artscapeレビュー

2009年01月15日号のレビュー/プレビュー

HARAJUKU PERFORMANCE+SPECIAL:2日目 「ビート&エクスペリメント」

会期:2008/12/21

ラフォーレ原宿[東京都]

今日も舞台の背後にはスクリーン。ただし映るのはすべてパフォーマー自身の身体。2日目は、演奏のみならず演奏する身体へフォーカスした公演となった。とくに印象に残ったのは、dj KENTAROや宇治野宗輝の機器をつまみこする手、Shing02のシャイに帽子を押さえる手、大友良英のギターを引っかき回す手。華麗で巧みでユーモラスでもあるそんな身体は、それぞれにマニッシュな官能性を帯びていた。そのなか、急遽出演が決まった真鍋大度(Copy Smiles.)のパフォーマンスは、誰より異彩を放った。顔の各部位に多数の配線を貼り付けた2人のパフォーマーが、音楽に合わせて顔を奇妙に歪ませる。会場ではよく分からなかったが、一方の顔の変化がもう一方にコピーしていたらしい。神経繊維がむき出しになったようなグロテスクで滑稽なルックス。電気ショックによる顔面「フラワーロック」化。真鍋によって身体は、内在するテクニックを披露する場ではなく、外在するプログラムが強引に遂行される事件現場となった。この拷問的なプレイに観客は爆笑し、乗りに乗った。

写真:真鍋大度(Copy Smiles)のパフォーマンス

2008/12/21(日)(木村覚)

神村恵カンパニー『配置と森』

会期:2008/12/20~2008/12/22

STスポット[神奈川県]

「運動on」と「静止off」。このきわめて根本的な2要素が、多様な配置を生み出し「森」というにふさわしい千変万化の景色を生み出した。舞台には、美術作家・出田郷の制作した細い光を放つ白いキューブが16個とダンサーが4人。軽く飛び上がりながら「斜め上」「左横」「右横」「前」と首を振り続けるだけのダンスが冒頭と最後にあって、それは「ダンス」であり「観察」の身ぶりでもあった。なるほど、舞台上のダンサーは踊る者であり見る者でもあるはず。確かに彼らは、舞台に並んだ他のダンサーやキューブを見つめときに配置換えし、自らもまたそうされ続ける。抱えられるとダンサーはキューブのように物と化し、他方でキューブは光を放ち自己主張する。人と物とが等価な空間。ダンサーとキューブが織りなす運動と静止の連続は、ダンスというかポーズの連鎖と思わせ、ダンスというかインスタレーションと思わせる。といっても、それが生み出すスリリングな時間は紛れもなくダンス的な何かであって、むしろすべての芸術に潜在するoff+onの可能性を意識させ、すべての芸術がダンスでもあることを意識させる公演だった。ところで何故、on+offはスリリングか? onにoffが含有することとなり、offはonを予期させるから。神村はその真実を手中にしていて、それをクリアに舞台上で展開した。

2008/12/22(月)(木村覚)

MUTTONI THE DIARY OF WINGS

会期:12月23日

大阪成蹊大学芸術学部 学内ギャラリ-spaceB[大阪府]

光や音楽、小さな人形が箱のシアターの中で精密に作動し、ひとつの物語を展開する作品で知られるムットーニこと武藤政彦氏の公開授業をのぞいた。第一回目の公開講座はずいぶん前に開催されたのだが、氏の若い頃の話にとても心揺さぶられたのを鮮明に覚えている。ムットーニとはアーティストの愛称でありながら、同時に作品そのものも指すらしいが、実際に作品と作家の魅力は一体のものなのだとその時改めて感じたし、こんな授業を受けられる若い学生達がうらやましく思えた。今回もあわせて電動カラクリ人形劇の上演が行なわれた。ギャラリーに設置された5つの小さなステージ台に、バスケットボールプレイヤーや電車に乗ったサラリーマン、風船をもつ少女などの人形が一体ずつ立っている。31の電気回路でそれぞれの独立したエピソードが展開し、最後にはひとつの物語を紡ぎ出すという新作でムットーニの口上もついている。光や箱のシアターそのものはもちろんスゴかったが、なによりも、ひとりの人間の孤独を描いた今回の物語が素敵だった。

2008/12/23(火)(酒井千穂)

丹下健三《東京カテドラル聖マリア大聖堂》

[東京都]

1964年竣工の丹下の代表作を訪問。目白通り側から見たときの鋭角的なフォルムと、近づいたときの優美な曲線のフォルムが同形態。ポストカードの航空写真で見える十字形のフォルムはあまりにもシャープ。ひとつの形態から生まれているとは思えない複雑さ。しかし構成原理は明快。単純さが、複雑さを生み出している。同年竣工した《国立代々木競技場》と同じく、構造は坪井善勝。そして内部空間にも圧倒される。一歩一歩、空間の重みを感じる。クリスマス近くだったからか、運良くパイプオルガンの練習音が響いているのを聴くことができた。残響時間は7秒で、ヨーロッパの大聖堂に匹敵するという。何度行っても、心が洗われる。向かいにある椿山荘の庭園は、都心にいることを忘れる豊かな緑。

2008/12/23(火)(松田達)

HARAJUKU PERFORMANCE+SPECIAL:3日目「ボイス&フィジカル」

会期:2008/12/22

ラフォーレ原宿[東京都]

3日目、登場した多くはコンテンポラリーダンスの分野にカテゴライズされるグループ。珍しいキノコ舞踊団は、ポップで民族色のある音楽をバックに、バレエでもモダンでもない独特のかわいい線を舞台に描く。美しさも可憐さも子どもっぽさも否定しないダンスは、意外にも、この場で本領を発揮していた。KATHYは松田聖子「夏の扉」が流れるなか、いつものフランス人形みたいな衣装で、しかし、手にはナイフ。媚びと攻撃、愛と憎悪、夢と恐怖の混沌は、歌サビの辺り、白い玉を1,000個ほどひたすら観客席に投げつけるところでピークに。心臓の鼓動でシャンデリアを灯す山川冬樹と額縁に貼った紙に血液を走らせドラムを叩く飴屋法水は、身体を媒体にファンタジーと現実のあいだを往復する強烈なコラボレーションを見せた。「生と死」は、子どもを登場させることで「生命の連鎖」というテーマへとスライドした。ファンタジックな後味が山川×飴屋を印象づけたとすれば、Contact Gonzoはあくまでフィジカルな次元にとどまる。殴る蹴る乗っかるなど暴力性はあいかわらずなのだが、混沌の最中きわめて美しい形状が不意に出現しハッとさせられた。そんな一瞬にこそ彼らの賭があるに違いない。その他、伊東篤宏×東野祥子、室伏鴻も出演した。
作品のクオリティ云々というよりパフォーマーの力量が観客を魅了した3日間は、アート・イベントというよりもひとが瞬間集い盛り上がるパーティあるいは祭りというべきものだった。アートの可能性を祭りの可能性としてオーガナイズするキュレイター小沢康夫に今後も注目していきたい。

画像:山川冬樹×飴屋法水のライブ

2008/12/23(火)(木村覚)

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