2021年11月15日号
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artscapeレビュー

青梅ゆかりの名宝展

2013年01月15日号

国立奥多摩美術館[東京都]

会期:2012/11/10~2012/11/12、2012/11/17~2012/11/19、2012/11/23~2012/11/25
少なくとも東京のアートシーンにかぎっては、昨今ますます「西高東低」の傾向が続いているのではないだろうか。JR青梅線の軍畑駅から徒歩20分ほどの山奥の川沿いに新たに誕生した国立奥多摩美術館のオープン記念展を見て、なおさらその印象を強くした。
国立奥多摩美術館は、しかし、「国立」でも「美術館」でもない。その実態は、ふだん数人のアーティストによって共同スタジオとして使われている空間をそのまま展示会場にした、ある種のオープン・スタジオである。山奥のスタジオならではの広い空間を存分に使い倒した展示と、何より「奥多摩」以外の情報を詐称する大胆な発想がすばらしい。
出品したのは、太田遼、河口遙、永畑智大、二藤建人、原田賢幸、山本篤、和田昌宏、Katya and Ruith。同館館長の佐塚真啓が、彼らの作品を「青梅ゆかりの名宝」として見せた。太田が建物の棟木の真下に狭小空間をつくり、来場者にはしごで登らせて内部のフローリングとスリッパを見せれば、永畑は1階と2階を貫くかたちで巨大な鹿威しを設え、数分に一度無意味に大きな水しぶきを上げさせた。
また、無意味といえば、徹底的にナンセンスなパフォーマンス映像で知られる山本篤は、奥多摩近辺で伝統として根づいているとする「キャタラ祭」なる架空の祭りをでっち上げ、自ら地元民に扮してインタビューに答えながら、ハリボテの神輿をひとりで「キャタラ! キャタラ!」と叫びながら元気よく担ぐ映像インスタレーションを発表した。展示された神輿の表面には燃え盛る炎のイメージが貼りつけられていたが、よく見るとそれはバーベキューで用いる金網を接写した写真だった。山本が無意味の追究によって見出そうとしていたのは、おそらく燃え上がり盛り上がる祭りという理想郷であって、それを求めれば求めるほど、燃え上がることすらできない澱んだ現状が逆説的に浮き彫りになるところが、おもしろくもあり、悲しくもある。
さらに、このような狂騒的な展示にあって、ひときわ異彩を放っていたのが、河口遥だ。階下の「ビッチカフェ」でお茶や軽食を販売していたが、何かを買おうとして料金を渡すと、そのお客が男であれ女であれ誰であれ、河口はいきなり強烈なビンタを食らわした。体重の乗ったそれは、ものすごく痛い。あの痛烈な一撃にどのような狙いがあったのか、いまでも理解に苦しむが、けれどもある種の感覚が研ぎ澄まされたことは否定できない事実である。それぞれの来場者の脳裡で何かの突破口が開けることを期待していたのかもしれないし、あるいは、ただたんにビンタをかましたかっただけなのかもしれない。そういえば、昨年の6月、武蔵野美術大学近辺の「22:00画廊」で催した「そんなロマンティックな目つきをするな。」展でも、河口は両手で抱えた生肉の塊を引き千切りながら肉片を会場の床にばらまき、それらを食材にしたシチューを来場者に振舞っていたから、今回のパフォーマンスは、やはり身体の奥底にひそむ感覚を暴力的に覚醒させる作品の、きわめてミニマルなバージョンだったのだろう。いま思い出してみれば、胃の中でなかなか消化されない肉のえぐ味と、じんじんと脈打つ頬の痛みが、ともにふだんはなかなか機能することのない感覚の現われだったことが理解できる。
いずれにせよ、本展は、若手のアーティストを集めたグループ展としては、近年稀に見るほど充実した展覧会だった。コンセプチュアルであることを自称しながら、そのじつ自分好きなだけの鬱陶しい傾向や、ギャラリストの眼を意識しながら「置きに行く」志の低い傾向が東東京を席巻するなか、奥多摩の山奥で奏でられたこの狂騒曲は、ひとつの希望である。

2012/11/25(日)(福住廉)

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