artscapeレビュー
2013年04月15日号のレビュー/プレビュー
田中智子の乾漆立像 展「此方彼方(こなたかなた)」
会期:2013/03/011~2013/03/030
Gallery wks.[大阪府]
乾漆技法を用いて人間等身大の立像を制作している田中智子の近年制作の作品を「対」をキーワードに展示した展覧会。私自身は昨夏開催された「隠岐しおさい芸術祭」で西ノ島の焼火神社に展示されていた一対の立像《対になるもの》が記憶に新しい。神社の拝殿という独特の展示空間の作用もあったのだろうが、その神秘的でどこか古雅な佇まいが印象的で、もう一度見たいと思っていたので、今展で展示されていたのは嬉しかった。微笑を浮かべ、エキゾチックな衣装を纏う8点の立像のなかには、角があるものもある。妖怪か妖精か、親近感と違和感を両方覚えるそれらの表情はどれも見れば見るほど豊かで幻想的。どこかで出会いそう、どこにいそうなどと連想が掻き立てられていくのが愉快だ。背景や台座など、工夫が凝らされた展示もその作品世界をいっそう魅力的に見せていた。
2013/03/13(水)(酒井千穂)
夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史[北海道・東北編]
会期:2013/03/05~2013/05/06
東京都写真美術館 3階展示室[東京都]
東京都写真美術館で2007年から開催されている「夜明けまえ」の展示も4回目を迎えた。今回は[北海道・東北編]ということで、全国各地の美術館、博物館、図書館、資料館に古写真の所在を問い合わせ、現地調査を繰り返して新たな資料を発掘していくスタイルも、すっかり定着したようだ。特に今回の北海道・東北地方は、幕末から明治期にかけて多くの注目すべき写真家たちが活動した地域であり、横山松三郎、田本研造、武林盛一、佐久間範造(以上北海道)、菊池新学(山形)、屋須弘平(岩手県出身、中米グァテマラで活動)、白崎民治(宮城)らの500点を超える写真群はなかなか見応えがあった。アルバムなどを展示するときに、掲載写真を複写し、壁に映写して見せるやり方もうまくいっていたと思う。
今回は最後のパートに、明治時代の自然災害の記録写真が「特別展示」されていた。ウィリアム・K・バルトンと岩田善平による福島・磐梯山の大爆発後の光景(1888年)、作者不詳の山形・庄内地方の大地震の記録(1894年)、宮内幸太郎が撮影した明治三陸津波の写真アルバム(『中島待乳写真台帳』1896年)など、ちょうど東日本大震災から2年という時期でもあり、時宜を得た好企画だと思う。その資料的価値や迫真性もさることながら、写真家たちが地震や津波による死者の姿を、克明に撮影、記録し、すぐにアルバムのような形で公表していることに強い印象を受けた。東日本大震災後の死者のイメージの扱われ方(ほとんど公表されていない)とは対照的だ。死者の写真を公開すべきかどうかは、きちんと考えて答えを出すべき問題ではないだろうか。
2013/03/13(水)(飯沢耕太郎)
アーウィン・ブルーメンフェルド「美の秘密」
会期:2013/03/05~2013/05/06
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
世田谷美術館の「エドワード・スタイケン写真展」に続いて、東京都写真美術館でアーウィン・ブルーメンフェルド(1897~1969年)の展示が始まった。スタイケンは1920~30年代の、ブルーメンフェルドは40~50年代のファッション写真の立役者であり、それぞれの時代背景の違い、写真を享受する一般大衆の嗜好の違いがくっきりと見えてくるのが面白かった。あくまでも優美でエレガントなスタイケンの写真のスタイルと比較すると、ブルーメンフェルドのそれは多少俗っぽくけれん味がある。1920~30年代にはまだその時代のファッションをリードする役目を果たしていた上流階級が40~50年代には少しずつ解体し、より「ポップな」嗜好を持つ一般大衆が、『ヴォーグ』や『ハーパーズ・バザー』の主な読者になっていく。その変化が彼らの写真のスタイルに明確に刻みつけられていると言えそうだ。
ブルーメンフェルドの写真について考えるときに見逃せないのは、ベルリンに生まれた彼が、1918年にオランダ・アムステルダムに移り、そこでダダイズムやシュルレアリスムの洗礼を受けたということだ。フォトモンタージュ、ソラリゼーション、極端なクローズアップ、ブレやピンぼけの効果などを駆使した実験的なポートレートやヌードが、この時期にさかんに試みられている。それが1936年にパリに、39年にはニューヨークに移って、本格的にファッション写真家として活動し始めてからも、彼の写真表現のバックグラウンドとして機能していった。ブルーメンフェルドの経歴は、同じ頃にファッション写真をさかんに発表していたマン・レイとも重なりあっている。そう考えると、マン・レイと同様にブルーメンフェルドの作品世界においても、エロティシズムが最大のモチーフとなっていることは当然と言うべきだろう。
2013/03/13(水)(飯沢耕太郎)
世界記憶遺産の炭坑絵師──山本作兵衛 展
会期:2013/03/16~2013/05/06
東京タワー1階特設会場[東京都]
2年前、日本初の世界記憶遺産に登録された山本作兵衛の炭坑の記録画が、なぜか東京タワーで展示される。これは、作兵衛が炭坑を描き始めたのが東京タワーの完成とほぼ同じころだったという縁らしい。もちろん炭鉱も東京タワーも日本の近代化のシンボルだからとか、東京タワーは立坑櫓をデカくしたようなものという含意もあるかもしれない。午前11時からの内覧会に行ってみたら、概要説明の後IKKOさんが特別ゲストとして登場。炭坑の絵を見に来たのになんでオネエのトークなんか聞かなきゃいけないんだと憤りつつ聞いてたら、IKKOさんは炭鉱の街田川の生まれだそうだ。こんど川俣と対談やらせてみたい。ようやく展示会場へ。おーあるある、坑内の労働や坑夫の生活を描いた水彩画が……と思ったら、あれれ? よく見ると印刷じゃないか! 最初の10点は複製画の展示で、その後の59点はホンモノの原画だという。作兵衛が炭坑の絵を描いたのは、現場を離れた60代なかばから92歳で亡くなるまでの30年近くで、そのあいだに何点の作品を残したのか不明だが(千点以上といわれる)、世界記憶遺産に登録されたのは日記や資料も含めて697点。いったん登録されると外部への出品が制限されるため、今回展示されている原画はそれ以降に発見された作品などだそうだ。まあとにかく、これらの絵には現代絵画が置き去りにして来た奔放な視覚表現が息づいている。同じ絵を何枚も繰り返し描いていること、説明文や唄の歌詞を画面の余白に書き込んでいること、人物のポーズや表情がパターン化していること、着物の柄やかごの編み目など細かい部分をていねいに再現していることなどだ。これらの特徴はアウトサイダー・アートに通じるところがある。いや実際7歳で炭坑に入り、美術学校に通えるはずもなく約50年間炭坑で働いたあと、その記憶を元に60代なかばから描き始めたというのだから、リッパなアウトサイダー・アートといっていい。展示でひとつ気になったのは、壁に炭坑の写真を貼り、その上に絵を展示していること。こんな屋上屋を架さなくても絵自体で十分に存在感があるんだから。
2013/03/14(木)(村田真)
トリックス・アンド・ヴィジョンからもの派へ
会期:2013/03/09~2013/04/06
東京画廊[東京都]
もの派の誕生をうながしたともいわれる1968年の伝説的な展覧会「トリックス・アンド・ヴィジョン」を再考する展示。「トリックス・アンド・ヴィジョン」はタイトルからうかがえるように、目の錯覚をとおして「見る」とはなにかを問い直す企画展。中原佑介と石子順造が選んだ高松次郎、中西夏之、堀内正和、柏原えつとむ、岡崎和郎、鈴木慶則、関根伸夫らが、東京画廊と村松画廊の2会場に出品した。今回は可能なかぎり当時の作品に近いものや、関連する作品を集めている。キャンバスを縦半分に切り、片方を裏返してつなげた(ように描いた)鈴木慶則の《裏返しの相貌をした非在のタブロー》のようなトリックアートから、立方体の木のかたまりを焼いて炭にした成田克彦の《SUMI》のようなもの派まであって、水と油のようなトリックアートともの派が入り乱れているところがおもしろい。その中間のグレーゾーンにいたのが高松次郎と関根伸夫だったようだ。ところで、東京画廊は最近50~70年代の現代美術を回顧するような企画展を連発しているが、これはもちろん商売を度外視した啓蒙活動などではなく、海外から具体やもの派をはじめとする戦後日本の現代美術に熱いまなざしが注がれているからだ。しかし残念ながら日本では関心が高まる気配がない。これではまた海外に持ってかれちゃうぞお。
2013/03/14(木)(村田真)