artscapeレビュー

2015年10月15日号のレビュー/プレビュー

代官山フォトフェア

会期:2015/09/25~2015/09/27

代官山ヒルサイドフォーラムほか[東京都]

昨年は「HILLSIDE TERRACE Photo Fair」という名称で開催された日本芸術写真協会(FAPA)主催のイベントが、今回は「代官山フォトフェア」と名前を変えて再出発した。代官山ヒルサイドフォーラムとその近辺の会場を舞台に、EMON PHOTO GALLERY、G/P gallery 、MEM、nap gallery、TARO NASU、YUKA TSURUNO GALLEY、 Taka Ishii Gallery、The Third Gallery Aya、Zen Foto Galleryなど写真作品を扱う日本の代表的なギャラリー20軒が参加し、「フォトブック・サロン」のスペースにはIMA、小宮山書店、MATCH and Company、POST、shashasha、twelvebooksが出品していた。
シルバー・ウィ─クの直後という日程のためか、観客数はあまり伸びなかったようだ(それでも昨年を上回った)。だが、ゆったりと落ち着いた雰囲気で写真や本を見ることができたのはよかったと思う。展示の他にトークセッションやワークショップも開催され、総合型の写真イベントとして着実に育てていこうという意欲が伝わってきた。またFAPA独自の活動として、今年から年2冊のペースでオリジナル編集の写真集を刊行することになり、その第一弾として、石内都が撮影した「遺品」の写真をまとめた『Belongings 遺されたもの』(Case Publishing)が披露されていた。ハードカバーのしっかりした造本の写真集であり、今後の展開が期待できそうだ。
回を重ねていくうちに認知度も高まり、秋の行事として定着していきそうだが、小さくまとまらずに、国際的な情報発信の場となるといいと思う。nap galleryが紹介していた三善チヒロや鶴見幸代の新作のように、既存の写真家だけでなく、これから個展を開催するような新人も積極的に取り上げていってほしいものだ。

2015/09/26(土)(飯沢耕太郎)

インターバウ(1957)

[ドイツ、ベルリン]

最終日はティアガルテンにあるインターバウを25年ぶりに散策した。1957年、グロピウス、アアルト、ヤコブセン、ニーマイヤーらの集合住宅が出現し、最初は博覧会のように見せて、東ドイツ側に未来の生活を誇示した。ドキュメント映画「未来ハウジングの今」(2007)でも描かれていたが、それらをちゃんと現在も活用していることに感心させられる。入口のインフォメーションのパヴィリオンも、バーガーキングとして使われていたが、オリジナルのデザインを尊重し、インテリアにおかしな改変がない。

写真:左上=グロピウス、左中=アアルト、左下=ヤコブセン、右上=ニーマイヤー、右下=パヴィリオン

2015/09/26(土)(五十嵐太郎)

ツォー駅周辺

[ドイツ、ベルリン]

最後はツォー駅周辺のエリアで現代建築を中心にまわる。グリムショウ、ヤーン、ゴットフリート・ベームの作品もあるけど、比べると、旧東サイドの開発の方がインパクトは大きい。ところで、昔は外国でアジアの観光客を見かけると、ほぼ日本人だったが、だんだん韓国人が増え、いまや完全に中国人がメインになった。内向きになった日本人はもうあまり海外に出かけないのだろうか。

写真:上=グリムショウ、中=ヘルムート・ヤーン、下=ベーム

2015/09/26(土)(五十嵐太郎)

吉村和敏『雪の色』

発行所:フォトセレクトブックス

発行日:2015年9月25日

吉村和敏は日本を代表する風景写真家の一人。デビュー作の『プリンス・エドワード島』(講談社、2000年)以来、内外の風景を、光と色の効果を駆使して、ロマンチックに描き出す作品を次々に発表して人気を博してきた。だが一方で、彼は何気ない日常の風景に潜む「繊細な日本の美」をシャープな画像で定着する作品も制作している。今回刊行された『雪の色』は『Sense of Japan』(ノストロ・ボスコ、2009)、『CEMENT』(同、2010)、『SEKISETZ』(丸善出版、2013)といった写真集の系譜に連なるものであり、吉村の写真家としての志の高さがよくあらわれていた。
本書のテーマになっているのは、タイトルから想像できるような雪そのものの色ではなく「雪の中の色」である。降り積もる雪の中を車で走っていると、道路標識、漁船、鳥居、自動販売機、郵便ポスト、バス停、自動車など「カラフルな色」が目の前にあらわれてくる。吉村はそれらを撮影することで、そこに「雪国で、雪や曇りのときだけ現れる不思議な色彩世界」を見出そうとしている。これは、なかなか興味深い視点だと思う。普段は逆に違和感を覚えるような派手な原色の道路標識や郵便ポストが、白い雪の風景に配置されると、いかにも日本的な渋い色味に見えてくるのだ。セメント工場の緻密かつデリケートな美しさを捉えた『CEMENT』もそうだったが、逆転の視点で見直すことで、日本の風景写真に新たな可能性が拓けてくるかもしれない。

2015/09/27(日)(飯沢耕太郎)

被爆70周年 ヒロシマを見つめる三部作 第1部「ライフ=ワーク」

会期:2015/07/18~2015/09/27

広島市現代美術館[広島県]

展示構成のストーリーは大変分かりやすい。
被爆者が描いた「原爆の絵」50点で始まり、シベリア抑留という過酷な経験を芸術的に昇華させた香月泰男と宮崎進の絵画作品が続く序盤は、「当事者の証言」から「体験の内在化、芸術的昇華」へと展開する。この流れは、肉親の被爆死が創作活動と深い関わりを持つ四国五郎と殿敷侃において、残された日記や遺品となった衣服の絵画化として提示され、残された者の行なう喪の作業、ある種の供養としての「記憶の伝承」という面が加えられる。
この、被爆に関連した資料の絵画化・複写、すなわち「アーカイブの表象化」という作業は、中盤の石内都の写真作品においても共通する。ただし、序盤と中盤を決定的に分かつのは、「当事者/非当事者」という分断線である。中盤では、「非当事者による、物語の回復」が展開される。石内は、日常的で、身体性や触覚性を喚起し、持ち主のパーソナルな記憶を宿し、傷ついた身体のメタファーともなり得る衣服(その多くは若い女性が身に付けていたと思われる鮮やかな柄物やワンピースなど)をカラーで自然体に撮ることで、「被爆」という大きな物語から解放し、かつての持ち主が衣服に抱いていたであろう愛着や記憶に眼差しを向けようとする。また、後藤靖香は、劇画調のマンガの表現スタイルを用いて、第二次世界大戦に従軍した若き日の祖父や大叔父、藤田嗣治や宮本三郎といった従軍画家たちの物語を、デフォルメや力強い描線を駆使して大画面に展開する。
終盤では一転して、被爆樹木や路傍の草花の写生を行なった画家たちが召喚され、植物に仮託した「鎮魂と再生」の空間が立ち上げられる。そして、マチエールの追究と膨大な時間をかけた塗り重ねによって、黒一色のミニマルだが豊穣な絵画を制作した村上友晴。
このように本展は、「当事者による生々しい証言」→「体験の内在化、芸術的昇華」→「記憶の伝承」「アーカイブの表象化」→「物語の回復」→「鎮魂と再生」へと至る流れで構成されている。そこに、タイトルが示すように、日課のように「ライフワーク」として生涯取り組んだ仕事や、正規の美術教育を受けていない人による、みずからの生と直結した創作活動の双方が組み込まれているわけだ。個々の作品は、描き込みの密度や、継続性がもたらす圧倒的な物量感と相まって見応えがある。だが、分かりやすく消費可能な「物語」の着地点へと回収してしまうことで、見えなくなっているのは、広島、ひいては日本を取り巻く「現在地点」ではないだろうか。

2015/09/27(日)(高嶋慈)

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