artscapeレビュー
2011年12月15日号のレビュー/プレビュー
アーヴィング・ペンと三宅一生
会期:2011/09/16~2012/04/08
21_21 DESIGN SIGHT[東京都]
むろん、三宅一生のファッションとそれを撮影したアーヴィング・ペンの写真はすぐれた作品だが、とりわけ感心したのは、坂茂の会場構成である。これは文句なしに、カッコいい。いつも手前のくびれた小部屋とその後の大空間の接続が気になっていたのだが、うねる紙管の壁でなめらかにつなぎ、その後にスカーンと奥まで見通す分割線が走る。ファッションをいかに見せるかというのが写真やポスターだとすれば、それらのコラボレーションを展覧会においていかに見せるかもまた、よく練られた企画といえよう。
2011/11/23(水)(五十嵐太郎)
RE; BUILD 生き還る建物と心
会期:2011/11/23
シネマート六本木[東京都]
バンタンデザイン研究所の学生が、3.11以降を見据えた特集上映「RE; BUILD 生き還る建物と心」を企画した。ラインナップは以下の通り。『軍艦島1975 ─模型の国─』は、廃棄された直後の風景を撮影したもの。3.11以降、人が入らなくなったフクシマを思わせるが、その一方で生い茂る植物や動物の生命力もフィルムに写り込む。実際、被災地でも緑の力は強いのだが。『維新派 蜃気楼劇場』は、汐留貨物線跡に仮設の街舞台をつくり解体するまでのドキュメントである。今思うと、当時はバブル期だけに、実際の都市風景に挿入されながら、蜃気楼のように現われて、消えていく、スクラップ・アンド・ビルドの虚構の街は別の意味を帯びてくる。『ジョルジュ・ルース 廃墟から光へ』は、だまし絵的な作風のルースが、阪神淡路大震災で廃墟となったビルや倉庫に、作品を制作するドキュメント。登場する人たちが90年代の顔とファッションで懐かしい。『死なない子供、荒川修作』は、《三鷹天命反転住宅》に暮らす山岡信貴監督が撮影したドキュメントである。バンタンの学生はまずこの映画を上映したいという思いから、今回の企画を立ち上げたのだという。
2011/11/23(水)(五十嵐太郎)
『死なない子供、荒川修作』DVD発売記念 五十嵐太郎×池上高志×渋谷慶一郎×山岡信貴 トークショー
会期:2011/11/23
カルチャーサロン青山にて、山岡信貴監督とトークショーを行なう。映画では、一番見たかった、ここで生活しているのはどんな人たちかが紹介される。荒川へのビデオレターのような作品だった。そして人と環境/建築の相互作用とはどういうことか、また死なない、とはどういうことなのかなどの問いを考えていく。筆者が体験したアンチテーマパークとしての《養老天命反転地》、名古屋の《志段味循環型モデル住宅》、二度訪れた《三鷹天命反転住宅》、あるいは建築とアートの関係を語る。山岡監督からは、荒川がわざわざ住宅展示場の正面を敷地に選んだ興味深いエピソードをうかがう。
2011/11/23(水)(五十嵐太郎)
鈴木涼子「私は」
会期:2011/11/18~2011/12/17
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
鈴木涼子の意欲的な作品の展示だ。鈴木はジェンダーやセクシュアリティを問い直すセルフポートレート作品をずっと発表してきたが、「ここまできたのか!」という感慨があった。
180×200センチのかなり大きな作品が9点、120×120センチの作品が1点。どの作品でも筋肉質の男性の裸体に鈴木自身の首(顔)が接続してある。その継ぎ目の画像処理が完璧なので、一見あたりまえの男性ヌード作品のようなのだが、見ているうちにじわじわと違和感がこみ上げてくる。やはり女性の顔と男性の身体とは相性があまりよくないのだ。そのどこかグロテスクでもある気持ちの悪さが、われわれは男性らしさとか女性らしさとかを、いったいどこでどんなふうに認識しているのかという問いかけにつながってくるのだ。
それにしても、鈴木の果敢な実験精神にはいつも驚かされる。彼女は前に過度に女性性を強調したアニメのフィギュアに自分の顔を接続するという「ANIKORA」シリーズを発表した。このときもかなりのインパクトだったのだが、今回の「私は」では男性性器のついた身体と合体している。この「男性性器のついた」というのは比喩的な言い方ではなく、何枚かの作品では実際に男性性器そのものがしっかり見えているのだ。鈴木がそこまで勇気を持って踏み込んでいることに感動する。むろん画像操作上のことだという見方もできるが、この生々しさは尋常ではない。やはり体を張った人体実験に思えるのだ。
2011/11/26(土)(飯沢耕太郎)
稲田智代「パレード」
会期:2011/11/23~2011/12/06
銀座ニコンサロン[東京都]
稲田智代には詩人の才能もあるようだ。会場に掲げられていた「詩」がなかなかよかった。
「パレードがいく/パレードがいく ふたつのあいだを/パレードがいく なにもかもが/ひかってゆれている/はじまりもおわりも/すべてがひとしく/ここに」
どこか大正から昭和初期にかけて書かれた、八木重吉とか大手拓次の詩の趣があるのではないだろうか。そのちょっとノスタルジックな雰囲気は写真にも表われていて、これまた昭和の匂いがするプリントが並んでいた。本人はまったく意識していなかったようだが、1960年代末の田村彰英の初期作品に、こんなふっと消えてしまうような気配を捉えたものがあったような気がする。
会場構成もとてもうまくいっていた。横位置の、水平線が強調された写真(人が本当にパレードのように列を作っている写真もある)が並んでいる間に、プリントをゼムクリップで洗濯物のように吊るしたパートがはさまっている。写真がくるんと丸まっている感じが、風にひるがえっているようでもあり、軽やかな気分を強調している。とはいえ、写真の内容が手放しに明るいものかというと、そうでもない気がする。稲田は建築やインテリア関係の仕事をしていたが、ここ5年ほどは病院で働いている。そのなかで「いくつかの近しいいのちを見送って」きたという。出会いも別れも、生も死も「すべてがひとしく」光に包み込まれてパレードのように続いていく──そんな思いが一枚一枚の写真に投影されているように感じた。写真の紡ぎ手として、ひとつの壁を乗りこえたのではないだろうか。
2011/11/26(土)(飯沢耕太郎)