artscapeレビュー
2013年01月15日号のレビュー/プレビュー
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館
[アメリカ、ニューヨーク]
床が傾き、壁が湾曲しているために、ときどき美術系の人から最悪と言われる、フランク・ロイド・ライトのグッゲンハイム美術館へ。
とはいえ、やはりこの空間は圧倒的に素晴らしい。確かに、現代美術や大きな彫刻には不向きの特殊解だが、開催中だった白黒のピカソ展は内容もよく、絵画のサイズがほどほどなので、展示が空間をうまく使いこなし、相乗効果を上げている。ちなみに、
以前、グッゲンハイムで見たザハ・ハディド展は、床が傾いているなら、ドローイングも斜めにかけちゃえば、という度肝をぬく手法だった。今回、吹抜けの脇に付随する部屋はかなり天井が低いのに、カンディンスキーや1900年前後の絵画をうまく展示すると、むしろ親密さを演出し、空間のマジックを感じた。
2012/12/31(月)(五十嵐太郎)
MoMA SP1
[アメリカ、ニューヨーク]
MoMAのPS1へ。いまや日本でもめずらしくなくないが、学校をアートの場にコンバージョンして使う先駆者である。ただ、やはり日本とアメリカでは、もとの学校の空間性能は違う。こちらは天井も高い。訪問時は、LAのアフリカン・アメリカンによるアートの歴史、パキスタンのベーコンみたいなBHABHAによる彫刻と絵画、ゲイでアウトサイダーアートのLANIGAN-SCHMIDT(身のまわりの素材で宗教的な作品を制作)、パゾリーニの映画を特集しており、空間だけではなく、展示もオルタナティブで興味深い。
2012/12/31(月)(五十嵐太郎)
ブロードウェイ/タイムズ・スクエア
[アメリカ、ニューヨーク]
前回ニューヨークを訪れたときは時間がなく、スキップしたので、今回はおよそ15年ぶりにブロードウェイとタイムズ・スクエアの界隈を歩く。電飾や大型のスクリーンがすごいことになっており、かつての東京以上に『ブレードランナー』的な世界が出現している。人工の光によって、本当に夜が眩しい。特に屋外の大きなスクリーンに歩行者が映り込む、シンプルなメディア・アート的装置が大人気だった。
ちなみに、大晦日は夕方から、カウントダウンで有名なタイムズ・スクエアの周囲の数ブロックに大量の警官があふれ、クルマを閉めだし、人の交通を制限すべく、バリケードで道路を封鎖している。都市に戒厳令でもしくかのように、ものものしい。このエリアに泊まっていたため、夜ホテルに戻るのにも、宿泊証明書を見せないと通れなくなるほどだった。
写真:タイムズ・スクエアの周囲と大型スクリーン
2012/12/31(月)(五十嵐太郎)
喜多俊之『デザインの探険1969-──僕がイタリアに行った理由』
日本を代表するプロダクトデザイナーのひとり、喜多俊之氏の自伝である。1969年にイタリアのミラノを訪れた喜多氏は、当初3カ月の滞在の予定であったが、それが3年になり、その後イタリアと日本の双方に拠点を置く生活は40年にわたる。辞書と小さなトランジスタ・ラジオひとつを持って訪れたイタリア、ミラノを訪れたきっかけ、イタリアでの生活、他のデザイナーたちとの出会い、そして家具デザインなど自身の仕事が、スナップやプロダクトの写真とともに語られる。
なによりも興味深いエピソードは、家具メーカーであるカッシーナ社との共同作業であろう。カッシーナ社のオーナー、チェザーレ・カッシーナとの出会いは渡伊前の1967年。1969年にイタリアで再会したときのチェザーレの言葉は「10年くらい経ったら、私たちと仕事をしよう!」であったという。その意味は、ヨーロッパに暮らし、その生活を体験してこそそのマーケットに適したものづくりができるということであった。実際、両者の共同作業が始まったのは1976年。そして最初の打合せが始まってから、その成果である《ウィンクチェア》が完成するのは3年後の1979年。さらに《ウィンクチェア》の発表は翌1980年のことである。完成してすぐに発表されなかったのは、この製品が未来的、80年代的であるという経営者の判断でもあった。
このほか、本書にはイタリアの家具メーカー興隆の背景にある社会環境の変化やメディアのはたした役割、それらと日本のデザイン環境との比較考察もあり、喜多氏のデザインの背後にある優れたものづくりの思想と方法とを学ぶことができよう。[新川徳彦]
2013/01/06(日)(SYNK)
柴田文江『あるカタチの内側にある、もうひとつのカタチ──柴田文江のプロダクトデザイン』
インダストリアル・デザイナー柴田文江氏の作品集。
体温計、女性用のカミソリ、炊飯器、自動販売機……。ものに形があるのは当然で、誰かがそれをデザインしているはずなのだけれども、それがデザインされているとか、デザインの差異で購入しているとはほとんど意識されないものたち。意識されないのは、なによりもそれが「フツウ」だから。使い手にとって、あるべきかたちをしている。収まるべきところに収まっている。自然に接することができる。なにも特別なことはない。暮らしのなかでリアリティのあるかたち。しかし、あらためて周囲を見回してみると、ほかに似たものがない。少なくとも、そのデザイン以前には。製品の購入者・利用者のほとんどはデザイナーの名前を知らないだろう。とはいえ、アノニマスなデザインとも異なる。それは淘汰されて残ったものではなく、その時点でのスタンダードでもない。使いやすく必然性のあるかたちをしているが、それはエルゴノミックなデザインというよりも、人とものとの間に自然な関係を生み出すプロダクト。柴田氏の仕事にはそのような印象がある。
本書はプロダクトの写真に加えて、デザインの方法論、素材に対する考え、個々の製品の解説、クライアントの反応など、柴田氏自身によるテキストが付されている。カプセルホテル《9h》が発表されたとき、筆者は発表会場のAXISで製品を見ている。このプロジェクトはさまざまメディアに取り上げられ、注目を浴びていたと記憶しているが、柴田氏がショックを受けるほどの批判もあったとは知らなかった。
ブック・デザインは葛西薫氏。写真を含めて本文はすべてモノクローム。このモノクロームの写真が、柴田氏のプロダクトの柔らかな曲面──柴田氏が「ピチピチプクプク」「トゥルットゥル」と好んで擬音で表現する「湿度のある」かたちと質感──を際立たせている。プロダクトの色彩を見たければ柴田氏の事務所「デザンスタジオエス」のウェブサイトを訪れればよい。ただ、その前に「カタチの内側にある、もうひとつのカタチ」をしっかりと見つめておきたい。[新川徳彦]
2013/01/08(火)(SYNK)