artscapeレビュー

2009年01月15日号のレビュー/プレビュー

大橋可也&ダンサーズ『帝国、エアリアル』

会期:2008/12/28

新国立劇場 小劇場[東京都]

トータル70分。装飾ゼロ。スタッフの移動さえ隠さないスケルトン舞台。照明もフラット。あるのは床に散乱したペットボトルなどのゴミくずのみと楽器セット。ひとりの女が現われ不意に絶叫。それを合図に10人超のパフォーマーが散らばる。各人の動作は個人的動機の内に自閉しているようで、それぞれ他人の些細な仕草に敏感に小さく反応してもいる。冒頭、姿を見せた大橋は、帝国とは「空気」ではないかと観客に語りかけた。「空気」のごとき何かは風となって、木の葉のようなひとの間をすり抜け、その軌跡はときに躍動する渦と化した。バレエなどと外観は異なるとしても、その場を支配する強烈な統率性は振り付け作品以外の何ものでもない。こうした前半20分の繊細な時間は、伊東篤宏とHIKOの演奏が加わると変容した。轟音と閃光はそれ自体魅力的であるとしても、30分続けば見る側の身体を麻痺させ無能化させる。さながら刺身の舟盛りに激辛カレーをかけて食するごとく。最後に無音の20分、相変わらずの群れは次第に数を減らす。ゴミの紙飛行機が飛び、最後の女2人が客席を通り消えると、代わりに大橋が終了を告げに現われた。 今作で、大橋は3種のチケットを設定し、0円というチケットも用意した。貧困問題に応えるかの仕掛けが、実際、普段劇場に足を運ばない観客を少なからず呼び込んでいた。「生きづらさを感じるあなたたちへ。身体、社会、日本をえぐる。」とのメッセージに、ひとが反応した成果だろう。『ロスジェネ』の浅尾大輔、大澤信亮を招いたイベント「帝国ナイト」も功を奏したようだ。ただし「生きづらさ」の段階から次へ向かう力を観客に与えられたかは、即断できない。アートよりも与えるべきは食事じゃないかとの意見さえ出てきかねない時代の空気もある(新国立劇場で炊き出しをするべきだった、とか)。こうした反響も含めて、社会とアートの交点を考える地平が、この公演から垣間見えてきたのは事実だ。

2008/12/28(日)(木村覚)

安井建築設計事務所《大洋薬品工業新本社》

[愛知県]

安井建築設計事務所の《大洋薬品工業新本社》を訪問。審査員を担当した愛知まちなみ景観賞で紛糾した、擬木による熱帯植物がガラスのアトリウムのなかにあるので、せひ実物を見たいと思った物件。ところが、年末の休みで、ブラインドをおろしていて街並みに見せていない。環境の影響が関係ない、偽物なんだから、もっと見せればいいと思う。それでもガラスに近づくと、植物が偽とわかる。かなりヘンなことを無意識にやっている。真面目なランドスケープからは噴飯ものの手法だが、だからこそ、実は可能性があったはず。

2008/12/29(月)(五十嵐太郎)

西沢大良《駿府教会》

[静岡県]

《駿府教会》は、静岡駅からほど近い線路沿いに建つ、西沢大良による建築。立方体と大きな三角屋根の二つのヴォリュームが並び、外観は簡素だ。窓のない教会は閉鎖的だが、内部に入ると天井から明るい光が降り注ぐ。この手法は、宇都宮のSUMIKAプロジェクトでも用いられている。教会はいわば光に満ちた閉じた箱で、二重の皮膜となっている。両者の間は木造のトラスが組まれることにより、10メートル角の無柱の空間が生まれている。内側の箱は、微妙に間隔が変化させられたパイン材がルーバー上に並び、残響や光の状態を演出する。刻一刻と変化する光の状態により、ルーバーを通じてもれる光の影が、十字の形をつくる瞬間もあると、牧師から聞いた。カトリックのゴシック大聖堂のように劇的に人を驚かせるのではなく、いつも通うことで初めて空間の魅力を体感できるプロテスタントの教会である。

2008/12/29(月)(五十嵐太郎)

EASTERN《西八條邸彩丹》と《紋所の家》

[京都府]

京都にて、高松伸事務所出身のEASTERNの2作品を見学。スリットの家から続く、開口部のデザインを展開し、円窓やマスクとしてのファサードを試みる興味深い建築でした。

2008/12/30(火)(五十嵐太郎)

森田慶一《楽友会館》ほか

[京都府]

大晦日に京都学派の建築ツアー。京都大学とその周辺に点在する、森田慶一、増田友也ほかによる、時流とは違う系譜をつくる濃密な作品群を鑑賞。《湯川記念館》など、森田が古典感覚を維持したオーギュスト・ペレのモダニズムに傾倒していたことがよくわかり興味深い。《楽友会館》はチェコ・キュビスム風の角ばった柱とロマンチックなカーブが共存、《農学部の正門》は微妙な曲線のアーチをもち、分離派の名残も感じる。

2008/12/31(水)(五十嵐太郎)

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