artscapeレビュー
2015年08月15日号のレビュー/プレビュー
ロシア国立交響楽団 チャイコフスキー三大交響曲4.5.6連続独奏会
横浜みなとみらいホール[神奈川県]
ポリャンスキーの指揮で、第4番、第5番、第6番を一気に演奏する途方もないプログラムである。続けて聴くと、改めて6番の特異性がわかる。ドームやスタジアムで低音やドラムがよく聴こえない腑抜けたカラオケみたいな音響のロックより、二列目の交響曲のほうがロックだ。それにしても、聴くだけでも疲れるのに、これを日本各地で演奏する指揮者や演奏者の体力は相当なものである。
2015/07/12(日)(五十嵐太郎)
野田秀樹「障子の国のティンカーベル」
会期:2015/07/12~2015/07/20
東京芸術劇場 シアターウエスト[東京都]
野田秀樹が一気に書き上げた若き日の原作をもとにした、マルチェロ・マーニ演出による、毬谷友子のひとり舞台である。なお、彼女以外は人形使いによる人形が登場し、その声は毬谷の腹話術だった。古今東西のイメージが連鎖していくファンタジーである。大人にならない永遠の少年と妖精、そして日本人形。ある意味で、年齢を感じさせない毬谷の存在こそが、もっとも妖精的だった。
2015/07/13(月)(五十嵐太郎)
《写真》見えるもの/見えないもの #02
会期:2015/07/13~2015/08/01
東京藝術大学大学美術館陳列館[東京都]
東京藝術大学美術学部写真センターを中心とする実行委員会が主催する「《写真》見えるもの/見えないもの」展は、2007年以来8年ぶりの開催になる。ただ、その前身といえる「写真で語る」展が1988~95年に4回にわたって開催されているので、25年以上の歴史を含み込む展示となっていた。
東京藝術大学写真センターは1980年代以来、写真表現の「アート化」の一翼を担って、ユニークな写真作家を輩出してきた。今回の展覧会には、佐藤時啓、鈴木理策、今義典、佐野陽一、下村千成、塚田史子、永井文仁、野村浩、村上友重、安田暁といった、写真センターにかかわりを持つ教員、スタッフが、クオリティの高い作品を出品していた。また韓国のArea Park、アメリカ在住のOsamu James Nakagawa、中国と日本のカップル榮榮&映里という「海外にベースをおきながら。日本をテーマとした作品を発表してきたアーティスト」が加わることで、より重層的な、広がりのある展示が実現した。
「写真で語る」の頃から本展を見続けている筆者にとっては、とても感慨深い展示だった。かつては、写真をアート作品として制作・発表すること自体に、乗り超えなければならないハードルがあったのだ。それが四半世紀を経過して、むしろこの種の展覧会はあたり前になり、クラシックな趣さえ呈するようになった。さらに1990年代半ば以降は「デジタル化」というもうひとつのファクターが加わり、「新たに生まれたデジタル技術の様々な可能性とともに、現在における「写真」を再考する必要」が生じてきた。25年の歴史をもう一度ふりかえりつつ、それぞれの写真作家の未来像を提示していく時期に来ているということだろう。
2015/07/14(火)(飯沢耕太郎)
木村友紀「THUS AND SO RATHER THAN OTHERWISE」
会期:2015/07/04~2015/08/01
タカ・イシイギャラリー東京[東京都]
清澄白河から北参道に移転したタカ・イシイギャラリーで開催された木村友紀の展示について、会場に置いてあった解説シートに以下のように記されていた。やや長いが、作品の内容をとても正確に伝えているので引用しておくことにしよう。
「天井から床まで垂れたスクリーンには、引き延ばされたテニスコートのイメージがプリントされている。それが4枚あり、3カ所に分けて掛けられている。大中小に額装された写真は、3段に積み重ねて馬脚の上に置かれている。それらの写真はどれも同じで、階段が写っている。白いペデスタルの上の大理石の台には、大小同じ銘柄の飲みかけのテキーラが置かれている。そのボトルとボトルの間に、ハーフミラーが置かれている。床に置かれたアタッシュケースの中から、蛇腹状のパネルが垂直に伸びていて、それに小さい写真が置かれている。それが2つある。」
説明が一切ないので、観客は木村の展示意図を推し量るしかない。「テニスコートのイメージ」、「階段が写っている」写真、「小さな写真」などはいかにも意味ありげで、木村はそこに写っている視覚的な体験を、拡大・増幅・変換して伝達しようとしているように見える。だが、それらの写真が木村自身の撮影によるものではなく、「ファウンド・フォト」であることを知ると、より混乱が大きくなるだろう。にもかかわらず、作品全体から受ける印象はあまり違和感がなく、どちらかといえば心地よい。名も知らぬ他者の経験が、自分自身のそれと重なるような普遍性を持ち始めるのだ。それは何とも奇妙な、夢と覚醒の間に宙づりになってしまうような気分をもたらす。
タカ・イシイギャラリーでの木村の個展は、今回で7回目になるそうだ。彼女の作品は癖になる。そのインスタレーションは洗練の度を加え、真似のできない領域に入りつつある。もう少し大きな会場で、近作をまとめて見てみたい。
2015/07/15(水)(飯沢耕太郎)
被災地めぐり(女川・石巻)
[宮城県]
久しぶりに女川と石巻に足を運ぶ。3.11後に仙台への新幹線が復活したときと同様、バスを使わずとも、ついに電車だけで行くことができるようになったのが感慨深い。坂茂が手がけた新しい駅舎は浴場や販売所などの施設も備え、街のスケールとしては大きめのやわらかいランドマークとして出現していた。一方、女川の主な震災遺構は、交番以外すべて消えた。そして地形も道路も激しく変わり、別の町が生まれようとしている。
写真:上=石巻の将来模型、中上=派出所のみ残る(女川)、中下=地形や道路も変わる(女川)、下=女川駅
2015/07/15(水)(五十嵐太郎)