2021年09月15日号
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artscapeレビュー

2009年01月15日号のレビュー/プレビュー

金魚(鈴木ユキオ)『言葉の先』

会期:2008/12/12~2008/12/14

アサヒ・アートスクエア[東京都]

鈴木ユキオは若いダンサーや振付家からいまもっとも尊敬を集めている存在といって過言ではない。会場を眺め渡しその印象を強くする。今作は、彼を含め4人の舞台。メインは彼のソロ。あっちとこっち、どっちにも行こうとして結果どっちにいくか定まらない、そんな拮抗のスリルが腕、足、首など各所で同時発生する。鈴木の身体に表われていたのは既存のスタイルの洗練を目指す類のダンスとは次元を画する高純度のダンスだった。「あっちへ」と「こっちへ」とが共棲する体は、いつも速すぎて遅すぎる。必然として起こるズレ。不意打ちのリズムは、見ないことを許さない力を観客に感じさせた。 後半、一個の身体内部に宿されていた拮抗は、不意に現われた若い男にどつかれることで、外側との拮抗へとスライドする。こうした展開もよい。ただ、タイトルの「言葉の先」が示す意味合いは終始不明確だった。「か・ら・だ」「か・ん・が・え・る」などと鈴木が自分の身体の現状を自己言及的に呟く。と、鈴木の体と言葉の関係がかたどられはする。とはいえ、観客と鈴木の身体との関係、発せられた言葉との関係は曖昧なままであって、観客は鈴木との関係が生まれる手前で取り残された。彼のダンスほどに、鈴木の発話行為が観客にとって明確なポイント(「先」)を示しえなかったのは残念だった。

2008/12/12(金)(木村覚)

時空の街──街の人

会期:11月26日~12月21日

テプコ浅草館1階[東京都]

東京芸大の彫刻科の12人が、上野・浅草界隈の下町文化を支える人たちと交流しながら制作した肖像彫刻展。落語家の古今亭圓菊師匠、浅草芸者の千晶、ほかに、てぬぐい屋、釜めし屋、どぜう屋、刃物屋の旦那衆がずらりと。おもしろいのは、木彫師の横谷光明を木彫で彫った肖像。まさか自分が木目もあらわな彫刻にされるとは思ってもみなかっただろう。

2008/12/12(金)(村田真)

島袋道浩 展:美術の星の人へ

会期:12月12日~3月15日

ワタリウム美術館[東京都]

久々の日本での発表。ジャガイモが海のなかを漂い、魚に突かれる映像《シマブクのフィッシュ・アンド・チップス》、美術関係者に縁のないゴルフの練習場をつくった《やるつもりのなかったことをやってみる》、英語にしないとわからない《タマネギオリオン(Onion Orion)》、屋上に昇って見下ろすと、隣のビルに立っているビルボードの裏にゾウの後ろ姿の写真が見え、「パオ~」と鳴き声も聞こえてくる《象のいる星》など、ベルリンに行ってからもぜんぜん変わってないのがうれしい。やっぱりこれが島袋だ。

2008/12/12(金)(村田真)

氾濫するイメージ──反芸術以後の印刷メディアと美術 1960’sー1970’s

会期:11月5日~1月25日

うらわ美術館[埼玉県]

60年代から70年代の印刷メディアにおける視覚的なイメージを紹介する展覧会。赤瀬川原平、木村恒久、中村宏、つげ義春、タイガー立石、宇野亜喜良、粟津潔、横尾忠則による作品、じつに500点あまりが展示された。政治的・社会的なメッセージが原色によって織り込まれたポスターや表紙、挿絵、絵画、コラージュ写真、漫画などを見ていくと、時代の匂いにむせ返ると同時に、印刷メディア自体が困難を迎えている今となっては、その時代への羨望の念を抱かずにいられない。これからの時代はほんとうに貧しくなってゆくばかりで、気が滅入る。

2008/12/12(金)(福住廉)

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柴田敏雄 展──ランドスケープ

会期:12月13日~2月8日

東京都写真美術館2F展示室[東京都]

1980年代から、ダムサイトやコンクリートの土砂崩れ防止堰などの人工的な構築物を中心に撮影してきた柴田敏雄の、国内では初めての本格的な回顧展。92年に第17回木村伊兵衛写真賞を受賞した時のシリーズ・タイトルが「日本典型」であったことでもわかるように、柴田が被写体とする風景は日本各地どこででも見ることができる見慣れた眺めである。だがそれらが4×5や8×10インチの大判カメラで精密に撮影され、巨大サイズの印画紙にプリントされて展示されると、思っても見なかった感覚が生じてくる。それらがまるで現代美術のインスタレーション作品のような、精妙なバランスで組み上げられた造形物に見えてくるのだ。
今回の展示では、柴田の代名詞ともいえるモノクロームの「ランドスケープ」に加えて、2005年頃から発表されるようになったカラー作品もあわせて観ることができた。「作品」として厳密に構成されたモノクローム作品と比較すると、同じく人工的な「インフラストラクチャー」を題材にしていても、カラー作品ではかなり印象が違ってきている。そこには現実世界のリアルな色彩や触感が生々しく写り込んでおり、風通しのよい開放的な気分があふれていた。モノクロームの風景写真を30年近く続けてきて、柴田の中に「撮影しなかった、落としてきてしまった風景がある」という思いが強まってきたのだという。たしかに「回顧展」には違いないのだが、彼がまだ意欲的に新たな分野にチャレンジしていこうとしていることがよく伝わってくる展示だった。

2008/12/12(金)(飯沢耕太郎)

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