復帰
2月5日を最後に休刊していた日記を、5月2日を逆さになった日という理由だけで復帰日として再開。この間、何もなかったわけではなく、イロイロあり、今日1日だけでも盛り沢山のことがありました。
明日は「バッタ」を追いかけて柏の葉にでかけます。そのレポートから本復帰とさせていただき、今宵は予告(ごあいさつ)とさせてただきます。
ムービーチェック
これまでの写真に加え、本日よりムービーも掲載する予定です。
artscape編集・齋藤がテストしています。
森所有データからのテストアップ
上海ビエンナーレ会場で取材したジュリアン・オピーの作品。
少しは目新しい要素を加味していかないとね。というわけで今後はインタビューもアップしていく予定です。まずは「夏への扉—マイクロポップの時代」展のために明日から続々と水戸入りする作家たちのコメントからを予定しています。ご期待ください。
搬出完了。
「佐藤卓」展の搬出作業完了。ギャラリーは空っぽになり、架設壁の撤去、壁の色塗りが始まった。つまり、「夏への扉」展に向けて空間が準備される段階に入ったということだ。撤去作業は、明日まで。1日お休みを入れて、23日から施工開始。
今日は、ボランティア・トーカー5期と先輩トーカー諸氏らとの顔合わせ、ならびに、勉強会。90分弱、展覧会について僕が話す。反応は上々。展覧会として成功するといいなと願う。交流会で歓談後、事務所に戻って2時間ほどでまとまった書類を1つ準備する。
21日は大木さんが出力する作品データの選定をかねて来館。22日は田中功起さんが備品調達のために来館。23日からは作品集荷ツアー。確実に仕事の内容が変化し、次のステージに進んでいる。その前、テキスト類の見直しをし、投げないと反映してもらえないことになる。幸いなことにすることメニューのお品書きは目白押し。2月5日まではこの状態が続く。
演劇を見る
いわゆる、展覧会準備に邁進。撤去作業は終わり、搬出が始まる。終末からバラシ。それが終われば仕込み(建て込み)、その最終打ち合わせの数時間前に、展示方法を決めていなかった作品の現場での調整。追加で作ってもらうものを増やす。来週からは作品集荷。それが終わると作家が来館してにぎやかになる。そんな日の夜、演劇部門の公演初日。席をもらって見せてもらう。休憩挟んで2時間ほどの芝居。
忙中閑有
「ひゃ〜〜〜」と思わず言いたくなるほど、つぎからつぎに即時対応案件がこれでもかこれでもかと降って来る。展覧会まで2週間とちょっとの時期ならば当然といえば当然なんだけど。
昨日は夕方から会議を開いてしまったために、誕生日だったスタッフがいたのですが、お祝いの会をできずじまいにしてしまった。そこで1日遅れの「お誕生日おめでとう!」の会を、本日、お茶の時間にみんなあつまって開催。ホット一息。で、電話で現場に引き戻される。
そしてもう一つは夜。クリテリオム69の森太三さんは、昨日の夜、大阪を出発し、車で走って来て、朝9時に到着。着くなりの撤去、撤収作業に取り掛かり、猛ダッシュで片付け、サクッと1日で完了。そこで夕食をかねたお疲れ様会を「アンコウ鍋の会」として決行。食べて飲む。というわけで、忙しくも遊んでしまう私です。
移行期間
一つ目を戻す。
午前中から書類作り。15時締め切りの原稿を1時間遅れで再入稿する。これで完全脱稿だ!その後も、もろもろ事務処理をして21時過ぎに帰宅。今週が終わる。来週からは展示関連。
二つ目を入れて、一つ目が戻る。
昨日に引き続き、一つ目の倍のボリュームの原稿を入れる。無事に受理される。良かった。ホットしたのも束の間、一つ目が戻ってきた。明日の15時までに改訂版をとのこと。やっぱりねと思いながら歯医者。夜、人に会い飲む予定をキャンセルする。
歯は大きく欠けたものの、致命的な箇所ではなかったらしく、詰め物処置で終わり。なんと1回で完治。びっくり。
一つ終える。
抱えていた仕事の一つを終える。といっても傍目には何も変わっていない。個人的に球を投げただけで、すぐに戻ってくるハズだ。しかしだ、一時でも手離れて、別のことが出来わけで、気持ち的には先に進めるようになったことだけでも気持ちが軽くなる。追われていない感覚になれるのが良い。もう一つも明日朝、速攻で投げ込んだら終わる、というか始まる。それまでは、しばしの休憩。
あっという間に夜。
朝、館に入り、午前中は会議。午後から優先順位の高いものから対応していく。不思議なことに一つ終わると二つくらい増えている。ビスケットが増えるのならいいのだが…。
展示会場の架設部分の仕様の確認や、使用器材の種類・台数を確認し、調達についての方向性を探る。集荷についての日程調整をし、スリム化し節約。話すとウン万円が消えていく。そんなタイミングの時期が来た。そもそも展示架設壁の確認作業は、現実に即して修正を加えて減額化を目指すためなのだが、不思議なことに増えていく。財布の力にも限界がある。臨界点の登場が、現場が始まるつつあることを実感させる。臨界点—お金と時間—との戦いの日々となる。
なにかを暴走させたらゲームセットだ。破綻させることなくとんがるにが醍醐味だ。エッジが立ってきたというにはまだ精度に欠ける。展示が見えてきたらますます堰を切ったように、小さな額の必要なモノまでもが飛び出してくる。時間の問題だ。一言ウン万、ウン十万円。しばらくしたら全てが出揃い、目に見える現場が始まる。
遅めの夕食を終わらせ、明後日の予定を考えているときに、今日の大切な予定をすっかり飛ばしてしまった失態に気がつく。アワワワ…。手遅れである。反省。
夕焼け。
気づくと5時近く、夕暮れ時が訪れていた。午前中は日溜りにいると背が暑いほど。気持ちが良い。風は冷たい。
夏への扉に出品する田中功起さんからBCCでメールがはいった。個人的オープニング強化月間とのこと。本当に目白押し。
その1)
ART@AGNES
会期:1月13日(土)14日(日)
こちらはアグネスホテルをつかったアートフェアです。青山目黒のお部屋で作品を見せています。
その2
国立新美術館開館記念展「20世紀美術探検」
オープニング:1月20日(土)
会期:1/21〜3/19
こちらでは50mの会場を使ってパリ滞在中につくったあたらしい作品のなかから厳選した13作品を展示しています。映像と写真と絵画と日用品とビルボードなどが混ざり合ってます。
その3
森美術館「笑い展 現代アートにみつ「おかしみ」の事情」
オープニング:1月26日(金)
会期:1/27〜5/6
こちらでもあたらしいインスタレーションを発表します。規模も大きいです。
その4
水戸芸術館「夏への扉-マイクロポップの時代」
オープニング:2月3日(土)*松井みどりさんのトークもあります。
会期:2/3〜5/6
こちらでは旧作のビデオ8本をあたらしくインスタレーションしなおし、立体作品を追加してます。
以上の展覧会を見ていただくことでぼくがここ3年ぐらいの間になにをやろうとしていたのか(というか作品を発表し始めてから7年ぐらいの間になにを考えてきたのか)をある程度わかりやすく把握していただけるのではないかと思ってます。とくに国立新美術館での展示は、2004年の個展(群馬県立近代美術館)のバージョンアップ版のようになってます。映像や写真やそこに使われているもののそのままさをより切りつめてきているので、なんであるのかはわかりやすくなってきていますが、意味も無意味もなにもなくなってきているように思います。そのぶん、より楽しく見ていただける気もしますが、はてさて。ともかくご興味のあるかたはぜひともこの機会をお見逃しなく、よろしくお願いします。とは田中功起本人の弁なり。
2000年のトークながら小山登美夫の話は興味深い。
今僕は、2月3日オープニングの「夏への扉」展と2月9日オープニングの岡山県美の「東島毅」展の両方を考えないとならない状況にある。カタログの原稿の依頼も受けている。岡山県美には2月17日ギャラリートークにお邪魔する。(どうでもいいことだが、翌18日はこずえホールで藤さんと野村誠さんが関わるステージを見に行くよ。)
「東島毅」展との接点は、僕が彼の作品を含んだ絵画の企画展を1995年に開催しているからだ。
1995年は悩ましい。1月に阪神淡路大地震も3月にオウム・サリン事件があった年だ。
10年を経て僕が手がけている展覧会「夏への扉」はまさに1995年を立ち上がりにするものだ。そんなわけで1995年について調べたり、小山登美夫ギャラリーについて検索したりして、10年の月日が持つ可能性を改めて実感しているわけだ。2007年+10年=2017年の時点で振り返ると、2007年もそれなりに重要なことが芽生え、確認されるのだろう。
「10年の計」を考えてみるのも悪くない。が、「1年の計」を立てるよりも早く、日常が進んでいる。展覧会が2月3日に開き、しばらくして落ち着いたら、ちょっとばかり、考えてみることにする(かな)。だが3年先の2010年のことも見えていない。でも、見えていないから自由に考えることもできるわけだ。個人的には2009年1月終了の展覧会まで4本抱えている身。確かにそこまではリアルだ。既定路線に入る前を思い描く遠目の必要を感じるな。それには情報量が要る。今日のブログに長谷川さんが「文化資本」について論じていたけど、さしずめ「情報資本」かな。2月になって時間が取れるようになったらまた動こう。「情報資本家」になれるようにだ。
強風
強風のため空のホコリやチリが吹き飛ばされ、空が澄み切っている。なんとも透明度の高い空が広がる。夕焼けも美しい。遠くの山形は富士山。
終日自宅でPCに向かい物書き。入ってくるメールと携帯の音が、別の場所で現場が確実に動いてくることを思い出させてくれる。「夏への扉」展の準備が粛々と進んでいる。
ちなみにニュースによるとニューヨークは22度だって。
からだの矯正
雨の降る肌寒い日。午後、柏の方まで、からだを見てもらいに出かけてくる。
ちょっと風邪をひいたらしい。咳こんだときの感じからすると気管支かも。ひどくならないことを願う。
原稿を書く。
終日自宅にて原稿書き。どうにかこうにか目処をつける。すぐにでも渡さないとならないのだが、明日から3連休。しばし寝かしてからと(勝手に)させてもらう。実はもう1本あって、そちらのほうが長く、倍の文字数。連休中になんとかしないと。
明日は膝のための通院。これが結構気持ちよく、体全身のこりもほぐしてもらえる。ウシシ。ちょっとばかり楽しみなのです。
御用はじめ
あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
御用始め。初日からあれやこれやとこなすべきことが多くある。
まぁ、むりもない。一月後には「夏への扉—マイクロポップの時代」が開いている。
スタジオボイス2月号に3見開きの紹介記事が出る。嬉しいスタート。
展覧会の実務は、本当に小さな細々とした用件の積み重ねだ。今は人とモノの移動とそのためのお金の移動の手続きが主な調整事項。構想(企画)が展覧会になるには、人や作品がある場所から移動してきて集結しなくてはならないわけだから無理もない。そして作品を移動させるためには、それぞれに書類を用意し、そのキャッチボールを繰り返すことになる。
御用納め
収蔵庫薫蒸のため、19時には出ないくてはならないのだが、終わらない。お昼間に御用納めの会もあったというのにだ。東京での会議に出るための時間の電車には乗れもせず、大雨警報もあって上京を断念。
同僚と最後の日というので、立ち寄りで一杯。スティックサラダのにんじんをガリとしたら、口の中に硬いものが紛れ込む。
歯が欠けた。それも大きく。前にも1度ある。そのときはガムだった。治療のために予約を入れて完治するまでに数ヶ月とちょっとした金額が要ることになった訳だ。最後の最後になって、歯まで欠けるとは。
今年のブログは今日でおしまい。再開は、御用始めの1月4日。皆さんよいお年をお迎えください。
TAPハウス
TAPハウスでのクリスマス会に20時過ぎに仕事を切り上げ向かう。電車の間が悪く、2時間ちょっとかかって水戸から取手に移動完了。新幹線なら東京から大阪まで移動できる時間を要した。2時間ほどアットホームな和やかなパーティーに参加し、終電で帰宅。
クリスマス
OFF日。つくばに出かけたり、片付けごとをしたり、それなりにちょっとゆっくりと過ごす。
冬の風物詩「こよみのよぶね」
岐阜にたどり着いたのが17時。美術館に寄り、エントランスに敷き詰められたダンボールの床が「川」に変容しているさまを確認し、長良川に向かう。18時から21時。途中、ラーメンを食べに抜けて蒸けたりしながらも、撤収現場まで付き合い、打ち上げに参加し、レジデンスに歩いて移動し夜更かして後、ホテルに入る。午後、東京に戻り銀座に寄って帰宅する。
学芸室で事務仕事
打ち合わせと事務処理が終日。「夏への扉」展の雑誌掲載記事の内容確認のFAXが増えてきた。良い感じ!
事務所と大学
午前中は会議。午後は事務処理。山ほどある。昨日の礼状と資料を送る手配。8月のダンスイベントの日程調整の確認など。近いものから遠いものまで多種多様。そうこうする内に4時。車で茨大に向かうが5分遅刻。講義を終えて事務所に引き帰り事務処理に励む。時間泥棒が居るんじゃないかと思える日々。追われている。
打ち合わせ
「夏への扉」出品作家の泉太郎さんと神仙駅で待ち合わせをしランチをした後、場所を移してお茶をしながら打ち合わせをする。きっちりと準備をしてきてくれていて、話はスムーズに進む。出品作品も展示プランも出来上がっている。基本的には申し分ない。細部の確認をして終わる。
次の打ち合わせに移動する途中、松涛美術館の知り合いの学芸員と道ですれ違い、続いて少し先で路地を入ってきた車が過ぎるのをかわして立ち止まっていたら「森さん」と声をかけらた。トムだった。事務所はもうそことのこと。
僕は今、2月開催の「夏への扉」展(-5月6日)に続いて、8月18日-10月14日の会期予定で「ひびのこづえ—服と人と住まい」の展覧会を開催する準備を進めている。第2部は、「こづえ」展に関する打ち合わせを某企業で終えた後、こづえさんの事務所に場所を移して、打ち合わせ。形になりつつあるも道半ば。まだ見えていない部分が多い。
コンペ
「アートする駐輪ラック」のコンペ審査会があった。
272の応募から1次審査を通過した14作品の公開プレゼンテーションを聞く。みなスーツ姿で美術作品のそれとは違う。応募のガイドラインはきっちり—いや、厳密に吟味されて—死守されていて逸脱感はない。上記写真のプランがある意味確信犯的にOB越えをしていることが段々と分かってくる。審査員をしていた千葉学さんと西沢立衛さんに会えたのがよかった。デザインの視点からはインダストリアルデザイナーで法政大学教授である大島礼冶先生からの発言。僕はアート側の人間としてゆるーいコメント。勉強になったのは僕かもしれない。横浜でそんな半日を過ごした。
330人の第九と160人のパーティー
第九のリハーサル風景。
330人による第九のためのリハーサルが広場でなされていた日の夜、部門主催でパーティーを開いた。僕たちはその世話人。逢坂監督が水戸を12月末で離れるための「送り出す会」には160人ほどの人が出席された。柔らかな和やかな会となった。
その会を終えた後、ワークショップルームに実は用意してあった映像をスタッフで見る。「ジェニー・ホルツアー」から「ダークサイドからの逃走」まで。ホルツアー、タレル、カバコフ、オノ・ヨーコと大物大型の個展が連なる展覧会の業績に改めて脱帽。
「夏への扉—マイクロポップの時代」広報物納品
夏への扉—マイクロポップの時代のポスターが納品となる。めでたしめでたし。ぐっと展覧会がまじかに迫っている感覚がリアルに増す。
ポスターの納品後、検品し、刷り上りを確認。定例部門会議があり、引き継き小さな会議をして遅めのランチ。戻ってあれやこれやしている間に4時が迫る。ここ数年来、茨城大学での集中講義を担当していて、冬の時期にそれが当たる。その初日が今日。5限目は4時20分から。館から車であたふたと出かけ、まぁ講義をし、戻り、ここの数日すれ違いの続いたベルリン在住の「夏への扉」展出品作家に電話をし、この間メールでやり取りしていことの確認をする。やはり最後は言葉を交わさないといけない。間違いを回避するための鉄則。その後、また小さな会議に出て21時近くに仕事を終える。佐藤卓展のサイトを担当している旧知のトムが取材のため水戸泊まり。彼がスタッフと食事をして和んでいる場所に合流し、じつに他愛もない会話で笑う。楽しい時間をしばしともにし旧友を暖め、終電に乗る。
青森の長谷川の御仁が諸般都合で日記を休載するとの宣言が、年の暮れらしく総括とともに今日出ていた。こもるらしい。
■業務連絡:了解です。いい本を書いてください。期待してます。当方、業務多忙につき、10日までに雪の青森を訪ねることができず失礼しました。脱稿後の復帰楽しみにしております。前回の二学期とともに復帰したタイミングの鮮やかさには惚れ惚れしました。当方は復帰の期を逸し、出遅れました。今月は順調です、脱稿すべき原稿が山ほどあるせいかもしれません。あたしも本当はモードを切り替え、こもる必要があるのですが、状況がそれを許さず、打ち合わせの日々を過ごしております。お体おきをつけください。以上)
あわせて書いておくと、長谷川日記同様に欠かさずチェックする楽しみな藤浩志ブログは、ちょと油断すると数日前の写真がそっくり入れ替えられて拡充していたり、加筆修正されていたりと侮れない。油断大敵なブログであると同時にそのサプライズがとても楽しい。ブログでのドキュメントの可能性を試している感覚なのだろうと思う。
幸せな時間。
昨日に続いて、ボランティア・トーカーの研修を終えた方々の午前と午後の面接に同席する。
その間のお昼を終えた13時から14時30分までの90分は、芸術・文化に携わる者、そして芸術・文化を愛好する人々にとって幸福な時間があった。
1937年に制定され、その第1回文化勲章受章者である横山大観が学んだ小学校跡地に建つ水戸芸術館会議場において、水戸室内オーストラ定期公演のために来水している小澤征爾氏、1996年文化勲章受章者の森英恵当財団理事長ほか、綺羅星ごとく多数の来賓が列席する中開催された、「吉田秀和水戸芸術館館長の文化勲章受章をお祝いする会」で館長のとてもすてきなスピーチを聞けたことだ。
雨降る肌寒い水戸ではあったが、出席されたお客さは心温かな気持ちでお帰りになられたことと思う。館長の受章はもとより、今日のような会が持てたことを館員として誇りに思い、喜しく思う。僕自身も晴れがましい気持ちのおすそ分けをいただき、とても幸せな気持ちになった。
大げさな意味でなく、多くの支援者が集い開催されたこのひと時が、いかに貴重で尊いか、改めて思わせてくれたのが、今日の日本経済新聞の文化欄の「指定管理者制度」に関する記事であった。その記事内容は、存在する問題、そこにある現実の輪郭をかなりきっちり伝えているものだと思う。
美術館は社会において単体で存在しているものではない。美術館へのダメージは、広く深くアート界、そしてアートそのものの質の問題へ広がっていくものだと思う。記事には「『学芸』の質 維持 手探り」と太い見出しが入っている。失った質は、質の維持にかかるコスト以上の負担をしなければ回復しない。システムの分断が、見えないコスト負担を増大させる結果につながる危惧を持つ。
広島市現代美術館の公募に敗れた吉本興業の担当者のコメントは注目に値する。それは経済の市場原理に合っていないシステムであることを伝えるものだ。事実そのような状況下で獲得した財団の職員として副館長をつとめる小松崎氏のコメントが今ある実情を伝えている。誰も幸せにしない。
教育問題における学校と同じで、教育現場のダメージは、学校だけの問題にとどまりはしない。美術館の問題も変わらない。急速に魅力を欠く国になっていっているような気がしてならない。気がついてみたら貧しさだけが残ったようなことにはならないようにしないと、と思う。
青木淳さんと会う。
午後2時30分まで水戸芸でボランティア研修を終えたかたがたとの面接に同席し、渋谷での5時からのインタビューに向かう。松井みどりさんへのインタビューでパルコ出版社から展覧会にあわせて刊行する準備をすすめている書籍に収録するためのものだ。90分間の濃密な時間を過ごす。ちょっと素敵な時間となり、このために水戸からあわてて出かけてきたかいがあるというものだ。
インタビューを終えてゆっくりすることもなく、渋谷から浜松町に移動。もろもろあって出かけれないと思っていたERCO TOTOでの青木淳さんの講演会に、東京に出てきたわけだからと、お話が聞けないことを承知で会場に向かう。
終了3分前に会場入り写したアリバイのような写真。まぁ、懇談会には間に合ったというわけだ。
青木さんに以前、大阪での個展見てきましたよとメールしておいたら、その感想はと返信をもらっていたのに返せずにいたので、これ幸いと勝手な感想をお伝えする。そのやり取りは、これまた僕にはちょっとばかりいい時間となった。
青木 淳"taro nasu bambi" は、2007年1月28日(日)までの金〜日(12:00-19:00)に見ることができる。撮影:2006.11.17
そんなこんなで夕食をとる間もなかったので、上野駅構内の立ち食いそば屋でたぬきそばを5分でかきこみ最終の特急に乗る。懇談会会場でいただいたおいしいワインのあとのソバも悪くない。
トムと会う
アートスケープの最初期を共にした、WEBディレクターとして今や大活躍のトムと会う。開催中の佐藤卓氏のホームページを手がけていたのが彼のチームだったとは知らなかった。そのサイトにアップする企画もののためのロケハンに来たという。来週が本収録ロケで水戸に一泊するという。ならばアンコウ鍋で一杯しないわけにはいかない。あっさりと楽しみな企画が決定。
球体がくるくる回るこのページのデザインをしていたのがトム。1997年ちょうど10年前。来年の6月に僕たちはヴェニス・ビエンナーレとドクメンタとミュンスターがいっせいにオープンする10年に一度のときを再び迎える。
各展覧会の一般公開初日は確かヴェニス・ビエンナーレが6月10日、ドクメンタが6月16日、ミュンスターが6月17日だ。
前回僕は、この逆の順番で周り、そのままスペインに建築展の調査に行った事を思い出す。
ちょうど12月7日から10日まで、マイアミビチのアートフェアーの時期だけど、昨今、雑誌でも記事になり注目をあつめているアートフェアー。なかでも有名なバーゼルのアートフェアーは6月13日から17日。来年年6月はアートピープルの世界規模の旅の時期となるだろう。
市村さんと日に2回会う。
企業協賛の依頼に某社を尋ねる。良く知るメセナ担当者が市村さんがこの前の打ち合わせで来ていると話題にしていたら、市村さんが次の会議(つまりぼくらの陳情)に出席する上席者の担当者と会議室を覗いてくれた。ほんの数分の立ち話しを交わす。ちょっと久しぶり故、事情が飲み込めないまま、施設管理業務で忙しいらいことは分かった。これが午前中のこと。
妙に暖かな日だったのでランチは外のテラスでとることにした。人になれた鯉の魚影。
そして午後の後半、資生堂が主催する「アート トーク ギンザ」に出席したら、壇上に市村さんが居た。この会場で資料として配布されたパフレットをみて、ANJの活動を理解し、朝、市村さんが口にしていたことを理解する。
夏への扉展の広報印刷物の責了を夜の21時に終える。刷りは6,7日。紙つごうで乾かしに3日要し、納品は12日。14日から発送作業。週明け後半にはイメージが届きはじめることだろう。「夏への扉—マイクロポップの時代」展、なんだかんだと話題になってくれるといいなと願う。
コチョウザメ
物書きのために時間を空けたにもかかわらず、なんだかんだとこまごましたことをしてすごす。そのなかの一番のトピックといえば、コチョウザメだろう。近くの金魚屋で2匹買って来て、彼らだけを大き目の水槽に入れた。ゆらゆらと泳いでいる様をみているとちょっと楽しい。水槽が彼らの成長の限界を用意するとは店主の言。泳げなくからそれ以上には育たない。あれ?サメ類は泳げなくなったら死ぬんじゃなかったけ?ジンベーサメにくらべたらメダカほど。今のところ15cm強のサイズだが、どれくらいまでは育つのだろう。その前に留守をする予定の年末年始の間の世話をどうしたらいいか、聞いてくるのを忘れてしまった。ペットショップみたいに預かってくれるのだろうか?
「夏への扉—マイクロポップの時代」のリリースの発送業務が行われ、来週中には関係者の手元に届く予定。いろいろと引き合いがあるといいが、2月3日初日なれど、年末年始で実営業日があるようでなく、残りあと40日ほど。あれやこれやと入り組み始めている。
19日は取手に行こう!
TAP2006
今日は、宣伝!
取手アートプロジェクト2006。
取手市内戸頭地区「旧終末処理場」をベース会場にし、市内各所にて開催中の今年のTAP2006は必見もの。
19日は「あーだ・こーだ・けーだパーティー」イベントもあり。26日はファイナルイベントあり。18-19、23-24-25-26とあと6日のみの開催。迷わずGO!
終末処理場のヤノベ作品《Flora》
取手駅前インフォメーションセンター
取手駅前東口j改札を出て左、キオスク隣
古平デザインのインフォメーションキットがはいった袋を忘れずにGET!
チャップリンとアドルフ
朝顔の種収穫祭の1次会を終え、2次会に持ち寄りで集う先に移動する。コンビニでまさに大人買いするJCの面々とレジが終わるまで店で待っていると、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」は名作だよなと棚に並ぶコミック誌の好評がはじまった。上下巻で1250ページ、1600円なり。飯屋屋で手にしたことはあるが持っていないのでレジに並び購入。
ひさしびりのお休みに、午後からのんびりと「アドルフに告ぐ」を読み始め読破。
そんな昼をすごした夜に、喜劇王チャップリンのNHKの特集番組を見る。彼の才能、彼の生い立ち、彼の苦悩が浮き彫りにするその番組の後半は、同年同月(1889年4月)に生まれたヒットラーとの対決に挑んだチャップリンの「独裁者」についてであった。
アメリカを追放されていたチャップリンは、1972年、20年ぶりにアカデミー特別功労賞を受賞する。この5年後1977年に亡くなった。ダンスシーンから問題となった「独裁者」ヒンケルの6分間の台詞を遠い昔、英文問題で読んだこともあったことも思い出しながら、「自由」を生涯追い求めた彼の偉業に浸った。
ぽっかりとあいた空白のような一日は、期せずしてちょと満足できる1日として過ごせたように思う。
手塚治虫も完璧を求めて試行錯誤したことを、最近刊行された「手塚治虫原画の秘密」(新潮社)を手にすることで知ることができる。チャップリンの特集も彼が完成を求めて探求した理想への試行錯誤を見せてくれるものであった。天才たちの探求力に脱帽する。
20年ぶり
上海初日
2時間ほど寝てからトランクに荷物を投げ込みバスで成田に向かう。空港のラウンジで見かけた俳優の中井貴一さんと同じフライトだった。17元のバスでのんびりと市内に入り、新世界最寄のクラッシクホテルにはそこから初乗りでタクシー。
一息入れてタクシーで肩慣らし(目ならし)に「M50」に向かう。
上の写真はその入り口にあるカフェの外壁に掲げられていた石のプレート。
下の写真はそのエリアの立体マップ。
シュアーな画廊ShanghARTから美大のアトリエのような空間までが軒を連ねる。ここだけでかなり満腹することができる。軽い夕食を済ませ、早めの床につき熟睡。
一本の注射
8月末に作業中、右膝部分をいためた。そのうち直るだろうとその軽い痛みを気にしながら放置していたら、いつの間に歩行も下手になり階段の下りは勘弁してくれて、上りもきつい、そんな右足の男になってしまっていた。近くの整形外科に行ってみたが気休めにもならない診断を受けさっさと辞し、評判の整体治療師のもとに2回。左右の足が4センチずれているといわれて骨盤のゆがみを直してもらい、軽くなったものの、ちょっとまたきつくなったので再び訪れで鍼を打つ。確かに軽くなったものの痛い場所はそのまま、歩行の不安があるのでぎこちないまま。
こうなったらお世話になっている知り合いのスポーツをする人が言っていた愛知にあるスポーツ医療センター(そんなような名称のところ)に行くしかないかもと、芸術館のスタッフとランチをしながら話をしていたら、なんと水戸にも腕のたつ整形外科がある!とのこと。やっとめぐり合ったか、重要情報にと歓喜。連絡先をしっかりと受け取る。
それを聞いた翌日の今日、お休みなので取り急ぎ朝一番で診察に行く。あっという間に確信感ある診断。実力のある医師はすばらしい。躊躇せず膝裏の筋肉に注射を1本。すっかりそれで楽になり、階段の上り下りも見た目にもスムーズになった。
先生曰く、「ここ(僕のところ)に来てよかった。」それは僕のセリフです。
明日から上海・釜山・光州・ソウルと展覧会の調査に出かけるが、滑り込みセーフ。どうやら膝に爆弾を抱えた不安を解消して行かれそう。戻ったら再診を受けに行くことになっている。そんな必要がいらないほどに完治していたらいいが、しばらくはもってほしいと正直願っている。
手すりのありがたさ、エレベータやエスカレータのありがたさを知った数十日間だった。
朗報
欲しいと思っていて、いったん無理となったものが、僕のところに回わせる旨の連絡が入る。いちもにもなくお願いする。
足(膝)の事といい、ちょっとうれしいコトが続いた。そんな日もあっていい。感謝。
全館停電
電気施設の保全点検(だったと思う)で全館停電。よって、完全営業停止日。でも施設管理の事務職スタッフは、それゆえに当然出社。お疲れ様です。
京都造形大学
クリストの講演会が10月28日の京都造形大学を皮切りに、横浜や目黒や北海道といった国内各所で予定されている。その招聘元である京都造形にてクリストに関するお話をするために呼ばれて出かける。アンブレラをクリスト夫妻が実施したときに、展覧会を担当したからだ。あれから10数年。月日の経つのは本当に早い。
1週間前に水戸芸術館でのCACトーカーのための研究レクチャーに来ていただいた福のりこさんやバッタの設営で2日前に水戸でお世話になった椿昇さんと食事をする。彼らは京都造形大学の先生達。
講師控え室に戻ったら、やはりここで先生をしている藤本由紀夫さんが講義日で来てたからと顔を出してくれて、ちょっと嬉かった。
バッタ撤収
2日目の公開を終えて16時からの撤収作業。きれいにたたまれる前の顔の部分。
細いロープ状にまで小さくしてから、40人近い人手で運び入れる。作業が終了した頃には日はとっぷりと暮れて真っ暗。
みなさんお疲れ様でした!
ライフ展も本日で終了。明日からは撤去が始まる。
巨大バッタ秋の空
秋空のもと、久しぶりに巨大バッタを展開する。
常磐線のダイヤの乱れ
先日の雨のために、朝から常磐線が不通状態。東京に出ていたスタッフは尺取虫状態の常磐線に閉じ込められたかたちになり4時間以上かけて辿りつた。
夏への扉展のために会場下見に入る予定であった、2作家のうち、1作家は東京駅で断念してもらい仕切りなおしに、もう一人は行って帰ってもまだあまるくらいの時間をかけて会場に来てくれた。打ち合わせをして茶の間で食事をする。
土浦の花火大会も河川敷の水嵩が引かないため14日に延期となった。
パスポートの申請
パスポートの期限が残り3ヶ月ちょっとになっていたので、10年パスポートの申請に行く。けっこう費用がかかもんだ。
久しぶりに見たパスポートに残る旅の記録が、記憶を思い起こさせる。国内旅行よりも海外旅行のほうがお安いことがままあるご時勢ならが、その恩恵にあずかることも少ないなと改めて思う。
お菓子の箱
江東区深川森下地区の印刷会社での刷り出し立ち会いに出かける。
その会社で見つけた「お菓子の箱」。なくなると補充する、富山の薬売り方式である。残業者が購入するので、夜になると無くなるとは案内をしてもらった方の弁。楽しい置物だ。
で、肝心の刷り出しは順調に進む。20時前には予定する8台の確認をきっちり終えて、速攻、大衆酒場「魚三」に向かい、ささやかな打ち上げ。
後は無事の納品を待つだけ。30日午後必着とのこと。ちょと楽しみ。
夜は、朦朧とするなかサッカーを見る。深夜、TAP2006の募集ポスター案がメールで届く。
また今年も咲いた
今年も綺麗な花を咲かせてくれた。
また今年も咲いた
今年も綺麗な花を咲かせてくれた。
段ボックス展
明日の京成百貨店のグランドオープンから21日まで7階催事場で公開です。
段ボックス
京成百貨店での日比野克彦展の準備が順調に進む。ブロックに組み上がった状態。12日にH+Hでこれに色をつけていく。
三分咲き
水戸駅にて。偕楽園の梅が三分咲きになったそうだ。今年はいつ行けるかな?
二分咲き
週末は梅見に出かけてくる人を多く見かけるようになった。でも梅はまだ二分咲き。見頃はもう少し先かな。梅の香りは好きですね。
段ボックス・初日
700個の箱造りの初日。水貼りテープで留めていく。45×45×45cm。旧水戸京成百貨店の8階催事場での作業。昨年の東水ビルの光景を思い出す。そう、これは日比野さんの作品となるのです。お披露目は3月17日から。新京成百貨店のグランドオープンの日から21日まで。7階催事場にて。21日には日比野克彦サイン会もあります。
遅い梅の開花。
水戸駅構内に出ている、梅の開花情報。まだ一分咲き。例年に比べると遅い。それでも良い香りを放っている。
肌寒い一日。午前中は会議。午後は作家の訪問があり、がっちりした打ち合わせをし、方針を確認する。夕方、神尾さんが訪ねてくれて、3月1日からはじまる、京成での日比野展のための準備や段取りにつてい確認をしあう。夜は約束のTV「ホワイトハウス#4」を真剣に観て楽しむ。
YS-11
鹿児島空港でのYS-11。YS-11と言えば、僕にとっては野村仁。ギャラリーに尾翼を2羽展示したことを思い出します。どうやら現役での運行は今年までらしい。お疲れ様です。
かっこいい。
九州の特急車輛デザインは、惹かれる魅力を持っている。
モップ
ギャラリーに「モップ」。展示風景でも展示作品でもなく、掃除に使っているモップ。モップも作品の気分を味わっているのかも。休憩中。いや、緊張しているのかも。
日比野克彦の一人万博の日々
リトルモア地下で同展覧会始まる。3月12日まで。カメラマン・竹内裕二写真展です。写真集も発売になった。タイトルは「YESTERDAY TODAY TOMORROW」
避雷針に鳥
鳥が避雷針で一休みするのを、一休み中に撮影。終日自宅でPCの前の人として過ごす。
撤去完了
長い廊下場のギャラリーが姿を現す。日比野展いらい久しぶりの眺め。
水戸の午後4時10分頃
今日は水戸芸の庭から。
空き間に見えた空
渋谷駅から待ち合わせ場所に向かう途中、突然視界が開けて青空と雲が目に飛び込んできた。あっ、そうか。ビルが解体されて、次を待つ間の生まれた隙間なんだ。僕は空き地ならず、空き空間に出会った。夜は冷たい強い風が吹いた日の午後3時少し前の時間だった。
筑波の雲
筑波の空にあった雲。だからといって特別な意味がるわけじゃない。今日はこれ!と思ったしだい。
2月11日オープン
表参道ヒルズ。ここは横に長が〜い。
3月17日オープン
窓ガラスに芸術館の塔が映る。庭に面した水戸京成百貨店が「京成百貨店」と改名し新店舗に移転してのグランドオープン。この7階催事場に、オープニング時に日比野さんが○○○する。
雨
雨に濡れるホームを撮っていたら貨物列車が走り抜けていった。たまにはこんな感じでと採用を決定。
休館日
芝の養生のためにあった囲いロープと杭が外されて、妙にスッキリと見えた休館日の芸術館の庭。学芸員室ではしゃかりきになって、次回展覧会の準備が繰り広げられているが、その部分は外からでは見えない。明日で1月がもう終わり、今年も1/12が終わった。
29日に撮影したデータをうっかり消していたことに気づく。手帳にデータ番号だけが撮影日の欄に残る。ふー。毎度のことながらちょっと残念。それなりに良い写真が何枚かあったのに。
チラシが並ぶ
駅で見つけた次回展のチラシ。早い早い。印刷上がり発送手配を考えるとタイムラグなしで並んでいる。ちょっと感動!
招待状の発送作業。
生存競争
羽化したばかりのギンヤンマがオニヤンマのヤゴの餌食に。なんということでしょう。
あっと言う間の出来事でした。
会場下見
会場下見中の日比野克彦氏。場所は3月17日グランドオープンする京成百貨店7階催事場。
1時間ほどの下見の後、さらさらとプランを図に書き起こす日比野克彦氏。
ヤゴからギンヤンマ
頭痛
定番の「芸術館」。
終日、芸術館で午前中会議、午後は書類・テキスト書き。めずらしく頭が痛くなり薬をもらって飲む。と書くほどに日頃薬を口にしないので、飲んだ途端に効いたように思えるほど楽になるも、そそくさと帰宅。なんと痛みに弱いことだろう。さすがに自分のことなので、今知ったことではないけれどね。イタイのはダメです。はい。
そんな薬を飲む前に、アタマ痛いので気分転換にショップに行く、と、ショップでTAPインターン生の一人と遭遇。立ち話しながらフォーラムのことや報告書のことやそれに参加できる僕の日程を伝えつつ、もろもろ託す。
何事もマンネリ打破が肝要で、新機軸が必要だけど、それが必要だと突拍子もなく聞こえることを言い出すと、時には傍若無人な振る舞いや暴言のように受け取られたりもするが、その時に聞いた人がそんなバカなとおもいながらおもしろがって興味をちらっとでも示してくれたOK。それくらい大風呂敷で意欲的な新しい立ち位置でコトにあたらないと、する側も見る側もそして参加する側も盛り上がらない。
活性化のために必要な人材として「若者・馬鹿者・余所者」と呪文のように口にされることが多いけど、どっぷりの当事者自身がそれが出来たら一番の改革だし、説得力もあるのだろうにと思うのです。でも、でもです、余所者ゆえに出来ることが/もあるのはこれまた確か!
話を戻すけど、持ち帰った彼が伝えた何某かが、間接的にでも、彼ら自身が感じているマンネリ感を払拭するためのアプローチのキッカケを掴んでくれた面白いと思う。
たぶんに企画の根っこは、なにがしの「面白い」がエンジンにないとならんだろうとは確信している。そのためにも元気でいないと、心身共に。明日は頭が痛くありませんように!
号外
日没。冷たい強い風が吹いた1日。お陰で富士山がくっきり。
別側から見える湖面は風で波立ち、色が変わっている。
風の強さにブルーギルも驚いていることだろう。たぶん。
そんな湖面下の魚以上に驚いて手にしたのが「号外」。
夕方都心に出かけての帰り、有楽町駅に向かう途中、「逮捕」の二文字のおどる号外をみる。
知り合いに電話したら、『特番組んでの放送で、追っかけのヘリコプターまで出てのリポート』と聞いて、さらに驚く。
駅に並ぶスポーツ紙の見出しに「出頭」の文字をみたのが数時間前。
社会的事件の展開の早さに、いろんな意味で驚く。
このあとはどんなことに驚くことになるんだろう。
晴れる。
一夜明けて快晴。昨日はこんな感じ。
予定を昨日のうちにキャンセルしているので、終日自宅。ゆっくり目の起床。で、髪を切ることを思い立つ。電話をすると運良くキャンセルがあり夕方に予約がとれる。昨年は3ミリの坊主頭にしていて、秋になって伸ばしはじめてからは水戸駅の1000円カットで済ませてきた。切り終わると掃除機(つまり吸い取りですね)を頭にされる。10分と早いのはいいのだが、2回行き、収拾のつなかい髪型になってきていたので、そろそろと思い以前にお世話になっていたお店でシャンプーとカットをしてもらう。なんとも至福のシャンプー、要領を得た気の利いたカット。満足。
基本は、まだお隠りモードでPCの前の人であらねばならず、髪を切りに出たのも気分転換を兼ねて。(でも昔より髪の毛の都合で、選択肢が減ったのが悲しい。)
にもかかわらず、さらに日中は、長期模様替え計画の2回目を敢行。書棚1本を移動。床やテーブルにあふれ出した本のために書棚を注文する。到着は1週間ちょい先。
それでも雪が全て消えることはなく、まだまだ残っていて街が白い。
水戸も雪
センター試験日に、お約束のように雪。ふしぎなものだ。
明日は晴れるかもしれないけど、クルマを出して予定する千葉方面に走る気にならず、そそくさと午前中にキャンセルの電話を先方にする。もうこれで、天候によってどうするか悩まなくてすむ。
地震はなかったけど、11年目の17日は証券界が揺れた。ホリエモン・ショックも一服感。
もらいもの
にんじんを頂く。ジュースにするための特約農家生とのこと。
芸術館前の京成デパートが50号の反対側に3月に移転するために、閉館セールを始めた。
新しい店舗は、近隣では最大の売り場面積とのこと。
オープニングの企画として日比野克彦さんに何かしてとお願いする京成との窓口をしている。明日に予定してた会場下見は、日比野さん都合で27日に延期。
日の出前
日の出前に赤く燃えるまだくらい空。
昨夜も遅い帰りのためブログの更新はせず、チェックだけで早々に寝た。お陰で続いた睡眠不足も解消されたようで、目覚ましもかけていないに5時台に目を覚ます。久しぶりに太陽が顔を出すのを待つ。
終日、芸術館。朝、手帳を見直して、忘れていた要件やしないとならないことをきっちり思い出す。館には、ポスターの再校が届いていたり、チケットの校正が上がっていたりする。
夜は昨年ながれた忘年会の仕切り直しの新年会。終電に揺られて帰る車中、思い出し気になったことを忘れないうちにと長々と書いてメールしたりもするが、基本的にはうつらうつらしながらの帰還。
校正到着
雨が上がり、快晴であたたかな1日。遅延する電車を待つホームにて。
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校正が届く。確認をしつつ、夕方までに戻す。
今日も終日、台割りつくり。全ページの台割り案を確定させて、見積もり依頼のための書類をつくる。その一方で、前半部分の図版ページが、取り敢えず入れただけとは言え、写真が入ったものがメールでデザイナーから届く。
なるほど、こんな感じか〜。トリミングのためのフレームの縦横比率の一考をお願いし、さらに複数枚の写真と文字が入る構成ページの段組の探りをお願いする。
どうにか図面に当たる基本の台割りが完成。手直ししつつ、必要な文字原稿の確認と調達、執筆をしないと。やっと登山口に差し掛かったところ。
しかし、明日から出張が続く。明日は福岡で翌日が鹿児島霧島アートの森。一旦帰宅し、翌日は東京。1月も折り返し点を過ぎ、あっと言う間に2月。これまた2月は数日少ないだけにもかかわらず、やけに短い感じが毎年する。2月中下旬には再度、霧島アートの森に。その時は、作品を借りてくる。
ポスター等の戻しは明日、再校がもう一度出る予定。もう少しで「人間の未来へ」展もカタログの進行がぼちぼち始まる。
気づいてみると数冊同時進行中。でも一番は「日比野克彦の一人万博」展の記録集の編纂。リトルモアから出版される同「写真集」は2月中旬配本予定。「記録集」も下旬には何とかしたいところ。ね、やっぱり2から3日短いことが大変な意味を持つ。今回は覚悟してPC持ち歩きの巻のようにも思うけど、出来たためしがない。気休め保険としても良いけど、台割りは持ち歩き、必要な文字要素を考えて下準備だけはしておかないと。
雨。
久しぶりに強い雨が降る。霞む画面が雨の強さを示す。ライトアップは1月15日(明日)まで!
今月は土日当番勤務が3週末連続(22日はお休み)と過密に集中する。これも当番日を交代しあってやりくりするため。基本は5週に1回。
記録集のためのテキストを書いたり、それにまつわる諸々をして終日過ごす。忙しくも穏やかな1日。
帰り道、駅のホームで屋根にあたる雨音を耳にしながら、「音で見る」意識を思う。理由はハッキリしている。第20回平行芸術展「崩落の記譜法」展のカタログに峯村敏明先生のテキストを日中、目にしたためだ。昨日の最終講義でも「響き」がテーマになっていた。
11月19日に書き上げ寄稿されたテキストでは、軽く触れる程度で終わっている。以下がその下りである。
『—— (前段略)——
もちろん、美術作品は見られるべきものである、と、一応信じられているから、食い違いの度合いは少ないように見える。私はちょっと違う考えをもっていて、視覚芸術といえども、見るだけでなく、響きと照応を感じることができなければ大した鑑賞にはならないと思うのだが、それを言い出すと話が込み入ってしまうので、ここではそうした「感じる」も「見る」のうちに含めることにして、“一応”、美術作品とは見られるものとして特化されている、ということに同意しよう。
しかしながら、見られるべき美術作品を、私たちは本当に見ているのだろうか。(以下、略)』
とある。
控え目ながら、一言申し添えておきたいとする強い意志を感じさせる。これ以降は、崩落について、マネを主題に論を進めていき、「響き」のことはまるで忘れてしまったかのようになっている。
しかし、この一文にここまで自分が反応するのも、最終講義を聴いたからである。この続きを読むか、聞くかできる時が、遠くなくあるといいなと想い願う。
その前にまだいけていないギャラリーGANにて1月21日まで開催中の「峯村敏明作品展——響きと照応」展(あれ、そのままが展覧会タイトルになっている!)に行かないと。
明日は、次回展「人間の未来へ——ダークサイドからの逃走」 (2006年2月25日(土)→5月7日(日) 、企画:逢坂恵理子(水戸芸術館現代美術センター芸術監督) フォトジャーナリストの写真と、彫刻、映像作品を組み合わせ、混沌とした今日の世界における「人間の尊厳」を問いかける展覧会。 米・英・韓・日等から13人のアーティストが参加。)のポスターの校正刷りが届く。
最終講義
峯村敏明教授の最終講義風景。
70歳の誕生日(13日)を迎えた峯村芳明教授。退職記念パティーでの挨拶シーン。
お終い。
ランチの帰り道。左奧の紅白の塔がNTTの電波塔(のはず)。この塔のお陰で芸術館の塔は照明灯(ランプ)なしですみました。いまさらながら感謝です。
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レッドが眩しい。なんとも潔いど真ん中な表記の表紙。一言「おしまい。」とは!
幕を閉じる(廃刊する)ことへの強い言葉にしえない思い(意志)を感じませんか。
『アイデア』の2006.1号314をミュージアム・ショップでみつけて買う。
グラフィックデザインとタイポグラフィの雑誌エミグレ(Emigre Magazine)の特集。創刊1984年。写真は2005年冬、最終巻号69号の表紙。
僕は、今日も記録集の編纂作業。これはまだまだ終わらない。
でも別進行の展覧会のポスター等の入稿は完了し、15日に色校着予定。
明日は、午前中「記録集」のためにカメラマンとデザイナーと渋谷で打ち合わせの後、美術評論家・峯村敏明氏の大学での最終講義の聴講に行き、あわせて八王子でのパーティーに出席。
そう言えば、その司会をすることになっていた。スーツじゃなくてもいいですよね。マズイかな〜。
テーブルを広くすると広くした分、本やら書類やら増える。あの法則で部屋(事務所)を広くしたら仕事が増えるのではと考えた建築家がいて、その気付きを寄稿しているのを読んだことがり、それなら試しに手帳を大きくしたらどうだろと、昨年から大きくしてみました。今のところ目立った変化なし。書き込みスペースが増えて便利ただけはしてますが、その他効果の程の実感はなし。
このことで確かに!と思ったのはおズボン。ちょっとだっぶとしたデザインのズボンをこの間お気に入りで愛用していたら、すっかり躰は育ちました。で、スーツが………ちょっと小さくなってしまいました。だからなんです、ぼやいているのは。
それから一つ、ちょっと真面目な情報。
【ネットTAM メールニュース】20号が配信されてきました。タイムリーで秀逸な特集がありました。「指定管理者制度」のリンク集。」です。
この新しい運営方式が功を奏するのかどうか、文化事業にとって丁半決まるのは、早くて3年、長くて5年後。さてどうなることでしょう。いろいろと終わっていたり、終わらなかってみたりするのでしょう。それにしても、適正な文化施設の運営イメージとはいったいどんなものなんでしょう。そのイメージの獲得と共有、そのリレーが一番難しいことかもしれません。
なんだか、ハードだけではなく、ソフトに関してもスクラップ・ビルドを繰り返して、どうしてもインターナショナル・スタンダードの一線を突破できずにいる気がしてなりませんね。
霜
タワーの影で残る霜
午前中は部門会議。
午後は資料集編纂のために集中。
次回展の広報物のデザインアップを待って終電。
自宅に戻ってキャッチボール再開。
明日には入れないと!
1月がはじまる。
雲が少しかかってしまっているけど青空に月、その上を旅客機が横切る。
朝は雪がちらついたが、午後には青空。かつて関連企画として日中、青空のなかにダイヤモンドのようにきらめく星を見るプログラムを実施したけど、本当に美しかった。
後で講師をお願いした佐治晴夫先生にお聞きしたら、成功率はかなり低いものらしく、当日はプログラムが終わりしばらくしたら土砂降りの雨。今思い返すになんと「強運」が味方してくれたことだろう。「運」が加味されないと、ならないことも多いよなと思う。
でも、愚かと言うべきかも知れないけれど、その時の僕は見たこともないのに、とにかく美しいものが見える成功イメージしかなかった。ビジョンをもってイメージを見た者が強いのだ。難しいのは、ビジョンを獲得し、イメージを掴むことだと思う。
館としては昨日の成人式に開館していたので振り替え休館。当番出だったスタッフはお休み。他のスタッフは普通にお仕事。しかしメンテナンス工事が入っていて揮発系の匂いに苦しむ。
4−5−6とお休みをつないで昨日の成人式まで年末年始休暇だった人たちから、今日が仕事始めとばかりに、連絡をもらう。成人式も終わり、1月がはじまった。成人式が旧正月の15日だった時代が何となく懐かしい。その旧正月にあたる今週末は当番出。
雪害ひろがる。
日没前。
今日も外に出ることなく過ごす。書斎から抜け出ては、模様替えをしたり、テレビをみたり、ぐずぐずして日中を過ごす。
年末の大掃除をしなかったこともあるけど、思い立って長期的な模様替えを視野に少しばかり家具や本を動かす。それでも気分はかなり変わる。
そしてテレビでニュースを見る。
30億のプライベートジェットを購入し、年間2億円の維持管理を負担するITで成功した社長のニュースに、いろんな意味でスゲーとおもい。
そのあとに続く、6千万の借金のために生後間もない罪もない赤ちゃんを誘拐した犯行に悲しくおもい。そして大雪の尺の長いニュースを見て過ごす。
大雪で道が閉ざされ陸の孤島になってしまった集落。
明日・明後日と休校になる地区もあるという。
「この冬があるから『春』が待ち遠しく美しい。雪の冬場の星も美しい。」と、雪に対するある家族のコメントを聞き、その言外にある受け入れている厳しい冬場の大きさを思う。
富士山とは反対側の方角に見えるのが日本100名山の一つである筑波山。(右手奥の二つの頂上のある山。低い方が男体山、高いほうが女体山。)
雪化粧
富士山頂上にも雪
雪害のニュースが飛び交っているのに、富士山山頂に雪などとは、お叱りをうけそうだが、やはり富士山頂に雪が王冠のようにかかっている姿は美しい。
3メートルの積雪だと?あたり1トン近い重量になるらしい。自衛隊も出動した。
僕は机わきのワニとウルトラマンに見守れてPCの前の人。来週の出張の手配(飛行機とか宿とか)をして、ちょっと先のコトに思いを巡らしたりもする。
七草粥
気がついたら夕暮れ。
七草粥の今日になって、やっといただいた年賀状の整理をし、今更ながら一生懸命に書く。気がついたら夕方。雪害のニュースが続くなか、雪で閉ざされているわけでもないが、本当に久方ぶりに家から一歩も出ないで過ごす。お隠り中。
冷凍庫のよう。
芸術館上空。さむそーな空です。
秋田に大雪。新潟に大雪。青森に大雪。水戸は雪こそないけれど、体感としても、この冬一番の冷え。
終日、芸術館にてテキスト書き。明日からの3連休中もです。僕も太宰府に行きたかったけど我慢です。
戴いた年賀状に「ブログ楽しく拝見しております。」との書き添えがあり、その送り主が弘前のダ・サスィーノの笹森さんからで、どうしてまたとちょっとびっくり。でも、サイトを訪ねて納得。彼もブログ持っていただったのです。弘前はレストラン激戦区ですが、良いお店なのでチャンスがあれば是非一度!
御用始め
富士山です。
今日から仕事です。終日、水戸芸術館。
2月5日に今開催中の「われらの時代」展が終わり、25日から逢坂芸術監督が企画担当する「人間の未来へ—ダークサイドからの逃走」展が始まる。
この50日前のタイミングは、広報物その他輸送手配他諸々集中的に確定し始める時で、展覧会準備としてはオープニング直前の展示作業時期に匹敵する山場。見えない忙しさが漂います。そんなこともあり、午後には全員揃ってのスケジュール確認他で2006年初部門会議。
「一年の計は元旦にあり」と言われるけど、年間のおおざっぱな予定を組み、動き方をイメージしておかないと、また、時間と仕事に追われる身になりそう。そう思っていたら、早速、明日から仕事始めというヒビノスペシャルの米津さんから連絡あり、「日比野本」関係者、全員集合の全体打ち合わせの招集。
ネットではブログメイト(とかってに思っている)藤さんは鹿児島の風景をムービーでアップしているし、長谷川さんも「雪・雪・雪・雪」と書き連ねているし、あちらこちらで2006年が始動しはじめていることを実感。遅れを取らないようにがんばろう!
今度、キチンと紹介しないといけないけれど、林剛人丸さんによる「オープンラボ」も今日からオープンしています!是非、お出かけ下さい。
恭賀新年
平成丙戌歳 神宮干支守
あけましておめでとうございます。
今年も一年どうぞよろしくお願いします。
雨で霞む。
初雨。久しぶりに雨に遭う。
初詣
青空の下、初詣をすませる。良き年になりますように!
富士山
雪なし富士。
お詫びと・お知らせ
急報です!
artscape サーバのスペックアップのための準備作業で12月22日(木)10:00〜13:00 (状況により延長あり)サーバが停止します。この間、ごらん頂けません。ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。
また、昨日一定時間、文字消失・文字化けがありましたことお詫び申し上げます。これは文字コード変更作業中のミスによるものです。ウイルスとかいたずらによるものでありませんのでご安心を。
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ケシテシマッタ!
これは、あくまでもイメージ写真。
「ケシテシマッタ」データを復帰させるソフトを使い、3タイプのPCで修復をはかる。結果として、ケシテシマッタデータ数よりも多い数の画像が(数値上は)修復された(ようだ>)。しかし、拡張しがTHMファイルに変わってしまい、現時点では画像確認出来ず。ある・らしい・けど・ない。がっかりである。
そんな気分を、藤さんもブログに書いている。藤さんは、この間に二つ無くしているそうな。一つが自分書いたテキストを複数にわたって。確かに凹む。でも、ま、これは気持ちえ帰ってくれば全くおなじものではないとしても、用意することはできる。しかし、その2)のテープは辛いですんえ。アタタタタ…。「物」そのものを紛失してしまった、ましてやなにかしら仕事上の記録。このダメージ深いことでしょう。同情します。*それでも、藤さんの「月」の写真のアングルがやけに高所的だから何処にいるのだろうとおもっていたら、六本木だったのですね。小骨が取れた感じでスッキリしました。
僕の写真は、いわゆる「閑な奴の写真」で、仕事ではないから、罪もなく、被害も(少)ない。僕の個人的な気持ちの痛み(凹み)を除けば、実害は無いと言って良い。
そんなような写真なんだけど、藤さんも書いているように「釣りあげ損なった魚は大きい!」のごとく、ぼくとしては、ピンクに染まった朝焼け雲の写真はかなりグッとくる、良い感じの写りだった(なぁ)。ちょっと本気で残念なんだ。
*以後、データ転送時の作業確認は確実にしよう!慣れが怖いです。
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休館日のギャラリーに弱った気持ちで撮影にいったら、なんかどことなくピッリとしない写り。と言うわけで、本日はお見せでする/お見せしたい写真はなし。書き込みの、ピリッとしないままに終えますね。まぁー、そんな日もあると思ってやってください。では、また、あした書き込みます。
寒波
電車とのつながりの良いバスの時間ギリギリに館を出ると、きれいな月が空にあった。昨日も同じように思い、同じように慌てていてカメラをカバンから出す気持ちの余裕がなかった。悪あがきとは知りつつ、携帯のカメラで撮影する。
さっき覗いた藤さんのブログには携帯からとは言えまっとうな写真の「月」(ですよねー)がアップされていた。やはり今日は「月」なんだなと思う。明日12月16日は満月。
「われらの時代」の展示作業は順調に進み、ほぼ今日で展示も終わり、あとはフィニッシングを残すばかり。明日は内見会やフェイスやボランティアトーカーさんらへの作品説明がある。会場入り口の切り文字の貼り込みも完了している。
ポスターになっている雨宮庸介の作品、バナナの実物も会場に並んだ。
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展示作業中のギャラリーに行くには、庭を横切るように、学芸員室からエントランス経由で行くのが早い。と言うか、一旦外に出るのが良くて僕は好きでそのルートを選ぶ。そして時にミュージアムショップに立ち寄り、入荷したての本や雑誌を手にし、時に買い、時にそのまま棚に戻す。
今日は、本とは別のものを買い、雑誌カーサ・ブルータスは棚に戻した。でも、たぶん、違う日に、買うだろう。とにかく今日は、あった場所に戻した。
建築家、青木淳さんが自作の青森県立美術館の「アレコホール」に立つ写真が大きく出ている。建築物とその地の「食」、つまり建築を訪ね、美味しいものを食したい人のための特集号。金沢や石垣島と日本全国。水戸は選外なんだと思いながらしばらくフムフムとカバーtoカバーと読み進む。
パラパラとものの数分の立ち読み。でも個人的にはかなり有益な—といっても、かなり趣味的な情報を得た。例えばシトロエン「C6」。
幕張メッセのモーターショーで「きれいなラインのクルマじゃないか」と見いていたシトロエン「C6」(と言うらしい。価格未定)は、これから販売されるフラッグシップカーであることを知る。
(写真を見たらナンバープレート位置に「C6」とあった。)
「C6」じゃないけど、シトロエンで市内をドライブする爆音チームの二人組「ログズギャラリー」」から、練り直した「2006-2007日本横断ツアー」の企画書が今日、再送付されていた。後でキチンと見ておます。
そうそう、建築の話題。カーサ・ブルータスの青木さんのページ、つまり、「青森」のページを見ていると、ACACの外観写真に並んで、「木村産業研究所」の外観の写真が出ている。
あれ!?、つい先ほど、今日(12月15日)の日経新聞、文化面で『弘前に息づくモダニズム』で県立弘前中央高校の講堂の記事にはじまる、『前川國男の建物を大切にする会』(代表:葛西ひろみ、英語講師)の市民活動の記事を読み、「木村産業研究所」の一階内部の挿図写真を目にしたばかりだ。(お、今日のプチ「シンクロニシティー」かも。)
「木村産業研究所」は、弘前にある前川國男の建築物の一つ。前川國男は弘前には8つの作品を残している。少なくとも来年の夏には弘前に行く。奈良美智個展「A to Z」を見に行った折りに、もう1日足して前川國男建築物ツアーを是非、次回には敢行しよう。
その、奈良美智+grafからDM「home」が今日届いた。小屋が26個もしくはそれ以上の小屋があつまる街並みのような展覧会を実現させる「A to Z」展(弘前は奈良美智の故郷。寺山修司も同郷。)の一環となると書かれている。場所はグラフメディア・ジーエム。大阪中之島。会期は12月18日から2月5日まで。(ちなみに、松井みどりさんと企画準備中の2007年の「夏への扉」には奈良美智さんの初期作品をお借りする。)
その前に12月23日から東京ステーションギャラりーで開催される生誕百年記念「前川國男建築展」を見に行こう。
そして今、東京芸大美術館では25日までの会期で吉村順三建築展が開催されている。これにも併せて行かないと。
さて、水戸は今日も青空が広がる。長谷川孝治さんのブログには「雪・雪・雪・雪」の文字が並び「雪かき」が続く。
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ちなみに今朝も日の出を撮りました。勿体ないのでアップしておきます。
6時38分。
6時48分。
今朝は、10数分見ていました。毎日天気もよく幸せです。郵便をポストに出しに行ったら、片一方の投函口に「年賀状」と貼ってあった。毎年のことだけど、1年が早い。もう2005年の店じまい。
明日は、三鷹で作品の講評会。学生もこの1年の努力の成果を総括する時期。どんな作品に出会えて、どんな展開をしているだろう。年1回の定点観測みたいなもので、今年で3年目。僕の方も成長している彼らにジャッジされる。体力勝負。
今夜の夜更かしは、ほどほどにして寝ておくのが賢明だろうな。外が月明かりで明るい夜です。
サンタさんのレッド
COMME des GARCONS のparfums PARFUMS。<コントルポアン>にミュージアムショップ限定販売のクリスマス・ギフトセットとして並ぶ。赤と黒をテーマにする「レッド」と「イノセンス」のシリーズがある。香りをまとうプチぬいぐるみも付いてくる。<コントルポアン>の兄貴店(本店と言うべきか)にあたるnadiffのGOODS情報のチェックをどうぞ。◎コントルポアンの連絡先:Tel: 029-227-0492 。Mail to: contrepoint@arttowermito.or.jp 休店日: 芸術館休館日。開店時間:平常10:00〜18:30 (閉店時刻は催事等により変更することがあります。)
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今日も引き続きバフ作業。昨日削っていた壁は3度塗りして真っ白になっている。
返却用に梱包されたナイスな冷蔵庫。ちょっと欲しい気分になる。オブジェとしてもサイコー!じゃないかい。
ホームグランドIV
県美術館側から千波湖越しにタワーを望む。今日も晴れた。冷え込みは一段と厳しい。
色づく銀杏。
車道では落ち葉が踏まれて道の模様となっている。
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終日芸術館で物書きをする。原稿にメール。
リトルモアの孫さんから「日比野克彦の一人万博」本に関する連絡があり、諸々確認し調整をとる。400数十頁となる本の姿がほぼ見えて確定したとのこと。月曜日に僕が提案した意見が反映されたものとなる。どんな感じのページ構成になったのか、う〜ん、見てみたい。良い本になる予感タップリ。
昨夜、ワインを浴びてよっぱらてしまったPCのマウスが一夜明けて朝から働くようになった。マウスがダウンしクリック指示が出せなくなるとPCはただの明るい箱となる。もう手も足でもない。本の雪崩に気をつけよう!正直、まじで真夜中に一人焦っていました。しなくてはならないこともあり、ふて寝するわけにもいかず。持ち歩きPCで難をしのいだけれどね。
今日のトピックスは、昨夜入っていた1通のメールに端を発する調整ごと。講評会を頼みますねと春言われていて、いつ頃だろうとおもっていたら、その件での事務的な確認のメールが入った。なんと間が悪いことに、絶対に外せない別件があって伺うことができない日。その旨を含めて、日程の連絡を受けておらず聞いていないのですがとレスを戻しておいた。その対応のための連絡。僕の対応可能な曜日を伝えて、先方が全体調整可能か探るという。さて、どうなることだろう。
明日・明後日は寒波襲来と脅かされている青森。そう長谷川孝治の「津軽」を見に行く。6時間の食事付きお芝居。はてさてどうなることか興味深々。長谷川ブログを読む限りでは順調そう。ま、そうじゃないと大変だろうし、ブログの書き込みができているのが何よりの証拠。てんぱっていたら書き込みもしてないだろうから。ヤバ、と言うことは、僕自身日比野展期間中てんぱっていたってことだね。
リトルモアの孫さんの電話は編集方針の変更にともなう内容と文字数の変更だったわけだけど、1万数百点からの選りすぐりの写真400枚強を並べて見ると、僕がベリーベリーショートの髪型(髪もないのに髪型とは変ですね。ま、頭の形丸出しの状態です。)の期間を回想することができる。システムトラブルの復旧が長引いたことを理由にブログを休刊していた間、たしかに僕は濃密な時間の真っ直中にいた。
マイアミのアートフェアーに参加しているキキカイカイに同行している松井みどりさんから、國方作品完売・好評とのメールが入る。彼女の分析では、キキカイカイのブランド力よりも國方自身の作品の魅力のゆえ。さまざまな表現が生み出され、受け入れられていく。保守と革新。その振れ幅の中に全てあるのだろう。
フルクサスのオリジナルメンバーである塩見允枝子著書『フルクサスと何か──日常とアートを結びつけた人々』(フィルムアート社)を読むと、アートがすべからく「態度」であり、その態度を見えるようにするコスチュームが「言葉」であることを改めて実感させられる。
そのことに気付き、「態度」と「言葉」を一人で準備し実践した昨今の日本人アーティストの一人が、キキカイカイを主宰する村上隆なのだろうなと理解している。國方は村上が主宰するGEISAIからデビューした新人であり、来年の松井・森が仕掛ける企画展の作家リストに含まれている。展覧会にも「態度」と「言葉」は必要であり、美術館運営にも「態度」と「言葉」は必要なものだ。
明日訪れる青森県立美術館がどのような態度を、どのような言葉で表明するのか、来年7月のオープンを前に、その発信が聞こえてくるのを楽しみ待っている。
ホームグランドIII
今日も快晴。なれど冷え込む。12月に入り「師走」。あと31日で2006年。1年が早い。忘年会・慰労会のシーズンですね。
会期終了まであとわずか。展覧会は12月4日(日曜日)まで。まだごらん頂けていない方は是非、水戸芸術館まで。アンコウ鍋も美味しい季節になりしたからね。
今年で10周年目となるスターライトファンタジーの点灯式が行われました。今年は、芸術館の建物もライトアップされている。今日から1月15日まで開催される。
30分ほど外にいたらすっかり冷え切ってしまった。寒い寒い寒い。
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UFJ総合研究所の主任研究員で芸術・文化政策センターのセンター長でもある太下義之さんが久しぶりに水戸入りするから、ランチでもと前日に連絡をくれた。90年代のプログラムで一緒した仲。たわいもないアート談義をするも、専門家ならではの視座があり勉強になる。当然、横浜での諸々の活動についても話をするわけだが、僕が気にいっているBankART NYKでの牛島さんの展示は見ていないと言う。勿体ない。これから横浜に行く人は是非、ご覧下さい。
ここでの牛島達治作品展示は僕の一押しです。この作品は同時開催中の「ランドマークプロジェクト」の1出品作品であり、BankART Studio NYK[旧日本郵船倉庫]の3階の改装されていない倉庫のまま空間に展示されています。
「記憶—原動—場」
1ノットの早さでロープが廻り、中央に吊られている重りの役目も果たす二つのバケツがゆっくりと上下する。バケツの中には、床を掃除したときのゴミが入れられている。
110坪の空間に1ノットの早さの作品、この1点。「やられた!」感たっぷり。森美術館の杉本博司展でのヤラレタ感とはまた別物。ぜひ、3階奧まで足を進め、アート作品の効能をおためし下さい。
ホームグランド上空
航路になっているので定期的に横切る旅客機を目にする。この光景から、写真集やビデオ作品を想起し制作できる能力があると作家なのにな……。真っ青な空です。
駅前の坂道を「銀杏坂」と言います。
旧県庁前のお堀の銀杏がきれいな黄色になりました。
ショップに並ぶできたてのカタログ書籍。定価税込み1,890円はお買い得です!
いろんなものが今日もとどいたのですが、その中に「地域創造レター」の12月号がありました。
どれどれと表紙をめくると、デッカク「JAFRAアワード(総務大臣賞)発表」とあり、7受賞施設の1つに、なんと◎水戸芸術館/茨城県水戸市とあります。表彰式は2006年1月11日だそうです。
この賞は、2004年度に財団法人地域創造設立10周年を記念して創設された総務大臣賞とのこと。どーやらめでたいことらしい。バンザーィ。そして選出していただき「ありがとうございました。」
さらにパラパラ捲っていくと、青森県立美術館での長谷川孝治作・演出「津軽」の筋が告知文にあって「お、そんな構成なんだ!長谷川さん。」と上演6時間のお芝居の筋を得て、最後は「美術館の遠足9/10 藤本由起夫展」の情報をゲット。これは年1回1日限りの10回シリーズで西宮市大谷記念美術館で開催するもの。藤本氏のパフォーマンス多数ありとある。う〜ん、行きたい。出かけるだけの価値はあるからな〜、藤本さんのパフォーマンスなら。考えてみよう!「津軽」は12月3/4/10/11日の4公演。「遠足」は12月23日。
ロード二日目
BankARTLifeで宿泊した翌日、レンタサイクルを借りて、赤煉瓦でのシンポジウムに向かう道すがらのスナップショット。
BabkARTNYK2階ウッドテラスからの眺め。右手の煉瓦倉庫3F−1で、午前中のコンファレンスが開催されている。午後の分科会では、ここも会場の一つとなる。
昨夜の会で即席で用意された椅子とテーブル。多様な椅子は3月椅子プロジェクトの成果(でしょう、たぶん)。それがまた美しい。
朝のちょっと冷え込んだ気持ちの良いウッドデッキで濃いめのカフェを飲みながら12月10日の「art×book fair」でのトークショー打ち合わせを池田さんらとした後、10時から始まっているシンポジウム「アートが都市社会の新子地平を切り拓く — EU諸国の創造都市戦略を巡って」の二日目の会場に向かい、フランス、フィンランド、イタリアの事例を聞く。コメンテーターの椿さんらのランチに混ぜてもらう。
北仲ブリック&北仲ホワイトを見学した後、ヒビノスペシャルで本の打ち合わせをし、予定通り取手に入る。
*このログは28日の記述です。
ロード初日
メセナ大賞受賞式のパティー会場での一コマ。大賞は株式会社三越が受けた。
——会場で「新内流し」と耳にしたものの、アナウンスされたせりふを確認したくて、メセナ協議会の若林さんにお願いしたら、レセプションの台本より抜粋してそのせりふをメールしてくれた。どうもありがとう。
「ただいま素晴らしい新内流しをご披露いただきましたのは、人間国宝の新内仲三郎(しんない・なかさぶろう)師匠と、新内剛士(しんない・たけし)さんです。今回、メセナ大賞を受賞されました三越劇場では度々公演をしておられ、三越の中村会長は、仲三郎師匠の後援会会長でいらっしゃるそうですが、本日はお忙しいなか、お祝いにと駆けつけてくださいました。」
意気が、まだわからぬ若輩者の私でした。が、メセナのお歴々は楽しげなり。
アートスケープも賞を頂く。めでたい!
メセナの授賞式会場では、デザイナーのカズヤコンドウ氏に久しぶりに会い、杉本展やさわひき展を担当したことを聞く。メセナ大賞の授賞式に向かう前に、予定通り森美術館で「杉本博司」展に出かけ、予定を大幅に超えて、時間をかけて見る。それでタクシーで再び六本木に戻り、時間切れになって寄れなかったオオタファインアーツで「さわひらき」展を見る。そのビルの3階に日埜さんが事務所を構えていたことを思い出し、ちょっとだけ顔を出す。日埜さん帰省したときに、「茶の間」いきましょう。
ここから夜の部の横浜のBankARTに向う。2時間ほど真面目にお話しをさせてもらい、その後の交流会から流れて福岡勢の山野さんや宮本さんらとラーメンを食べる。NYKの快適なコンランのベットで持参したパジャマに着替えて消灯したのは午前4時頃。明日の起床は8時とのこと。9時から打ち合わせ。
*この筋だけのログは、28日に戻ってから書き込む。
デュシャン
今日も晴れていた記録として。
締め切り迫る原稿を抱えていて——今日もこれから1本、仕上げないとならない(^L^;)——かなり内心焦っている。明日から3日間はロードの人となり、夜も使えなくなることも、慌てている一因だけど、何と言ってもすべからく年末進行なのです。
予定変更可能なものは移動させてしまうかも知れないけれど、今のところ組んでいる明日からの予定はこんな具合。
25日は、「さわひらき展」(−26日まで)のオオタファインアーツの営業開始が11時だから、まずは朝一で10時オープンの森美術館で「杉本博司」展を見ることからスタート。
前にも書いたけど同氏著書「苔のむすまで」(新潮社)には、一気に読み進ませる力ある魅力的な章が並ぶ。それは、世界を宇宙を理解したいとする衝動を、「時間」と言う尺度できっちり捕らえきった杉本博司的解釈を内包した、甘えたところのない自律した言葉(=熟慮し吟味された言葉)の魅力とも言えるかもしれない。
各テキストは、記憶であったり何らかの引用だったりと、常に「時間」を纏う話しを芯にした構成の章が並ぶが、その一つとして『大ガラスが与えられたとせよ』が収録されている。
自らデュシャンピアンと公言する杉本博司氏のパリ、カルティエ財団美術館での2004年個展の開催の経緯が、構築的な言葉の配列で記述されている。
杉本氏の話は、東京大学にある「大ガラス」のエピソードを軸に展開する。その「大ガラス」制作の陣頭指揮をとっていた一人が過日亡くなった東野芳明氏である。実は、僕にとって東野芳明は、美術批評家として60年代に「反芸術」の言葉を産んだ人としてよりも、デュシャンの(学術)研究者として、そしてその精神の実践者として記憶されている。
ちょうど著書「デュシャン」を刊行したばかりの東野先生に、「次は何ですか?」と、今思えばお馬鹿な質問をしたとおもうのだが、聞いたことを思い出す。そのとき口にされた作家の記述を僕は見てはいない。けれどデュシャンのように人知れず密かに準備していていたのだろうと思うことにしている。
明日の杉本博司展の会場での時間は少しだけ長くし、静かな時の記憶の記述を見てみようと思う。そのあとでは忙しいくのは分っているけど、ムリして日本橋三越本店新館7階での「山口晃」展(−27日まで)に寄れたら(なぁ)。すくなくとも両日のどこかで時間を見つけよう。
R.MUTTと便器にサインし、レディメイド作品「泉」を発表した1917年のニューヨークのデュシャンをジャッケトにするCD。本人がしゃべるインタビュー(1959年)他を収録している。(2000円。)
午後2時過ぎにはスパイラルでの「メセナ大賞受賞式」に行く(べきだろうな)。ARTSCAPEが「アート情報文化賞」を受賞した。レセプション会場で、久しぶりに新しく担当になられている各企業のメセナ担当者の方々を紹介してもらい、ご挨拶しておこう。水戸の企画展への協賛をお願いするために。
少し休んで横浜に向かうかな。BankARTスクール「続・美術館はどこにいく」が19時30分から。そうそうたる受講生リストが過日メールで送られて来ていた。がんばらないと。映像の用意はできているから、どこかで話しの組み立てを決めないと。ヒャー。21時30分までの講義が終わった後は、慌てて戻るにしても中途半端な時間。覚悟をきめて自主的交流会の後、「BankART Life—24時間のホスピタリティー」をまさに体験するべく、会場内の宿泊施設にお世話になる。特約している銭湯もあるらしく、それなりに楽しみ。翌日は9時30分から、12月10−11日に開催する [art×book fair]のためのトークショー(12月10日19時30分から)の関係者打ち合わせ。
26日は横浜から渋谷に移動し、午後からヒビノスペシャルでリトルモアから刊行予定の「日比野克彦の一人万博」本の制作チームの打ち合わせに参加。夜、取手に移動し、藤浩志ツアーのミッドナイト・トークにジョインする。何時までするのだろう?と言うわけでこの日は取手泊ということになるのだな。
27日は11時までに府中に移動し、東野芳明氏ご葬儀に参列。その後は三鷹市美術ギャラリーに寄り「絵画の湯」展を見るとして、夕方までには再び取手に戻り、TAP2005クロージングイベント&打ち合わせに参加するつもり。なんとも長い3日間になりそう。一端、仕切直しのために帰宅するも28日も朝から終日都内で打ち合わせ。ふ〜。
ふむ〜、時間がない。PC持ち歩きの巻きになるのかな。
ま、予定を組み上げてしまえば、あとは迷わず、それに従って行動するのみ。書き上げ予定の原稿1本と25日の講座の準備をするのが今日の自宅での必須ワーク。(「24」は当分お預け。「シーズン I」 は完了し、やっと話しの流れが見えてきました。なるほどねー。)
「大ガラス」の制作にも関わったが岩佐鉄男氏が小林康夫氏とともに訳した「デュシャンは語る」(1999 ちくま学芸文庫)は、1967年に刊行されたピエール・カバンヌ著「マルセル・デュシャンとの対話」の翻訳本。1968年10月2日ヌイイーのアトリエで死去しているから最晩年のインタビューということになる。それだけでも貴重。
反芸術
雲の厚い空。雨の降らない晴れの日が続き、風が吹き、空気が乾燥するシーズン。紙がカサカサ音をたてる。「火の元注意、火の用心!」。 写真をアップしてから気がついたけど、照明灯が双葉のように見える(じゃないですか)。
11月19日、僕が水戸で朝顔の蔓やロープを撤去する作業に立ち会って居た日、美術評論家・東野芳明(よしあき)氏が死去した。新聞記事の訃報欄を見る習慣のない僕は、東野さんの死亡を22日に芸術館に出勤して知った。
脳梗塞で倒れられたのが、水戸芸術館がオープンした1990年のことだったように記憶する。
「反芸術」の言葉で60年代を括った東野芳明のこの時期の死去は、間違いなく偶然でたまさかのことかもしれないが、なんだか東野さんらしいやと思わず(不謹慎とおもわれうかもしれないけど)おもった。
と言うのも、国立国際で「もの派—再考」展が開催され、都現美では「人間と物質」展の当事者である中原・峯村両氏が登壇するシンポジウムが企画され、最近ちょっとした<70年検証ブーム>にアート界はなっているなぁ(=歴史化の本格的作業が始まったとも言えるのだけど)と、僕の中では認識されていたからなんだけど、東野さんが現役バリバリの時代に話題が集まっている今を看取って安心したのかなと勝手に思ったからだ。
寂しいのが嫌いで賑やかなのが好きな東野さんだったからこそ、そんな風に思うことも許してもらえるんじゃーないかなと思う(んだ)。
国立国際の中井研究員が手掛けた「もの派—再考」は、狭義のさらに中井的に言えば、これまでの「もの派」の時期とされる1970年前後の数年を起点に逆照射することで、「もの派」が誕生したルーツ(源流)をたどるものであり、これまで「もの派」の起源とされてきた関根伸夫の作品「位相—大地」が、生み出される歴史的必然、帰結をまさに60年代の中に求めるというものである。と彼のカタログテキストを読めば、それはまさに、東野芳明がリードし基盤整備した60年代を引き受け、引き継ぐことを意味しないだろうか。
中井が学芸員としてその時代を検証したとしたら、東野の60年代を美術評論家として正面から引き受けたのが椹木野衣「日本・現代・美術」であった。
東野さんに「自分の時代は、評論家が批評も企画もなんでもやった。でもこれからの時代は、美術館の学芸員が展覧会を企画する時代だからと強くその意を説いて、水戸芸術館に職を得ようとする時に、頑張るようにと言葉をもらった。」ことを思いだす。
僕はいま「もの派」から遠く離れて、椹木野衣さんと一緒して組織した「日本ゼロ年」(1999年)に続く企画として、松井みどりさんと組んで「夏への扉」—1995年から2005年までの10年の日本の作家を括ろうとする企画。2007年春開催予定—の準備をしている。
「反芸術」や「もの派」のように、時代のアート動向を体現した言葉を準備し、歴史化すること、同時にその後に続く次の流れを見せることを目指して準備をしている。
そんなあり方(=同時代性にこだわること)で、アート界に大きな力を持ち業界をリードした東野氏の意——同時代の目迎者であり、同時代を形にする——活動のあり方を引き継ぐ者の一人でありたいと強く思う。
飾らず偉ぶらず、庶民派的ですらあった人好きな東野先生長い間、お疲れ様でした。安らかにおやすみ下さい。哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。合掌。
東野芳明(よしあき)氏は、自分のことを「ほうめい」と言って自己紹介していたことが多かった。美術評論家である峯村敏明(としあき)氏が、ときおり自己紹介で「びんめい」と語ることがある。あれは峯村流東野芳明へのオマージュなんじゃないかと先のブログを書いて思い至った。もっとも言葉遊びの好きな人たちだから、ぜんぜん別のワケかもしれないけどね。
40日
道近くに見える雲。
芸術館で事務ワーク。
年内の予定を組んでいたら、あと40日で今年もお終いなことに気付き焦る。
いろんなことが年末進行に突入で、バタバタ。
そんな大切な1/40の1日なれど用があり早引きする。
たまにはこんな短いログも有りで。(−L−)_____
初物
朝、起きたら、節々が痛い。喉も痛い。体温計が7度3分を示す。予定をキャンセルして午前中いっぱい寝込むが良くならず、夕方診察に行く。そこでは7度7分。初風邪のようだ。うん、ちょっと熱があって気怠い。覚悟を決めて、今日は早寝とするとする。
明日は、熱がさがっていることを願う。朝顔の収穫祭だから。
ま、こんな時にしか話題にできないのでしちゃうけど、最近はまっている「24」のシーズン4の全編を見終わる。あんな1日は懲り懲りだし、たった24時間の間での境遇の激変は、不条理と言っていい。時たまある密度の抜けた映像に、「あっ、TVドラマだね。」と興ざめと安堵感を覚えるけど、基本的には引き込まれて(=集中して)見た。よそ見をしている間に、話の展開について行けなくなるからだ。ジャックを主人公にしたシーズン5はあるのかな?哀愁漂うラストのままじゃファン(=正義)が許さないじゃないかと思うけど、大義名分他、本当の正義がどこになるのかわからない世界がそこになる。愛も含めて真実だけがあるということなのだろうか。深夜に見たシーズンIIIは途中から、話のはじめを見なくては。1週間のレンタルで机の上に3枚のDVDが置いてある。最終的にはシーズン I & IIも見ないと、大きな流れはわからず、見終えたIVの背景もわからない部分が多々あるのだろう。でも今日は、もう休まないと。現在、37.8分。明日朝には平熱になっていることを信じて、ちょっと早いけど「お休みなさい。」
せめてめの景気つけに、朝顔が元気だったころの写真を!(「HIBINO HOTEL」の翌朝、8月14日の早朝撮影したもの。)
クリスマス・ソング
あまりに綺麗な月の形と柔らかなオレンジがかった色味に見とれる。今日の日中の雲も素敵だった。
体験学習に来ていた中学生3名に1時間程、レベルとしては全く遠慮することなく講義をする。きっちり話についてきてくれるので安心してどんどん話す。本当は、「学芸員の仕事」についてがお題なので、最後にサクッと話したけど、アートが好きだと言い、何らかの関わりを将来持ちたいと思ってくれている彼女達に、とても大風呂敷なアートについての話をする。単純に何かを描いた入り作ったりすることではないことに、実感をもって気づくことになるのは何時、どんなキッカケでなんだろう。
中学生に話し終えてから、郵便をあけて届いてたメセナnote40「子ども」特集を手にする。この号は「子ども」をキーワードにした特集らしいとパラパラしていくと、裏表紙にまたしても藤浩志!(忙しいね。) 「不要なおもちゃと子どもの表現力『かえっこ』」と題した寄稿です。これを読むと「かえっこ」は2000年発祥。そうかもう5年。まだ5年。大ブレークしちゃましたね。「(彼の)活動を理解できずにいる妻子を巻きこむ必要性がことのはじまり」とあるけど、確かに簡単そうで、「なぜ」それをしているのか、するべき必要があるのか、語り出したら難しいし、それを理解するのも難しいことですよね。今日の彼女たちが藤さん的あり方の存在を自分のモノにするのはいつのことかな。
高速走行中、ラジオから流れていた僕にとっての今年初モノのクリスマス・ソングを、もうかい、と思いながら聞きつつ、少し前に、中学生に話した「イメージ」することについて考えていた。さらに、「メセナnote」と一緒に、熊倉さんが出席していた、フランス・ナント市の事例を検証する文化フォーラムのドキュメントの冊子を手にしたこともあり、TAP2005の指令塔、熊倉純子助教授は、メセナ協議会時代に「アートマネジメント」という言葉を、語彙的定義ではなく、事業担当者に事例報告してもらうことで「マートマネジメント」の潜む現場が如何なるモノであり、「アートマネジメント」が介在することで如何なる展開があるか、まさに「アートマネジメント」をイメージさせる現場──トヨタ・アートマネジメント講座など──を数年に渡って創出したという、熊倉さんのメセナ協議会時代の業績の1つを改めて理解した。
芸大に移籍してからのTAPでの「TAP塾」は、明確にその第2ステージであり、TAPなる現場があるところに参画することで、「アートマネジメント」のイメージを身体的に経験から持つことで、より実践的なアートマネジメント力(つまり使える=より深いアートマメジメントの理解)を学ぶ場として「TAP塾」を開講し、インターン生を募集する、そのイメージを熊倉さんが抱いたのは必然的な帰結であったワケだよなと一人納得しつつ快適な高速ドライブを満喫。
夜には、まさに開催中の「TAP2005」の内容がぼちぼちメディアで紹介されるようになり、『問い合わせた多数』と、MLに報告メールが入っていた。まさに全てはイメージすることに始まりイメージすることに終わる。イメージ力をつけたいものです。
今日の夕方立ち寄った先で、土管を見る。いや、はじめてのことではなく、その場所にはずーっとあり、自分もその上に立ったこともるのだけど、「はらっぱには土管」のドラえもんのイメージが、ここにもあったと再発見。
刊行
たなびく雲。
アートスケープ・クロニクルが刊行しました!
なんと定価2800円の本の内容がそっくりそのまま、全部あますところなくネットでみれてしまいます。しかも、写真入りのページにもかかわらず、軽くてサクサクページをめくることができます。先ずはネットで、それから本で。ネット上陸からの10年史です。
好評開催中。
TAP2005始まりました。
風はいささか強かったけど、快晴に恵まれた良き日に「TAP2005」堂々オープン。
オープンスタジオの今年は、取手在住32組の作家のアトリエを公開。そための足の弁の確保とよりDEEPに楽しんでいたくために「アートの秋、アトリエをめぐる旅」取手ツアー『ざくざく取手』を開催中です。まずは、その宣伝告知から。TAP2005取手ツアー参加者募集中!残席あとわずか!お申し込みはお早めに。
11月12日初日のツアーは「取手悦楽ツアー」。12時30分、TAPヒルズに集合して、アトリエ訪問。最後は、キリンビール取手工場で藤浩志展の見学。下の写真は、TAPヒルズでの「はらっぱ会議」(*この話題は明日のブログで特集します—たぶん)を終えて車でキリンビール工場に移動し、会場で待ちかまえるツアー参加のみなさんに「サプライズ・プログラム」の一つとして、紙芝居を披露しているところ。(普段はここでお米のかえる」シリーズの1992年に青山スパイラルガーデンで発表した「2025カエルの池シンポジウム」の一部とビデオを上映しています。)
藤さんは大学院を卒業したあと、3ヶ月ほど、毎日(一人)読み続けた。そのなかの「紙芝居」の2編。絵は当時の(京都)芸大仲間に依頼(この手法もいまやコラボレーションと言われて大手を振って歩くスタイルだけど、20年前なら共感しない美大生には『なにやてんだか?』と思われていたに違いない。)感動の後には笑い。出血大サービスの余興的紙芝居「遠山の金さん」を上演(て言うのだろうか)。こちらは本当に20数年ぶりの披露とか。
いやー、とっても良いものを見せたもらいました。まさに「芸」—当時の藤さんのアートとのとても深いところでの葛藤ぶりが化石のようにごろんと残っている紙芝居。あんな彼が今はあんな彼に。その遠い旅の距離を感じながらも、すべてのルーツはそにこあり、「紙芝居」に託された大事なものを託す『適正な器』探しの旅を続けて来たのだと実感(感動)する。芝居を終えると、神戸に向かって大急ぎの移動。前日のレセプションに参加するためにやりくりしてくれたお陰。同時進行中の神戸の展示「次世代へ伝えたい震災の記憶展」会場に向かう。レセプションに出席してくれてどうもありがとう、藤さん。
僕は、再びもどって、カメラマンの斉藤さんの撮影に同行して、海老原靖自宅アトリエ兼「倶楽部ドンパンチョ」を訪ねて、ゆっく過ごしたあと、再びTAPヒルズで「港大尋&鈴木あかね『はらっぱライブ』」を堪能。
港さんの詩と今日がお誕生日の鈴木あかねさんの歌声で躰の芯が幸せな気分になる。演奏会後に、しばし個人的に歓談し、その上CDまで頂いてしまった。どうもありがとうございます。(19日は「たきびの里」でミニライブです。)
最終的には25人が参加した初日終了後の報告反省会にも出て、終電にて帰宅。さすがに眠くてしかたがない。バタンキューだね。
気づき名人
今日も青空。それでも日が暮れてくるとグッと冷え込むように水戸はなる。アンコウ鍋は(早ければ)11月中旬頃から「お品書き」に登場するはず。もうしばらく、初アンコウはお預け。
いつものように、ミュージアムショップに足を運ぶとジャン=リュック・ゴダール「GODARD」(エスクァイア マガジン ジャパン)が届いていた。帯には、「2001年度増補改訂新版を、更に改訂。現時点における決定版」とある。見るべき映画で、これほど読むこと(語られること)はない。美術だと誰だろう。デュシャン関連の本があると手にしているから、デュシャンかな。
書類の処理を事務局で待っていたら、夕刊が届く。何気なく手にした日経の1面の「あすへの話題」欄で、今や大ブレーク中の脳科学者・茂木健一郎さんが「セレンディピティ」をキーワードに「恋人との出会いとノーベル賞」と題したコラムを書いているのを目にする。ブログで「クオリア日記」を書いている茂木さんとは、「日比野克彦の一人万博」の準備期間中の2月19日、アーカスプロジェクトが主宰したお二人の対談会場で紹介され会った。残念ながら日比野展で茂木さんとご一緒することは出来なかったけど、そんなこともあり、その時から僕の気になる人の一人になった。そんな茂木さんは8月に第4回小林秀雄賞(新潮文芸振興会主催)を『脳と仮想』で受賞し、何時だったか忘れてしまったがアエラの表紙となっていた。今や美術関係プログラムの講演者として、頻度高くその名を案内に見る。
で、「セレンディピティ」です。
『セレンディピティ(偶然幸運に出会う能力)は、鍛えることのできる能力なのである。まずは、行動を起こすことが肝心である。待っているだけでは幸運は訪れない。また、注目すべき出来事が起こったとき、それに気付き、受容することが大切である。』 と寄稿の論は進み、 『行動し、気付き、受容する。まるで素敵な恋人との出会いのようである。実際、セレンディピティに着目すると、「恋人との出会い」と「ノーベル賞級の発見」には、多くの共通点があることが見えてくる』と結ばれる。
これを読んで、僕がすぐに思いつく人物が、先の対談相手である日比野克彦さん。まさに彼のワークショップ・プロジェクトは、何かに出会うための「先ずのアクション」が必ずある。その会話を通した「先ずのアクション」でヒットした突破口の瞬時の掴みと、その後の展開の鮮やかさを、この夏は幾度となく目の当たりにした。そう、日比野克彦さんは、間違いなく、「セレンディピティ」能力に長けた「セレンディッパー」(serendipper=気付きの達人)の一人だ。
夕方、館を出ようとしているときに、当のセレンディッパーである日比野さんから携帯に電話がはいる。11月19日に予定する「朝顔のロープ外し」の日のことについて、どうやらAha!があったようで、こんなことしたい!との提案電話。基本的に異論はなし。でも、調整しないとならないことが幾つか思い浮かぶ。詳細は明日の打ち上げの時に聞くことができるので預かりとする。それにしても思いついた時の日比野さんの行動はいつも素早い。それだけ間際とも言えるのだけど。その間際も火事場のバカ力効果を狙っての意識したものだからしょうがない。
セレンディッパーへの最初の一歩は、躊躇しない、億劫がらない、思いたったら吉日の行動力にあるかもね。でも、気付きと受容の展開もできないと。やっぱり場数かな。
書き込んでいるブログの背後でTAPメンバーのメールが飛び交っている。あっ、携帯にも伝言が入っている。要件了解しました。伝言の背後の賑わいが、まだまだ事務所がフル回転状況にあることを物語るTAP現場だ。ムリもない。明日の午後には招待者やプレスが取手入りし、夕方からはレセプション。まさに前夜。完全徹夜組続出だろうな。お疲れ様です。明日は伺います。
戻る。
23時着で関西から戻る。留守中のメールと郵便とサイトをチェック。メール中に「(応急措置ながら)復旧完了。」のを発見。さらに弘前劇場の長谷川ブログを訪ねると、11月5日号に僕が毎日書いていると驚きの記述発見。急ぎ再開しないと!カメラをカバンから取り出し写真の取り込みをしつつ、先ずは書き出す。
11月3日ブログのシステムに不具合。写真のアップを断念。(今日、アップしました。)
11月4日ブログ休刊。(いつもより早く休めました。今日、つなぎ映像をアップ。)
11月5日
横浜美術館で展覧会を調査後、「横浜トリエンナーレ」を見る。17時から「artscapeのOFF会」。市原さんと村田さんのトークの司会。
11月6日
雨の中の阪神優勝パレードで交通規制のある大阪で、先ずは国立国際美術館「もの派再考」を見て、企画した中井さんとgrafでランチ。13時30分梅田から、中井(彼とは同級生)に渡されたカタログのテキストを読み考えながら草津経由で三雲駅に向かう。15時三雲駅に迎えに来てくれた野田幸江さんと合流し、彼女のアトリエを訪ねる。1時間ほど作品(他)を見せてもらった後、琵琶湖まで送りがてら案内してもらい(途中、「ふなづし」の看板をはじめて見て、「ふなづし」の作り方(米と塩は1:1とか)の話を聞きながら移動する)、本当に琵琶湖の縁に一瞬立ち寄っただけで、近江八幡駅から急ぎ京都に戻り、松井みどりさんとタカノ綾さんと19時に合流。松井さんが予約してくれたいた木屋町のコストパフォーマンスの高いイタリアレストランで美味しい食事をしながら懇談。お腹いっぱい、さらにワインの酔いも手伝って、爆睡のまま22時過ぎに京都から大阪に移動。23時30分、すっかり待たせてしまったログスギャラリーのメンバーと合流。ホテルまで送ってもらいチェックインした後、すかいらーくで2時間ほど彼らのツアー企画に関する相談に乗る。コンビニで水を買い、部屋に戻り、お湯に浸かり27時頃一日を終える。
11月7日
児玉画廊にタクシーで向かう。中ハシ克シゲ個展「On theDay Projects 1999-2004」の最近作—マーシャル諸島ルニット島に存在する核物質を封鎖するコンクリートドームをテーマにした「1st March」は、その作品の背景というか、全貌を知れば知るほど魅了される。彼が「ゼロ戦」から確実に次のステージに(手法は同じながらも)移行したことを予感させる。
それを見せてもらった後、別の場所に展開してもらっていた森千裕作品を見せてもらう。松井さんともろもろ話しながら、お昼に登場予定の森千裕さんを待つ。合流後しばらく懇談してから画廊近くで飲茶の遅めランチ。
その後、児玉さんに誘われ、急遽、松井さんと3人で児玉ギャラリー・プロジェクトの二人の若手作家(野原・田中)のアトリエを訪問することに。淀屋橋から寝川屋市(駅)下車経由、京都(北大路)に移動。若い作家のアトリエ訪問後、京都駅から新幹線に乗り自宅に戻る。
そしてシステムの戻ったブログに書き込んでるのが今。スナップ写真は2泊3日で600枚ちょっと。選んでアップするのは明日(以降)にして今日は休みます。
明日は、作家の半田さんが児玉さんと来館。松井さんと今日相談し確認した第3展示プランでの展示予定場所を見てもらうことになる。
小春日和
小春日和。背に太陽を受けながら歩くと気持ちがいい。銀杏坂の街路樹も色つき始める。もちろんACACで見た紅葉には適わない。秋が毎年短くなるような気がする。日だまりが嬉しい季節になる。
午前中は、芸術館で定例の部門会議。待ったなしに来年のカレンダー、いや手帳が必要。午後、ショップに顔を出すと来年の手帳が届いていた。早速、スケジュールを書き込むものの、2006年の手帳だから、2006年度中である2007年1月から3月の部分がない。年度手帳なんていうものは存在しないのだろうか?僕のこの1年は2007年初旬の展覧会に向けての動きがメインとなる。手帳末尾のカレンダーにマークする。
午後、19日に備えて朝顔の茎を根本から切り、最終の枯らしに入いる。夏の残り香の最終撤収の準備だ。日比野さんと連絡とりあって、詳細を確定しないといけない。
夜はINAXでの個展をスタートさせたばかりの、「ウクレレの伊達伸明」さんが、窪田学芸員を訪ねて展覧会を見に来ていたのでみんなで夕食。互いに面識のあるじんじんさんも、明日の準備を終えて合流。しばしの歓談。
じんじんさんは明日に備えて、先にあがる。明日は6時にはメイク始めているとのこと。長い1日に備えて全てがコントーロールされている。
いつものように終電時間で僕も辞す。気持ち良く飲んで、気持ちよく眠い。メールのチェックをしたら今日は寝ます。明日は午後から取手。
アートの秋
「へーぇ。コンビニで株か。」と思わずバスの窓越しに写す。
PCや携帯で株が売り買いできる時代なのだから驚くこともないのだが、コンビニ利用頻度の低い僕は、格段に向上しているであろう設置されている端末機サービスの内容のすごさを知らない。それ以上に、「厳選肉まん」の幟と一緒に「株(取引)」が宣伝されて売られていること、商品として株がここまで日常になった/なっていることの驚きもあり、ちょっと「へ〜ぇ。」と思いながら写したしだい。今日も秋晴れで気持ちがいい。素敵なことです。
水戸市中心市街地の一等地にあるダイエーの前を通過するときに水戸ダイエーが10月31日で閉店することを思いだし、その一方で常磐線の車窓から、ついさっき見た巨大な11月11日オープンのイオン水戸内原SCを思い出しながら、街並を見ていたら、バス停を一つ先まで乗り過ごす。芸術館最寄りのバス停のある泉町には、来年の3月に移転・新築オープンする京成デパート(売り場面積は東京以北エリアでは随一と聞いた。ま、そうだろう。何しろデカイ)がその外観の全容を見せ始めている。
芸館に着くと机の上に刷り上がったばかりのCACギャラリートーカーさんが主体となって作成している「R&D」2005.秋号が配れてあった。今回はもちろん「X-COLOR/グラフィティ in Japan」の特集。担当学芸員の独り言のコーナーに同展企画者の窪田学芸員が寄稿してるのだが、そのなかにタイトルの意味を紐解いているくだりがある。——『英語で「X]には、「交わる、交差する」というニュアンスがあります。このタイトルには、色々な特色(COLOR)を持ったライター達同士が交わること、そして普段タイラーと接点の無い一般市民とライター達が交差することによって、街全体が活性化し、新しい「COLOR」(色)が生まれることを願ってつけられたものです。』——企画者である窪田学芸員が意図した本展覧会の隠された意義、それがタイトル「X-COLOR」にこのように託されていたことを改めて知る。(遅すぎですね。)
お昼は、「じんじん」さんらと久しぶりにカルマ。美味カレーを食べながらしばし雑談。午後に短い原稿を1本仕上げてメールで送り、明日・明後日の出張の準備などをする。
週末の金曜日と言うこともあり、今日はパーティー目白押し。横浜ではBankARTを24時間51日間開け続ける「BankARTLife —24時間のホスピタリティー」のオープングパーティーがあり、六本木ではオオタファインアートで「さわひらき」個展のパーティーがある。さらに都内某ホテルでは、21時から27時までのアニエスベー来日の記念パーパーティー。それらの案内をもらっていて、本当は、お祝いやお礼のために挨拶をしに行かないといけないのだけれども、水戸から夕方駆けつけることなく失礼してしまう。
秋は何かと—講演会やシンポジウムなど—企画が重なり、さらに自分が関わっているプログラムの開催日や私用と重なりどうにも行けないことが多くなる。先日は、大阪の「もの派の再考」と東京の「平行芸術展」。次回、11月13日は、横浜と横浜と守谷(つくば)と取手と4つも重なる。しかもこの日は抜き差しならぬ私用でどれもNG。
と言うわけで、行かれるときには大いにムリしても出かけるべしと、明日・明後日は青森で青木淳さんが手掛け竣工した県立美術館(他)を見に行ってくる。コミッションワーク作品の命名式もあるので、来年7月から、弘前で開催する「A to Z 展」の準備で忙しい奈良美智さんにも会えるハズ。ちょっとばかり改めて御挨拶しておかないとならないこともありなのです。
明日は飛行機に乗る前に、上野の森でポルケ展を見て行かなくては。30日までの会期だからさ。
今日も秋晴れ
県立図書館前に展示されている観賞用菊。
終日水戸。午前中は会議。途中、水戸芸術館友の会広報誌のための顔写真を、朝顔シャワーの前でポーズを決めての撮影などもするが、午後は事務業務と打ち合わせ。
夜は水戸JCメンバーとの穴とら屋さんでの懇談会に出席。この夏の二夜だけ、アニエスベーの協賛で営業した「HOTEL HIBINO」のケータリングでは素敵なごちそうを用意してもらうなど、とてもお世話になったこのお店の若きオーナー軍司さんもJCのメンバー。
相変わらずの終電での帰宅。連日遅い。ちょっとだけすることがあるし、さすがに眠いので今日のブログはここまで。ではでは。
秋雨
「任意の点P」(慶應義塾大学佐藤雅彦研究室+中村至男、美術出版社、2003年初版)の裏表紙。写真左肩に「3D」とあるように、この本は、立体視の本であり、付属のメガネ越しに二つの少しずれた図版を覗くと、立体像がリアリティーを持ってあらわれる。「——これを、美とする。」佐藤氏の意識が美しい。佐藤氏は、DNPのギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で、この8月に個展を開催したばかりだ。
水槽セットを買う。今使っている金魚の水槽はちょっと小ぶりで、金魚が思いっきり泳ぐには幅も奥行きもない。先日、所用でジョイフル本田に寄った際に、金魚売り場で、大振りのそれでいて価格がこなれた水槽セットがあることを見て知ってしまった。その日以来、僕の頭の中では、子供の水遊び用円形プールから25メートル(気分としては50メートル)プールを往復して泳ぐような感じで、金魚たちが左右に泳ぐイメージが映像となってあらわれる。それを見てみたい衝動にかられてしまっていたからだ。砂利も3袋ほど買い込み、もろもろセットして水を入れて、濾過器の電源を入れて今日の作業を終える。水が落ち着くのを待ち、明日には金魚もお引っ越し(できることだろう)。
蛍光灯で明るく輝くその新しいまだ住人のいない水槽内を見ながら、日比野展に協賛していただいたNEO INDEXを訪ねた際、本社エントランスで大きくした新しい水槽に海水魚を買うための塩気(なんだか高価なものと聞いた)を溶かし込んでいた光景を思う出す。(あ、今-22:10頃-小さな揺れ。また地震だ。)でも、僕のはあくまでも淡水魚。縁日の金魚である。
明日は法事があり、朝が早い。夜はTAP2005「はらっぱ」の大掃除の後のお疲れ様会に合流予定。久しぶりに顔を出すことになっている。
楽しい夜でした。
ガンダム展のキュレーター・東谷隆司さんが、連載を持つ『TATTOO BURST』のための窪田学芸員とのインタビュー取材のために来館。
僕は僕で、犬山からキワマリ荘を主宰する有馬かおるさんが、11月のドイツでの個展に出発する前にと訪ねてくれていた。つまり飲むための必要条件は完全に満たすわけで、迷わず日比野展中には散々お世話になった「茶の間」にくり出しみなで食事をする。四方山話に花を咲かせるワケだけど、東谷さんによるタトゥーの世界やお宅的領域のガンダム話は、なんとも興味深く、楽しい席の夜は更ける。僕の23時終電タイムでお開きに。もちろん残ったみんなは、宴もたけなわとばかりにどこかに行ったと思う(たぶん)。
戻ってメールとブログをチェックすると、藤さんのブログの四万十シリーズの書き込みが進んでいる。昨日17日に久しぶりに福岡の戻った藤さんは、僕の記憶がただしければ、もう明日は水戸の隣町の勝田に移動し、「わくわく体験事業」のために23日までは滞在するハズ。お疲れ出ませんように。
明日は作家、半田真規アトリエ訪問で茅ヶ崎まで行ってきます。ちょっと楽しみです。
それから、やっと11月5日のartscape10周年記念パーティーの詳細情報がアップされました。是非、お出かけ下さい。
ガーデンマム
花を買う。数日前の朝、花屋さんの軒先にこの花が段ボール箱に入って置いてあるのに気づく。そう、気になり気に入ったのだが、どこかでお取り寄せの商品だと一人合点し、足早に通り過ぎ駅に向かう。今日の帰り道、いつものように花屋さんの前を通とまだある。ひょっとして売り物かもと、お店の人に聞き、その場で購入したのがこの花(3000円)。
フレンチ ガーデンマム。最盛期には1000個近い花が一度に咲き、綺麗な花のドーム型が誕生するとのこと。予定では11月下旬。植物は得意な方じゃないけど、枯らさぬように、上手く咲かせたいと思う。
で、買い物。
なんだかんだと日々買い物をする身だけど、そんなに自慢したりするようなものを買い込むワケじゃない。今日も作品集1冊(これは海外のアート好きの知人へのプレゼントを相談されての代理購入。購入したのは、昨日のブログにも登場した「リトルボーイ」(10450円)。日本のアート状況を俯瞰するにはもってこいの網羅性)と本1冊。音楽の世界でのワークショップ(公開レッスン)がどんなモノかとチェロ奏者・鈴木秀美のエッセイ集「ガット・カフェ—チェロと音楽をめぐる対話」(1900円)。それとBRUTUS「旅に行きたくなる本、旅に持って行く本!全263冊。(550円)。とどめが写真の菊の鉢植え。
ちょっと前に買った本に「今日の買い物。」(2800円)というタイトルの本がある。ショッピングを趣味とする岡本仁、敬子夫妻の著書(発行:プチグラパブリッシング)。これは今も続く著者岡本夫妻の買い物ブログより2004年11月18日から2005年3月21日までの書き込み分を1冊の本にしたもの。105品目へのうんちくとこだわりとエピソードが綴られている。だがそれよりもなによりも、そのものがそのものでなければならないワケがきっちりとあることに脱帽する。吟味した買い物となるのだろうな。生活というか身の回りを気に入ったモノで固めるには「うーん、知識もいるのかぁ」と思ったりするけど、それ以上に、身の回りをデザインしよう、したいとする姿勢に感服する。生活をデザインすることを彼らのように楽しみながら出来たらいいなと思いながら、今日も少しだけ本を整理し、少し床を出す。
明日は、来年度企画展関係者に会う。終日東京。
秋の空
巻積雲(けんせきうん)。雲は十の類の基本形、十種雲形に分類される。さざ波のような、あるいは小石を敷き詰めたような白い雲で、魚の鱗のように見えることから「鱗雲」と呼ばれるのは巻積雲に分類される。「鱗雲」「鰯雲」はともに秋の季語。参考:高橋健司著「空の名前」(角川書店)
水戸の駅に降り階段を上がり改札を出て、いつものように右に折れコンコースの出口に向かう。すみきった青い空に秋の白い雲が広がる光景が目にはいる。思わず綺麗だなと思う。そこで写真を撮りながら、つまり、空を見上げながら芸術館まで歩く。確かに訪れている秋を見た。
午前中は、16日の講演会の段取りの会議。使う映像資料の確認も行う。ハッキリと確認できたのは、時間配分を巧みにしないと、時間切れになることは必至。2時間の枠に、選んだ映像だけで3時間分の尺がある。心してテンポ良く進めていかないとね。
水戸芸術館友の会主催
第29回講演会「水戸芸術館開館15周年記念連続講演会」
—水戸芸術館のこれまで、そしてこれから—
第4回「映像でつづる展覧会の歩みと現代美術の魅力」
報告者:水戸芸術館現代美術センター/逢坂恵理子、浅井俊裕、森司
日時:10月16日(日)14:00〜16:00
会場:水戸芸術館ACM劇場
料金:無料*予約必要なし
昨日購入しブログでも紹介した、すでに自慢の黄色いカバンは、職場でも好評で声がかかる。それだけでますます良い買い物をした、お買い得気分上昇。ブログもそう。更新時に書き込みを見つけると(読んでくれて)「どうもありがとうございま〜す」と嬉しい気分。ハイ、とても喜んでます。
祝・復旧
ある日突然書き込み更新ができなてしまい随分と留守をしました。
励ましや心配のメールをくださった方々にはこの場を借りて改めて「ありがとう」です!感謝してます。
今、復旧しましたとの連絡。(正確にはコメントの書き込みをは、まだエラーになるらしい。ズーと、そのままではさみしいので、なんとかしてもらいます。また、コメント受け取れるようになりましたらご案内いたします)。
で、です。この間、「日比野克彦の一人万博、HIBINO EXPO」の準備は随分と進み、1日が終わると仕事が不思議と増え続けている毎日。開幕まで77日。世界陸上と同じ開催。
今日は、まだ水戸で仕事していますが、夕方移動し、蒲郡のヨットハーバーに。
明日早朝、日比野さんがグラフィックを提供したヨット「エリカ号」の名を冠した大会があるから、僕は乗船しないけど、そのヨットを見に行く!
閑そうに聞こえるけど、展覧会とバッチリ絡んでいるのです。詳しくはまた。
そしてその足で日比野さんご実家を訪ね、初期作品の蔵出し調査。
8月6日からの展覧会で展示する作品の調査と確認です。お楽しみに!
と言うわけで、おかげさまで元気にしています。
友人の藤浩志ブログの好調な更新(=活発な活動ぶり)に感動さえ覚えていたところ。
僕も再開いたします。
それからお知らせ。
当分の間、「HIBINO EXPO公式サイト」への書き込みも平行して行ないます。
併せてご覧ください。こちらも試験公開中で来週中には正式版公開予定です。
では今後ともよろしくお願いします。
復帰のご挨拶でした。 う〜ん、ニコニコ。やはり嬉しいものです。
お詫びとお知らせ
この間、真っ白。文字通りの空白が続き大変失礼いたしました。
「あれ、どこに雲隠れしたんだ!」と日頃、ご愛読頂いているみなさまにはご心配おかけいたしました。自分のPCの不具合かと心配された方も多いかと思います。併せてごめんなさい。
突然の休刊や廃刊になったわけではありません。システム上の不具合が原因で全部ドロンしてしまっていました。過去ログは概ね復旧されていますが、引きつづき復旧作業を進めていますので、再開までもうしばらくお待ち下さい。
訃報
■第264代ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世が現地時間2日夜(日本時間3日未明)死去した。84歳。在位26年。
法王庁は15日から20日後までの間に、コンクラーベを招集する。枢機卿は全世界約2800の教区を統括する司教(大司教)から法王により選出される。法王選挙会(コンクラーベ)は、80歳未満の枢機卿が秘密投票で互選を行い3分の2を超える票を得るまで続けられ、決定の際に礼拝堂から白い煙があがる。未決の場合は黒い煙となる。この間は、「カメルレンゴ」と呼ばれる職務代行者が葬儀を準備し、コンクラーベを招集する。ここまでの知識は新聞で得た。これ以上の情報はネットだろうと検索するとカトリック中央協議会のホームページに【教皇ヨハネ・パウロ二世によって1996年2月22日に発布された使徒憲章『使徒座空位と教皇選挙について(ウニヴェルジ・ドミニチ・グレジス)』で前もって定められた手続きが発効しました。】とアナウンスされていた。
世界の指導者となる後継者の選出について、10年前に、いわゆる遺言されていたということを改めて知る。
アーカス招聘作家の募集
○今日の1点
3月27日に岩井のレンゴー工場で開催されたH+Hもアーカスの主催事業。WSを終えた後の記念撮影。段ボールBOXタワーが崩れるさまに一同「ワァー〜」。真剣ながらも終始和やかな雰囲気に包まれていた。紙工場見学のオプション付き。盛りだくさんな半日であった。
○アーカスの招聘アーティスト応募締めきり迫る。
受付締切は4月9日アーカススタジオ必着。当日消印は無効!!
以下は運営本部から配信されたメールの添付です(手抜きしたワケじゃござんせん)。
アーカスプロジェクト一同
4月1日、2005年度始まる
○今日の1点
旧県庁のお堀の桜。まだまだつぼみ。来週には花開くだろう。昨年はもう花開いていた。
○都内にてHIBINO HXPO 2005に関する打ち合わせ。
広報物の制作が進む。ホームページに関する打ち合わせで制作内容も具体化。URLも決まった。4月末には公開予定。日比野さんは来週ベルリン。ヒビノスペシャルのスタッフがその準備に静かに進める。頼もしい。
勝ちは勝ち(価値)
○今日の1点
ワールドカップアジア最終予選B組、第3戦バーレーンに勝利。日本は2勝1敗で勝ち点6で2位に浮上。各組上位2カ国は本大会に出場。3位同士はアジア5位決定戦を実施し、その勝者が北中米カリブ海予選4位とW杯出場をかけてプレーオフを行う。2位と3位は天と地ほど違うのだ。次は6月。
水戸芸術館
○今日の1点
お庭からカスケードを望む。あと1ヶ月ほどすると子供達の水遊び場となる。
カウボーイじゃなくてカウブックス
○今日の1点
カウブックスが昨年の夏に続き、寒風吹く水戸に再度登場。今日と明日、芸術館広場にて営業。
○VOCA展2005
今月30日までの会期のVOCA2005展を見る。この間幾度となく上野駅を通っているにも関わらず、なかなな寄れなかった展覧会。
会場:上野の森美術館
1994年から12回目の開催。全国の美術館学芸員、ジャーナリスト、研究者により推薦された40歳以下の平面作品。今年は37作品が並ぶ。カタログには推薦者のコメントが寄せられている。会場キャプションにもその名があると良いのだけどと思いながら、知り合いの各人が推挙した作家の作品を見て回る。VOCA賞1名、日野之彦。奨励賞2名、居城純子、中川トラオ。佳作賞2名、手塚愛子、羽毛田優子。
○HIBINO EXPO2005
広報制作物について、深澤直人氏の事務所で日比野さんらと打ち合わせ。「日常感覚・日常性」をベースに大切にした発想の深澤氏の導きで、あっと言う間に、基本ラインが見えてくる。さらに具体的な作業も見えてくる。その成果物はほとんど、マルチプル作品といってもいいものとなる予感。受け取った人は展覧会期後も保管すべし。プレミアム・プライスが付くかも。気分としてはメール・アートの領域。
その後、日比野事務所にもどり、その他案件の確認。4月以降のスケジュールの確認をしつつ、展示内容に関する再検討も。良い感じで2巡目に入り始めた。続きは、明日の岩井でのワークショップの会場で。終電のある僕は22時30分、事務所を後にし、終電の人となる。
日常生活
○今日の1点
銀座4丁目のチューリップ。梅も終わり後は桜を待つのみ。暖かかったり寒かったり。桜はいつかな?
D2000
○今日の1点
お祝いにさし上げる花束。自分で買い、プレゼント前に思わず記念に撮影する。
海洋堂ポスター届く
○今日の1点
海洋堂の広報物が一式届く。写真はチラシの一部と招待状。多くの方が来てくれますように。
TAP2004フォーラム
○今日の1点
彼岸会。
○午後から、TAPフォーラムVOL.2に出席。2部の「アートがまちとできること」ではゲストパナリストとして和多利浩一氏(ワタリウム美術館キュレーター/原宿神宮前地区街づくり協議会 前代表幹事)と佐々木雅幸氏(大阪市立大学大学院創造都市研究科教授/金沢市まちづくり専門委員/文化経済学会理事長)をお迎えした。
お二人の基調講演内容は、15分と進行都合上の理由で持ち時間が短かったこともあり、ぎゅーーーーと濃縮された密度の濃いもの。1995年に和多利さんが「水の波紋」展を主催したとき400人のボランティアさんの手を借りたそうだけど、今ほど「ボランティア」への意識や理解がなかった時代、10年前のことなんだけど、そう思うと時代は確かに動いている。その市民の大きな意識の変化が、創造都市を育む土壌になるとは佐々木先生の弁。つまり、創造的行為への支持を市民がするかどうかに全てがあると帰結できそう。横浜市が今、文化に力をいれているのも、現市長を市民が選出したからであり、まさに市民による選択という民意であると語られる。アート活動に携わる者として、そのことを理解し感謝して、活動を続けよう。
フォーラム終了後、15人のインターンが終了証を熊倉塾長から受け取り1年に渡る研修を終えた。
卒業証書を手に華やぐ塾生のみなさん。その笑顔は頑張った証。
通信機器の購入
○今日の1点
通信速度の改善と料金コースがあたらしくなったので、これを期にMACでも何処でもデータを送受信できるようになるようにと契約した。これでますます1カ月の通信費がかさむことになった。いずれどこかのタイミングで統廃合しないと通信費貧乏路線まっしぐら。それでもイライラしない速度で受信しているのが救い。さぁ、使い倒さないと。
TAP2005インターン募集
○今日の1点
3月20日納品で準備をすすめているTAP2004活動記録集の「TAP2004ができるまで」のカレンダーページ。改めて時間軸を通して活動を俯瞰すると充実というより、その忙しさ加減が見えてくる。
○新しい試みとして導入された「TAP塾」によるインターン制度は、最大限の成果を残すことができた。これで卒業する人、引退する人、前線を退く人、関わり方は人それぞれだが、インターンの中で継続して2年目もTAPに関わる意思表示をハッキリと示す人たちもいる。
と言うわけで、3月20日のインターンへの最終課題であるフォーラムの開催が終わると、すぐに「TAP2005」の開催準備が始まる。TAP塾第2期募集もその一つ。多数申込みがあるといいのだけど。今年は、4月10日(日)13:00〜説明会を開催する予定。
以下、それの詳細情報(TAPホームページの情報から添付)。
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★TAP塾2005インターン募集! 説明会のお知らせ
日時4月10日(日) 13:00〜
会場:カタクラショッピングプラザ5F (茨城県取手市)*JR取手駅前徒歩3分。
ゲスト:TAP塾講師 森 司(水戸芸術館現代美術センター学芸員)
塾長:熊倉純子(東京芸術大学音楽学部 助教授)
1999年より、取手市・市民・東京芸術大学の3者の連携で企画・運営されている取手アートプロジェクト(TAP)。TAP2004 から新たに導入されたアートマネジメントの実践講座「TAP塾」が、今年もインターンの募集を開始します!
2004年度のインターンは、一年間のうちにプロジェクトの即戦力となるほどの活躍を見せました。他にはないユニークな運営体制の中で、アートマネジメントの現場を経験できる機会です。取手市内に在住の皆さまはもちろん、東京近郊にお住まいの皆さまのご参加も歓迎いたします。ぜひお気軽に、4月10日に開催される説明会にご参加ください!
■TAP塾とは?
講師・森司のもと、TAPのインターンとして業務全般に関わりながら、地域と共生するアートプロジェクト運営のノウハウを、身に付けることができます。
■カリキュラム<講義+実践>
講義:年5回程度(アートマネジメントの専門家による講義)
実践:取手アートプロジェクト2004実施本部の運営に関わるプロジェクト業務
例)プロジェクトの企画立案・執行。財務・会計。広報活動全般。
■応募資格
・アートマネジメントや芸術によるまちづくりに興味がある方。
・1年間プログラムに参加し、TAP運営に携わることが可能な方。
・原則として18歳以上の方、市外からの参加も歓迎します。
・芸術の知識も、事業運営の経験も問いません。
■TAP塾のお申し込み方法(説明会は、お申し込みかなくてもご参加頂けます)
下記の必要事項をご記入の上E-mail、あるいはFaxでお申し込み下さい。
FAX :0297-72-0177 e-mail:tap-info@ima.fa.geidai.ac.jp
*説明会当日、会場でのお申し込みも可
【必要事項】
・お名前
・志望動機
・アートマネジメントの現場TAPでやりたいこと
・住所
・電話/FAX番号
・年齢
・所属(職業)
・E-mail
■会場までのアクセス
JR上野駅から常磐線にて40分 取手駅東口下車 徒歩3分
資料作り
○今日の1枚
「泉町1丁目南地区市街地再開発事業ビル建築工事現場北側フェンス」を活用したフェンス・ギャラリー展2──大森宏一氏の作品。(3月13日〜4月10日)
○日比野展のための資料をつくる。場所の落とし込み、具体的なシステムとしてどのようにしたいのかについて協議するための本当に基本的な資料。図面とかサイズとか。イメージをシステムとして身体化する過程に、ズレや問題が浮かび上がる。仕込みとはそういうもので、そのためにあるプロセスと言って良いだろう。現時、資料を準備しながら、あれこれ確認し調整しないとならないことが見えてくる。複数の人間が集っての会議は日程調整だけでも大変。そろそろ、予定を組み始めないといけない。
○海洋堂広報物の校正刷りが出た。水戸で確認するのは明日の朝。
とんとんとん
○今日の1点
移動中のタクシーの中。PCとスケッチで試したプランを説明中の日比野克彦。作品プランが形になりつつある。
○椿さんが美術を担当した「壁」を観た。
週末
○今日の1点
ミュージアム・ショップ "Contrepoint"のほぼ全景。
「アーキグラム」展のポスターが人気。刊行を急いでいた本としての「アーキグラム」展は3月18日午後から発売開始。来週末には手に取って納得して買っていただけるはず。午後からはショップもギャラリーも賑わった。うれしいことだ。
○「海洋堂」の広報物の入稿原稿が完成。ふーーーー。
にぎわい
○今日の1点
臨時停車した偕楽園駅の梅を車窓から撮影。ギャラリーも終盤近い土日とあって賑わっていた。
○青木淳建築計画事務所の所員として青森県美術館の建築現場を担当する西澤さんが、アーキグラム展覧会を見に来てくれたのでカフェで話し込む。彼とのやり取りはいつも楽しい。
夏の“HIBINO EXPO”の話をしていたら、彼にとっての日比野さんの思い出を期せずして聞くことになった。それは日比野さんらしいエピソードだった。
──岐阜出身の彼は、中学3年生の修学旅行で東京を訪ねる。この時同じ岐阜出身の日比野さんのお話しを聞くプログラムがあった。しかし日比野さんが渋滞にはまり、予定の時間に着がず、移動した先に日比野さんがお詫びの挨拶に来てくれた。そしてさらに後日、岐阜の学校を訪ねてくれて、巨大な壁画を描く公開制作付きの講演会を全校生徒にしてくれた。僕はそのとき芸大を知り、高校で進学先を決めるときに建築学科があることを知り進んだ。そうじゃなかったら関西方面の大学に行っていたと思うから、自分にとって大きなきっかけを与えてくれた一人なのです。──
そして彼は、今の事務所のボスである青木さんに、大学で講師として出会い、今日に至るわけだからなおさらそうなんだろうとガテン。
かなりしっかり時間をかけてアーキグラム展を見て、『建築的グラフィックはまだ彼らを超えられていない』と感想を残してアーキラボ展に向かった。
○芸術批評誌『REAR(リア)』 ・芸術・批評・ドキュメント 季刊2005号冬 No.9
特集は「愛知万博をアートで楽しむ」は、この春の名古屋エリアのアートシーン・チェックガイドに良い。イベントカレンダーの特別付録も付いて350円。
──季刊芸術批評誌『REAR』は、2002年秋に創刊された、主に中部地域の現代美術・音楽・舞台を対象とする批評・レビューのほか、地域に根ざした特集を展開している同人誌。
肌寒い1日
○今日の1点
雨のために霞む空
○日比野さんから企画内容のことで連絡があり、電話でやり取りをする。プランニング段階の第4コーナーを回りつつあることを痛感。これでゴールしたら、実施に向けた精査の段階に入る。その日も近い。
○「海洋堂の軌跡」展の刷りモノの各デザインが仕上がってくる。
時は流れる
○今日の1点
ヒビノスペシャルのスタッフが制作したカウントダウン日めくりの原稿。昨日が150日前だったから、今日は149日前。
○節目となる昨夜、打ち合わせを終えた食事の席にも忍び寄る150日カード。スタッフの涙ぐましい追い立てとお店の協力に感謝。
構想から実施プラン、その具体的段取りへの作業は細かくなっていく。そんな時にあることを我々は知りながら、ワインの酔いも手伝って、さらなる暴走、更なる夢想の世界に突入していく。助走となった夕食のテーブルで撮影。撮影:MORI TSUKASA
○写真のクレジットを入れてみた。それというのも、アーキグラムとアーキラボ展を紹介するイタリアのメール・ニュースに僕の写したシンポジ会場写真を貸したらクレジットを入れてもらえたからだ。カメラマンデビューした気分。
TAP2004活動記録集
○今日の1点
「TAP2004活動記録集」の初稿が平のまま届く。全体の流れや調子を見るために余白をカットして仕上がり寸にしてページを整る作業で出た紙の山。
○本の体裁にならべページをめくりながら見ていくと、デザイン処理が効果として生きている箇所と死んでいる箇所が目に入ってくる。想定する全体の仕上がりテイストにより近づくようにマイナーチェンジをし、さらに可読性のためのデザインだけではなく、装飾的な華を添えるたのデザイン処理を思いつく。3月20日のTAPフォーラムの会場で配布可能となるはず。正直に言えば、この日を目指して進行中。事故がなければ間に合う予定。
切り出しは重要。全体が見えてくる。
○「海洋堂の軌跡」のデザインがやっと固まる。これであとは作り込み仕上げていく進行管理のできる段階となった。それでもでも急がないと!
○3月という年度末は何かと〆のための業務と、4月からの準備のための業務が重なる。
潮が引く感じ
○今日の1点
地震の被害で金魚が1匹になったので、1匹50円の金魚4匹を新たに迎え現在5匹。初お披露目。
○この時期は年度内に予算執行上の都合で刊行しないとならない報告書やらがあり、刊行物追い込みラッシュな日々となる。宿題とっていた原稿もその一つ。夜になって受理したとのメールが届く。
「TAP2004の活動報告書」の校正を芸術館に今日発送したとのメールもあった。
○「アーキグラム」の進行が責了校正の段階に入った。ぼちぼち手を離れて印刷会社の独壇場へとステージは移行する。良い本になると思う。一般書籍売りの本だから、配本後には、ぜひ手にとってご覧下さい。よろしくお願いします。
○次回クリテリオム出品作家のさわさんから展示プランが届く。機材サイズ・イメージを確認しながら、展示構成について協議を始められる段階に入る。ほぼ1ヶ月前となる。
○「海洋堂の軌跡」展広報物の動きが鈍い。あららら、、、、あれれれ。。。。
原稿執筆な1日
○今日の1点
2004年3月2日に撮影したセントラルビル。この後、日埜さんの手でリノベーションが施された。今年4月の水戸市主体のプロジェクト会場としてセカンドステージとして活用される。現在内装工事中。
○こぼせないギリギリ待ち状態の原稿を書く。今日中に必ずしないとならない事はこの1点。というわけで、部屋にこもり頑張って書き上げた。一晩寝かして明日入稿で無罪放免のハズ。先方の依頼主が及第点をくれることを願うのみ。ふー。
一見オフ〜な一日
○今日の1点
晴れ渡る。明日はまた雪とか。春が近づく。弘前城他各地の桜の名所のポスターがJR駅構内に貼るりだされるようになった。昨年体験した弘前城の満開の桜は衝撃的だった。余りにも凄く撮影を忘れたのが悔やまれる。
○予定がずれたり、変更になった今週。午後から自宅にて遅れを取り戻すために幾つか。本当にヤバイ納期の原稿を密かに抱えているのだが、もう爆弾炸裂間近。ロスタイムの域にある。これが行動の抑止力になっていて、予定を変更し自粛して在自宅。散歩日和の一日なんだけどな。自業自得。反省中。
ミラノ・サローネ
○今日の1点(ぼけ写真です。熱気を激写。じゃーないですね。すみません)
昭和40年会「40×40プロジェクト」を展開中の面々のよる、表参道ナディフでの「昭和40年会トークー『男(女)40歳、なにをなすべきか?』」の会場風景。パネリスト=会田誠、有馬純寿、小沢剛、土佐正道、パルコキノシタ、松陰浩之。ゲスト=塚本由晴(アトリエ・ワン)、片岡真美(森美術館)。
○予報通り雪。電車の遅延も予測できたので、通常より1時間早い移動の開始。出るハズの校正がデス、月曜日までずれこむ。海洋堂の広報物の進行が遅れていたのでそのために打ち合わせを急遽押し込んだけど、これで焦ることなく打ち合わせができるようになった。月曜にラフだしの約束で解決。今度は行けると思う。珍しく時間のかかったケースだ。1月5日に着手しているのだから。
ヒビノスペシャルからサンプルが届いているとの連絡が携帯メールに入る。主不在を承知で訪ね、スタッフの米津さんと今後の打ち合わせ。
「アーキグラム」のデザインオフィースに陣中見舞いに寄る。ナディフでの昭和40年会のイベントを覗く。
その後、日比野さんと合流し、深澤氏と展覧会「HIBINO HXPO 2005」の打ち合わせ。この呼び方は深澤氏からのもの。今後は、これを正式タイトルにする予定。今年4月14日から19日に開催されるミラノ・サローネで深澤氏大ブレーク!を予感させるお話しを聞く。そんな忙しい最中なのに、きっちり時間をとっていただき、展覧会にガツンと関わっていただけている。「面白い」と言っていただけているのが何より。次回、打ち合わせはサローネ本番イタリア入りする前に設定されるはず。そこから具体的実務に入る。2004年のサローネはこんな感じ。
さすがに眠い
○今日の1点
明後日新聞2005年2月号54号が届く。3月9日19時から2006年開催の「大地の芸術──次の一歩に向けて」の説明会がヒルサイドプラザであるとの情報。「閃きとド忘れは同じ」とあの日に仕入れたネタを社主・日比野さんが書いている。
65号までの発行が決定しいるそう。新聞30円+送料95円=125円。に回数分を賭けてFAX025−597−2378(あざみフォート内松代支局)かtomorrow@asatte.jpまで。
○9時30分くらいから小部屋で仮眠。こんな時に限ってお約束のように携帯に電話が入って10時過ぎに起こされる。あきらめて起きだし仕事に復帰。夕方まで本のことや他の調整をして帰宅。さすがに何もせず寝る。幸せ。
「久しぶり」なこと
○今日の1枚
「アーキグラム」展関連書籍のカラーページの校正が届く。あいだあいだに変形の『アーキグラム』が挿入される気分満載のデザイン。刊行間近。こうご期待。予約受け中!2940円
○移動の季節が近づき「ドキュメント2000」を一緒にした仲間からメールがはいった。活動記録として刊行した通称、銀本「社会とアートのえんむすび」もトランスアートからオンディマンドで再版されたし、何人かが新しい環境に身を転ずるという。集う名目に事欠かなくなってきたし、おめでたいはなしもあるし、久しぶりに集うことに速攻で決まる。問題は日程だ。幹事様塩梅よろしく。ペコリ。
○アーキグラムのカラーページの再校が全量届く。こちらはほぼ問題がない。しかし墨ページの進行が遅れている。まだ、1回転もしていないものある。赤字のキャッチボールを終えたものから、まだ、棒ゲラ(古い言葉かな)のままで、1回目の赤字が反映されていないページもある。さらにレイアウトが終わっていないページも。
あれれれ....、今日が本山かなと20時を廻ったころに思いはじめつつも、終電を気にしながら進めていた。しかし全くカタチになっていない手つかずに近いページがあることをはっきりと知り、腹をくくり夜な夜なお付き合いしないとならない日であることを悟る。
4日4時からの本紙・青焼きの出し戻し最終校正にモノが間に合わないことを避けるには、3日朝までにペ−ジを完成させ入校しないとならないのだ。
一端戻してから時間が経つ。いまだゲラはデザイナーのところで加工中。4時を廻ったところ。出はじめてから2回転はさせて入校しないと4日の最終が大変なことになる。編集・デザインチームの不眠不休の作業がカタチになるまでの間、お留守番の僕は2日分の日記を書きながら一人待っている。朝までを後半45分とすれば、4日はロスタイムのようなもの。できることは限られている。今日が頑張れる最後の日なのだ。そんなワケでピンチヒッターの僕は久しぶりの館での徹夜。
担当者が戻る4日4時、再びバトンを渡し返せば留守中の代打のお役は御免。そのためにも、全量キッチリ耳をそろえて出しておかないと....ね。
4時30分:お、届き始めた。ありゃ〜!まだ、訂正前のものが動いている。急ぎ戻す。
5時10分:夏場なら夜が明けるころ。外が暗いと焦らなくてすむ。待機中。しばらくして、動きがあってバタバタ。数時間前に予約したホテルもキャンセル。作業を続ける。
7時40分:一端、全て投げ返す。この後の動きの確認、連絡待ち。差し込む朝日が眩しい。
8時20分:10時再開として一端幕。なが〜い夜だったな。
スタイル考、ほか
○今日の1枚
朝、お豆腐屋さんでできたてホヤホヤの豆乳を買い、事務所で飲んでいる。1本140円。飲み忘れて置いておくと豆腐状になるほど濃い。今日もゴクゴク。200CCぐらいあるのかな。
○朝起きたときから「スタイル」の4文字が頭の中を巡っている。WEBで閲覧するように伝説のキュレーター、ハロルド・ゼーマン氏の足跡を読み、プロフィールを眺め、「現場」で「現場」を学びながらキュレーターとしての展覧会手法=スタイルを獲得していった軌跡を感じて昨夜床についたせいか、久方ぶりにタームとしての「スタイル」を考えている。
「スタイル」。この言葉を強い印象をもって数ヶ月前のテレビ番組で聞いた。声の主は、デザイナー深澤直人氏。彼を追いかけるドキュメント番組中でのセリフだった。「アメリカに渡り、なんでもデザイン出来る自分になったときに、改めて『自分のスタイルは何だ』と思うようになり、それを考えた」(うろ覚えだから、全く違った言葉で話していたかもしれないけれど、意味的にはこのようなことを確か口にしていたはず)。
僕がここで言う「スタイル」とは、個別の外観や形状のことではない。個別の外観や形状を与え、生み出す前段、その前提となる考え方・世界認識と、その人独自の方程式や思考回路といった見えざる漠としたものだ。でも雰囲気よりも確かにそこに、触れることができるほどに鮮明にそこにある。だけどもその人だけのものとして存在するものだ。
今や深澤直人氏には秘密の方程式(オリジナルな思考回路なんだろうけど)があって、そこに情報をいれると、大きなものから小さなものまで、あるべき解=イメージがポンと出てくるような印象を与える。そんな気がしたから8月の日比野克彦展で、「日比野克彦の読み解」をお願いした。4月のミラノ・ローネの準備のために「向こうにいる間に、考えてくる」の言葉にワクワクし、それを聞く打ち合わせの日程が近づいていることもあったのだろう。
一流人はスタイルをもつ。いや、独自のスタイルをもつことで一流人なりの力のある仕事を継続に展開できるのだとおもう。
8月に開催する日比野展「一人万博」において、「万博」のパートではスタイルを持つ人=実力のある人=なにをどう出してくるのか分からないけど確実になにかをだしてくれるだろうと期待できる人達に関わってもらい、スタイル×スタイルの万博的祝祭が立ち現れることを期待し、それぞれのジャンルの一流人にお願いしはじめている。「万博」をそのような方向性でイメージすることでの魅力と可能性に僕も日比野さんも気づきはじめ、今、その整備=依頼をしている最中なのだ。
「万博」は動でありチームとすれば、もう一方の「一人」は静であり日比野さんのことだ。そこで、あえて『二代目・日比野克彦・襲名披露展』なる仕立てをイメージし、現時点の仕事を発表する。それに対し「初代」の手がけた1980年代の伝説となっている”段ボール作品”をモニュメントとして並列に展示する。そんな「初代・日比野VS二代目・日比野」の火花散る会場のイメージを僕は思い描いてしまい、かなり今気に入っている。これも20歳台の日比野と40歳台の日比野の「スタイル」の競演の祝祭だ。
このように、8月の「EXPO HIBINO」展には多くのすばらしい「スタイル」の持ち主の参画を願い、豪華な祝祭として展開することで、大切な何かを伝えることができたらすばらしいと思っている。そんな現場を組み上げて素敵にマネジメントする自分をイメージしながら、「現場」のまっただ中にいる。
○ネットTAMが更新されて「リレーコラム」に熊倉さんが管理者指定制度について寄稿している。
○TAP(取手アートプロジェクトのTAPフォーラムVol.2「アートがまちにできること」(3月20日13:00から16:10)のチラシが届く。TAPではTAP塾生2期2005年生の募集を始めた。
勉強したい人向け情報
藤さんからコメントバックが入った。ちょっと私信レス風になってしまうけど、「いや〜、藤さんも凄い。場所を変えながら、さまざまな切り口で日常を対象化し、そこにある違和感をすくい上げていく。脱帽。」(本当は、コメントのコメントバックすればいいのだろうけど、気分としては今日の冒頭のトピックス。嬉しいです。こんどたぶんあの日に行きます。でも、まだ未確定です)
確かに意識的につれづれながらも毎日書いている。その日に、なにを話題にすることになるのか自分でも、その瞬間まで分からない。「これかな」と思いついた時に知る。強いて言えば、自分にとっての予期せぬニュースとか、ハプニングが、ネタになるケースが多い。
例えて言えば、昨日の「本」の続きとか、遅れている「海洋堂のポスター」のこととかあるけど、どれも新鮮みに欠ける。
で、今日のネタは朝届いた郵便物の中にあった。どさっと届いた(この時点でネタにするつもりなら写真で押さえていたんだけどな)案内冊子があった。それを真面目に読んだらタメになった。案内パンフレットを読むだけでタメ(つまり情報を得ることができた)になったのだから、お金をはらいスクーリーングすれば、もっとタメになるんだろうなと単純に思うわけです。というわけでMADに関するお知らせ。
パンフレットの冒頭が“WHAT IS MAD?”となっているくらいだから、イッタイナンダ!?と未見であることを恥じる必要はまったくない。掻い摘んで言えば、NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]が運営する、独自の講義と現場の議論を重視したコンテンポラリー・アートの新しい教育の場の総称。つまり、キュレーションについて学べるところ。2001年からスタートしていたことは知っていたけど、いまや充実の7つのコースを開講中らしい。ゼーマンの軌跡なんて講義あったりして。
ふ〜ん、こんな勉強ができるんだ〜、と感心。で、改めてスタッフのプロフィールを読む。コース・ディレクターのロジャー・マクドナルド。彼の記述中のウエッブログのURLに目がとまる。これが僕の得た情報。早速、アクセス。良いね〜。お気に入りに入れないと。
そして恥ずかしながら僕は、ハロルド・ゼーマン(Harald Szeeman)が亡くなったことを、今日、知った。伝説のキュレーターは2月18日死去、71歳だった。
写真は彼が第49回ヴェニス・ビエンナーレの総合コミッショナーを務めたときのもの。水戸芸術館逢坂芸術監督が日本館コミッショナーを務めた報告書「日本館記録集2001」DVDから。
ズレのなかにあるもの
部屋の掃除をし、髪を切り、返事をもらったメールにまたレスをする。その中に藤浩志さんからの日程を伝えるものがあった。福岡の展覧を見に行くなら、彼が福岡に居るときが良いにきまってる。でも藤さんが忙しく飛び回っているのはブログを読んでいるので知っている。案の定3月中は日程があわないことが判明。それと僕のブログも読んでくれていること、そして彼が社長日記を読むほどに、ほりえもんをフォローしていることを知る。
夜のテレビ番組に生出演しているほりえもんを漫然とみる。
目の前でおきていることをどの様に理解すれば、整理がつくのかと絞り出されるコメンテーター諸氏の質問とコメントが空回りしている印象を受ける。その一方で、ネットで質問に回答する人々は、ほりえもんを理解し支持する数字が映し出される。そんな面白い映像が写っていた。そのやり取りを見ながら、かつて「新人類」なる言葉が流行ったことを思い出す。同じ風景でも走る速度が違うと異なって見える。そんな違いが同じ場所にいながら常に生じているのだろうな。疾走しているほりえもんとの間に。
しかし、ほりえもんは、いたずらに新しさを追うのではなく、今新しく形にできるリアルな部分、ゆえにビジネスになり、お金になるだろう場所を捜しているだけだと語る。
彼の価値観とこれまでの価値観の違いのぶつかり合い、そのものの結末がどうなるのかにはさほど興味はない。
しかし、どうであれ、彼の行動が、今、何かを動かしている。その何かが「何」であるのかを見てみたい衝動は大きい。早晩見えてくるズレ、あぶり出された新しい価値感と古い価値観の乖離をどの様に、世のコメンテーター諸氏が引受けて言語化するのか。感覚で受け入れている人に対し、テレビを通じてどのような言葉により解説するのだろう。
確かに言葉を得ることにより、見えてくる世界があるが、多くの場合、その世界が現実になり知られるようになってから、その世界を語る言葉は、真実を語る言葉と理解される。
早すぎる言葉や行動は、警戒される。ま、それ自体悪いこととはおもわないけど、ヒステリックになることもないと思える。次元がぜんぜん違うけど、野茂英雄が単身大リーグに挑戦したときの冷ややかな反応とその後の熱狂的な報道ぶりを思い出す。なんだかワクワクするチャレンジをすることが悪いことしてるみたいだった。でも悪役から英雄へもはやかった。安定した現状を維持することが秩序であり、成功の秘訣と思わされているのかもね。でも「安心」も好きだ。
それはそうと、アーティストである藤さんの今の展覧会タイトルがいい。「違和感を飛び超える術」。藤さんが見ている地平・探っている場所は広い。それでいて、アートとして見なければ、日常的にふつうに(本当はそうじゃないんだけど)あるような振る舞いの光景に写ることだろう。でもそれは、日常を纏った藤流の擬態でARTなんだけどね。
藤さんは、実は作家として革新的に新しい愛すべき仕事を展開している一人なんだ。
陣中見舞いと打ち合わせ
予定より早く家を出て、デザイナーの古平氏のオフィースに立ち寄る。エクレアを携えての陣中見舞。美味しそうにパクつく古平氏が嬉しい。
PIE BOOKSから発売するアーキグラムの書籍デザインが大詰めを迎えている。プランをしるだけに、進行具合や写真のデザインを見せて貰うために押しかける。分解データを出力したダミーと初稿の仕上がりがほとんど変わらないのが興味深い。まだ、最終判断を保留していた箇所についてすこしばかりディスカッションする。双方次の予定の時間となり、急ぎ辞す。
完成したら売れる予感大。価格も2940円と破格。
アートスケープの編集会議に出席。「アートスケープ10周年記念企画」のブレーン・ストーミングに花が咲く。後は、表紙デザインとか、他諸々。100万/月超えのアクセス。目指せ200万ACCESS!
夜、地震。何処にいるかは時の運。東京直下型の際に僕は何処にいるだろう。
観たい!展覧会
朝、ホームので『アエラ』をジャケ買いする。表紙はライブドア社長、ホリエモンこと堀江貴文氏。買収劇で今一番話題の彼だ。当然、特集記事を興味を持って読む。そしてそのままページをめくり続け最後間際の「ART BIT ++」のコーナーで、「これは、見ないと!」と写真を目にしてから、寄稿者名を見るとアートスケープ看板ライターの原久子女史。これはこれは。
紹介しているのは、銀座エルメスで開催中のスゥ・ドーホー(Suh DO-Ho、1962年、ソウル生まれ)展の《Reflection》2004年作。
今週中の東京上陸の際に立ち寄りは必須。忘れないようにと手帳に書き込む。
原さんや村田さんの精力的な展覧会巡りのレポートを目にし、しばし反省。リサーチを兼ねた画廊・展覧会巡りは必須なのだが、打ち合わせ主体の動きを優先しがちで、視覚的体験が減っている。いけない。
クリストから「ザ・ゲーツ」のプレス用写真とリリースが届く。現場を展開しながらの、この仕事の早さは、相変わらず。クリストの活動にはアートマネジメントの勘所を学ぶヒントが満載。特にプロジェクトベースの活動を目指したりオーガナイズしたいと思う人には欠かせない。プラン・プロポーザルの提示の仕方、実施までのプロセス、実施と実施後のドキュメント作り(これまでは本とフィルム)。ときどきのリリースの出し方。どれをとっても非の打ち所がない。
クリテリオム63 さわひらき
日曜日の今日はお休み。午前中、自宅で用を済ませ、午後から東京で幾つか用をこなし足早に帰宅。急ぎのトピックスがないこんな日は、僕が企画する次のクリテリオム作家の紹介に相応しいと勝手に決めた。
クリテリオム63。
会期は4月9日から6月5日まで。つまり「造形集団 海洋堂の軌跡」の期間中だ。
今回は、「さわひらき」さんの未発表および新作ベースでの紹介。昨年暮れから今年1月30日まで開催されていた「Have We Met ? ──見知らぬ君へ」展(国際交流基金フォーラム)に出品参加していたロンドン在住の日本人作家だ。1977年石川県生まれ。アートの教育をロンドンで受けている。2003年10月にオオタファインアーツで紹介されたのが国内初と記憶する。僕はこの時、偶然、画廊に立ち寄り見ているのだが、グッときたのは先のグループ展での展示インスタレーションを見た2回目の時だった。それは『欲しい』と言う衝動だった。でも、あっと言う間に高値になり、今じゃ僕には買えない値段になっている。もっとも、残っている作品もないのだそうだ。どんな作品のラインナップとなるのか、そろそろ聞かなきゃ。
8月の日比野展の前に「クリテリオム63さわひらき」展を4月に行う。そしてゴールデンweekには、EXPO HIBINO展関連の実施プログラムが動き出す。3月にはそのために募集告知の手配もしないと。急ぎながらもゆっくりと準備していられる至福の時はわずかだ。企画から実務への移行期が確実に迫ってきている。
こまごまとしたこと
ちょっと気になっていたことを、ちょっとだけこなした1日。
このブログの書き込みの中には、リンク先アドレスが分からず、そのままというのがある。先日、アートマネジメント学会東京支部での報告者として自分を呼んでくれた椎原さんの趣味度満載のブログもその一つ。自分としてはかなり気になっていたもの。過日はどうしても捜しきれずにリンクできなかった。メールにアドレスが添付されていたことを思い出し、本日、椎原氏のブログに到達。はー、すっきり。こちらが椎原伸博ブログ。とても楽しめる。
昨年秋からデジタル一眼を手にしたいと思い、何が良いかと聞いてい歩いていた。推薦機種は大旨一緒。でも価格帯との距離感に触手が動かず、まだその気になれず、ずるずるしていた。しかし、画角とかシャッタースピードの問題とか、それなりに必要性を内心感じはじめていたし、ここに来て、僕にも何とかなりそうなまでにこなれた価格になったので思い切って買う。存在感を放ち机の上にある。みんなどうやって携帯するのだろう。これまでのようにカバンのポケットに忍ばせるわけにもいかない。
今日、一番密かに気になっていたワンフェス用「造形集団 海洋堂の軌跡」のチラシ。夕方、松本さんから今発送しましたとのメール。わぁ−おハヤ。朝刷って、もう発送か。う〜ん〜、間に合ってよかった。動員につながる効果があることを期待。
さらに本当のところセントラル・パークでのクリストの「ザ・ゲーツ」はどうだったんだろう?と思っていた。見てもいないのだから。NYに出張していた二人が戻ってきて、見てきた話を聞く。なるほどねーー。
電車移動中に、日比野さんから連絡をもらう。しかし、車中。話すに話せず、要件を聞けなかったら、事務所からメールがあった。なるほど、了解。明日つくばでお目にかかるわけだし、そこで話そう。明日のプログラムの詳細はこちら。
カメラ選定を相談し、椿さんの写真に何かとお世話になって心苦しく思っていたので、カメラを買った旨メールしたら、怒濤のスケジュールと3月の舞台「壁─占領下の物語」の美術をこんな風にしたよと、写真を添付したメールをもらう。いつなら行けるかと考えいたのが今日。彼の忙しさを基準にしたら、シンクロしているとは思えないほどに僕はスローで彼はファースト。椿さんは韋駄天駈けで忍者のように移動しスケジュールをこなしている。なんとも忙しそう。『ARTiT』第6号の巻頭「ART IT, ART THEM #005」の写真も彼の撮影。舞台美術を構想するための現地取材時の写真と日記が彼のブログに収められている。必見!
海洋堂のワンフェス用チラシ
昨夜、20日に開催されるワン・フェスのためのフライヤーのデザインが届く。至急コメントバックを!との手紙が付いている。担当学芸員や海洋堂からのリクエストの反映感がないじゃないか? あれれ。このままだとNGは必至だろうと、慌てて電話をする。当のデザイナー氏は、無視していたわけではないので、「やっぱりね」といった感じで慌てず「今すぐします」との即答。さすが。ドキドキするほど時間切れ感はあるけど、まだロスタイムまでは行っていない。
朝、メールを確認すると5時頃に届いていた。それを関係者にメールで転送。最終文字確認と海洋堂のチェック。数年に渡る巡回展を知らせるバナーと同じ系譜のデザインテイストのもの。OKがでる。Go onだ。
今夜入れて、明日18日印刷、19日納品。20日のワンフェスには間に合った。あぶないあぶない。引き続き展覧会の本ポスター、本チラシの制作を急がないと。これまた時間切れの綱渡りになってしまう。
そんなこんなの対応をしながら、『BT』に目を通したり、『ぴあ』に目を通したりし、諸情報を確認する。横浜トリエンナーレの川俣正ディレクターの動きを伝える記事が目立つ。今一番ホットな話題の一つであることは間違いない(だろうな)。
クリスト「ザ・ゲーツ」
日経新聞の朝刊を読んでいたら、「遊歩道に7500の『門』 米セントラル・パーク 提案から26年経て実現」が目に入ってきた。予定通り12日オープンしたんだと思うと同時に、へー、日経の社会面に載るんだ!と感心しながら記事を読む。「総費用は推定2千万ドル。その経済効果は八千万ドルと見込む」このあたりが日経らしいね。
実現して良かったなと思う。ホームページに実写がアップされている。
より興味のあるか方はここをクリック!
見比べるとドローイングと寸ぷん違わぬ実写の世界が実現されていることを確認できます。それがクリストのアートなんだ。ザ・ゲージツ。深遠なる世界なのです。公開期間は2月12日から27日までの2週間。今すぐNYへ!
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椿さんの《窯象》が、先の場所に12日無事に嫁入。久しぶりに椿さんが自分のブログで報告している。3月の炭焼きの日程決まったらおしえてくださいね。
京都造形大学
2月9日の日経新聞に「18歳から94歳の芸大生がいます」と京都造形大学芸術学部通信教育部の広告があった。全12コースを抱える通信の芸術学科芸術コースの「芸術計画演習a」の特別講師として京都の瓜生山キャンパスを訪ねた。
この講座は、国立国際美術館の中井康之学芸員が担当するもので、バングラデシュ・ビエンナーレとインド・トリエンナーレのコミッショナーを担当した二人で話そうという趣旨のものだ。
9時からの講義で8時50分くらいに着くと、いわゆる社会人学生の人たちがそれぞれの教室で制作に勤しむ姿を目にし感動。
講義中の中井先生
中井氏と僕とで1限から4限まで、つまり9時から4時30分まで講義。聴講生は辛抱強く聞いてくれた。感謝感謝。中井氏とは大学の同期ということもあって、前提となる真面目な話をすることもこれまであまりなかったので、彼の期待にゲストとして応えられたか心もとないところもあるけど、自分としては楽しかったし、良かったかなと思っている。
この講座の元締めは、通信のスクリーングで2003年9月水戸で開催した日比野克彦ワークショップ「明後日新聞水戸支社」で一緒した林洋子助教授。
お二人に素敵な夕食をご馳走になって帰路に着く。次回、お返ししないとね。
建築を勉強する日
森美術館で開催中の「アーキラボ:建築・都市・アートの新たな実験展1995-2005」の関連パブリックプログラム・レクチャーシリーズ「建築が動く時」第2回「美術館建築の今」を聴講する。会場は満席。50人はお断りしたと嬉しい悲鳴が冒頭の挨拶で披露されていた。それでも講演中にどんどん椅子が追加される盛況ぶり。ま、ムリもない今日の講師陣は、青木淳と西沢立衛氏。当初は妹島和代さんが登壇し、いわゆる青森県立美術館VS金沢21世紀美術館の図式の中から、まさにテーマとして掲げている「美術館建築の今」を探るねらいの組み合わせだった。でも妹島さんが熱をだされ急遽、ピンチヒッターとして1995年から共同設計者としてユニット「SANAA」を組むパートナーの西沢立衛氏が代役を務めることに。40分間の二人のレクチャーは魅力的だった。青木淳さんは水戸芸術館を導入部に、2002年の東京国立近代美術館《U bis》や2004年の水戸での《大和薬品》といった作品を経て、本命の青森県立近代美術館までを、写真、フィルム、アニメーションを使った無駄のない40分間の理路整然とした講義を展開。青木淳の意識する問題、課題が本人がどのようなプロセスを経て検証し具体的に落とし込む行為を行っているのかを平明に論じるものであった。つまり個別の建築(設計)の説明というよりは、青木淳の持つ世界観を披露することに力点が置かれた秀逸な構成であった(明日の自分の講義もこのような組み立てとこのような周到な準備をもって望むべきなんだと密かに反省。でももう手遅れだ。今用意してあるもので望むしかない)。そんな僕のよそ事に関係なく会場では、休憩なく引き続き、西沢立衛さんが2面のスクリーンを使い、ここ最近の7本のプロジェクトをテンポ良く紹介していく。軽快な語りで各プロジェクトとその進捗状況、そしてそのプランの発想・着想の源泉の説明がなされていく。時代の感性をキャッチアップし、それを具体的に落とし込む手法を確立している旬の人が持つ勢いを感じさせる。中国で設計しているマンションの1戸サイズが600平方メートルのプランにおける発想にはなるほど感心し、広いとはそう言うことかと妙に納得。
しずかにばたばた
昨夜終電で戻りメールを確認すると、緊急・至急のメール。なになになにとメールを開けると海洋堂展の広報物に関する内容。NGが出たとのこと! ありゃ大変。深夜にもかかわらず松本弦人氏に連絡。完全仕切り直しの方向を確認し、この連休中に託す。ハプニングと言えなくもないけど、以前にも松本氏と組んだときにこんなことがあった。火事場のバカ力じゃないけど起死回生のプラン出しに期待。
明後日、京都造形でバングラデシュ・ビエンナーレについて話すことになっているのでそれの準備。やはり世界一華やかな「ベニス・ビエンナーレ」との対比を見せたてあげるのも良いかなと、報告書として以前編集に関わった2001年ベニス・ビエンナーレのDVD画像を確認。もって行こう。ちなみに最近のベニスのコミッショナーは、2001年逢坂恵理子/2003年長谷川祐子/2005年笠原美智子が務める。笠原女史は日本館コミッショナーとして石内都氏の作品をソロで紹介する。それにしても開催時期の6月のベニスは美しいよね。ま、バングラデシュもインドも1月が彼の地にとってはベストシーズン。日本なら秋か。9月開催の横浜トリエンアーレの構想も新コミッショナーの川俣正氏から発表となった。テーマは「アートサーカス」だっけ。段々と今年の動きが見えてくる。僕は8月開催のエキスポ・ヒビノに邁進するのみ。
海洋堂の軌跡、ほか
箱に入って松本弦人さんから海洋堂のポスター、チラシのプランが届く。
ふむ、ふむ。さてどう段取りつけるかな。と準備をしていたら来客があり中断。
午後、展覧会担当の浅井学芸員に内部プレゼン。長考の末、基本路線(方向性について)の承認をもらう。と同時に、使用予定のフィギアの使用許諾をとってもらうために一式を渡す。ささてと、印刷進行、どうやって進めよう。先ずは松本氏を捕まえないと。
***********
明日の打ち合わせ場所のFAXがヒビノスペシャルから届く。明日は、日比野さんと一緒に展覧会の為に重要なある人物に会う。その予習も兼ねて前に読んだ本を取り出してパラパラ捲っていて、初めてお目にかかるお土産にジェームズ・タレル展のカタログをもっていったら喜んでもらえそう!とハタと思う。美術作品を理解し説明するのに初めてアフォーダンスを必要とした思い出が懐かしい。このカタログは自分が手掛けた6冊めのカタログでいろんな意味で上手くいった気持ちになれた最初の1冊。タレル自身も気に入ってくれていいる。好評で第3版目。気に入ってもらえたら嬉しいな。
ワンダーフェスティバル
「造形集団 海洋堂の軌跡」展の広報物をお願いしているデザイナー松本弦人さんから2月20日のワンダーフェスティバル用バナーのデザインが届く。「ありゃ!?」ちょっと僕が思い描いていたデザインとはぜんぜん違うもの。判断保留のまま担当学芸員の浅井氏にトス。関係者と協議調整し2案から1案を選んで採用するとのこと。締め切り間際で時間切れの感もなくはないけど、すべてを捨てて1点突破の思いっきりの良さは買うべきなのだろう。海洋堂を熟知するワンフェスに集い氏に展覧会があることが告知できればOKなのだから。
自分は土日当番出だったため、お休みを使い病院に。あまりにも咳が抜けないのでみてもらう。
もろもろの日
休日当番で水戸芸に在館。
午前中は、日比野さんに昨日のプランに関するコメントバック。9日の打ち合わせの時に協議したい分部についていろいろと書く。横滑り感のない構築的なキャッチボールが始められそう。さぁ、楽しくなってきた。
午後になって、茨城県近代美術館に「第4回現代茨城作家美術展」を見に行く。取手のTAP2004の事務局スタッフ福田の母君の実作を初めて目にする。
昨日、日比野さんらとタワーに登った時に撮影した風景。右:中景に千波湖。遠景に県庁舎(県一のっぽ)。近景が建設中のデパート。
第11回インド・トリエンナーレ
インフルエンザにかかり床に伏していたから、久しぶりの出社。机の上には、0が一つ多い見積もり書が「見ない方がいい....」と走り書きが添えられて置いてあった。病み上がりには悪い数字だ。根本から組み立て方を変えないとならない。もう少し元気なってからしよう。まだ次の次の展覧として構想中の仕込みの展覧会に関することだ。余裕はある。
コンコン、コンコン。オフィースにいる自分はかなりうるさい。全て直ったとおもったら咳が出るようになってしまい、とぎれることがない。辛そうに聞こえるらしい。
郵便物もそれなりに山となっていた、そのなかに国立国際の中井さんからの郵便物があった。「お、インドからもどったな」と中身をみると、「来週の講義で使う予定のものです。見ておいてください」とある。事務所で見るのもなんだなと、自宅に持ち帰り早速みる。
懐かしい音楽が挿入されている。同じ文化圏のニオイがする。しかし、インドは広い。同じような街の状景ながら、バングラデシュでは圧縮され、インドでは拡張されている印象がする。
報告書の表1と表4。バングラデシュはこんな気分の街だ。
展覧会の雰囲気もよく分かった。僕も負けじと資料の準備を始めないと。1週間などあっと言う間に経ってしまう。頑張って風邪が抜けきるのが遅れてもイヤなので早々に寝ることにする。
11th ASIAN ART BIENNALE BANGULADESH 2003 カタログ
実際に開催されたのは2004年1月15日〜1月31日
『明後日新聞』が届く
明後日新聞1月号が届く、先週の打ち合わせの時に、ヒビノスペシャルの別のテーブルでしこしことこしらえていた。その時チラッと目にした新聞が無事に完成版となって届く。僕は明後日新聞の定期購読者なのである。これを読むと、日比野さんがこの間なにをしていたのかよく分かる。新潟の地震の後には、「アート慰問」に出かけたときのことが記事になっていた。もちろん「一人万博」のことも記事なっていたこともある。
1月号は半ばに新年の御挨拶をかねて訪ねた莇平での雪のなかでの諸々が記事。
購読希望者は、025−597−2765に電話すれば、運がよければつながる。とっても急ぐ人は東京のヒビノスペシャルにかけるいいのかな?今度聞いておきます。ちなみに定価は30円。なんだかうれしくなる値段だ!
祝・更新
アートスケープ2月1日号が更新されて、「学芸員レポート」がアップされた。
今号は新旧筆者勢揃いのゴーカ版。
みんな2005年の抱負と動向をよませていただくことにしよう。はてさて今年はどんな年になるのか?
でもダメだ。気にはなるものの気力も集中力もからっきし無く、躰に力も入らない始末だから、読んでも頭に入らず、遅々として進まない。うー、諦めて完治後に読ませていただくことにしよう。「今年こは元気で!」と思っていたら、のっけからインフルセンザだ。喉は痛し、目はうるうる。熱は高く、食欲はない。鼻もきかず、味覚もない。動向をキャッチするどころではない。
悪あがきすることなく、もうしばらくは寝てすごすしかないが、5日目となるといろいろと飽きがくる。
窯象誕生の流れ
《窯象》の生まれそもそもは、バングラデシュにあると昨日書いた。今日はその背景を少し書こうと思う。そしてこの背景を理解すれば、椿昇がTAP2004で《窯象》を展示した通称「椿忍術研究所」他において、竹酢液その他の物販に励み、『資金調達』した真の意味が見えてくる(なんてね)。
というわけで、あえて流れをフローチャート風に(そいうえば、来週12日、国立国際の中井学芸員と京都造形大学で双方がコミッショナーをしたバングラデシュ・ビエンナーレとインド・トリエンナーレにつてい講義することなっている)。
1)2003年夏。夏休み中にコミッショナーに選出された報告を受ける。
2)会場の見取り図から作家の選定に入り、3作家に依頼をし出品作品の協議にはいる。
3)同時に過去に事例から、今回も現地での「素材」を用いた作品を是非提示したいと考える。日本円で100万円用意すれば可能。仮に10倍としても1000万円。日本でもそこそこのことができるまとまった額だ。現地の物価は、実感としては1/20。
4)2003年9月末、膨大な予習により予備知識に溢れた状態になった椿さんと彼のアシスタント達と現地入りする。
5)バングラデシュに多くの知識がないくてもたとえば雨期になると国の多くが水に沈む、洪水の国であることは知っているとおもう。
6)現地の優秀なガイド通訳から、バングラデシュにおける「水」の問題に関するより正しい知識を得る。
7)帰国後、椿昇はマングローブ林乱伐が引き起こしすサイクロンによる高潮被害と井戸水のヒ素含有という「水」をテーマにした 「『ラジカル・アクア』プロジェクト宣言」が届く。
8)諸悪の根元となっている水の負(−)の連鎖を正(+)の連鎖にかえることを標榜するもの。
9)水の濾過のために炭を使う。その炭を自生する竹を使ってつくる。椿なりのフェアトレードのあり方を示したもだ。
10)2004年1月バングラデシュ・ビエンナーレの設営の為に2度目の現地入り。この時、彼の地で準備したとても小さな《窯》で炭を焼き、ステイトメットと併せて展示した。とてもささやかな一歩であった。
11)帰国後、国内外で炭焼きを実施。
12)今回、初めてUNBOYの炭焼きロボットとしてデザインした《窯象》がコバックの手により製作され、同時にプロジェクトタイトル《ラジカル・カーボン》が発表となる。
といった具合。貧困から脱するには教育を受けるしかないが、そのためのきっかけを得ることの一つに、安全な水を口にできるようにすること、また、そのための素材を加工して対価を得ること。椿は、バングラディシュの貧困の連鎖を彼は何とかしたいと考えているわけなのだ。
その方法を教えるための絵本を作るための軍資金が物販の売り上げ金であり、次の展開はそれを届けにバングラディシュに再び出向くことなのである。
ちなみに、椿昇はこのとき優秀賞(Honorable Mention Award) を《ペンタ》で受賞している。
壁に貼られた受賞の証。
椿昇の窯象のその後談
窯象が嫁ぐ「たき火の里 」
まだ場所を探して歩いている時、建築中の異様に大きなログハウスに遭遇し思わず撮影した1枚。撮影:2004年7月4日。「たきびの里」は童謡「たき火」を作曲した渡辺茂氏のおいの永田さんがかつての別荘跡地に建てたログハウ ス。 《窯象》は童謡「たき火」の生まれた地で活用さえれることとなる。3月に窯象にここでまた火を入れる予定。
下の写真は2004年10月29日。窯象への初火入れの時の1シーン。なぜ椿さんが忍者姿をしているのか?「TAP2004」の会場を訪ねた方ならその理由は簡単ですね。
この窯象をこしらえたのは、コバック。水戸とバングラデシュで展示した「ペンタ」もコバック製。
バングラデシュ・ビエンナーレの会場でその勇姿を見せる「ペンタ」。すべてはここへの参加から、「竹炭」「竹酢」のプロジェクトは始まっている。
日本アートマネジメント学会関東部会
朝からいささか躰が重い。もともと今日はお休みなので、部屋で静かにし過ごすも、夜は、オペラ好きの実践女子大の椎原伸博さんに日本アートマネジメント学会関東部会に呼ばれている。もう1年も前から頼まれていたことで、当日のキャンセルはムリ。暖かくして夜の準備。
テーマは「TAMからTAPまで」。いったい何のことかわからない頭文字が並ぶ。TAMはトヨタ・アートマネジメント講座の頭文字。TAPは取手リ・サイクリング・アートプロジェクト2004の頭文字。TAPの資料は事務局の及位さんがパワーポイントで作ってくれて送ってくれた。パワーポイントのソフトをもっていなかった自分は慌てて調達し、CDを開き、為に自分でも資料を作ってみたりして、日中を過ごす。午後、昼寝をし、時間になって会場に。皆さん熱心に聴講していただき感謝の至り。それとプレゼンソフトを使うとかように楽なものかと実感。次の講演の時には一から自分で作ってみよう。今回は及位さんどうもありがとう。
2004年4月3日のTAP塾説明会の図。
関東部会での報告は、このTAP塾によるインターン生の採用の実験の成果について。
2004年11月13日初日。椿昇の炭釜に点火する塚本光男取手市長。大変お世話になりました。改めて感謝です。ありがとうございました。
ここに至る過程は9月1日に始まるブログTAP塾日記に詳しい。これも講師に来た椿さんのレクチャーの影響。
インターン生の活動はこの後の「TAP2004」の記録集の編纂と3月20日に予定するファイナルのフォーラムの実施。正に今日、取手で彼らはそのゲストの人選について協議しているはず。講師の人選に彼らの視野が広がったことを見て取ることができる。
グラムとラボは違う!
ヤバイ! 「アーキグラム」と「アーキラボ」が巷では混濁している。水戸で開催しているのは「アーキグラム」イギリスの建築家集団の展覧会だ。一方の「アーキラボ」は東京・六本木の森美術館で開催中のフランスの建築アーカイブから大量に建築模型を持ち込んだ展覧会だ。それに日本の建築動向を加える形で網羅されている。そのいみでは、「アーキグラム」と比較対象される日本での動向「メタボリズム」が何であったのか具に見ることができる。つまり、この二つの展覧会は補間しあう関係にあると言って良いのだ。だから両方行くべきなのだ。「アーキグラム」の仕事も紹介されているからといって、間違っても六本木を訪ねただけで良しとしてはいけない。と、強い口調になるほどに水戸に来て欲しい。
アーキラボ展のサブタイトルが「建築・都市・アートの新たな実験1950−2005」。展覧会会期は「アーキラボ」が3月13日まで。
アーキグラム展の正式タイトルは「アーキグラムの実験建築1961−1974」。水戸の「アーキグラム」は3月27日まで。
*うーん。列記していて、勘違いされてもムリないかなと弱気に思ったりするけど、
水戸の「アーキグラム」展をどうぞよろしく。とても良い展示になっているんだから。
ギャラリー入り口。階段をのぼってくると彼らが迎えてくれる。
赤い靴
展覧会が無事オープンし、今日はお休み。午前中、少し体を動かし、午後はアートスケープの編集会議。
アートスケープの前身の活動は、阪神・淡路大震災やオーム・サリン事件があった1995年。つまり、のちに『インターネット元年』と呼ばれる年に始まり、翌1996年にartscapeと改名してからでも今年で10年。そこで、「アートスケープ10周年記念プロジェクトとして何かしよう!」とガヤガヤ。そう言えば「インターネットマガジン」が1994年の9月に創刊されたとか、彼は今どうしているとか、いつしか昔話に(ま、そのうち企画としてまとまることだろう)。
で和やかな会議も終わりエレベータを待っていると、僕の履いている赤い靴が目にとまったらしく話題になる(あれ、うろ覚えだけど履き始めて1年くらいつんじゃないかな)。
昨年一緒にリノベーション・プロジェクトをした水戸青年会議所のメンバーにガンダムフリークの人がいて、一目で赤い靴がなんなのかわかったらしいのだが、しばらく経ってから、遠回しに聞かれた覚えはある。
今日、東京での講演会のために水戸から東京に移動したアーキグラムのメンバーの一人、長身のマイケル・ウェブは僕の赤い靴をストレートに褒めてくれた。たぶんに社交辞令としても、大の大人に「良いね!」と面と向かって言われたのは初めてのことだったな。赤好きの自分としては、「赤い靴」が欲しくて買ったので、シャーもガンダムも知らないだろうマイケルにそう言われたことは僕にはちょっと嬉しいできごとだった。そんな四方山話のブログの日。
これがその靴。ナイキ製深紅のシャー公式グッズ。踵部分にロゴがしっかり入っている。じつはちょっとエンスーンなシューズなのだ。
打ち合わせからの道すがら、愛知万博まであと「60日」の掲示を目にする。家に戻ると、万博関係の手配他で忙殺されていた椿さんが「明日から自分のブログ更新を始めます」と復活宣言をアップされていた。関西に住む椿さんは95年の地震の時に、ネットとメールに急接近し、仕事の環境が激変したこともあり一人でできるサイバーな世界に入り、その可能性を追いかけてきた作家の一人だ。愛知万博のプランも一段落したのだろう。日比野さんも参加するし、他にも多数の作家さんが関わっていることだし、一回は行かないといけないな。いつにしよう。
クンストハウス・グラーツ
メディア・コンペティションの募集のチラシ(画像の歪みはご愛敬とご勘弁下さい)。
募集作品は「3分間のクイックタイムムービー」。3月31日締め切りだって。
オーストリア第二の都市グラーツで開催が予定されている「日本の知覚」展(6月4日〜9月11日)に連動した作品の募集。「グラーツ アートプロジェクト/BIX・メディア・コンペティション」。
BIXとは、2003年秋にオープンした新美術館クンストハウス・グラーツの建物外壁面(曲面)BIXファサードに装着された横56個×縦24個の蛍光管が点滅(階調有)する電光スクリーンのこと。スケールで言えば横56メートル、縦24メートル。つまりとてもデカイ!(なんて陳腐な表現)。でも見るからにデカイ。『都市的スケールのランド・スケープアートに』とチラシのリードで謳いたくなる気持ちは良くわかる。ひどい作品ならぼーりょくになっちゃうから心して準備してくれ〜。燃えてくれ〜。とエントリー志願者の方々に、暢気にゆる〜くエールしつつ秀逸な表現に期待。
クンストハウス・グラーツの建物外壁面(曲面)BIXファサード(リンクで飛んだらArchitectureをクリック!)がいかにデカクて街並に対して奇妙で有機的に見えることか。ネットの映像でボクも見ただけだけど、それでいて道に面した一方のファサードは端正な面持ちで街に抗うこと無く溶け込んでいるようで、これまた凄い。この『舞い降りた宇宙船のような外観を持つ』(チラシのリード文から引用。僕は青ナメコを連想したけどね)建築物が、あのピーター・クック(1936年生まれ)がコリン・フルニエと共に初めて現実化させた建築。
そうなんだ。水戸芸術館で開催する「アーキグラム展」(1月22日〜3月27日)の為に、この20日(木曜日)に来水(水戸に来ることをこう書くのだよ)するピーター・クックの1/1の作品(つまり現実に建った)なのだ。
クリストもプロジェクトを実現させるのに数十年を要すけど、建築も大変だ。
そういえば、先週末のトークで青木淳さんも言っていた。建築で設計の道に進むことを決めることは「失業する」ことを決めるようなものだって。
さてさて、で「アーキグラム展」の開催に併せて1月23日に予定するシンポジウムは残念ながら完売で席がない。けど1月22日14時〜15時30分のオープニング関連企画としての「アーキグラムによるギャラリーガイド」(通訳付)なら展覧会チケットがあれば会場に入れて生のお話し聴講可能!なので是非おでかけください。と最後は水戸の宣伝で終わります。
クリスト
今日は、今年の2月12日から16日間の予定で実施されるクリスト&ジャンヌ・クロードの手掛ける「ザ・ゲート・プロジェクト」についてのご紹介。
梱包の作家として知られるクリストはこの2月に公開するニューヨーク・セントラフパークでのプロジェクトの準備に追われている。
茨城とカルフォルニアを舞台にした「アンブレラー」のあと、ベルリンの国会議事堂を梱包したクリストが、1979年に着想し、NY市サイドから2003年1月22日に実施許可が出て、はや2年。今正に構想25年に及ぶプロジェクトが最終段階の作業に入っている。
かいつまんで話せば、7500本のゲート(高さ4.9m、幅は遊歩道幅)がセントラルパークの遊歩道に設置され、サフラン色合の布を地上約2.1mの高さまで下げるプロジェクト。
観客はその下を歩き風になびく布を仰ぎ見たりすることになるわけだ。
詳細はクリスト自身のホームぺージを訪ねるか、
日本語で詳細を知りたい方は、美術ライター高石ゆみさんの「WEB展評」の記事をごらんあれ。
フォーラム3日目
奧・藤浩志、中央・秋元雄史、手前・日沼禎子。遠方からのゲスト講師、藤・秋元両氏の発言に聞き入る日沼女史。
朝、一瞬、晴れ間が見えたものの、あっと言う間に、冬の天気に。
このレベルの降りになると「『雪害』の為に電車遅れます。」とアナウンスがある。
ホームの除雪作業風景。
本当によく降りつづける。
お父さんたちは雪かき・雪下ろしに追われる忙しい日が続くと聞かされた。
おつかれさまです。
フォーラム開始前に、タッチ&ゴーの慌ただしさで青森県美術館建築現場に立ち寄る。
北国の地中に大半が埋まるこの美術館の地上階部分が姿を現していた。
秋元氏の感心する箇所が興味深い。なるほどね。そう見るのかと勉強になる。
展覧会のおしらせなど
藤浩志から満足いく展示ができたとのメールをもらう。今日が初日。祝オープン。見に行かないと!
1月22日初日の水戸芸術館の企画展「アーキグラム」のポスター。デザインは古平正義。
ショップには「まほちゃんち」の記録集が納品となった。
戻る
渋滞を避けるために朝5時前に移動開始。7時頃富士川付近に到着。富士山が美しい。ま、そのために減速する車が多く、自然渋滞となる場所。回り込んだ足柄側から見た富士山には雪。自宅に戻り27日からの新聞を整理。1面の見出のスマトラ沖の地震の死者の数が日ごとに多くなっていく。27日「死者6000人超」28日「死者2万4000人超」29日「死者最悪5万9000人超」30日「死者7万人越す」31日「死者12万人越す」。今後の感染症が蔓延する可能性が危惧されている。水戸を去ったかつての同僚にタイ好きな奴がいて、プーケットの魅力をさんざん聞かされ、一度は行ってみたいと思っている場所の一つ。一日も早い復旧を願うと共に、うまくいえないけど平和で安全で健康である状態の幸せに感謝。久しぶりにPCを起動させ愛読している仲間のブログを訪ねる。『そのような年末年始をおくったのね、ふむふむ』と思いながら読む。
富士山
初夢
初夢を見ることなく目を覚ます。名古屋駅前のJR高島屋にお年始の品を買いにでかける。福袋を求める人とトランクを引きながらお土産を買い込む人で混み合う店内を人をかき分けて買い物をしていたら珍しくヒトケにあたり、そそくさと帰る。それでも書店により、六星占術の本を探す。大晦日の夜、NHKの紅白から一時チャンネルを廻してはじめて見てしまった細木数子のタレントのちゃらけた発言への厳しいというか大まじめな叱責の言葉というか、本人のあり方そのものが、懐かしく感じられたためだ。2年前に亡くなった僕の伯母もあんな感じの叱り方をする人で、遊びにいってはよく叱られたものだ。それは別にして、六星占術では、自分がどうやら火星人+になるらしいのだが、心もとない。まだよく分からない。もどってから、午後のまた日の光が美しい時間帯に散歩に出る。
隣町の神社。此処まで歩いて来たことはなくとても近場なのに新鮮
2005元旦
快晴。大みそかの雪がきれいに溶けだしている。シンプルな名古屋雑煮を食べて、近くの津島神社に初詣に行く。熱田神社に昔はわざわざ出かけものだが、最近では近場ですませている。おみくじは末吉。珍しくふんぱつして鯛も付いている大熊手を買う。これまであまり買った記憶もない。いい年になるといい。昨夜のゆく年くる年では、3月開幕の「愛・地球博(愛知万博)」の宣伝に励んでいた。僕も8月に日比野克彦の個展「一人万博」を企画担当しオープンさせる。今年前半はその準備がメインとなる。まだまだ日比野氏とキャッチボールして決めていかないとならないことがやまほどある。
実家近くの津島神社
初詣から戻ると3時近かったが、あまりにも光がきれいだったので寒さを押して小一時間ほど自分を散歩に連れ出す。午後のイヌの散歩に出ている人とすれ違うが、当方は一人。気恥ずかしい気も最初のうちで、冷たい空気とすんだ空と山なみに見入りながら気持ち良く歩く。そんな元旦を過ごす。
光陰矢のごとし
なんと12月も中旬を過ぎて、残すところあと2週間。年末年始の予定を確認しながら、今週の予定を確認。夜は珍しくテレビを見て過ごす。
「ソロモンの王宮」のデューク更家に続けて「情熱大陸」で鮨職人・荒木水都弘(あらきみつひろ)38歳の鬼気迫る追い込みの仕事ぶり。弟子への10年先の握鮨の完成を期待する師匠の素人(門外漢)には計り知れない深い教え(諭し)のシーンに見入る。
スタイルは違えども日々精進する二人の生きざまに感慨する。
青木淳サイン会
青山ブックセンターでの青木淳さんの出版記念トークに代表質問者的司会者役で登壇。質問者として横で聞いていた自分も、独立しようと思ったきっかけや1996年の《O》の完成が節目となっていること、金沢21世紀美術館への感想も聞けた。もっと聞きたいことは沢山あったけど、90分はあっと言う間に消化。そしてサイン会。盛況であったとこは言うまでもない。
サイン中に視線をくれた青木淳さん。いつも穏和で余裕の人だ。
僕は、サイン会の後、一緒に食事に行って、またまた多くのお話しをお聞きした。『まだ公開できないプロジェクトにおいて「更なる新展開」をしているんだ』とはご本人の弁。ならば静観して待つべし。解禁になったら教えて下さいね。
台風23号
台風23号がやってくる
今年は本当に台風の当たり年でまたもや台風23号が上陸する。10日程前には22号のせいで金沢に足止めになったが、お陰で楽しい夜を満喫。その一部がブログスタイルで再開した青森県美術館整備室学芸員の立木氏のレポート10月9日付でアップされている。本当に楽しく思うところがあったのですね。
8月30日には16号のお陰で足止め。欠航した飛行機から新幹線に変え、さらに時間も早めるなど努力したものの、東京に向かう台風の速度の方が早く、この日は広島から岡山までしか最終的には戻れなく駅前のホテルに避難した。そんなわけで台風が過ぎるのを待つのが得策と学習したしだい。
この撮影の直後に、目の前で最終「新大阪」行きが、「岡山」行きに変わった。
この時の広島行きは、音戸町での17名の作家による街を舞台にした美術展「音戸アートスケープ ゲニウスロキ2004」展を見るためだった(artscape10月1日号の学芸員ポートで川波さんが詳細を寄稿している)。
展覧会の開催を知らせる幟。
しっとりとした街並み。会場の一つでもあった榎酒造さんの留仕込み水のかわりに清酒を使った「貴醸酒」は独特の風味ながら美味。お昼の食事もとてもおいしかった。
刊行記念パーティー
「青木淳 COMPLETE WORKS 1 1991-2004」の刊行記念パーティー会場受付脇に展示(販売)されていた話題の著書(作品集)。536ページ、4,740円+税(ギリギリ5,000円を切るために設定されたとしか思えない税込み値段4,977円)。バリューとは正にこの本の為にあるのかしらん。とにもかくにも破格でお値打ち。
パーティーの終わりに挨拶をし、お礼する青木淳さん。
この日、会場でトムとジェリーの漫画のシーンが挿入された《O》のビデオを見た。空を飛ぶ猫の視線の動きが捕らえたようなムービー画面。カメラアングルの必然性を漫画の挿入が与えている。見ていると青木さんが建てたかった空気感(気分)をメディアを変えてするならこんな感じかなといった、軽妙にして大胆な仕掛けとして漫画使われた印象を受ける。
漫画表現の自由さを借用し、《O》を構想した時(1994年秋竣工)の気分、ワケ、必然性、を感覚的に目一杯伝えようとすることが最優先されているそのビデオ作品を目にして、青木さんは建築といったハードである意味不自由な表現メディアを、自由闊達に使いこなす達人として、表現者としてありたいと思い続けている人なんだという強い印象が残る。それもあれも含めて26日にabcの会場で聞いてみよう。
「ん」のなぞがとける
「び」だってさ。
その横に設置済みの「ょ」を発見。
9月18日飛蝗の設営を控えた朝、駅から芸術館に向かって歩いていて、信号待ちでたちどままった。目を脇に振ると「ん」をアーケードに設営中。「ん」だけとは?と思い撮影。で、10月4日「カフェ・イン・水戸2004」の撤去に向かう朝、「び」と「ょ」をそのアーケードのもう一方の端に設営する作業現場を目撃。「びょ〜〜〜〜ん」だってさ。
9月18日に撮影した「ん」
カフェ・イン・水戸2004の展示作品の撤去作業は順調にすすみ、ギャラリーの中の撤収は無事終わる。明日はセントラルビル他。いつものようにバラシは早い。設営時の1/3あれば必ず終わる。
肌寒い1日だった。本当に一雨ごとに秋の気配が強まっていく。
浅間の白煙・就任・サイト開き
2週間ぶりの白煙とのこと。鬼押し出しに向かう入り口辺りで撮影。ものの4、5分の間に幾人かが車を降りて撮影。わざわざ、このために来た雰囲気。「ドカン〜」とならない内に下に降りよう。上の方では紅葉が始まりかけていた。もう秋の到来。う〜、月日の流れのなんとはやうことか。
今日、青森の年長の友人である弘前劇場を主宰する長谷川孝治さんが県の文化振興課舞台芸術担当プロデューサー就任の辞令交付式に臨んでいるはず。おめでとうございます。
http://www.hirogeki.co.jp/diary/h/index.html
そして、もうひとつ、トヨタ・アートマネジメント講座の後継としてアートマネジメント総合情報サイト 「ネットTAM」 が今日オープンした。おめでとう。リレーコラムに寄稿。
http://www.nettam.jp/
髪を切る
ほぼ2ケ月ぶりに髪を切る。嬉しそうに髪をきるそのお店は、その店主に惹かれてか、ひっきりなしに予約客がその時間に現われる。歯医者さんの待合い室のようだ。痛くも怖くもないから大いに違うのだけど。僕も切りたくなってから2週間待った。切りたい衝動がはしってからの2週間は長い。今度はもっと早めに予約しよう。ずいぶんと短くなってさっぱりとした。自分では気に入っている。
9月11日 ミトホーモン
昨日、後輩から「森さんの夏休み長いね。宿題また、たまっちゃうよ!」と、展覧会を見に来る報告メールに添えてあった。「あちゃ」。夏休みはとっくに終えた。真面目に日々、もそもそとちゃんと働いている(気分ではいる)。更新しないと!!!
僕の仕事は「現場」と「準備」に大別できる。本番直前の物や人が動いたりする「現場」に突入すると、100%その日と明日くらい、長くて7DAYSくらいのショートレンジの時間の組み立てを意識しながら働くことになる。それはそれで現場の臨場感と緊張感があってとても好きだ。
可能な限りの準備を終えてからは、現場には現場の都合があるからそれに素直に反応しな
がら対応する瞬間も捨てがたく良い。目に見えて具体物になっていく時の、あのヒリヒリした感じが好きでアートプロジェクトをやっていると言っても良いぐらいなんだ(正に病みつき状態)。
その一方で、数年先の仕込みも同時にしている。僕としては1年ぐらい先のプロジェクトのために、1カ月から3カ月、まぁ100日くらい先の日程を埋めるような布陣の組み立てが、人からは見えないけど、かなり具体的な準備する時間として、個人的にはとても好きだ。
準備段階としてプロジェクトが完成するタイミングがある。けれど、準備から現場への以降時期は、神が舞い降りてきてすばらしいプロジェクトイメージが固まる、それを待って訪れてくれるものでもない。大抵は現場での作業量を予測して、Xdayから逆算することで自ずと見えてくる候補日が採取されて「その日」と決められていく。そのタイミングに合わせて、事を推移させる準備=マネジメントの醍醐味は、しびれるくらいに良くて癖になるからたちが悪い。
最近の僕は、当日の為の仕事と先のXdayに向けた仕込みというか準備の時間配分が3:7から2:8くらいの典型的な企画準備期間の仕事の仕方にある。
プロジェクトは足が速い。うかうかしているとあっという間に、企画している自分が追い越される。一旦抜かれたら最後、追いかけるとても忙しい(=時間貧乏)日常に飲み込まれてしまう。肝心なのは初動期のスタートダッシュ。プロジェクトの先にいる限りは大丈夫、ま、言うほどには簡単じゃないけれどね。
朝から、TAPスタッフのメールに書き込みをする。思わず長い手紙となった。みんな読んでくれるかな。11月13日から28日が会期だ。その意味では9月はひとつ目の山場。ここで時間を稼げる体制と準備をしておかないと、あっという間に、プロジェクトの波にほんろうされてしまう。
パラパラめくっていたら名和晃平と中村哲也の二人も出ていたので、水戸に向かう途中、キオスクで9月15日号のBRUTUSを買う。「カフェ・イン・水戸2004」の集荷に名和氏宅を訪ねた時、この後、『京都でBRUTUSのための冷蔵庫の撮影がある』と言っていたっけ。このことだったんだと一人合点しつつ、二人のプロフィールの中に「カフェ・イン・水戸2004」出品と会期等のお知らせが出ていて喜ぶ。これを見て一人でも多くの人が来てくれたら嬉しい。
ミトホーモンで訪ねた「ジェネレーションギャップ団地」。奧の背の高い新しいマンションはベランダを南向きに建てられているため、築の経つ手前の2層階のアパートと直行する。
午後からは「水戸空間診断」を編集したアトリエ・ワンの貝島桃代さんが、水戸を見て歩くワークショップ「ミトホーモン」を実施。約3.3キロ。14時スタート戻りは16時。知らざる水戸市内を堪能。
途中、広島市現代美術館で12月までの常設展のために「テツオ」を設営しに行っている椿昇さんから、久しぶりに組あがった「テツオ」(5メートル大の劣化ウラン弾処理ロボット)勇姿が携帯に届く。良いね。
夏休み・宿題の追い込み
ちょっとばかりヤバイほどおやすみしてしまった。のっけから懺悔。記録的な猛暑で夏ばてし、へたっていたわけはない。むしろ連年になく元気に夏を乗り切ったと言って良い。で、開き直っての言い訳。実は、ある日を境に、怒濤のような現場が連続するような日常になって、客観的に今日の僕はあれをしたこれをしたなどと思い返しレポートする距離をとる閑というか、気持ちになれない状態に突入してしまった。(7月15日からだろう!と指摘して頂ける読者には感謝)。さぼって(いや、そんなつもりはなかったのだけど)間があいてから、「最近書き込みしてませんね!」と言われることが続いて、「え、君も読んでいるの!」と知らされ驚かされるることが続いた。でも満更でもない。読者がいてくれるというのは嬉しいことだ。公開日記なのだから、もとより誰かに読んでもらい「へ〜」とか「ふ〜ん」とか思ってもらえるのが嬉しい。と言うわけで、突然訪れて冷え込んだ日から、秋の気配をひしひしと感じている自分としては、夏休みの終わる前に日記を埋めておく必要をひしひしと感じ、全てが忘却の彼方に旅たつ前に、手帳を元に復刻しておく。そして本当の明日から遅めの夏休みをいただく。駆け込みの書き込みである。平にご容赦を!
8月17日 企画書を書く
17日午前:来年度事業の企画書の前段部分のテキストを書く。あっという間に午前中終了。
17日午後:日比野スペシャル事務所の米津さんが展覧会を見に来る。
17日夜:自宅で締め切りのとっくに過ぎている『新建築』のための原稿と取り組む。スケジュール的にはかなりヤバイ。しかし、17日の夜から18日の朝にかけては睡魔との戦いで遅々としては進まず。
18日朝:結局、一旦寝て起きた18日の朝6時から11時に家を出るまでに、水戸のリノベーションに関する背景を書き上げ編集室にメールで送信。毎度のことながらの滑り込みセーフ。
8月16日 お休み
展覧会も開いて、学芸員実習も終わったので、とてもノンビリした気分のOFF日。
休日の基本はお昼寝。気持ちの良い秋の香りの混じった風を感じながらのお昼寝。
少し買い物に出たりはしたが、ま、そんな程度のゆるい1日を過ごす。休みの日に休みとして過ごせる、なにげない贅沢に満足。
12日実習生と飲みに行く
2日から来ている10名の実習生に一緒に食事会をしましょう!と誘われたのでおつきあいする。みんな仲が良い。
11日健康診断
年に1回、バリュームを飲む日となる。今年はかなりスムーズに飲むことができた。この日に備え、ちょっとだけ健康志向的な生活をしてみたりする。目に見える成果が出てくれるといいのだけれど。リノベーションの解体現場で汗したせいか、体重は落ちている。矯正視力も悪くない。胃はどうだろう。1カ月後くらいに届く、診断書が怖い。午後、TAPでお世話になっている千葉大大学院生のななちゃんが、長田先生が主宰すWE-CANのメンバーと車3台に分乗して展覧会を見に来てくれる。アトリエ・ワンに彼らも何かお願いしているそうで、本を丁寧に見て帰る。
10日のんびり
OFF。なんともすばらしい響き。ゆっくりすごす。
桜咲く
旧茨城県庁お堀脇の桜
4月1日なったとたん桜が花開く。2004年度が始まる。でもすでに1/4が終わった。月日の経つのがなんとも早くなった。