2022年12月01日号
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artscapeレビュー

2015年10月15日号のレビュー/プレビュー

「境界」高山明+小泉明郎 展

会期:2015/07/31~2015/10/12

メゾンエルメス8階フォーラム[東京都]

住友文彦がキュレーションした「境界」展@メゾンエルメス。説明はわずかで読み解く展示である。前半の高山明は、福島の希望の牧場、あるいは牛と猿仮面の牛飼いが無人の波江町を歩く映像を提示し、人間と動物/人工と自然の境界を示す。そして、300年前の技術が記憶されたバッハ「羊は安らかに草を食み」を弾く子どもの映像を間奏曲とし、後半へ。今度は小泉明郎が記憶の問題を扱う。事故で記憶障害になった男が、サリン事件も彷彿させる日中戦争時の加害エピソードを暗誦するが、苦しみながら反芻し、やがて記憶が消えていく。短時間に圧縮したそれはわれわれや社会の忘却の構造と似ていよう。男の脳内のようなもうひとつの映像と対になっていた。

2015/09/12(土)(五十嵐太郎)

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仙台写真月間2015

会期:2015/09/01~2015/10/04

SARP(仙台アーティストランプレイス)他[宮城県]

毎年、秋に仙台のいくつかのギャラリーを舞台に展開されている「仙台写真月間」。今回は酒井佑、花輪奈穂、阿部明子、小岩勉、佐々木薫、今泉勤、野寺亜季子、伊東卓の9人が参加した。たまたま9月の第一週に写真コンテストの審査で仙台に行く仕事があるので、ほぼ毎年足を運んでいる。今年はSARPでの花輪奈穂と阿部明子の展示を見ることができた。
花輪の「点O(オー)」というタイトルは、自分にとっての原点、あるいは定点を意味するのだという。日常のさまざまな場面を切り取っていくスナップショットなのだが、そこにはたしかに原点を確保していこうという志向をはっきり感じとることができた。特に半透明なスクリーン状の物質を介して向こう側を透過したり、その表面に何かが映り込んだりする状況を取り込んだ写真が目立つ。このスクリ─ンの所在を軸にして、不定形の日常を構造化していくことができるのではないだろうか。
阿倍の「不在の痕」も日常的な場面の蓄積だが、花輪の作品とはかなり肌合いが違う。阿部が暮らす「西武新宿線中井駅から徒歩3分のシェアハウス」の「共用台所のテーブルの上」が写真の舞台だ。そこに置かれている、鍋、コーヒーメーカー、ティッシュペーパーの箱、灰皿などを「ブツ撮り」で撮影したシリーズの他に、断続的にテーブルの上を撮影した5分間の画像を連続的に上映する映像作品や、30分ごとにシャッターを切った一日分の画像を重ね合わせ、そのプリントをコピーし続けていくシリーズも展示されていた。コンセプチュアルな手法を取り入れてはいるが、そこには花輪と共通する日常の構造化という視点があると思う。
残念ながら、ひと月以上続くリレー式の展示を、全部見るのはなかなかむずかしい。参加者の写真作家としての個性がしっかりと見えてきているので、できればこれまでの集大成となる、より規模の大きな展覧会を実現してほしいものだ。

2015/09/13(日)(飯沢耕太郎)

第100回記念二科展

会期:2015/09/02~2015/09/14

国立新美術館[東京都]

かつて前衛の拠点だった美術団体も100年を超えるとどうなるか、これを見ればわかる。1階はまだ展覧会の体をなしているが、2階に上ると自由度が増して“芸術”から徐々に解放され、3階では宙にデカイ顔が浮かんでたり、建物が平気で傾いてたり、もはやなんでもありのカオス状態。ここまで入選基準をゆるめるのもさぞかし勇気がいったことだろう。工藤静香や押切もえも入選していた。作品についての論評は差し控えるが、ふたりの作品の前に「館内では基本的に撮影禁止です」との看板が立っていたのがおかしい。有名人の作品を見つけるにはもってこいの目印になっていた。

2015/09/13(日)(村田真)

モザイク展2015

会期:2015/09/15~2015/09/27

横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]

モザイク展の賞の審査を頼まれた。モザイクについては無知だけど興味があったので引き受けた。興味があったのは、まずモザイクは本来「不動産美術」であるにもかかわらず、ここではタブロー、つまり「動産美術」として展示されること。その整合性を確かめてみたかったというのがある。また、モザイクは色素を並べてひとつのイメージを形成する点で、点描画やデジタル画にも通じること。さらに、ポルノにおけるモザイク(じつはモザイクといえば一般にこれがいちばん知られている)のように、はっきり見せるのではなく曖昧にボカすためにも使われること。ほかにも、学校の卒業制作でしばしば見かけるように共同作業によるところが大きいこと、などだ。つまりモザイクは古典的な技法であると同時に、きわめて現代的な問題をはらんだメディウムでもあると思う。そんな視点で選んでみた。大賞は、街の遺跡を俯瞰したような図柄の岩田英雅による作品。画素の一つひとつが1軒の家あるいは1個の石材にも見え、不動産としての記憶を宿していると感じられたからだ。二席は、高倉健の肖像をスーパーリアリズム風に描き、裏から光を当てた山本真平の作品。これは現代のデジタル表現にもつながるうえ、ほかに類似作品がないため選んだ。三席は、白い小さな大理石を矩形の画面にびっしり埋め込み、その脇にモノクロ写真を添えた妙川幸子の作品。作者の意図を無視していえば写真が余計で、白い大理石だけだったら大賞争いに加わっていただろうと思う。つまりミニマルな純粋モザイク画ってわけだ。以下、佳作と奨励賞は略。モザイクでなにかを表現するのではなく、モザイクを表現してほしいと思う。

2015/09/14(月)(村田真)

後藤靖香「かくかくしかじか」

会期:2015/09/04~2015/10/03

TEZUKAYAMA GALLERY[大阪府]

1982年生まれの後藤靖香はこれまで、第二次世界大戦に従軍した若者たちの群像を、墨を用いた力強い描線とマンガ的表現を用いて、巨大なキャンバスに描いてきた。その出発点には、祖母から聞いた祖父や大叔父の戦争体験や残された資料など、彼女自身の家族史への関心がある。近年は、かつての造船所や活版印刷所など、展示場所となった場所の歴史に取材し、造船技師や活字拾いとして働く青年・少年たちを同様の手法で描き、戦争という極点のみならず、日本の近代を支えた無名の男性たちの肖像と彼らにまつわる物語を、ヒロイックなスケールで絵画化している。とりわけ、後藤の作品では、劇画調のマンガの表現スタイルで、個性あふれる表情豊かな顔貌が生き生きと描かれることで、現代から隔たった「遠い事象」ではなく、血肉の通った親しみやすさを覚える人物たちの織りなす「物語の回復」がなされている。
今回の個展では、藤田嗣治、宮本三郎、小磯良平、鶴田吾郎といった従軍画家、一兵士として従軍した岡本太郎、そして松本竣介など、戦時中の画家たちのエピソードに焦点が当てられている。創作意欲に燃える従軍画家たちとは対照的に、上官からビンタを喰らった太郎の姿は、厭戦感を通り越して達観すら漂わせる。何かを問いかけるような静かな眼差しで両手を差し出す竣介。大作の《モディリアーニの古釘》では、二対のキャンバスにそれぞれ、藤田と宮本のデフォルメを効かせた全身像が描かれる。藤田がモンパルナス時代にモディリアーニからお守りとして託された古釘の代わりに、陸軍から派遣されたシンガポールの飛行場で、宮本とともに古釘を探す一場面である。藤田とモディリアーニ、藤田と宮本という二組の画家の友情譚が、躍動感あふれる大画面に内包されている。
このように後藤の作品では、一枚の絵画の中に凝縮された「ストーリー」を、資料や文献などの綿密なリサーチが支えている。それらを、マンガ的表現、つまり視覚的記号によって他と区別され、性格づけを与えられた「キャラクター」を用いて、大胆な省略やデフォルメを駆使し、象徴的なシーンの「大ゴマ」として切り取り、見る者を圧倒する大画面に描くことで、物語の回復が目指される。ここで、マンガがジェンダー区分と不可分なメディアであることに留意したい。「マンガ的」と評される後藤の表現スタイルは、激しい効果線・集中線やダイナミックな擬音こそないものの、特に劇画からの影響が濃厚であり、太く荒々しい線描で、鋭い眼光や太い眉毛をもった、漢くさい男性ばかりを描いている。そこには、厳しい状況下にもかかわらず、強い意志を持った「理想の男性像」の投影がなされていると解釈できるだろう。だが、そうした理想像の投影を超えて、「戦争」が「男性(が主人公)の物語」として生産・受容されてきたことを、戦後大いに発展したマンガ(少年・青年向けマンガ)の表現スタイルそれ自体を用いてあぶり出している点に、現代に生きる女性画家である後藤の作品の批評性があると言える。

2015/09/15(火)(高嶋慈)

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