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artscapeレビュー

ゼロ・グラビティ

2014年01月15日号

会期:2013/12/13

丸の内ルーブル[東京都]

映画『ゼロ・グラビティ』がおもしろいのは、その物語が宇宙の無重力空間を舞台にしながらも、重力との拮抗関係をありありと実感させるからだ。むろん、すぐれた映像技術による無重力空間の描写は注目に値する。けれども原題がgravityであるように、この映画の醍醐味はそのような無重力空間をとおして、逆説的に重力の働きを私たちに想像させることにある。体感し得ない無重力を視覚化することによって、重力を視覚化しないまま体感させると言ってもいい。
果てしない宇宙に投げ出された主人公の孤独と恐怖は計り知れない。しかし私たちがほんとうに身震いするのは、彼女の背後に映る美しい地球を目の当たりにした時である。これほど地球の近くを漂流してしまったら、もしかしたら大気圏内に引きこまれてしまうのではないか。眼前にどこまでも広がる闇に慄きながらも、眼に見えない地球の重力にも空恐ろしさを感じるのである。この二重の恐怖がたまらない。
映画を見ていて気づかされるのは、人間の存在自体が重力に大きく規定されているという事実である。身体運動が重力に依存しているだけではない。ものの見方そのものが重力に左右されているのだ。
たとえば無重力空間では身体の動作はままならない。じっさいこの映画でたびたび表わされているように、ひとたび回転してしまった身体を安定させるには並々ならぬ労力と時間が必要とされる。しかし、よくよく考えてみれば、こうした不自由な身ぶりの描写は地球の重力を前提とした視点に基づいている。どんな身体運動にも重力が等しく作用しているからこそ、身体の「安定」や「自由」という見方が可能になるからだ。
確かに宇宙を漂流する身体は不安定で不自由極まりない。ただ、そのように認識するのは、私たちの視線にも重力が働きかけているからだろう。画面の背後にたびたび映り込む地球は、帰還すべき目標であると同時に、認識の根底に重力が隠れていることの象徴にほかならない。
重力という枠組みを取り払った視線を想像してみると、あるいはこうも言えるかもしれない。宇宙空間で回転しているのは身体ではなく、むしろ宇宙ではないのか。身体が宇宙で回転するのではなく、身体のまわりの宇宙が回転する。事実、この映画のなかでもそのようなシーンは、部分的とはいえ、表現されていた。そのようにして私たちの世界観を想像的に転倒させるところにこそ、この映画の芸術性があるのだ。

2013/12/15(日)(福住廉)

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