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尊厳の芸術展 ─The Art of Gaman─

2013年01月15日号

会期:2012/11/03~2012/12/09

東京藝術大学大学美術館[東京都]

太平洋戦争時、アメリカで暮らしていた日系人は強制収容所に連行され、収容され、終戦後しばらくまで拘束された。強制収容所の多くは砂漠の只中に建てられたバラック小屋だったため、そこでの集団生活はきわめて過酷なものだった。しかし、彼らは厳しい生活環境を改善するために、あるいは美しく彩るために、もしくは現状を記録するために、とどのつまりは自らの尊厳を守り、貫くために、数多くの美術工芸品を制作した。
本展は、そうした「尊厳の芸術」100点あまりを見せた画期的な展覧会。仏壇や茶碗、算盤といった生活必需品から、指輪、玩具、花札といった嗜好品まで、じつにさまざま。限られた材料を最大限に駆使してかたちを整えた職人の技芸が、何よりすばらしい。作者不詳のものも少なくないが、だからこそ有名性という色眼鏡を通すことなく、ものづくりの原点を目の当たりにすることができたともいえる。生活というより、むしろ生きることそのものと密着した芸術のありようを、これほど実直に開陳した展覧会は、かつてなかったのではないか。
本展にも出品しているジミー・ツトム・ミリキタニは、アーティストとは何でも学ぶことができる存在だと言った(”Artist can learn everything”、映画『ミリキタニの猫』)。この言葉が意味しているのは、「何でもできる」という万能感ではなく、「何であれ学ぶことができる」という殊勝な柔軟性である。事実、強制収容所は言うに及ばず、そこから解放された後も、一切の生活の基盤を奪われていた日系人の多くは、生きていくために目前の職を一から学ぶ必要があった。生きるには、なにがなんでも学ばざるをえなかったのである。
翻って今日のアートを見なおしてみると、生きることが保証され、かつてとは比べものにならないほど学ぶ機会も豊かになったにもかかわらず、そこでつくられる「作品」の、なんと脆弱なことだろう。おそらく、その最たる要因は、著しく低下した技術力というより、むしろ「何でも学ぶことができる」という柔軟な発想と姿勢の欠如にあるのではないだろうか。いま必要なのは、アートを学ぶことではなく、アートにかぎらず貪欲に学ぶことからアートを立ち上げることである。アートという固定観念を鵜呑みにして、がんじがらめに呪縛されている学生にこそ、見てほしい展覧会である。今後、福島や仙台、沖縄、広島に順次巡回する予定。

2012/12/06(木)(福住廉)

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