artscapeレビュー

2015年08月15日号のレビュー/プレビュー

水口鉄人 ∞

会期:2015/07/23~2015/08/12

ギャラリーt[東京都]

先月、BankARTのオープンスタジオにも出していた水口の個展。BankARTと同じシリーズだが、すべて新作。といっても初めて見る人はどこに作品があるのか、どれが作品なのかとまどうに違いない。だって会場には段ボール箱や段ボールケースが無造作に置かれ、壁に掛けてあるキャンバスもなにも描かれてなく、透明なテープがちょこちょこと貼られてるだけだから。もちろんこれらが作品で、この段ボール箱やキャンバスに貼られたテープは絵具やメディウムでつくられたものなのだ。BankARTのときはモンドリアン風の「テープ絵画」もあって楽しませたが、今回はそういった「サービス」もまったくなし、誠に素っ気ない展示に徹している。作品は10点ほど。

2015/07/23(木)(村田真)

2015年第56回BCS賞

審査に関わった第56回BCS賞の結果が発表された。この建築賞は、設計以外にも、施工や事業者、発注主の企画、運営、管理を総合的に評価することが大きな特長である。ちょうど今年は新国立競技場の問題が起き、その意義が大きく注目された年と言える。表面的なデザインだけではなく、そもそも仕事の枠組を決めるよい施主とはどうあるべきか、また建築家と事業者の創造的な関係も問われているからだ。

2015/07/23(木)(五十嵐太郎)

インベカヲリ★「誰かのためではなく」

会期:2015/07/24~2015/08/09

神保町画廊[東京都]

インベカヲリ★の東京・神田の神保町画廊での展示は、新作、旧作とりまぜて22点。それぞれの写真にタイトル(あるいはキャプション)がついている。今回の新作でいえば、「目が見えないから何でも口に入れちゃう怪獣」、「私は普通の人です、普通になりたい普通の人です」、「ハイソサエティは息がしやすい」、「誰かのためでなく」という具合だ。だがこれらの言葉が、写真の内容とどのように関係しているのかは、ぱっと見ただけではわからない。
たとえば、展示ケースのようなものの中にオールヌードの女の子が入っている写真には、「目が見えないから何でも口に入れちゃう怪獣」というタイトルがついている。こういうタイトルは、インベとモデルの女性たちとの話し合いを経て決まっていくようだ。インベ自身の手記「わたしを撮ってください 自分を見失った女性たち」(『新潮45』2015年8月号)によれば、彼女の撮影は「話を聞く」ことから始まる。「写真は被写体にとっても「表現手段」だから、写真を通して語りたいことがあるだろうし、日常生活で抑圧されている何かがあるから表現衝動が起きるのだろうと思う。そうした動機を質問しながら引き出していくことが、撮影をする上で必要な過程になる」というのだ。その結果として、「ちゃんとしよう」という意識に囚われ、感情を抑圧している女性は「水の入った容器に一人ポツンととどまっている」姿で撮影され、「雨に住む人」というタイトルが与えられた。また「赤い水」というタイトルの作品は、少女時代を母子寮で過ごし、「毎日、母親から赤い水をぶっかけられてるみたい」と感じていた女性のポートレートだ。
このような、それぞれの写真の背後の潜んでいるストーリーは、タイトルで暗示されているだけなので、ストレートに観客に届いてこない。たしかに、あまりにもバックグラウンドを語り過ぎると、写真を見る時の想像力が固定されてしまうということになりかねない。だが、逆に今のままでは、インベとモデルたちとの共同制作のプロセスの、スリリングな面白さが抜け落ちてしまう。そのあたりを微妙にコントロールしつつ、最終的な写真と言葉の関係のあり方を構築していってほしいものだ。

2015/07/24(金)(飯沢耕太郎)

堂島リバービエンナーレ2015「Take Me To The River  同時代性の潮流」

会期:2015/07/25~2015/08/30

堂島リバーフォーラム[大阪府]

4回目を迎える国際現代美術展。大阪市街を流れる堂島川に面した会場で開催されるため、「リバー」という単語が冠され、出品作も「川」「水」「流れ」「海」をモチーフにしたものが多く目につく。そうした視覚的な分かりやすさの一方で、展覧会自体は社会政治的なテーマで構成され、作家数15名(組)と規模は大きくないものの、見応えある展示となっていた。
例えば、矢印型の筏で京都~大阪まで川下りを行なった《現代美術の流れ》(1969)で知られるプレイは、当時のドキュメンテーションの展示とともに、小屋型の筏を川に浮かべるパフォーマンスを新たに行なった。また、下道基行は、沖縄の海岸に流れ着いた様々な地域の漂着ビンを用いて、再生ガラスの器をつくるプロジェクトを提示。「移動」による様々な文化圏の混淆を再生ガラスの姿に仮託するとともに、沖縄という土地の複雑な歴史的・地政学的位置に言及する。また、貨物タンカーの事故現場を紙で模型風に再現したメラニー・ジャクソンの《不快な人々》は、国境間の移動、「移民」問題を扱う。さらに、無人のマクドナルドの店内が水浸しになっていく様子を徹底的にリアルにつくり上げたSuperflexの《水没したマクドナルド》や、ロゴ入りの紙袋を切り抜いて樹の形につくり変える照屋勇賢の《告知─森》は、消費社会批判や環境問題に言及する。
とりわけ、「アイデンティティの流動性」という深刻になりがちな問題を、軽快でポップな映像で示して興味深いのが、ヒト・スタヤルの映像インスタレーション《Liquidity Inc.》。「泳げ」と繰り返し呼びかけられる主人公の「ジェイコブ」は、アジア系の顔立ちの青年だが、結局、彼が何者なのか分からないままだ。ベトナム戦争孤児/総合格闘技のファイター/金融ビジネスマンという複数の顔を持つことは分かるが、個々についての深い掘り下げはなく、捉えどころの無さだけが残る。
リズミカルな映像編集とポップな音楽にのせて、繰り返し流れる「水のように流動的になれ」というメッセージ。それは、状況に柔軟に対応すべき格闘家の心得でもあり、市場価値の流動性、グローバル企業の拡大や戦略であるとともに、複数の文化間にまたがる生を生きるアイデンティティの流動性でもある。水や波のイメージの反復と共に流れるメッセージは、巨大な波形の構造物が客席として用意され、柔らかいクッションに寝そべりながら鑑賞するスタイルとも相まって、自己啓発セミナーのマインドコントロールのような刷り込み効果をもたらす。
そうした捉えどころの無さは、この映像自体の性格でもある。様々なスタイルが継ぎはぎされ、アイデンティティが一定しないのだ。例えば、過激派テロ組織の映像を思わせる覆面の人物が唐突に登場するが、TVの天気予報の語り口を真似て、「自意識のコントロールで世界が変わる」とレクチャーを行なったり、偏西風や海流をグローバル社会における労働力や物資の流動性へとトレースさせ、天気予報の「無害さ」を社会的・政治的な力動関係の視覚化へと変質させていく。《Liquidity Inc.》は、「美術作品」としての真面目さを脱力させるユルさを表層的にまといつつ、娯楽としてのミュージッククリップ、自伝的なドキュメンタリー、企業のプロモーション、自己啓発セミナー、テロ組織の犯行声明やPR映像、TVの天気予報といった様々な映像の文法をパロディ的に用いることで、現代社会において映像がどう用いられ、視聴者にどのような心理的効果を及ぼそうとしているかを、ユーモアを交えながらあぶり出していた。

2015/07/24(金)(高嶋慈)

ディン・Q・レ展:明日への記憶

会期:2015/07/25~2015/10/12

森美術館[東京都]

1968年にカンボジアとの国境近くのベトナムに生まれ、10歳のときポルポト派の侵攻から逃れるため渡米したという経歴が、アーティストになった彼の作品を決定づけている。祖国の伝統的なゴザ編みの手法を借りて、写真を裁断してタペストリー状に編んだ「フォト・ウィービング」シリーズで注目を浴びる。ベトナム人が自作したヘリコプターと映像を組み合わせた《農民とヘリコプター》、枯れ葉剤散布により生まれた結合双生児のための産着や人形などからなる「傷ついた遺伝子」シリーズ、ベトナム戦争に従軍した画家によるのどかな風景の戦場スケッチなど、ほとんどすべてがベトナム戦争にまつわるもの。ネタにこと欠かないともいえるが、ひとつのネタから免れないともいえる。

2015/07/24(金)(村田真)

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