は社会主義リアリズムと紙一重に映ってしまう。そこがクリムトとの最大の違いかも。余談だが、ミュシャは秘密結社フリーメイソンのメンバーであり、チェコではグランドマスター(最高大総監)も務めたという。そういわれれば、とくに後半は神秘主義のニオイがしないでもない。ともあれ、知られざるミュシャの一面を知ることができた点では有意義な展覧会だった。ところで、知られざるミュシャといえば、同展とは別に、その名もズバリ「知られざるミュシャ展」が日本各地を巡回している。こちらはチェコの個人コレクションを中心とする展示だが、サブタイトルが「故国モラヴィアと栄光のパリ」となっていて、内容的にはほぼ似たようなもの。ふたつ合わせて見るといい、つーより、なんでふたつ同時にやるんだ? なんで合体してくれないんだ?
2013/03/08(金)(村田真)
ルーベンス──栄光のアントワープ工房と原点のイタリア
会期:2013/03/09~2013/04/021
Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]
待望のルーベンス展。といっても2、3千点もの作品を残したといわれるルーベンスだけに、工房作品や版画も含めて80余点、しかもその大半が小品というのはちょっとさびしい。でもじつは捨てたもんでもない。油絵の大作だったら必ずといっていいほどアシスタントの筆が入っているが、小品のなかでも下絵や習作はほぼ間違いなくルーベンスの真筆と認められるからだ。トレ・デ・ラ・パラーダのための連作の油彩スケッチ6点はその好例で、一辺30センチにも満たないくらいの小品ばかりだが、それゆえにルーベンスの的確なデッサン力と軽快な筆運びが伝わってくる。いかにも肉々しい大作に辟易したムキには、こうした小品のほうがよっぽどうれしい。
2013/03/08(金)(村田真)