artscapeレビュー

2015年01月15日号のレビュー/プレビュー

岩渕貞太×八木良太『タイムトラベル』(八木良太展「サイエンス/フィクション」×アート・コンプレックス2014)

会期:2014/12/23

神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]

岩渕貞太の身体は整っている──。運動を始める前の手首足首を回すみたいな仕草を、最近の岩渕は上演の最初によく行なう。ぼくはその時間が一番くらい好きだ。いや、一旦それが終われば、「岩渕の踊り」としか言いようのない独特の動きと静止に引きつけられてしまうのだけれど、動きが速くなって見る者の目が冷静さを欠き、ただ彼の動きの妙に心奪われてしまうその前の、どんな成分が含まれているかをその微妙な含有物までじっくり玩味できるこの「準備の時間」こそ、岩渕のスペックがじっくりと楽しめるから。八木良太が白い壁に10個ほどの時計を掛けていく。どれも違う時を示す時計。それとメトロノームをセットして八木が一旦退くと、この「準備の時間」になった。ダンスなのか準備体操なのかがあいまいな、緩んだなかにしっかりと美的な質を含んでいる動き。それは、音楽に喩えるならばホーミーのようで、身体に潜む多重性がそのまま身体に透けている。それはただ一瞬で終わる。そして岩渕が踊り始める。その踊りはわかりやすくはない。既視感に乏しい。それでいて、しかし、腑に落ちる。身体が「整っている」とは、その事態を指す。伝えたい形や躍動が整っているとともに、それを純粋に届けるための条件もまた整っている。すごい達成度だ。だからこそなのだろう、見ながら、この動きが仮に何かのための「器」だとしたら、すなわちこの美が「用の美」だとしたら、何に用いられるのが相応しいのか、そんなことを考えていた。本作は、八木の展覧会の企画上演である。ゆえに美術(アート)に用いられたさまがここに示されているわけだ。だとして、さて、この美はその「用」において最良の姿なのか……そんなことが頭をめぐる。さて、間に休憩が入って後半が始まると、半透明のスクリーンにさきほどのと同じ踊りを踊る岩渕が現われた。その後ろには岩渕本人もいる。〈映像の岩渕〉と〈生身の岩渕〉が並んだ。すると不思議なことに、〈映像の岩渕〉のほうに強度があると思わされた。前半、あれほど目を釘付けにさせられた生身の岩渕は、いまではあいまいなフォルムを生成する頼りない機械であり、対して〈映像の岩渕〉は堂々と揺るぎない。〈映像の岩渕〉は強い。そしてその強さは再生可能性にあると思わされた。(原理上)何度でも同じ動きを繰り返せる〈映像の岩渕〉は、精妙な動きをわけなく何度でも反復できる。これは察するに、レコードやヴィデオなど再生装置を美術の問題圏に持ち込む八木とのコラボレーションゆえの成果と推測する。確かに〈映像の岩渕〉は、自由に時間を操作され、ノイズを施され、複数化させられた。そんな強度を〈生身の岩渕〉は求めようともけっして得られない。〈生身の岩渕〉はだから生身の良さがあるとみるべきなのか、それとも、この強度こそ真に求めるべき何かなのか。この問いにここで結論が出たわけではない。ところでこの問いは、手塚夏子がプライベートトレースの上演群を試みたときに、すでに始まっていたものだろう。ぼくがBONUSのディレクターだからなどというせこい話ではなくて、映像とダンスの出会いこそここ数年のダンス分野における最大のイシューであるに違いない。本上演は、岩渕によるそのイシューに向けた第一歩なのかもしれない。

2014/12/23(火)(木村覚)

artscapeレビュー /relation/e_00029034.json s 10106595

題府基之「Still Life」

会期:2014/11/30~2015/01/11

MISAKO & ROSEN[東京都]

題府基之は1985年、東京生まれ。現在は神奈川県を拠点に制作活動をしている。既に写真集『Lovesody』(Little Big man, 2012)、『Project Family』(Dashwood Books, 2013)を刊行し、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館でのグループ展に参加するなど、むしろ海外での注目度が高まりつつある写真家である。その彼の「Still Life」と題する新作展が、東京・大塚のギャラリーMISAKO & ROSENで開催された。
大きめにプリントされた11点の作品は、すべてテーブル上に散乱する食べ物類を、真上から見下ろすように撮影している。コンビニから買ってきたばかりという感じの弁当類、レトルト食品、極彩色のパッケージのお菓子類などは、ストロボ一発で白々と平面的に描写されており、いかにもそっけなく、身も蓋もない印象を与える。とはいえ、題府がその光景をネガティブに、文明批評的な突き放した距離感で撮影しているのかといえば、そうではないだろう。「片づけられない」状態のまま、ゴミの山と化していく部屋を、家族たちの姿とともに捉えた『Project Family』もそうだったのだが、題府の撮影の仕方は肯定的かつ受容的であり、写真化の手続きは過度な露悪趣味に走ることなく、とてもバランスがとれている。それは今回の「Still Life」でも同じで、画面構成をしっかり考えて、注意深く撮影している様子が伝わってくる。このまま順調に伸びていけば、同時代の空気感を世代感覚として体現した、いい写真家に成長していくのではないだろうか。

2014/12/24(水)(飯沢耕太郎)

ベイマックス

『ベイマックス』(監督:ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ)を見る。今年の年末映画は良作が多い。米映画における日本の存在感が薄れるなか、さすがにロボット+戦隊+アニメの作品は、日本リスペクトの絵が多い。サンフランシスコと東京を融合させた都市のイメージは、必ずしも斬新ではないが、細部に至るまで、デザインへのこだわりを感じさせる。冒頭で少しだけ提示される大学(研究)か企業(金)かという対立は、クリエイターとディズニーの確執かと思ったが、物語はそう展開しなかった。今回も、犬と食をテーマにした冒頭の短編が良い。

2014/12/24(水)(五十嵐太郎)

エクスペンダブルズ3 ワールドミッション

機内で幾つか映画を見る。『エクスペンダブルズ3』(監督:パトリック・ヒューズ)は、仲間が痛めつけられるのが耐えられないと、シルベスター・スターロンが一度は解散を決めたものの、最後は全員集合で「戦争」規模の大暴れだ。『クローズ』がヤンキー喧嘩のユートピアだとすれば、こちらはまだまだ若手には負けないと、老優の友情を確かめあう天国である。そして破壊される舞台となった廃墟ビルがすごい。この場所を見つけたことで、充分に成功だ。

2014/12/25(木)(五十嵐太郎)

『ザ・メイズ・ランナー』、『ザ・ギバー』

日本ではまだ公開されていない『ザ・メイズ・ランナー(THE MAZE RUNNER)』(監督:ウェス・ポール)と、『ザ・ギバー』(フィリップ・ノイス、原作:ロイス・ローリー)は、よく似た設定だった。前者は記憶を失った青年らが巨大な壁の迷路に囲まれた世界に送り込まれ、そこで安定しかけてきた共同生活を継続するか、危険と向きあい脱出するかの選択を迫られる。後者は歴史、感情、色彩が抹消された、白い家が並ぶ郊外住宅地のようなユートピアにおいて、過去の記憶を学ぶ役割を担わされた主人公が閉じた世界の外に向かう。

2014/12/25(木)(五十嵐太郎)

2015年01月15日号の
artscapeレビュー