artscapeレビュー
2011年01月15日号のレビュー/プレビュー
中村協子 展「アナログなダビング」
会期:2010/12/03~2010/12/26
eN arts[京都府]
中村協子の過去作から最新作までのドローイングが展示された個展。こんなにまとまった量の中村の作品を見たのは初めてかもしれない。ペンや色鉛筆を使った細密な表現でどちらかというと小さなサイズの作品を発表してきたイメージがあるが、今展では、会場の入口すぐの壁面いっぱいに大きな画面を数枚つなげた大作も展示されていた。ただそれでもあり余るほどの広い空間。そのためにどちらかというと量感は感じられずすっきりとまとまっていた印象だ。他愛もない“ガールズトーク”を繰り広げるバービー人形たちの連作、 かるたのような短い言葉と絵を組み合わせた大量のドローイングなど、イメージと記憶に働きかける独特のユーモアはこれまでどおり、だが、今回は言葉と絵の関係の面白さよりも色彩やこまやかな描写のほうが印象に残った。
2010/12/25(土)(酒井千穂)
石川直樹『CORONA』
発行所:青土社
発行日:2010年12月20日
このところ、毎年年末になると石川直樹から立派なハードカバーの写真集が送られてくる。それとともに、「ああ、また木村伊兵衛写真賞の季節だな」と思うことになる。石川がここ数年、木村伊兵衛写真賞の最終候補に残っては落ち続けているのは周知の事実だろう。これまでの経歴、業績とも申し分なく、今後の写真界を担っていく期待の人材であることは誰しもが認めつつ、どういうわけか受賞を逃し続けている。もちろん、こういうことは文芸や美術の世界でもありがちなことで、ある賞に縁が遠いというか、選ばれないでいるうちにますます選びにくくなってしまうというのは珍しいことではない。そうなると本人も意地になってしまうわけで、石川の場合も「今年こそは」という思いが写真集作りのモチベーションを高めているのは間違いないだろう。それにしても、毎年ボルテージを落とさずに、力のこもった写真集を出し続けるエネルギーには脱帽するしかない。
というわけで、今年の『CORONA』はどうかといえば、残念ながら、僕が見る限りは絶対的な決め手は感じることができなかった。「ハワイ、ニュージーランド、イースター島を繋いだ三角圏」、その「ポリネシア・トライアングル」を10年にわたって旅して撮影してきた労作であることは認める。昨年の日本列島の成り立ちを探り直す『ARCHIPELAGO』(集英社)の延長上の仕事として、過不足のない出来栄えといえるだろう。だが、これはいつも感じることだが、写真の配置、構成、レイアウトにもう一つ説得力がない。スケールの大きな神話的なイメージと、旅の途中での日常的なスナップをシャッフルして繋いでいく手法は、これまでの写真集でも試みられたものだが、どうも雑駁でとりとめないように見えてしまうのだ。「これを見た」「これを見せたい」という集中力、緊張感を感じさせる写真の間に、それらを欠いた写真が挟み込まれることで、見る者を遠くへ、別な場所へ連れ去っていく力が決定的に弱まってしまう。
石川は一度立ち止まって、自分の写真、自分が見てきたもの、伝えたい事柄についてじっくりと熟考する時期に来ているのではないだろうか。もっと落ちついて、カメラをしっかりと構え、丁寧に撮影し、無駄な写真はカットし、イメージを精選してほしい。各写真にきちんとつけるべきキャプションが割愛されているのも、おざなりな印象を与えてしまう。既にキャリアのある写真家にこんなことを書くのは失礼だとは思うが、雑な撮り方、見せ方をしている写真が多すぎるのではないか。石川が今回、木村伊兵衛写真賞を受賞できるかどうかは僕にはわからない。だが、もし取れたとしても、取れなかったとしても、彼の行動力と構想力に対する期待感の大きさに変わりはない。納得できる写真集、写真展をぜひ見たいと思っている。
2010/12/25(土)(飯沢耕太郎)
オイルショック!──90年代生まれのオイルペインター
会期:2010/12/23~2010/12/28
Hidari Zingaro[東京都]
最近、秋葉原や中野にしばしば通っているのだが、中野ブロードウェイ3階に店を出す村上隆プロデュースのHidari Zingaroでけっこう衝撃的な展示を見た。これは、0000(オーフォーと読む)という京都を基盤にする4人のイケメン風アートオーガナイザーたちが企画したもので、4週連続の展覧会「0000 Fest」のひとつ。この週は10代の女性画家5人の油絵が紹介されていたのだが、驚くのは彼女たちの絵のうまさではなく、まったく逆に、油絵のスキルがないのに(または無視して)臆面もなく少女マンガチックに描いていること。ぼくらの基準では、こんなイラスト風の絵は恥ずかしくて人前には出せないし、そもそも油絵では描かないものだ。それをなんのてらいもなく出し、あろうことか半数近くが売れているのだ。ただヘタな絵を並べるだけならだれでもできるかもしれないが、それが売れるとなると話は別。売れるということは作品が公認されたということにほかならない。逆にいえば、これまでぼくらが公認していたような作品の価値基準が少数派になりつつあるということだ。そんなことはポストモダンが叫ばれた80年代から徐々に感じていたはずだが、ここまで自分とは異なる価値観を見せつけられるとうろたえてしまう。企画者の意図どおり、まさに「オイルショック」。
2010/12/26(日)(村田真)
木村友紀「無題」
会期:2010/09/05~2011/01/11
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
2010年の最後に木村友紀の展覧会を見ることができて本当によかった。IZU PHOTO MUSEUMの展示は会期が長いので、逆にうっかりするとまだまだと思っているうちに見過ごしてしまうことになりかねない。この展覧会も危うくそうなりかけていたのだが、年末近くになって何とか間に合った。
木村友紀の作品は、さまざまな写真を蒐集するところからはじまる。自分が撮影したものもあるが、家族のアルバムの中から見つけだしたもの、滞在先の街の「蚤の市」のような場所で買い集めたもの、友人から送られたものなどもある。つまり自分自身の制作物、所有物として徴づけられたものはむしろ少なく、多くは「他者」に帰属するものだ。木村はそれらを大きく引き伸ばし、再配置し、写真同士、また他のオブジェなどと組み合わせてインスタレーションする。その手際がとても洗練されていて、見ていて実に楽しい。
たとえば、どこともしれないオフィスを撮影した写真の前には、鉢植えの観葉植物が写真に触れるように置かれているが、それは写真の中に写っている観葉植物と対応するものだ。黒胡椒の実が写真の上に散乱しているインスタレーションがあるが、それは写真の中の雑然としたモノの状態に呼応している。また、海外で購入したセピア色に変色した飛行機の前半分のカラー写真には、祖父のアルバムに貼られていたというモノクロームの「飛行機型のハリボテの建物」のイメージがつけ合わされている。
つまり、木村の作品は「内と外」「自己と他者」「イメージの内側の世界と外側の現実の世界」との対応関係を、巧みな操作によって浮かび上がらせるところに特徴がある。そのことによって彼女がもくろんでいるのは、写真をある特定の意味や文脈に固定することなく、開放的な場に解き放ち、さまざまな形のイマジネーションを発動する装置として、積極的に「利用」していくことだろう。その作業を目にすることで、鑑賞者もまた、映像を巡ってめまぐるしく飛躍し、変転していく彼女の思考の渦に巻き込まれていく。その巻き込まれ方に、固い殻が破れて液体化していくような妙な快感がある。以前は彼女の作品には、底意地の悪さ、微妙な悪意を感じさせるものが多かった。それが今回はほとんど鳴りを潜めているのがちょっと気になる。木村にはただの趣味のいいインスタレーション作家にはなってほしくない。もちろん、本人もそのあたりは十分に承知しているとは思うのだが。
2010/12/26(日)(飯沢耕太郎)
YAKINIKU──アーティスト・アクション in 枝川
会期:2010/12/26~2010/12/29
東京朝鮮第二初級学校[東京都]
江東区枝川にある朝鮮学校の校舎建て替えにともない、取り壊される旧校舎を舞台にアーティストたちが4日間だけ作品を展示している。黒板ならぬ赤板をたくさん並べて対話を試みる石川雷太、質疑応答形式のインスタレーションを出した森下泰輔ら参加型の作品が多く、そこに子どもたちの絵や人型も一緒に展示されてどれがだれの作品なのかわかりにくいゴッタ煮、いやビビンバ状態。おまけに、参加アーティストがせっせと荷物を運んでいるのでまだ展示が終わってないのか、それとももう搬出なのかと思ったら、学校の引っ越しを手伝う「枝川アート引っ越しセンター」というこの日だけのパフォーマンスだった。結局このアートイベント、個々の作品がどうのこうのというより、日朝韓が同じ場所に集まってなにかをすること、そしてなによりタイトルにも表われてるように、最終日の「焼肉パーティー」こそがメインディッシュなのだった。
2010/12/27(月)(村田真)