2021年04月15日号
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artscapeレビュー

デュ社(向雲太郎主宰)『ふたつの太陽』

2015年01月15日号

会期:2014/12/05~2014/12/07

吉祥寺シアター[東京都]

大駱駝艦で永らく活躍していた向雲太郎が2012年に脱退し、あらたにグループを結成した。本作はその「デュ社」の旗揚げ公演である。向の祖父が広島で原爆に遭遇した事実を背景に、上演の90分、舞台は1945年8月6日8時15分の広島にひたすらとどまった。黒い床には白い円が描かれ、黒い空間に白い大きな布が垂れ下がっている。タイトルにある「太陽」がそこにあった。向扮する戯画的なマッド・サイエンティストがげらげらと笑いながら怪しげな物体を扱う。爆弾のようなコーラのボトル。酩酊しているように足取りが怪しい。そんな風にして、人間の科学的な進歩の危うさが象徴的に示される。4人の若い男女が現われる。それと1人の中年男性。彼は恐らく、向の祖父だ。祖父は何気ない日常のなかで、その日を迎えた。床の「太陽」の縁に沿って、顔に時計を付けた男がゆっくりと歩く。時計は「8時15分」で止まったままだ。舞台上の人々はゆっくりとその時に向かっていく。そして、その時が来る。そこでの惨状がしかし、比較的静かに描かれる。向はここでは大駱駝艦で培った舞踏の技術的な部分をまったく用いない。舞踏とはいえある種の様式的な美しさを帯びている大駱駝艦とは異なり、ここでのダンスはあいまいでとりとめがない。大駱駝艦であれば「人間とは何か」といった問いが普遍的で抽象的な仕方で高まっていくところだが、向はあくまでも歴史的なあの日あのときにとどまる。そのためには、きっとこの踊りでなければなければならなかったのだ。踊りは、人間への絶望、不満、不信を語る。こんなにいらだっている舞台もないものだと思う。ひとつのピークは、川口隆夫が全裸であらわれた直後、若い4人もまた白い衣服を脱ぎだすと、全員全裸で踊り始めたあたりであったろう。現代人はもっと肉体を肉眼視しなくてはいけないのではないかと最近の川口はよく述べているけれども、そうした思いが向へと伝播したかのような場面だった。裸の男女がゆっくりと絡まりながら床を這いつくばる。まるで丸木位里・俊の絵画《原爆の図》のようだと思いながら、悲惨さと裸体がもつ脆弱さを帯びた美しさに圧倒させられた。本作の真摯な重さは、今日の日本におけるダンス表現としては異例である。ダンスにおける歴史主義とでもいうべきか。そこに簡単に既存の様式性をあてがわないのは勇気がいっただろうが正しい選択だったろう。ダンスが社会にひらかれるということは、それが真摯な思いであればそれだけ、ダンスがそれまでのダンスではいられなくなるということを含むはずだ。ゆえの不安定なあいまいなさまは、ダンスが更新されるのに必要な状態と見るべきだろう。

2014/12/05(金)(木村覚)

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