2020年07月01日号
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artscapeレビュー

向雲太郎『舞踏?──ぶとうってなんだろう?なにそれ?おいしいの?』

2014年01月15日号

会期:2013/12/13~2013/12/14

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この公演は長らく大駱駝艦のメンバーとして(すなわち1人の舞踏手として)研鑽を積んだ向雲太郎が、「舞踏」ではなく「舞踏?」を踊った問題作。タイトルに「?」が付されているのは、この上演が舞踏作品ではなく「舞踏について」の作品であったことを意味する。すなわち、これは言うなればコンセプチュアル舞踏であり、メタ舞踏だったのだ。古巣の大駱駝艦作品に似て、本作には進行順に六つの小タイトルが付けられているのだが、その六つのパートはどれも一貫した仕掛けが一つひとつにあり、そのどれもが、一般的に基礎とするような舞踏的身体技法抜きで、いわば外側からの強制によって動きが舞踏になるように準備されているという点に特徴がある。例えば、冒頭の「1. 暗黒君II」では、大リーグボール養成ギプス(「巨人の星」)のごときエキスパンダーのバネが仕組まれた器具を、腿や腕、頭に装着することで、どうしても手足や背中を伸長させることができず、向の体は腰の曲がった老人のような姿勢になってしまう。これは、自動的に舞踏的な姿勢がとれる一種の「舞踏家養成ギプス」であるみならず、もともと舞踏が踊れる向に通常の意味での舞踏を踊らせなくするための「拘束具」でもある。つまり、この舞台でダンサーは、いったん自分のスキルをゼロにし、そのうえで踊るということを行なうことになる。
「メタ舞踏」と呼んだのは、こうした点だ。ほかにも、食用の鶏を白塗りし、舞踏を踊る人形にしてみたり。どうも白塗りの粉は実際は小麦粉で、踊らせたあとオーブンに入れ、最後にそれを手を使わずに食べた。貪りつくと、顔が曲がり、首がくねって、そのさまは自ずと「舞踏的な動作」と化した。ラストでは、映像の粉雪が降り、その真ん中に向が立つ。次第に雪が吹雪になり、強烈なノイズへと変貌すると、その嵐の中に巻き込まれた向は、やはり舞踏のある種の場面によくあるような、受動的で被虐的な身体の危機性を湛えていた。ただし、通常の舞踏公演ならば、それは踊りで、あるいはギッと虚空を凝視する目や痙攣する腕や脚で表わすものだ。それを、踊る代わりに映像のノイズを肉体に浴びせることで、つまり踊らずに示したわけだ。こうして、この上演で向は徹底的に通常の意味で踊ることなく「舞踏について」のパフォーマンスを続けた。
数少ない、通常の意味での「踊り」に見える場面に「5. Girl~Kさんのほうへ」があった。しかし、ここで向が行なったのは、土方巽の踊りを極めて忠実に再現することだった。踊りの途中で舞台の箱を蹴ると転がって現われたのは「土方 完コピ中」の文字。なるほど、トータル10分ほどのパートは、衣裳の再現もあいまって、確かに『夏の嵐』という記録映画に登場する土方によく似ている。アフタートークで、向自身が発言したところによると、これはYoutubeにアップされた映像をスマホで見ながら2カ月ほどかけて模倣したものだという。トークのゲストだった川口隆夫が8月に上演した『大野一雄について』も、その点では同じく映像化されたダンスをコピーする企てだった。この上演に影響を受けたとの発言も向からあったのだが、確かに似たところがあるもののの、川口の試みには大野一雄が川口に憑依したかのようなところがあったのに対して、向の試みた土方巽の踊りにそうした要素はさほどない。丁寧なのだが、体を土方の所作の上に「置きにいっている」感じがした。あるいはパロディ的に見えるところもあった。「コピー」というアイディアのもとで、今後、ダンスへ向けたコンセプチュアルな思考が高まっていくにつれて、その狙いや意図の違いから、多様な実践が起こることだろう(そう希望します)。川口や向のチャレンジは、その発端だったと、将来振り返られることだろう。アフタートークでは、映像と並べると向の踊りが少しずつ遅くなってしまい、その点では完コピとはならなかった趣旨の話があった。これはちょっと印象的で、仮に完コピする時間が10分ではなく1分だったら、少しずつ遅くなるという誤差さえも調整可能かも知れず、ならば、ぜひそういうトライアルも誰かに行なってみてもらいたいなどと思わされた。音楽が主導する踊りであれば、その点は克服できるはずで、舞踏においても、時間をマップ化する仕組みができれば、不可能な課題ではないはずだ。もちろん、よりいっそう問われるのは、なぜ「完コピ」したいのかという点である。このことは大谷能生氏とぼくとで、室伏鴻プロデュースの『〈外〉の千夜一夜』においてさしあたりのトークを行ない、また目下のところ継続的に考察中の「映像化されたダンス」の問題に関わってくる事柄である。この点については、いつか稿をあらためて触れてみたいと思う。
向の活動は、来年にはさらに目立ったものになるようだ。来年の12月には自身のカンパニーによる旗揚げ公演が予定されているという。なんとカンパニー名は「マルセルデュ社」。マジか? ようやくダンスも、レディ・メイドについて問うようになるのか、否か。少なくとも、これまでの日本のコンテンポラリーダンス史のなかであるべきはずだった当然の問い直し(「?」に象徴される)が、いま起ころうとしているのは事実だ。

2013/12/13(金)(木村覚)

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