artscapeレビュー
2013年01月15日号のレビュー/プレビュー
アブストラと12人の芸術家
会期:2012/11/11~2012/12/16
大同倉庫[京都府]
12人の作家たちによる抽象表現をテーマにした自主企画展。荒川医、金氏徹平、菅かおる、国谷隆志、小泉明郎、立花博司、田中和人、田中秀和、中屋敷智生、南川史門、三宅砂織、八木良太が「現代の新しい抽象表現とは何か?」をテーマに新作を発表した。タイトルの「アブストラ」とは、かつて圧倒的な吸引力で美術史のひとつのピークをつくり、歴史を塗り替えたアメリカの“マッチョ”な抽象表現主義に対し、現代の抽象表現を“女性的”として表わした言葉。現役の大きな倉庫を会場に、映像、絵画、立体インスタレーションなど、さまざまな作品が展示されていた。立体も平面も、大型の作品がほとんどで、この広大なスペースをのびのびと自由闊達に使いこなしているように見えるが、倉庫という機能と目的のある空間を展示空間として創出するそれぞれの工夫もうかがえる展示で、今展に取り組む作家たちの姿勢と意欲も感じさせるものだった。なにより新しい抽象表現というひとつの問いを共有し制作発表につなげる彼らの行動力とチャレンジ精神に感心した展覧会。こちらの背筋も伸びる思いだった。会期中にはワークショップやアーティストトークなどの関連イベントも多く開催されていたが私はひとつも行けなかったので、現在制作中という記録集を楽しみに待ちたい。
2012/12/15(土)(酒井千穂)
黄金町バザール2012
会期:2012/10/19~2012/12/16
黄金町周辺[神奈川県]
5回目を迎えた黄金町バザール。横浜の黄金町・日の出町界隈のスタジオや旧店舗を舞台に、33組のアーティストによる作品が展示された。2008年以来持続してきたせいか、今回の作品はモノとしての作品があれば、コトとしての作品もあり、観客参加型やプロジェクト型など、以前にも増して作品のバラエティが豊かになっていた。
たとえば近年独自のアニメーション映像を精力的に発表している照沼敦朗は、アニメと同じ薄暗い色合いで空間じたいを塗りあげ、同じ街並みを描きこんだうえで、その壁面のひとつにアニメーション映像をプロジェクターで投影した。ふつう映像を見る場合、映像のこちら側とあちら側ははっきりと分断されているが、照沼はその境界線をあえて溶かしあわすことで、映像の世界に没入するような感覚を巧みに引き出していた。
一方、照沼とは対照的にシンプルな空間をつくったのが、中谷ミチコだ。浮き彫りとしてのレリーフではなく、彫りこんだ内側に着色する「沈み彫り」(村田真)の作風で知られるが、今回も会場に入ると白い壁面に動物を描いた作品があった。もともとある壁に直接彫ったのかと思ったら、壁面全体に白い壁を仮設したうえでいくつかの図像を彫り込んだようだ。かつて違法風俗店が軒を連ねていた猥雑な街並みとは明確に一線を画して、白い空間を徹底してつくりあげた潔さが気持ちいい。
さらに中谷とはちがい、黄金町の街に正面から介入したのが、太湯雅晴である。自らに与えられた展示会場を、その近辺で働く日雇い労働者の男性に宿泊場所として提供し、ここにいたるまでの経緯を記録した映像もあわせて発表した。じっさい、会場の一角には彼が寝泊まりする仮設小屋が設置されていた。社会から切り離しがちなアートという領域を、あえて社会に向けて開き、その生々しいダイナミズムを持ち込もうとする志は、高い。ただ、太湯が「ホームレス」に声をかけている映像を見ると、宿泊場所の住人として当初「日雇い労働者」ではなく「ホームレス」を想定していたことがわかるが、その趣旨を説明するときに用いる「アート」「作品」「展示」という言葉が、彼らにはことごとく通じていないのが一目瞭然となっている。社会に直接的に介入しているにもかかわらず、アートと社会の隔たりが際立つという逆説があらわになっていたのである。
アートに社会を持ち込むだけでなく、社会にアートを持ちかけること。太湯の作品は、社会に介入するアートにとって今後乗り越えるべき課題を、じつに明快に提示したといえるだろう。そして、これは黄金町バザールをはじめ、全国各地のアートプロジェクトが考えるべき問題でもある。
2012/12/15(土)(福住廉)
もうひとつの川村清雄 展
会期:2012/10/20~2012/12/16
目黒区美術館[東京都]
昨秋、江戸東京博物館と目黒区美術館の2館で洋画家・川村清雄(1852-1934)の展覧会が開かれた。江戸東京博物館での展示(2012年10月8日~12月2日)は「維新の洋画家──川村清雄」と題し、清雄の生涯を川村家の資料と、《勝海舟像》や《形見の直垂》、フランスからの里帰り展示である《建国》などの絵画作品で包括的に振り返るもの。同時期に開催された目黒区美術館での展示(2012年10月20日~12月16日)は江戸博に対して「もうひとつの川村清雄」というタイトルで、目黒区美術館が所蔵する加島コレクションと、馬頭広重美術館所蔵の青木コレクションを中心に、とくに清雄の後半生に焦点を当てた展示であった。加島コレクションの旧主、加島虎吉は出版社「至誠堂」の経営者であり、清雄の支援者でもあった。清雄は明治末から大正期にかけて至誠堂が出版した雑誌や書籍の装幀を手がけている。油彩画においてはカンバスにとどまらず、木の板や、漆の盆、絹本など多彩な素地に作品を描いた清雄であるが、装幀の仕事においては当時の印刷技術を前提とした限られた色彩と明解な描画が、油彩とはまた異なる魅力を生み出している。彼はまた、至誠堂との関わりを持つ以前から春陽堂の文芸雑誌『新小説』の挿画や表紙も手がけていた。絵画においては画壇に背を向け、作品を発表する機会がほとんどなかった清雄であるが、雑誌の表紙や挿画、書籍の装幀を手がけることで、彼の作品は同時代の多くの人々に知られていたのである。書籍の原画には板に油彩で描かれて周囲に印刷用のトンボが貼り付けられているものもあり、当時の印刷技術を知るうえでも興味深い。川村清雄の装幀の仕事には、まだ同定されていないものもあるといい、今後の研究の進展が楽しみである。[新川徳彦]
2012/12/16(日)(SYNK)
シャガールのタピスリー展──二つの才能が織りなすシンフォニー
会期:2012/12/11~2013/01/27
松濤美術館[東京都]
白井晟一が設計した松濤美術館の地階展示室に巨大で鮮やかな色彩のタピスリーが並ぶ。最大の作品《平和》(1993)は、国連本部のステンドグラスのためのマケットをモチーフとして、フランス・サルブール市の依頼でつくられたもので、幅620センチ、高さ410センチある。
シャガール(Marc Chagall, 1887-1985)は60歳を過ぎてから絵画以外に陶器や彫刻、リトグラフなどの作品を手がけるようになり、70歳を過ぎてからはモザイクやステンドグラス、タピスリーなど、モニュメンタルな作品を手がけた。実際には規模の大きな作品は技術的にも体力的にも自ら手がけることは困難で、職人や専門家たちとの共同作業が行なわれた。本展が焦点を当てるのは、シャガールとタピスリー作家イヴェット・コキール=プランス(Yvette Cauquil-Prince, 1928-2005)との協業である。他のモニュメンタルな作品とは異なり、シャガールはタピスリーにはほとんど口を挟まなかったという。理由のひとつには技術的な問題があったようだ。イヴェットのタピスリーの制作方法は、次のようなものである。(1)シャガールの原画を撮影し、原寸大のモノクロームにプリントする(裏から織るために写真は鏡像である)。(2)原画に基づき配色を決定し、使用する色や織りの指示を写真に書き込む。これをカルトン(大下絵)という。(3)経糸(たていと)の下に置かれたカルトンの指示に従い、職人たちがタピスリーを織る。緯糸(よこいと)が織り込まれていった部分は少しずつ巻き取られ、職人の目の前にあるのは常に白い経糸とその下に置かれたモノクロームのカルトンのみ。ひとつの作品が織り上がるまでに小さなものでも数カ月、大きなものでは2年におよぶという。そして、すべてが織り上がって枠から外されたときに、初めて全体が現われる。すなわち、織りの途中で口を挟む余地がないのである。
もちろん、その仕上がりが意に反していたならば両者の関係は続かなかったであろう。シャガールとイヴェットとの出会いは1964年、シャガールが77歳のときである。以来両者は20年にわたって共同作業を続け、シャガールの没後もイヴェットはシャガール作品のタピスリーを作り続けたのは、ふたりのあいだに深い信頼関係があったからにほかならない。展覧会の副題に「二つの才能が織りなすシンフォニー」とあるように、シャガール自身、両者の関係を音楽に例えていた。すなわち、作曲家=シャガールが描いた「楽譜」を指揮者=イヴェットが読み解き、演奏者=職人たちがそれぞれのパートを奏でる。イヴェットのタピスリーはシャガールの原画のたんなる拡大コピーではない。大画面に拡大したときにふさわしい色の組み合わせを選び、必要な色に糸を染め、織り方を考える作業から生まれたのは、またひとつの独立した芸術作品なのである。[新川徳彦]
2012/12/16(日)(SYNK)
生誕100年 松本竣介 展
会期:2012/11/23~2013/01/14
世田谷美術館[東京都]
36歳で早逝したから、しかも第2次大戦と敗戦後の混乱に翻弄された画家だから、広大な世田谷美術館の企画展示室を埋めるだけの作品があるのか疑問だった。ところが驚いたことに、2階の常設展示室まで使っての大回顧展ではないか。総作品点数240点以上、書簡やスケッチ帖などの資料も含めれば計400点を超す。でも絵としてはおもしろみを感じなかったなあ。いわゆる竣介らしさに、黒く細い線で輪郭を縁どる技法があるが、これって藤田嗣治の技法と似てなくね? 描くモチーフも戦争に対する画家のスタンスも対照的だったけど、両者はどこかで通底していたかも。もちろん藤田のほうが器用で繊細で振れ幅も大きく、サービス精神も旺盛なお調子者だったけど。もうひとつ奇妙に感じたのは、遠近法を使っているのに画面の奥行きや空間的な広がりが感じられず、閉じた感じがすること。とくに後期は人物があまり描かれてないからかもしれないが、画面を静寂感が支配しているように感じられるのだ。これは耳が聞こえなかったせいかしら。
2012/12/16(日)(村田真)