artscapeレビュー

2011年01月15日号のレビュー/プレビュー

森山大道「津軽」

会期:2010/11/27~2011/12/18

Taka Ishii Gallery[東京都]

写真表現のあり方をぎりぎりまで突きつめた『写真よさようなら』(写真評論社、1972年)を刊行後、森山大道は「大スランプ」に陥ったといわれてきた。たしかに、苛立ちと不安を「アレ・ブレ・ボケ」の荒々しい画面に叩きつけるようにして疾走していった1960年代後半~70年代初頭のエネルギーを、精神的にも肉体的にもキープし続けるのはむずかしい時期にさしかかっていたことはたしかだろう。だが、2008年12月~09年2月にRAT HOLE GALLERYで開催された「HOKKAIDO」のシリーズでも同じことを感じたのだが、1970年代後半の「北帰行」のスナップ群は、もう一度きちんと評価し直す必要があるのではないか。少なくとも「大スランプ」というような言葉で片付けきれない、森山の中に渦巻いていた地の底から湧き上がるようなマグマの胎動を感じるのは確かだ。
今回のTaka Ishii Galleryでの展示は、1976年に青森県五所川原市周辺で撮影され、同年銀座ニコンサロンでの個展で発表された写真群である。「なぜか〈五所川原〉という町の名がしきりに気になりはじめ、引かれるように写真を撮りに出掛けた」ということのようだが、地名へのこだわりも含めて、この時期の森山のアンテナは異様に研ぎ澄まされていたのではないかと思える。その証拠に、この「津軽」にはどう見ても普通ではない人たちが、わらわらと湧いてくるように写り込んでいる。乳母車に異様に大きな人形をのせた少女、巨大な黒豚(?)を追う男、傘をすぼめた二人のしわくちゃ婆さん、髪の毛の薄い魔物めいた男の子、白い下着のようなものを身にまとった片足のない男、飛ぶように街を走り抜ける少女──これら「異人」たちが、次々に、吸い寄せられるように森山の前に出現してくるのだ。「眼科医院の看板がやたら目についた」という五所川原の街そのものが、写真の中で異界の気配を色濃く漂わせはじめる。その噴き上がるような表現力の高まりはただ事ではない。

2010/12/01(水)(飯沢耕太郎)

蜷川実花「noir」

会期:2010/11/27~2011/12/25

小山登美夫ギャラリー[東京都]

Taka Ishii Galleryの上の階の小山登美男ギャリーでは、同じ日に蜷川実花展もオープンした。芸能人関係の花輪の多さが、今の彼女の勢いを物語っている。ただ、肝腎の展示には少し違和感を覚えた。
今回の「noir」のシリーズは、あの2008~10年に東京オペラシティアートギャラリーを皮切りに全国巡回した「地上の花、天上の色」展の最後のパートで予告されていたものだ。華やかな極彩色の「蜷川カラー」を極端に「noir(黒)」の方へ傾けることで、魑魅魍魎がうごめくようなバロック的な世界をこの世に出現させる。その意図はよく理解できるし、もともと蜷川の中に潜んでいた闇、死、狂気への志向を解放しようとする興味深い実験といえる。ただ、壁にプリントをべたべた貼付ける見せ物小屋的な展示は、以前のポップな作品には合っていても「noir」にはあまりふさわしくないように思える。ここは、虚仮威しでもハイブラウな、洗練された展示空間を作り上げてほしかった。フレームに入れて展示されていた作品もあったが、それもやや中途半端に感じた。
同じことは、同時に発売された写真集『noir』(河出書房新社)にもいえる。この本も作品の内容と造本、レイアウト、印刷などがあまりうまく合っていないのではないだろうか。可能性を感じるシリーズだけに、ぜひぴったりとした器を見つけてほしいと思う。

「noir」2010
© mika ninagawa
Courtesy of Tomio Koyama Gallery

2010/12/01(水)(飯沢耕太郎)

和栗由紀夫+好善社『肉体の迷宮』

会期:2010/12/03~2010/12/04

日暮里サニーホール[東京都]

美学者・谷川渥の著書『肉体の迷宮』からタイトルがとられた本作は、なるほどスクリーンに映写されるさまざまな映像(ベルメール、デジデリオらの絵画作品)などから見ても、また舞台上のシーンを鑑みても、本書に端を発する作品であることは明瞭だ。とはいえ、生真面目に美学書の各章を舞踏譜にみたてたというよりも、そこからえた刺激をもとに振付家の自由な発想からつくられているのも明らかだ。構成はシンプル。基本的に、関典子のソロもまじえた女性たちの群舞と和栗由紀夫のソロが交互に並べられ、男性性と女性性が強く意識されている。女性のダンスには舞踏の要素が希薄。その分、和栗の「舞踏化」されている奇っ怪な身体のありようが際立って見えた。土方巽の最初期の直弟子であった和栗。彼の身体には舞踏の方法論が染みこんでいて、爬虫類かなにかに部分的に変容してしまったかのように、ちょっと動き出せば、彼の肉体の各所から、その異様さがくっきりと滲み出てくる。たとえば「ダンディな素肌に白いサマースーツと麻の帽子」といった衣装で過日(1970年代)の沢田研二のように気取っているシーン。気取った身振りの最中、体の内側では沸騰する水のようになにかが騒がしく蠢いていて、「常態化した痙攣」とでもいうべき運動が断続的に身体の各所で露呈している。変な(キャンピーな)ダンディズムと舞踏らしい動き(キャンピーに見えてしまうのは、世代差によるものか?)。真面目なようでふざけているようで、狙いのようでもあり天然のようでもある。アナクロにも映るが現代的に見えなくもない。延々と裏をかいて異常な存在であり続ける、なんとも舞踏らしい公演だった。

2010/12/03(金)(木村覚)

ビジネス・オブ・デザイン・ウィーク(BODW)

会期:2010/11/29~2011/12/04

香港コンベンション&エキシビション・センター[香港島ワンチャイ地区]

design Ed Asiaのシンポジウムにおいてレクチャーを行なうために、香港のビジネス・オブ・デザイン・ウィーク(BODW)に参加した。今年はパートナー・カントリーを日本に設定していたので、飯島直樹、佐藤卓、橋本夕紀夫、中村竜治ら、日本から多くのデザインや建築の関係者も訪れていた。会場は巨大なコンベンションセンターである。千人近い聴衆がつめかけたフォーラムのオープニングでは、深澤直人の講演がトップだった。改めてアフォーダンスへの関心がうかがえたが、ゼロ年代以降の建築界でも、小難しい言葉よりもアフォードを、という雰囲気はある。ちなみに、最終日のラストの講演は隈研吾。展示パートは、学校、企業、各種機関などのブースが並び、東京デザイナーズ・ウィークのような雰囲気だった。BODWの関連イベントでは、いまだすさまじい有刺鉄線に囲まれたヴィクトリア監獄を展示場にした「De tour」が印象深い。香港と日本におけるデザイン関係の学校の作品のほか、無印良品(谷尻誠も参加)や中山英之による檻のなかの大量の水チューブなどが展示されていた。香港がデザインに力を注いでいることが強く伝わってくるイベントである。

2010/12/03(金)(五十嵐太郎)

彫刻家エル・アナツイのアフリカ

会期:2010/09/16~2010/12/07

国立民族学博物館[大阪府]

アフリカのガーナ出身で、現在はナイジェリアを拠点に活動するエル・アナツイは、1989年にポンピドゥーセンターで開催された「大地の魔術師」展で一躍脚光を浴び、以後、アフリカを代表する現代アート作家として活動している。しかし、欧米で彼の作品は美術館と博物館の両方で展示されており、西洋的文脈のアートと民族工芸の狭間で宙吊りにされた状態になっているのだとか。非西洋圏のアーティストが多少なりとも直面するこの問題に対して、美術史と文化人類学双方の視点からアプローチしようと試みたのが本展だ。ただ、実際の展示を見ると、少なくとも私にはオーソドックスな美術展に見えた。確かに彼の作品の背景となっているアフリカの美術工芸品も共に展示されているが、だからといって上記の問題に踏み込んでいると言えるのだろうか。意識し過ぎると却って西洋美術史の文脈に取り込まれてしまうことを危険視したのかもしれないが、もう少し踏み込んでほしかったというのが本音だ。

2010/12/04(土)(小吹隆文)

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