artscapeレビュー

2013年01月15日号のレビュー/プレビュー

尊厳の芸術 展

会期:2012/11/03~2012/12/09

東京藝術大学大学美術館[東京都]

第2次大戦中、アメリカ西部の強制収容所に隔離された日系人がつくった日用品や工芸品などの展示。椅子や棚といった実用品から人形、アクセサリー、玩具まで、少しでも収容所での生活を飾ろうと粗末な素材と道具でこしらえた品々だという。でも、そんなことを知らずに見たら貧乏くさい古道具か安っぽい土産物か、いずれにせよキッチュな工作物にしか見えないだろう。思い出すのは画学生たちの絵を集めた無言館の作品群で、それらが徴集され戦死した人たちによる遺作のような作品と知らなければ、単なる未熟な絵にしか映らないからだ。つまりここでは作品そのものの芸術性より、その背景に隠されているドラマにこそ伝えるべき意味と価値があるということだ。ところで同展は2年前、スミソニアンで開かれた展覧会を元に構成されているそうだが、アメリカ人ははたしてなにを思ってこれを企画したんだろう。乏しい材料からなんでもつくってしまう日本人の器用さに驚嘆したのか、それとも逆境にあってもめげずに生活を豊かにしようとする強さに感動したのか、あるいは強制収容所に隔離してしまったことに対する反省か。アメリカでの展覧会名は「The Art of Gaman(我慢の芸術)」というそうだから、おそらく2番目が正解だろう。その「我慢強さ」は3.11後の被災者の態度でも証明され、世界から賞賛されたものだが、でも逆境にあって我慢強さを発揮するってのは、言葉を換えれば「お人好し」ってことじゃね?

2012/12/04(火)(村田真)

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大庭大介

会期:2012/11/27~2012/12/21

SCAIザ・バスハウス[東京都]

パールカラー(真珠色?)とでもいうんだろうか、見る角度によって乳白色が虹のように変化するアクリル絵具を使った絵画。描かれているのは花のパターン、マス目パターン、マス目のなかの渦巻きパターンなど多彩だ。素粒子の軌跡のようなランダムな曲線もあるが、これは画面上でベイブレード(コマ)を回した軌跡らしい。画材の新奇性ばかりに目を奪われがちだが、絵画の本源である塗ることや見ること(見えること)を問う試みといえる。

2012/12/04(火)(村田真)

松尾多英 個展「砂」

会期:2012/12/03~2012/12/15

クリエイティブ/アートスペースコルソ[東京都]

100号大の縦長パネル17枚に顔料で「砂丘」を描いている。1枚1枚でも独立した絵として見られるが、17枚を円環状につなげると360度のパノラマ画面として完結する(ただしつなげると全長20メートルを超すため、今回は会場の都合で一部つながっていない)。これは壮観。でも端から端までずーっと見ていくと奇妙な感覚にとらわれる。それは、1枚1枚の縦長パネルにそれぞれ砂丘の特徴が描かれているため、全体を見渡すときわめて変化に富んだ(むしろ富みすぎる)砂丘が出現するからだ。いいかえれば、1枚1枚が比較的ワイド画面なのに、それが17枚も続くから、全体で360度どころか720度も優に超す一種幻想的な風景になっているのだ。もちろんそれは弱点ではなく、むしろ本来は無愛想きわまりないはずの砂丘に変化に富んだ表情を与えた作者の力量と見るべきだろう。ちなみに松尾さんはぼくの美大のセンセーで、当時は最年少のぱっつんぱっつんギャルだったが……あ、センセーお久しぶりです!

2012/12/04(火)(村田真)

須田一政「風姿花伝」

BLD GALLERY[東京都]

会期:[第一期]2012年11月15日~12月2日/[第二期]2012年12月4日~28日
須田一政が1975~77年に『カメラ毎日』に断続的に掲載した「風姿花伝」は、僕にとって忘れがたいシリーズだ。この時期の『カメラ毎日』の誌面は名作ぞろいなのだが、須田の写真はとりわけ薄紙に水が染みとおっていくような浸透力を備えていた。そのただならぬ異界の気配に、震撼とさせられることも多かった。須田のこの時期の仕事については、近年ヨーロッパでも再評価の気運が高まっている。ベルリンのonly photographyから500部限定の写真集『ISSEI SUDA』も刊行された。その須田の代表作が、BLD GALLERYで展示され『風姿花伝[完全版]』(Akio Nagasawa Publishing)が刊行されるというのも、彼の再評価の大きな流れのなかに位置づけられるだろう。
今回の展示の目玉は、なんといっても1,080×1,080mmサイズの大判モノクロームプリント10点である。その迫力は比類ないものがあり、須田の写真の世界がしっかりとした構築的な骨組みを備えていることが、明確に浮かび上がってくる。ほかに名作中の名作、あの大蛇が壁をつたって這う「神奈川県三浦三崎」(1975)のヴァリエーション4枚(とぐろを巻く蛇のイメージも含む)が、初めてプリントとして展示されているのも興味深かった。この連作も写真集として刊行する予定だという。
なお、新宿のPlace Mでは、須田が1990年代に制作した「RUBBER」シリーズ(ポラロイド写真)が展示された(12月3日~9日)。こちらも彼の「なんかヘン」な対象に対するフェティッシュなこだわりが全面展開した怪作だ。Place Mから同名の写真集も刊行されている。

2012/12/04(火)(飯沢耕太郎)

原芳一「常世の虫II」

会期:2012/11/30~2013/12/09

サードディストリクトギャラリー[東京都]

昨年刊行した写真集『光あるうちに』(蒼穹舍)で「写真の会賞」を受賞するなど、このところ充実した活動を展開している原芳一の新作展。「常世の虫」というタイトルの展示は、2009年の同ギャラリーでの個展に続くものである。
被写体なっているのは、相変わらず彼自身の日々の消息だが、たしかにそのなかにさまざまな虫たちが姿を現わしている。ちっぽけで目につきにくい蛾や毛虫や蜉蝣の類を捉える原の眼差しには、いささかの揺るぎもない。彼にとって、虫たちの世界と人間たちの世界はまったく同格であり、むしろ生(性)と死のはざまで密やかに営まれる虫たちの生の姿にこそ、強い関心と共感を抱いているのではないかと思えるほどだ。
DMに寄せた文章で原自身も書いているのだが、日本の古代から中世にかけて「虫」が大きく浮上してくる時期があった。「常世の虫」と呼ばれる宗教集団への弾圧事件、あの哀切な「虫愛づる姫君」の話。そんな争乱の時代へとなだれ込んでいく「末法の世」の空気感は、原にとって他人事ではなく、どこか現代の気分と重なりあうのだろう。このシリーズがどんなふうに展開していくのかはわからないが、原がもともと備えている文学的な想像力が、さらに奇妙な回路を辿りつつ花開いていきそうな予感がする。

2012/12/04(火)(飯沢耕太郎)

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