artscapeレビュー
2015年08月15日号のレビュー/プレビュー
小山利枝子 展
会期:2015/06/24~2015/07/05
アートコンプレックスセンター[東京都]
パネルを連結したアクリルによる大作数点と水彩の小品の展示。小品は明確に花を描き、タイトルにも花の名前が使われているが、大作のほうは洪水のような、雲のような、なかば非物質化した現象を表わしている。ほとんど抽象化しているのに抽象までいかないモネの《睡蓮》にあらためて感銘を受けた、という作者の言葉を反芻してみる。
2015/07/05(日)(村田真)
ユートピア2
会期:2015/06/26~2015/07/05
アートコンプレックスセンター[東京都]
小山利枝子展の2階でやってたのでのぞいてみる。ちょっとグロな少女イラストの5人展でほとんど興味ないが、特筆すべきはベロニカ都登と紺野真弓の作品が完売していたこと。こういう絵に需要があるのか、どういう人が買うんだろう、ということには興味がある。
2015/07/05(日)(村田真)
大林宣彦『この空の花 長岡花火物語』
3年前に劇場で見て以来、DVDで大林宣彦監督の映画『この空の花』を再度鑑賞する。やはり何にも似ていない、圧倒的にユニークな作品だ。結局、あれから4年が過ぎたが、これを超える3.11映画は出てないのではないか。長岡の花火が時空を超えて、さまざまな歴史と記憶にめくるめく接続する。そして日本の状況が大きく変わり、幾度も繰り返される「まだ戦争には間に合う」の言葉は、むしろ最初の上映時より現在のほうが切実になった。
2015/07/05(日)(五十嵐太郎)
林直「みつめる写真舘」
会期:2015/06/30~2015/07/12
林直は1967年京都府生まれ。両親が写真館を営んでいたため、幼い頃から写真に親しんでいた。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業後、一時企画会社に勤めていたが、退社後に家業を継いだ。そのかたわら、写真家としての自分の仕事も続けている。今回展示された「みつめる写真舘」のシリーズも、長い時間をかけた労作である。
林は実家の写真館にあった古いアンソニーカメラや丸椅子など見ているうちに、作り手と使い手の気持ちがこめられたモノたちが、独特のオーラを発していることに気がつく。それらを撮影することからスタートして、さまざまな人たちの「大切なもの」に被写体の幅を広げていった。今回の展覧会には、ランドセル、絵本、ぬいぐるみ、靴、ミシン、ストーブ、スーツケース、ピアス、そして写真などを、持ち主と話し合いながら、それらにふさわしい場所に置き、8×10インチの大判カメラで丁寧に撮影した写真、28点が並んでいた。
生真面目としかいいようのないアプローチであり、モノクロームの滑らかなグラデーションと柔らかなトーンで捉えられたモノたちのたたずまいが、意外に似通って見えてくるということはある。だが記憶を封じ込め、よみがえらせる装置として、写真を使おうとする林の試みは、さらに大きく広がっていく可能性を秘めているのではないだろうか。続編もぜひ期待したい。
なお展覧会にあわせて、冬青社から、しっかりした造本の同名の写真集が刊行されている。
2015/07/08(水)(飯沢耕太郎)
Ren Hang「NEW LOVE」
会期:2015/06/19~2015/07/25
matchbaco[東京都]
1987年中国・吉林省生まれのRen Hang(任航/レン・ハン)は、北京を拠点に活動している現代写真家。最近はパリ、ニューヨーク、ウィーンなどでも展覧会を開催し、注目度が急速に上がってきている。今回の新宿のギャラリー、matchbacoでの展示が、日本では最初の個展になる。
「NEW LOVE」は、ニューヨークで撮り下された新作だが、Ren Hangの作品を特徴づけるヴィヴィッドな色彩感覚と、ヌードの男女が絡み合う、あっけらかんとしたエロスの表現は健在である。特に男女が野外で彫刻のようにポーズをとる、身体のフォルムを強調した作品群の面白さが際立っており、思わず笑ってしまうような楽しい写真に仕上がっていた。よくライアン・マッギンレーと比較されるようだが、彼の写真には、アメリカやヨーロッパの写真家にはない、中国人(アジア人)の微妙な身体感覚が投影されているように感じる。中国ではごく最近まで写真による裸体表現はタブーになっており、作品を公表するにあたっては、裸が「自然な、ありのままの」あり方である欧米諸国とは比較にならないような、プレッシャーがあったはずだ。それを乗り超え、突き抜けていくことで得られる解放感が、ポジティブなエネルギーとしてあふれ出ている。日本の若い写真家たちにも、これくらいのびやかな身体表現を期待したいのだが、最近なかなかそういう作品に出会えないのが残念だ。
なお、写真展にあわせて同名の写真集も刊行された。今回はニューヨークの写真だけだったが、北京で撮影されたより過激で過剰な作品群も、ぜひもう一回り大きな会場で見てみたいものだ。
2015/07/08(水)(飯沢耕太郎)